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2009年11月30日 (月)

そぶえイチョウ黄葉まつり

今年もまた「そぶえイチョウ黄葉まつり」です。

ギンナンの生産量日本一といわれる愛知県稲沢市祖父江町、
町なかにあるイチョウの木々が黄金色に染まっています。

Sobue01
今年は電車でしたが、名鉄尾西線の山崎駅を降りると、
周辺はどこを歩いてもイチョウの木です。

Sobue02
黄葉散策マップも必要ないぐらいですが、
見どころを探して見事な黄葉を楽しみます。

Sobue03_3 
やはりメイン会場の「祐専寺」。
昨年とは少しアングルを変えましたが、ここだけはねぇ^^

Sobue04
もみじとイチョウ。><

黄葉を求めて・・・というより勝手に目に入ってきますが

Sobue05
この日は風で散る葉も多く見られました。

Sobue06
そしてイチョウの乳(木根)、
樹齢200年以上といわれるイチョウの古木です。
個人の方の庭先にありますが、
我がカメラのレンズでは全体を捉えきれません。

  Sobue071 Sobue072
いつもながらのいい加減な合わせ画ですが、
後ろにさがれず全体は無理でした。><

Sobue08
いまさらですが凄いイチョウの町です。

Sobue09
めぐる道筋も黄金色でこんな贅沢はありませんが、
二度目となると少しは楽しみ方も工夫して^^

Sobue10
と、思いながら・・・

Sobue11
少し策に頼りすぎた感は否めません。><

Sobue12
普通に捉えた地上?のイチョウ。

Sobue13
最後はやっぱり遊んでみました^^;

祖父江町で行われた「そぶえイチョウ黄葉まつり」、
今年もまた師走が近い日でした。     28日

2009年11月29日 (日)

春日山遊歩道・北ゾーン

春日山遊歩道・南ゾーンから奥山遊歩道(ドライブウェイ)を歩いて
若草山の山頂へと向かいます。

綺麗に晴れたこの日の若草山!
少し霞んでいますが眼下に奈良市街と正面に生駒山です。

Kasuga001
Kasuga002
眠れる?鹿も心地よさそうです^^

Kasuga003
山頂駐車場周辺は綺麗な黄葉でした。
ここから山麓へと下ります。

  Kasuga004 Kasuga005
北の遊歩道は途中にあまり紅葉の見どころはありません。

南の遊歩道は登るにつれて綺麗な紅葉ですが、
こちらは下るほどに綺麗な紅葉を見ることができます。

Kasuga006
とはいえ、毎年同じ景色で面白くもないんですが、
などと言いながら同じ場所での撮影。><

Kasuga007
今年はやはり昨年より早いようで・・・、
ここから紅葉の見どころが続くんですが。

Kasuga0072
???期待しすぎもあってかやや拍子抜け。

「洞のモミジ」、「月日亭」あたりも色付きはイマイチです。

Kasuga008 
少し下った水谷川周辺。

Kasuga009
Kasuga010
どうにか見ごろでした。

これでどうにか?と言われそうですが、
裏から見た綺麗どころを選りすぐっております。^^

Kasuga011
Kasuga012
この日も撮影スポットになっていました「水谷茶屋」、
正面もいいんですが、ここはやはり散りもみじでした。^^

 ” 奥山に もみぢ踏みわけ鳴く鹿の
                声聞くときぞ 秋はかなしき ”
チョット借りものですが、
今年もお馴染みの奈良「春日山遊歩道」でした。    26日

2009年11月28日 (土)

奈良・春日山遊歩道

奈良春日山原始林。
毎年紅葉の終わりになると訪れるところですが、
今年もまた「春日山遊歩道」のハイキングでした。

春日山原始林を周遊する遊歩道(一部奥山ドライブウエイ併用)
ですが紅葉の終わりにはここを周遊します。

いつものように南ゾーンの遊歩道を行きます。

Kasuga01
「南部交番」入り口の紅葉、
今年は早いと言われる紅葉ですが・・・どちらか難しい?

ここからの遊歩道はしばらく黄葉が続きます。

    Kasuga02
「妙見宮」、
この辺りもまだ早い感じでしたが・・・
ここから先はちょうど見頃の紅葉が道のコーナーに現れます。

Kasuga03
この遊歩道は登るにつれ、
九十九に折れる道端に現れる紅葉が見どころ。

Kasuga04
コーナーで遠目に見える紅葉が、
近づくにつれ見事に染まるその姿を見せてくれます。

その曲がる道筋の紅葉

Kasuga05
Kasuga06
差し込む朝日にそれぞれに違う色合いを見せてくれます。

Kasuga07
Kasuga08 
頭上を覆うもみじ

Kasuga09
Kasuga10
次々と目に飛び込む紅葉にたびたび足が止まります。

Kasuga11
Kasuga12
この日は朝が早く太陽はまだ低かったんですが、
陽が上るにつれ紅葉も日差しに映えてきました。

Kasuga14
今年も訪れた春日山遊歩道・・・
やはり柳生街道滝坂道の合流地点は寂しい紅葉でした。

Kasuga15

いつもは回る「地獄谷園地新池」も立ち寄らずそのまま直進、
「奥山周遊道」から「若草山」へと向かいます。

このあとは北ゾーンの「春日山遊歩道」です。   26日

2009年11月27日 (金)

熊野古道・八鬼山越え

年のせいでしょうか?なぜか今回もてっとり早く団体行動でした。

「おわせ海・山ツーデーウオーク」(21・22日開催)の2日目、
「八鬼山満喫コース」に参加してきました。
熊野古道の中でもいちばん歩きたかった「八鬼山越え」です。

本来なら尾鷲側から入るんですが、
会場に戻るために今回は三木里側から入ります。

Yakiyama01
三木里駅から名柄の集落を抜けて山道へ入ります。
名柄一里塚を見るとそこからしばらくで
「八鬼山峠道」の案内板がありますがここが三木里登り口。

Yakiyama02 
熊野古道の魅力はその苔むす石畳、
その石畳の道は登り口からすでに続いています。

団体行動といっても途中からばらばらの気楽なもので、
ひとりでホイホイと気持ちよく登って行きます。

Yakiyama03 
途中にある「明治道」との分岐、ここから「江戸道」へと入ります。
ホイホイと来たのはここまででした><

ここから急峻な登りが始まります。

Yakiyama04
いきなりの木の根道、これも古道の魅力のひとつ。

余裕は次第になくなり、ただひたすら前へ前へと差し出す足(大汗;)

Yakiyama051
ようやく着いた「十五郎茶屋跡」、

Yakiyama052   
眼下に見える三木里の集落と海にホッと一息入れます。

ここからまだまだ続く難所の八鬼山?

