2023年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« 湖北の紅葉・鶏足寺 | トップページ | 美濃五山・円興寺 »

2009年11月21日 (土)

小簾紅園・瑞穂市

 ” 惜しまじな 君と民との為ならば
          身は武蔵野の 露と消ゆとも ”
文久元年(1861)10月20日、
皇女和宮は徳川家茂に降嫁するため京都を出発して、
中山道を江戸に下ります。

いきなりの書き出しですが・・・ <m(__)m>
今回の紅葉めぐりは中山道の「呂久渡船場跡」に整備された、
和宮遺跡の「小簾紅園(おずこうえん)」(瑞穂市)です。
      ※ 穂積市と書いていました>< 間違いです。 
        ”ねむねむさん”ご指摘ありがとうございました。 

Ozu01
Ozu02
公園入り口です。
紅葉は少しばかり早かったようです^^

和宮の一行は6日後の10月26日、
赤坂宿を出てここ呂久で呂久川(現在の揖斐川)を渡ります。

Ozu03
Ozu04_2

御座船の小簾の中から対岸の家の庭に紅葉する楓を見て、
和宮はその美しさと自身の境遇を重ね合わせ・・・
 ” おちてゆく 身と知りながら もみじ葉の
            人なつかしく こがれこそすれ ”
と詠まれました。

Ozu05
Ozu06
その後、皇女和宮の遺徳をしのび、昭和4年(1929)に
この「呂久の渡し」の跡地に歌碑を中心とした「小簾紅園」が完成、
楓が植えられ紅葉の名所となっています。

Ozu07
Ozu08
公園のひときわ小高いところにあるその歌碑です。

Ozu09
Ozu12_2
Ozu13
碑の周りを囲むように・・・

Ozu12_3
Ozu13_2
そして公園の中に色づくもみじ。

Ozu14

公武合体のためにと家茂に降嫁した皇女和宮でしたが、
徳川幕府はその6年後に大政奉還します。

歴史のなかで翻弄された一人の女性・・・
そんな和宮をしのんで造られた「小簾紅園」、
多くのもみじが小さな公園を彩っていました。   20日

« 湖北の紅葉・鶏足寺 | トップページ | 美濃五山・円興寺 »

お出かけ・紅葉」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。始めまして。

えっと、呂久の渡しがあるのは、瑞穂市(旧巣南町)なんですよ。
すみません、どうしても気になったもので、、、。

いつも楽しく拝見しているものです。
こちらで教えていただいて、いろいろなスポットへ出かけました。
これからも綺麗な写真と文章を楽しみにしております。

ねむねむさん
初めまして、ご指摘いただき助かりました。
そしてコメントありがとうございます。

完全に思い違いをしていました。
早速訂正させていただきました。

ぶらり旅、ご覧いただきありがとうございます。
気の向くままに出かけては載せていますが、
参考にして頂いているとは嬉しいです。
今後も有名、無名のスポットを載せていきます。
よろしくお願いします。^^

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 小簾紅園・瑞穂市:

« 湖北の紅葉・鶏足寺 | トップページ | 美濃五山・円興寺 »