丹波篠山城跡
紅葉めぐりが続きましたが少しお休みしまして、
過去の丹波篠山をもう一度だけ^^
丹波篠山と言えば、猪肉(ぼたん鍋)、丹波黒豆、黒豆枝豆、
丹波栗など特産品にはこと欠きませんが・・・、
観光といえばやはりここは見逃せません。
史跡 篠山城址
「東馬出」から見た東外堀
内堀と石垣を見ながら
三の丸(後ろです^^)から二の丸へと北側大手口を入ります。
ここが篠山城跡の入り口です。
内枡形の大手口表門跡、
この辺りの石垣石には刻印が見られます。
枡形を抜けると
二の丸へ続く最後の鉄門(鉄門)跡です。
正面に見えるのは大書院資料館の玄関ですが、
残念ながらこの日は月曜日で休館でした。
玄関前をさらに回り込むと二の丸広場。
整備された二の丸跡には当時の部屋割の様子が
平面表示されています。
中央から見た大書院。
昭和19年(1944)に焼失しましたが、
平成12年(2000)に復元され公開されています。
二の丸の南面にある埋門(うずみもん)跡、
搦手門に通じる門で非常時には埋めて外部と遮断します。
ここの石垣には数多くの符号・刻印があるそうですが、
表門の方が多い気も・・・そのひとつ。
また築城時の普請奉行、池田三左衛門の名を刻んだ
「三左之内」石もあると・・・これは外側でした。
帰りに外側から見た埋門と「三左之内」の刻印がある石です。
二の丸広場に戻って青山神社のある場所が本丸跡。
神社はこの左手にありますが、
ここ本丸には建物は築かれていなかったと説明板にあります?
本丸跡の東南隅にあるのが天守台
東西約19m、南北約20mで、約380㎡の広さがあるそうです。
慶長10年(1605)丹波八上城に入った松平康重は、
徳川家康の命による天下普請で篠山に新城を築城します。
天守台から見る八上城跡のある高城山(丹波富士)です。
慶長14年(1609)大阪城攻略の拠点として、
わずか半年で築城されたという篠山城に康重は入城。
その後、青山忠朝が入封、以後青山氏の治世が続きます。
丹波篠山、遠い昔に訪れて以来・・・記憶をたどりながら、
まるで初めて見るような篠山城跡でした。
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