Yakiyama06
この江戸道は近年見つかった古道で関係者により
補修、整備されたそうで、ロープや鎖場のある山道です。

その道を頂上まで登って一山越えます。

Yakiyama07
山頂に整備された「さくらの森広場」、
これが山頂かと思うほどの芝生広場です。

絶景が待っていました!

Yakiyama08
中央に見えるのは九鬼の集落、突き出た半島は茜の森。
案内板には現在地652mとあります。

  Yakiyama09 Yakiyama10_2
そして左側にははるかに望む志摩半島、
手前には尾鷲市、元須賀利に先端が寺島・・・だそうですが?

小休止で食事のあとは・・・八鬼山越えて尾鷲へと下ります。
杉林の明るい尾根道をしばらく歩くと明治道との分岐三木峠、
再び急な石畳の道を慎重に下ります。

Yakiyama11
途中の「荒神堂と荒神茶屋跡」、
西国三十三所第一番札所の前札所として多くの人が参ったと。

Yakiyama12
この八鬼山越え、尾鷲側には町石を兼ねた多くのお地蔵さん、
(はじめは野仏かと思いました^^)があります。

お地蔵さんを確認しながら下りて行くと
やがて九鬼集落への分岐になる九木峠。 

Yakiyama13 
またまた急な石積みの道を下りるとすぐに巨岩が現れます。
蓮華石と烏帽子石と呼ばれる大きな石、
手前が蓮華石、後方の縦長を烏帽子石というそうです。

そして八鬼山越えのハイライト「七曲り」の石畳。

Yakiyama14 
もっとも勾配がきつい難所中の難所といわれるところ、
苔むす石畳の急坂が280m続きます。
曲がり角に「曲点」と刻まれた石標が埋められていますが、
今回は下りでしたが・・・。

この七曲りを過ぎると八鬼山の見どころは山麓辺りに移ります。

途中に点在する「行倒れ供養碑」や「一里塚跡」など見ながら、
尾鷲側登り口まで滑って転ばぬように無事を祈るだけでした。

最後に、この「八鬼山道」の石畳

Yakiyama15
なかでももっとも施工当時の面影をよく残すといわれる・・・
そんな石畳がこの50mの区間だそうです。

その感触を確かめながら

Yakiyama16
ようやく越えた八鬼山でした。

念願の熊野古道・八鬼山越え!
どちらから越えても最大の難所に変わりはありませんでした。

2009年11月26日 (木)

丹波篠山城跡

紅葉めぐりが続きましたが少しお休みしまして、
過去の丹波篠山をもう一度だけ^^

丹波篠山と言えば、猪肉(ぼたん鍋)、丹波黒豆、黒豆枝豆、
丹波栗など特産品にはこと欠きませんが・・・、
観光といえばやはりここは見逃せません。

史跡 篠山城址

Sasayama01
「東馬出」から見た東外堀

Sasayama02
内堀と石垣を見ながら

Sasayama03 
三の丸(後ろです^^)から二の丸へと北側大手口を入ります。
ここが篠山城跡の入り口です。

Sasayama04 
内枡形の大手口表門跡、
この辺りの石垣石には刻印が見られます。

枡形を抜けると

Sasayama05
二の丸へ続く最後の鉄門(鉄門)跡です。

正面に見えるのは大書院資料館の玄関ですが、
残念ながらこの日は月曜日で休館でした。

Sasayama06
玄関前をさらに回り込むと二の丸広場。

整備された二の丸跡には当時の部屋割の様子が
平面表示されています。

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中央から見た大書院。
昭和19年(1944)に焼失しましたが、
平成12年(2000)に復元され公開されています。

Sasayama08
二の丸の南面にある埋門(うずみもん)跡、
搦手門に通じる門で非常時には埋めて外部と遮断します。

ここの石垣には数多くの符号・刻印があるそうですが、
表門の方が多い気も・・・そのひとつ。

Sasayama09

また築城時の普請奉行、池田三左衛門の名を刻んだ
「三左之内」石もあると・・・これは外側でした。

Sasayama10
Sasayama11
帰りに外側から見た埋門と「三左之内」の刻印がある石です。

二の丸広場に戻って青山神社のある場所が本丸跡。

Sasayama12
神社はこの左手にありますが、
ここ本丸には建物は築かれていなかったと説明板にあります?

本丸跡の東南隅にあるのが天守台

Sasayama13
Sasayama14
東西約19m、南北約20mで、約380㎡の広さがあるそうです。

慶長10年(1605)丹波八上城に入った松平康重は、
徳川家康の命による天下普請で篠山に新城を築城します。

Sasayama15
天守台から見る八上城跡のある高城山(丹波富士)です。

慶長14年(1609)大阪城攻略の拠点として、
わずか半年で築城されたという篠山城に康重は入城。
その後、青山忠朝が入封、以後青山氏の治世が続きます。

丹波篠山、遠い昔に訪れて以来・・・記憶をたどりながら、
まるで初めて見るような篠山城跡でした。

2009年11月25日 (水)

近江の名園 教林坊

東近江市五個荘町からとなり町の安土町へ、
石寺にある近江の名園 名勝 石の寺 「教林坊」です。

小堀遠州作と伝えられる名園と紅葉の競演が見れるか?
期待半分で訪れました。

Kyourinbou01
山裾のかくれ里とありますが・・・表門の紅葉!
やっとここの紅葉らしい紅葉にめぐり合いました。

Kyourinbou02
門を入ってすぐの拝観受付入口前、
これで早い、遅いと文句は付けられません!

Kyourinbou03
受付を出て順路に従い教林坊の紅葉をめぐります。

左回りです

Kyourinbou04
Kyourinbou05
経蔵の屋根にかぶさるように赤く染まるもみじ

Kyourinbou06
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庭園、本堂を上から眺めながら続く道ですが、
見事な紅葉にただ見惚れるばかり・・・。

Kyourinbou08
Kyourinbou09_2 
本堂を回り込りこんで書院前の庭園に向かいます。

Kyourinbou10
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Kyourinbou12
ちょうど書院と庭園の間からです。

Kyourinbou13   
Kyourinbou14
巨石を用いて豪快に表現された池泉回遊式庭園ですが・・・、
ほんの少しだけ。^^

Kyourinbou15
ちょうど境内を一周しました。

このあと書院からの掛軸庭園となるんですが・・・

Kyourinbou16
ガラス戸が閉められていて思うにまかせず、
これも故あっての斜め横からです。><

秋の特別公開は12月10まで、その後は土・日・祝になります。
まさに満開のもみじに遭遇した?
そんな近江の名園 石の寺「教林坊」でした。     21日

2009年11月24日 (火)

石馬寺・東近江市

滋賀県東近江市五個荘石馬寺町にある「石馬寺」です。

来るたびに紅葉のタイミングが合わない寺でしたが、
今回は何とか見頃の紅葉でした。

Ishibaji01
推古2年(594)聖徳太子がこの地を訪れ、山麓の松の木に
馬をつなぎ、霊地を探して山に登り、戻ると馬は石になって
池に沈んでいた・・・
霊異を感じた太子はここに石馬寺を開基したと言われる。

Ishibaji02
参道入り口の紅葉

Ishibaji03
Ishibaji04 
紅葉の見どころは境内にもありますが、
私的にはここが一番と思っています。

その他の紅葉はこのあと本堂付近に・・・。

Ishibaji05   
入り口から続く長い乱れ石積みの階段を上ります。

Ishibaji06
六所神社手前で右に折れ石段を上りつめると本堂境内。

Ishibaji07
左に本堂の大方丈、
ご本尊は十一面千手観世音菩薩像(非公開)。

この辺りの紅葉も綺麗ですが・・・
朝のこの時間は太陽を真正面(背中)から受けます。^^

Ishibaji081
拝観受付の書院と収蔵庫の間にある「石馬の石庭」、
もちろん書院から眺める庭園ですが・・・横から。


Ishibaji082
境内あるもみじの木はちょっと色付きが良くないですね~。

Ishibaji09 
鐘楼と山の紅葉

     Ishibaji092
下山?です^^
山の紅葉も光が射し込むと綺麗ですが

Ishibaji10
戻った参道入り口の紅葉、やはりここが見どころですね。

いつもは紅葉の様子を見るだけで拝観はしないんですが、
初めて本堂・寺宝を拝観。
藤原・鎌倉時代に造られた多くの寺宝(国重文)を
ツワー客に混じって解説つきで見れるラッキーもあり、
紅葉とともに楽しんだ古刹「石馬寺」でした。

紅葉を巡って移動中

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思わず車を止めたコスモス畑!
紅葉めぐりのなかでこれは良い眼の保養になりました。

これが今年最後のコスモスになるでしょうね。^^

2009年11月23日 (月)

美濃五山・真禅院

「円興寺」から再び中山道を垂井へ。

途中から国道21号線に出て向かったのはこちらも美濃五山、
垂井町宮代にある「朝倉山 真禅院」でした。

Sinzenin01
天平11年(739)に行基菩薩により創建された
天台宗の古刹で、美濃国一の宮南宮大社の元神宮寺。
十一面観音霊場として、
また「朝倉観音」として親しまれている・・・とあります。

Sinzenin02
山門をくぐると正面には
約370年前に再建されたという旧南宮大社本地院(国重文)。

Sinzenin04
その横にある観音堂、ご本尊は十一面観世音菩薩(秘仏)。
元は宝珠院といわれ南宮大社奥の院でしたが、
明治の神仏分離で移築されました・・・と、HPからの要約です。

さて、紅葉です。

Sinzenin044
陽を背に受けてこれは楽しみと・・・

Sinzenin05
見て回る境内、
こちらには多くの諸堂があります。

     Sinzenin06
そちらも気にしながら観音堂前

 Sinzenin071 Sinzenin072_2 
鐘楼
 梵鐘は奈良時代に造られたもので国重文、美濃国最古という。
三重塔
 こちらも国重文で約370年前の再建とあります。

もみじも有名ですが国重文・県重文と寺宝が多い寺院です。

Sinzenin08
Sinzenin09
県重文の鐘楼に国重文の梵鐘、
ほどよく染まったもみじもは・・・見頃でした^^

Sinzenin10 
圧巻は三重塔前の大木ですが、
このときもみじの裏に回れば綺麗だったんでしょうが

Sinzenin11 
なぜか正面からばかり撮っています。><

Sinzenin12
結局は薄日のなかでの紅葉でした。

諸堂か紅葉か?
気持ちの乱れはこの日の撮影に影響!(チョイとオーバー^^)
なんとも中途半端な「真禅院」の紹介でした。    20日

2009年11月22日 (日)

美濃五山・円興寺

呂久の「小簾紅園」からそのまま中山道を西へ走ります。

車です!早いですね~、かって歩いた中山道を駆け抜けて・・・
赤坂宿から青垣町へ。
かっての東山道・青墓宿があったところですが、
中山道から少し北へ入ります。

Enkoji01
大垣市青墓町、
大谷の里にある美濃五山のひとつ「篠尾山 円興寺」です。

この地は平安末期から鎌倉期にかけて遊女や傀儡(くぐつ)が
いた宿として知られています・・・という史蹟の里です。

Enkoji02
飛騨・美濃紅葉33に選ばれた紅葉の寺、
庫裏前の様子ですが・・・

Enkoji03
庫裏門前にある大ケヤキともみじの木が重なります。

  Enkoji041 Enkoji042
振り返った庫裏前の左と右の紅葉。

Enkoji05 
Enkoji06
この場所が円興寺の紅葉の見どころ、そして見頃でした。

本堂へと石段を上がります。

Enkoji07
由緒は省きますが・・・
岐阜県下屈指の古刹で源氏一族の菩提所でもあるそうです。

Enkoji08
本堂横にある鐘楼。

Enkoji09
本堂境内の紅葉

Enkoji10
下りる石段から庫裏前のもみじ。

庫裏まえからの様子をもう一度^^

Enkoji11
表と裏の違いですね~><

Enkoji12
綺麗でした・・・

書きながらかってこの近くにある”青少年憩いの森”を
散策したことを思いだしました。

そのときは芭蕉の句碑が目的でしたが、元円興寺跡、
そして源朝長の墓を見た記憶がよみがえりました。
源氏一族ゆかり地青墓町、紅葉の円興寺でした。   20日    

2009年11月21日 (土)

小簾紅園・瑞穂市

 ” 惜しまじな 君と民との為ならば
          身は武蔵野の 露と消ゆとも ”
文久元年(1861)10月20日、
皇女和宮は徳川家茂に降嫁するため京都を出発して、
中山道を江戸に下ります。

いきなりの書き出しですが・・・ <m(__)m>
今回の紅葉めぐりは中山道の「呂久渡船場跡」に整備された、
和宮遺跡の「小簾紅園(おずこうえん)」(瑞穂市)です。
      ※ 穂積市と書いていました>< 間違いです。 
        ”ねむねむさん”ご指摘ありがとうございました。 

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公園入り口です。
紅葉は少しばかり早かったようです^^

和宮の一行は6日後の10月26日、
赤坂宿を出てここ呂久で呂久川(現在の揖斐川)を渡ります。

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御座船の小簾の中から対岸の家の庭に紅葉する楓を見て、
和宮はその美しさと自身の境遇を重ね合わせ・・・
 ” おちてゆく 身と知りながら もみじ葉の
            人なつかしく こがれこそすれ ”
と詠まれました。

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その後、皇女和宮の遺徳をしのび、昭和4年(1929)に
この「呂久の渡し」の跡地に歌碑を中心とした「小簾紅園」が完成、
楓が植えられ紅葉の名所となっています。

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公園のひときわ小高いところにあるその歌碑です。

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碑の周りを囲むように・・・

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そして公園の中に色づくもみじ。

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公武合体のためにと家茂に降嫁した皇女和宮でしたが、
徳川幕府はその6年後に大政奉還します。

歴史のなかで翻弄された一人の女性・・・
そんな和宮をしのんで造られた「小簾紅園」、
多くのもみじが小さな公園を彩っていました。   20日

2009年11月20日 (金)

湖北の紅葉・鶏足寺

伊吹に所用があってそのまま足を延ばした
滋賀県木之本町古橋にある「鶏足寺(旧飯福寺)」です。 

最新の紅葉情報で様子は分かっていたんですが、
前日の雨とこの日朝からの強風でどうなったかと心配でした。

Keisokuji01
平日のおかげ?か予想以上に人が少なく、
境内から参道の散りもみじもそれほど踏まれていませんでした。
木々のもみじもこの辺りはかろうじて残ります^^

ちょうど背中から太陽を受けて参道を行きます。

 Keisokuji021 Keisokuji022
振り返って・・・。

Keisokuji03_2
本堂周辺はほとんど散っています。

Keisokuji04
本堂から見る参道

Keisokuji05_2

戻る参道周辺の紅葉です。

Keisokuji06
Keisokuji07
200本というもみじ、見頃と言えば見頃ですが
やはり木々のもみじ葉も色付きが悪いようです。

Keisokuji071
これぐらいならまだ見頃でしょうか?

Keisokuji08
Keisokuji09
散ったもみじもまた良し。

Keisokuji10
「石道寺」に向かう道筋にある大木、
紅葉には陽射し・・・を改めて感じました><

ここから「石道寺」に行きましたが、
こちらは載せるほどではありません。

Keisokuji11

”2日前はまだ遅かったと聞いて今日来たのに” と嘆かれる方も。

やはり雨と風が影響したのでしょうか?
戻る途中も強風がもみじを散らしていました。    18日   

2009年11月19日 (木)

丹波紅葉めぐり・洞光寺

日は明けて「丹波紅葉めぐり」最後のもみじ寺は、
篠山市東本荘にあります「洞光寺」でした。

幹線道路からはほんの少し山側に入りますが、
ナビも通り過ぎた?畑のなかの道を行きます。

Doukouji01 
赤い山門を入ると苔むした石段が続きます。

Doukouji02
二度に折れる石段の先にあるもうひとつの門、

Doukouji03
南北朝時代の1374年創建とされる曹洞宗の古刹、
門の先には・・・

Doukouji04_2
菖蒲池に架かる石橋(観楓橋)から
境内左手にあるもみじの木々、やはり散っています><

Doukouji05
橋を渡ると見事な参道と楼門、
古刹!その昔が偲ばれる建物です。

Doukouji06
角度を変えるとまだまだ残るもみじ葉、
太陽がほしい・・・とは、ないものねだり?ですね~。

Doukouji07
創建は古いんですがたびたびの火災にあい、
本堂は昭和49年(1974)に新しく再建されたそうです。

境内の紅葉

Doukouji08 
朝早くからすでに何人かの方が撮影中でしたが、
皆さん陽射しを待っています。

ご住職の話では今年は半月ほど早いとのこと・・・
思わずご冗談を、と言ってしまいそうでした^^

Doukouji09_2
本当のこでしょうが、となると見頃は11月初旬だったことに?
例年なら11月末ですね~。
えらい違いですがそれでもこれだけの散りもみじです!
散り残るもみじも結構なもんでございます。

Doukouji10
Doukouji11
やはりこの日も陽射しがあったり、なかったりと
朝の気まぐれ天気でしたが木々の紅葉も綺麗でした。

Doukouji12
本当は池に映る紅葉が撮りたかったんですが・・・、
撮りたいほどには映えません><

Doukouji13
Doukouji14
Doukouji15
本数が少ないだけに角度を変えて^^楽しみます。

Doukouji16

丹波紅葉めぐり。
6ヶ寺の紅葉を楽しんできましたが、
最後に見せてもらった「洞光寺」の見事なもみじでした。  

2009年11月18日 (水)

丹波紅葉めぐり・大国寺

丹波市から篠山市に入ってこの日(15日)最後の紅葉めぐり、
着いたのは味間奥地域にある「大国寺」です。

100円の志納金を箱に入れて入山、資料はありません。
本堂拝観をすれば説明と資料がいただけたと思いましたが、
もうそんな気はありませんでした。

Daikokuji01
Daikokuji02
室町時代初期に建てられた唐様と和様の折衷様式で
国重文指定の本堂。

陽が落ち始める頃でしたが、
厚い雲間から陽が差し込みます。

Daikokuji03
西日の当たる本堂前、
散り残った木々のもみじと散りもみじ。

Daikokuji04
ここの散りもみじは綺麗でした。

Daikokuji05
わずかな陽射しのなかで楽しむ残りの紅葉

Daikokuji06
Daikokuji07
太陽は照ったり陰ったりしながら西に落ちていきます。

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この日最後の紅葉でした大国寺。

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Daikokuji12 

大化年間(645年~650年)に建てられたと伝えられ、
本堂には国の重文指定の仏像が多数安置されている。

Daikokuji13 

1日走り巡った丹波のもみじ寺。

紅葉は散りもみじでしたがそれはまたそれなりに楽しみ、
趣の違った古刹に感嘆した丹波路でした。

暮れ行くゆく時間を惜しみながら見たもみじの「大国寺」。
次の日は丹波紅葉めぐり最後のもみじ寺でした。

丹波紅葉めぐり・岸瀧寺

「丹波もみじ三山」の後はただの紅葉めぐりです。

探せばまだまだ知られたところがあるのでしょうが、
行く前に調べたなかから3ヶ寺を訪ねました。

高源寺から来た道を戻る途中、
ちょうど円通寺の東になる氷上町香良にある「岸瀧寺」です。

深山幽谷のなかの古寺、とありますが・・・
古寺は分かりましたがやはりでした。

Ganryuji01
拝観受付先の車道、どうやら散々な紅葉ですね ><

Ganryuji02
参道入り口の渓谷に架かる橋

Ganryuji03
参道の石段を登ります。

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立派な鐘楼門が迎えてくれました。

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境内から
もちろん紅葉はご覧いただいているように・・・^^;

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これは珍しい茅葺屋根の本堂でした。

” 弘仁年間(809~823)嵯峨天皇、住吉明神の霊夢により、
 弘法太師をこの地に巡錫せしめ、勅して坊舎を建立し、
 七堂伽藍を整備せられた・・・ ” とあります。

本尊はこの先、渓谷を遡ります。

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まさに深山幽谷?
遡ること数分、目の前に滝が・・・。

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” 滝壷より毒龍が出没し害があるため独鈷を投げ
 成仏させられる  落差20メートル ”  (栞から)
滝の名は 「独鈷の滝」

この横にある急な石段を登ります。

狭い岩場に現れた不動堂

      Ganryuji09
洞窟の奥に本尊・不動明王(石像)が安置されています。
ここまで来てようやく岸瀧寺にお参りしたことになる・・・と。

この先にももうひとつ滝がありますがパス、来た道を戻ります。

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本堂裏にある四国八十八ヶ所本尊仏、
長年の歴史を刻み、損傷著しく平成12年再建。

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戻った境内本堂横です。

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何も書けなかった紅葉でしたが・・・、
今回は深山幽谷のなかの古寺。

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洞窟の不動堂と、見事な滝を眺めて、
まさに深山のなかにひっそりとたたずむ「岸瀧寺」でした。

この日巡った最後のお寺は篠山です。
時間はまだ15時でしたがすでに夕暮れ時を思わせる・・・
そんななか、丹波市から篠山市へ入ります。

2009年11月17日 (火)

丹波もみじ三山・高源寺

「丹波もみじ三山」の最後は青垣町にある「高源寺」でした。

円通寺からさらに北にあります。
こちらはすでに散り始め・・・とは確認済みでしたが、
やはり丹波の名所三山立寄らないわけにはいけません。

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まずは惣門、
いただいた栞の写真はここをワイドで撮った紅葉ですが、
ご覧のとおりで散った後です。

Kougenji02
門を入りますとやや逆光気味の光で綺麗に見えます。

散り残るもみじの小枝が重なり合って、
それなりに見せてくれます。

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散った下と残る上・・・。

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いきなりもうこれで終わり・・・のような一枚ですが、
惣門から山門までの間がかろうじて見れる状況でした。

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ここからはお寺の紹介になってしまいますが、
ここもさすがに古刹!でした。

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急な石段を登ると山門、別名「紫鳳楼」といい、
階上には釈迦如来と十六羅漢が祭られているそうです。

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くぐって正面の石段を登ると仏殿(本堂)。

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法王殿ともいい、1720年頃、天巌禅師の建立。
ご本尊は釈迦如来坐像です。

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”心の字池”を見てもうひと踏ん張り

Kougenji12 
本堂横の最後の石段を登ります。

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最上部に建つ方丈。

右手に向かうと

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鐘楼の前に「天目楓」(右手)の古木、
その向こうには雪舟が造築したと云われる築山「大痩嶺」。

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方丈境内と三重塔を結ぶ橋が「三笑橋」、渡る渓谷は「虎谿泉」、
由来は中国の故事に基づきますが省きます。^^

そして三重塔

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栞では多宝塔ともあり、
輪蔵という造りで開運毘沙門天が祭られ、経蔵でもあります。

ここから散策路を下ってもみじ広場に出るも良し、
戻って散りもみじの道を行くも良し。

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食事処、丹丘荘の裏手から見る三重塔です。

紅葉はこれだけか?と言われそうですが、
古刹深訪だけでも十分に満足の「高源寺」!でした。

急いでアップしました「丹波もみじ三山」。
何故かって?そうです、紅葉の見所はまだまだ他にもあります!
そのなかから丹波市に残る1ヶ寺と篠山市にある2ヶ寺、
こちらもまた散々な三山と言われそうですが・・・続けます。^^

丹波もみじ三山・円通寺

「丹波もみじ三山」めぐり、
丹波市を北上して氷上町の円通寺です。

最初の石龕寺が散りもみじで覚悟はしていましたが、

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やはりと言うか、的中!でした。

Entuji03
何か中途半端な散りようで・・・
常連の方でしょうか?”これはひどいね”とつぶやかれています。

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山門下からです。
左右に突き出たお堂には仁王像ではなく二天立像?でしょうか。

Entuji042_2
山門の右手ですが、
こちらは散りながらもかろうじて・・・><

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山門からのもみじ、近くで見るとほとんど散っています。

門をくぐって方丈池に架かる石橋を渡り本堂へ。

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Entuji062_2   
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境内の散りもみじ・・・

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本堂(施無畏殿)。
ご本尊は南北朝合体を祈願して後小松天皇自らが彫られ
下賜された如意輪観世音菩薩。

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境内の紅葉をめぐります。

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ほとんどが散ったもみじでしたが、
関係者の方の話では今年は1週間以上早いそうです。

永徳2年(1382)、時の将軍足利義満が、
御円融天皇の勅命で創建したという禅宗の古刹「円通寺」。
紅葉もさることながらこちらも楽しみました。

2009年11月16日 (月)

丹波もみじ三山・石龕寺

兵庫県丹波市の「丹波もみじ三山」と呼ばれる名所を訪ねました。

青垣町の高源寺、氷上町の円通寺、山南町の石龕寺が
その三山ですが、
それぞれの古刹に色づく鮮やかな紅葉をめぐります。

朝の暗いうちから出発して着いた「石龕寺(せきがんじ)」、
この日が”もみじまつり”でした。

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周りを山に囲まれたこの寺、
早く着きすぎて太陽がまだ山の陰です。

見事な参道の紅葉・・・とおもいきや、
なんとも見事な散りもみじでした。><

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山門の金剛力士立像は仁冶3年(1242)定慶の作で国重文。

ここから境内に続く紅葉も散っています。

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陽の射さない散りもみじ!寂しいですね~。

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本堂の毘沙門堂ですが、
もともとは奥の院にあったこのお堂、
焼失したあとこの地に再建されたと。

その奥の院、

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毘沙門堂の横から延びる山道を800mほど登ります。

陽が山に昇るまでの時間を奥の院参拝に出かけました。
登りきると鐘楼堂、そして奥の院拝殿があります。

 Sekigan061_3 Sekigan062
石龕寺の発祥である石窟が祀られています。

ここは足利将軍ゆかりの地、
その足利将軍屋敷跡の石碑を見て
一周するように北谷参道を下ります。

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参道?を下る途中から見える町、どこでしょう?

Sekigan07
戻りました石龕寺境内、少し陽があたり始めました。

  Sekigan081 Sekigan082_2 
綺麗に見えていますが・・・残念ながら散りもみじ、
ただ陽が当たると木々も綺麗でした。

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境内の散った木々です・・・。

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戻る朝の参道、
明るくなって少しはこちらも見れるようになりました。
さすがにもみじ!散ってもまだ見せてくれました。

このあとは北に向かっての紅葉狩り!これぞまさに散々><の、
「丹波もみじ三山」を連続アップしていきます。    15日

2009年11月15日 (日)

湖南三山・長寿寺

湖南三山の最後は「長寿寺」です。

「常楽寺」から東に1キロほどの東寺にある「阿星山 長寿寺」。
常楽寺の西寺に対して東寺と呼ばれる古刹です。

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山門から少し長い参道を行きますが、
ここが紅葉の見どころです。

      Chojuji02 
参道に入って見上げる紅葉天井!染まれば・・・ですが><
前回は見事な散り紅葉が参道を埋めていました。

Chojuji03
もみじのトンネルが続く参道。
受付の方も 
”いつもは一度に色付くが今年はまばらに染まっている” と、
昨年の写真まで見せてくれましたが。

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拝観受付の先

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本堂手前の少し染まった木々。

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鐘楼付近は小池にかかる紅葉

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弁天堂横から

そしてここも国宝本堂です。

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奈良時代の天平年間(729~749)に
聖武天皇に勅願により建立された勅願寺、
本堂は鎌倉時代の再建。

本尊は子安地蔵尊(秘仏)、安置される春日厨子も国宝です。

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本堂横

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丈六阿弥陀如来坐像が安置されている
収蔵庫への道です。

戻ります。

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まばらに染まる紅葉を見ながら・・・
すでに散りもみじと言っていいのか分かりません?

      Chojuji12  
どうも中途半端な今年の紅葉です^^

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見頃の判断は難しく、いつとは言えませんが・・・
赤と緑のグラデーションもまた良いものです。

湖南三山。
湖南市にあって、ともに国宝本堂を持つ天台寺ですが、
それぞれに違った紅葉を楽しみました。       12日

2009年11月14日 (土)

湖南三山・常楽寺

湖南三山続いては「常楽寺」です。

岩根の「善水寺」から西へ8キロほど、
石部の町を抜けた阿星山北麓の西寺にあります。

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国宝本堂。
延文5年(1360)火災で全焼したが同年再興されます。
本尊は千手観音(秘仏)。

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同じく国宝の三重塔、応永7年(1400)室町時代の再建。

まずは本堂の内陣・下陣を拝観、
ずらりと並ぶ風神・雷神と二十八部衆は圧巻です。

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本堂廊下から

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前回は堂内からの散り紅葉でしたが・・・。

境内です。

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本堂拝観入口横から
ここには紅葉の他にドウダンが多くこちらも綺麗です。

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本堂を中心に回ります。

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見ようによっては綺麗ですがここも少し早かったようです。

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三重塔手前の紅葉。

ここには三重塔下から塔と本堂を巻くように
西国三十三観音めぐりの散策路があります。

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湖南三山、「阿星山 常楽寺」
こちらもまばらに染まる紅葉でした。

最後はここからすぐの「長寿寺」へと続きます。

2009年11月13日 (金)

湖南三山・善水寺

3年ぶりの湖南三山でした。

前回の訪問は完全な散りもみじでこれもまた綺麗でしたが、
今年は紅葉が早いということで出かけてみました。
しかしこれはあまりにも早すぎました。><

まずは「善水寺」です。

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入口の鐘楼付近ですが、
チョッと色付きが良くありません。

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国宝本堂、南北朝時代、貞治5年(1366)再建といわれます。

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期待していた燃えるような紅葉はなくまだわずかな色付きです。

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本堂横にある小庭。

紅葉はまだ先ですがこの日はその分寺宝の仏像拝観でした。
本尊の薬師如来像(秘仏)を守るように左右に並ぶ、
”梵天・帝釈天・四天王・十二神将”は色彩豊かで
素人目にも見事なものです。
ご住職の説明を聞きながらゆっくりと観て行きます。

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境内の紅葉もまばらですが綺麗なところも。

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私的には好きな地蔵堂への石段辺り

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その上になります庫裡への道、ここが染まると見事ですが・・・。

その庫裡前?裏です。

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ほんの少しでしたが綺麗に染まった木もありました。

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戻って「百伝池」と左奥の「行者堂」です。

湖南市にある湖南三山。
まずは岩根の「岩根山 善水寺」でした。   12日

初瀬街道・青山峠越え

伊勢路まで歩いた初瀬街道ですが、
この先の青山峠越えがが難関でどうするか悩んでいました。

事前の調べでは道はあっても草と倒木に埋もれた道だと?
マムシに注意!で歩くなら草が枯れた冬場にとも。

悩みに悩んで決めかねていたら・・・なんと助け舟!
近鉄万歩ハイキングで初瀬街道を歩くシリーズ⑤、
「西青山駅から榊原温泉口へ」が開催されるという。

これはいただきます^^勇んで出かけたその日。

Hase001
初めての近鉄ハイキング、西青山駅から旧線路跡を歩きます。
総勢150名近い団体行動でした。

もらった地図の説明では国道歩きが危険なため迂回すると、
この時点で本道歩きではないと判明。
これはやむなし!まずは峠越えが先決です。

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歩き始めてすぐの青山乗馬クラブ、
右の建物の下が旧西青山駅のホームだったところとか。
そう言われれば・・・ホームですね。

ここから国道の歩道を歩き、
途中で青山高原ハイキングコースへ迂回します。

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これは本来の旧道ではなく、三角点に向かう道を
ぐる~と迂回して戻りようやく旧道へ入ります。

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こちらがその初瀬街道。

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旧道に入ってすぐにある青山峠(大峠)の「道しるべ地蔵」です。
右に”みや川迄十二り半”、左に”はせ迄十一り半・・・”とあります。

ここから少し山道を下って国道へ、
国道を歩いて再び山道に入りますが・・・

Hase006
この先で国道には出ず大きく山道を北に迂回して行きます。
この迂回路もまた凄い山道が続きます。

こんな山の中をよく探したと思うような道ですが、
さすがに大勢の方の安全を考えてのハイキングと感心。

ようやく道が開けました。

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着いたところは旧東青山駅跡、ホームが残っています。
それなりに見所が設けられているのにまた感心!

駅跡の先にある旧青山トンネルです。

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この日参加されていた方の多くがご存知だと思いましたが、
1971年(昭和46年)に起きた近鉄大阪線列車衝突事故、
事故を機に近鉄大阪線は複線化され大きく変わりました。
その青山トンネルです。

見せてくれます近鉄ハイキング!
本道の八重坂(小峠)歩きは叶いませんでしたがそれはそれ、
ここにはまた違った楽しさがありました。

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駅跡から少し下ったところにある「岩粉の滝」、
この道は知らないとこれませんね><嬉しい誤算でした。

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下りきると「リベラルパーク青山」の側道に出ました。

ここはもう何度も来ているところ

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1キロほどで本来の初瀬街道「花山橋」、
この先が初瀬街道の本道八重坂に続いています。

ここから「垣内宿(かいとしゅく)」へと入ります。

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西の伊勢路宿とともに、
青山越えを控えた東の宿場として繁栄したところ。

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各戸に架かる旧屋号の木札と暖簾。

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宿場の中ほどにある道路標柱。

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宿口にある案内と常夜灯。

街道はここから次の二本木宿へと続き、伊勢街道(参宮街道)の
六軒追分まで約6里半(26キロ)の道のりです。

旧道を大きく迂回して越えた青山峠でしたが、
一度はあきらめかけた峠越え、
思わぬ道で、思わぬものも見せてもらったハイキングでした。

2009年11月12日 (木)

初瀬街道・名張から伊勢路

少しはのんびりと歩きたいと出かけた初瀬街道でした。

以前、名張まで歩いた続きを青山峠西麓までの、
新田、阿保、伊勢路宿を歩くつもりでした。
途中迷いに迷ったこの街道!こんなに道が分断され、
分かりにくい街道も初めてでした。><

予定より1時間遅れで着いた新田宿。

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江戸時代中期に、新田水路の工事のために旅籠が建ち、
宿場ができたとか。
町筋には昔の家並みが残ります。

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戸袋の細かい細工や、
かっての店名が掲げられた暖簾などに
往時の宿場の雰囲気が感じられます。

こうした町筋を見るのが街道歩きの醍醐味です。^^

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宿場の出口にある常夜灯。
「初瀬街道」の案内標識を見て行くと途中から道がありません!
そのまま行くととんでもないところへ出てしまいます。

そんな予備知識をしていても何故か確かめるために回り道。
無駄な時間?いえ、これも承知で・・・戻って歩く初瀬街道でした。

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街道筋で見るものは常夜灯に道標、水神さんや野仏に地蔵さん、
そんな味気ないものばかりですが、これも楽しみのひとつ。

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阿保宿の手前にある羽根集落で・・・
秋の景色?が彩を添えてくれます。

    Hase006 
すぐに阿保西部にある大常夜灯です。

ここから阿保宿へと入ります。

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宿場の面影を色濃く残す建物が並びます。

見所はたくさんありますがサラッと・・・。

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こちらは初瀬街道交流館「たわらや」、
街道の遺産である「参宮講看板」などが保存されています。

宿場を抜けると阿保橋。

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橋の傍にある「本居宣長菅笠日記」の文学碑。
本居宣長の吉野旅行記が刻まれています。

阿保橋を渡ります。

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飾られているのは造花のもみじと本物のススキですが、
これも精一杯のもてなしでしょうか。

渡れば国道165号線、

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ここから伊勢路までは二里(8キロ)の距離、
朝の手間取りがこたえて時間不足となりました。

ここはかって歩いたところ、道筋にはなにもありません。
そのまま伊勢路宿で繋ぎます。><

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伊勢路宿の手前にある街道案内板です。

国道を渡ります。

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かっては伊勢地と呼ばれたところ。
青山峠の西麓にあり、峠越えの旅人で賑わったという。

     Hase017 
ここにも大常夜灯があります。

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玄関口に飾られた行灯を見ながら宿場を抜けていきます。

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青山の西麓に、今はひっそりとある伊勢路宿。

最大の難所青山越えをひかえた旅人たちは、
阿保・伊勢路宿で疲れを癒し伊勢に旅立ちました。

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伊勢路から青山峠へと続く分岐。

思い立ったように載せました初瀬街道、
この後はその難所と言われた青山峠を越えます。

2009年11月11日 (水)

京都・神護寺

錦雲渓を歩いてたどり着いた京都高雄の神護寺です。

350段あるという長~い?石段を登って行く途中のお茶屋、
楼門までの間にあるこの場所でまず紅葉見物です。

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お休み処を一回り

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さらに石段は続きます。

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硯石を見て回り込んだ楼門への石段を登りながら見る眺め、
これもまたよろしい!

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やっと?たどり着いた楼門下から

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そして境内です。
陽の当たる右側だけが色付いています。

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境内の色付く紅葉

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金堂への石段横

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石段を登ります。 

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待ち時間あり><;
珍しく人の入らない写真が撮れました^^

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奥に歩いて地蔵院横です。

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かわらけ投げ広場。

昨年より一週間早い高雄神護寺でしたが見頃でした。

本来なら三尾紅葉めぐりですがこの日はここから戻ります。
戻った嵐山は人の波!さすがに人気の京都でした。   7日 

2009年11月10日 (火)

京都・清滝から高雄へ

京都紅葉めぐり化野念仏寺のあとは、
東海自然歩道を清滝から高雄に向かいます。

まだ人の少ない嵯峨鳥居本

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通り過ぎて振り返る大鳥居・・・、
この先の清滝トンネルを抜けると清滝バス停。

赤く染まる木々をみながら急坂を下って行きます。

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渡る猿渡橋からの清滝川落合方面、
ここからすぐに愛宕山登山道入口。

Kiyotaki04
この辺りの紅葉が綺麗です。

東海自然歩道は清滝川を下に、
流れの音を聞きながら舗装された道を行きます。

途中から川に下りて川沿いの道に

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川を遡る癒しの道、途中にある休憩所の紅葉。

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一休みしながらゆっくり眺める贅沢な時間、
ここには観光スポットのような喧騒はありません。

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川を渡ったところから見る休憩所、
ここから道は川の左岸を行きます。

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高雄に近付くにつれて景色が変わります。

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神護寺から眺める錦雲峡もいいですが、
下から眺める神護寺の地蔵院とかわらけ投げです。

清滝橋を渡ると高雄
橋から川沿いにある紅葉もまた見頃。

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Kiyotaki12 

東海自然歩道
愛宕山登山道入口から3.8キロの清滝川コース、
この日は歩く人も少なく快適でした。

このあとは、人気の紅葉スポット神護寺です。

2009年11月 9日 (月)

京都紅葉・化野念仏寺

紅葉の見頃を迎える京都情報、
清滝川ハイキングコース錦雲峡の紅葉の様子が
拝見しているブログで紹介されました。

これは行かねばと今年初めての京都紅葉めぐりでした。

いつものように嵯峨嵐山駅から愛宕道に入り嵯峨鳥居本へ。
途中の”あだしの念仏寺”の紅葉に思わず途中寄りです。

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参道入口の石段を登って行きます。

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境内出口から思わず1枚!

あとは案内どおりに右回り

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まだまだ染まっていない木も多い境内ですが

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みどころは西院の河原の北側にある紅葉です。

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ちょうど出口に向かっていい感じです。

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一周して来ました。
微妙に染まりどころが違います

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見方によってなんとも言えませんが^^
私的にはほぼ見頃ではないかと。
今年最初の京都の紅葉を楽しみながら・・・。

このあといつもの清滝から高雄へのハイキングです。

2009年11月 8日 (日)

浜名湖立体花博・Ⅱ

浜名湖立体花博の後編です。

会場を回って来ましたが残すは西側の3分の1ほど、
ここにはフードガーデンなる食事の店が並んでいて、
作品は梅園よりに集中しています。

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残る水辺の作品はふたつ。

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そのひとつ、愛知県田原しの伊良湖岬にある「恋人の聖地」、
恋路が浜と伊良湖岬灯台です。
恋人同士が鳴らす鐘ですね~^^

この先には花博に彩を添える「菊花展」が開かれていますが、
ここから南に回りこんでフードガーデンを通り抜けます。

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たくさんの力作が並びますが、
こちらは2010年の台北国際花卉博覧会(花博)の
マスコットキャラクター「花の妖精」です。

来年は台北でこの妖精たちが迎えてくれます。

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梅園手前の広場に並ぶ作品、
手前は大阪堺市の「緑の風の自転車」。

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来年は名古屋開府400年、
400年祭のマスコットキャラ「はち丸」と金鯱?。

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岐阜市からは「信長の愛した岐阜」、
テーマは”人と自然のシンフォニー。
岐阜の命名者信長、岐阜城と鵜飼は岐阜のシンボルです。

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北陸は金沢市の「加賀獅子くん」。

Hanahaku08
広場の最後は静岡県、日本の象徴富士山!
夕日に照らされ紅色に染まる赤富士ですね~
実は後ろには”三波川冬桜”が咲いています^^

Hanahaku09
ここから梅園へと左へスロープの道に入ります。

ここに並ぶのは11作品、
やはり好みが出たかもしれませんが^^選んでみました。

Hanahaku10 
奈良県の「な~らちゃん」、
”奈良県ストップ温暖化県民運動”を展開中の推進キャラクター、
頑張れエコ推進!なーらちゃん。

Hanahaku11
岡山市の温羅(うら)、「桃太郎」に登場する鬼のモデル。
曰くはありますが・・・。

Hanahaku12
スロープを登って行きますが、
こちらは民間企業の参加作品「世界の平和」。
そのものズバリです。

梅園を登って行きますが、

Hanahaku13
残るは少し、地元静岡県菊川市の「お茶の菊川」。
長野に続いて花がポイントになります。

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最後です。
もう過去のことになりますか・・・「篤姫」ですね~、
「全国都市緑化かごしまフェア実行委員会」の作品、
「篤姫がこよなく愛したふるさと鹿児島」です。

正面入口に戻ります。

Hanahaku15
戻った正面のモザイです。
三角形のテーマモザイは別にして下にある長方形の作品。

浜松市内の小・中・特別支援学校178校の子供たちが、
心をひとつにし、心を合わせて各学校で制作した作品を
組合わせたものです。

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浜名湖立体花博(~23日まで)。
91の作品からほんの一部を紹介しました。

会場は家族連れ、カップルなども多く、
それぞれに多くの作品を楽しんでみえました。

2009年11月 7日 (土)

浜名湖立体花博・Ⅰ

開幕以来すでに終盤に入った「浜名湖立体花博」です。

正式には「浜松モザイクカルチャー世界博2009」。
やけに長いタイトルですが、花木を中心に作られた
モザイカルチャー作品が91展示されています。

すべて紹介するには10日はかかります?から
その一部をせめて二部構成でと・・・終わるかな~。

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会場のフラワーパーク入口です。

Hamanako002
入った正面、噴水前広場。
順路の案内はここから右へと左回りです(別に好きでいいです)。

展示作品の最初にあるのがこれ、

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タイトルは「ほほえみのハーモニー」。
主催者の浜松市の作品でもちろん趣旨はありますが、
割愛させていただきます。

すぐ横には北京市の巨大な作品です。

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タイトルは「燕京鹿鳴」。
これも趣旨は省かせていただきます。><
全般にこういう雰囲気なんだと感じていただければと。

この左には温室がありますが、順路は左へ階段を下ります。

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ちょうど始まったウオーターショウの中を順路に従って・・・。

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モントール市の「木を植えた男」。

横にあります

Hamanako007
上海市の「海宝」。
作品のメインは上海エキスポマスコットの「海宝(ハイパオ)」。

ここまで12の展示作品を飛ばしています。><
ここからフラワーパークの池の辺を回ります。
その周辺に展示されている作品は45作品。

その中から会場雰囲気も入れながら。

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新潟市の「大凧合戦」。
”愛”、直江兼続ですね~。

Hamanako009
仙台市からは「仙台散歩」
五線符と音符、森の杜仙台を肌で感じて散歩する姿を、
欅並木と個々のレリーフで表現とありますが・・・。?

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人はたくさん入っていますが、
会場が広いのか?まだそれほど混雑を感じません。

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この辺りが展示作品もいちばん多い通りなんですが、
撮影にもそれほど人の写り込みを気にすることもありません。

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飛ばしに飛ばして、大阪市「水都大阪」の中の島。
沖縄美ら海水族館「カクレクマノミとイソギンチャク」。

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飯田市南信州広域連合の
「私たちの南信州の未来-夢を乗せて-」。

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たまたまでしょうか?りんごの作品が手直しされていました。
これらの作品を維持するための手入れは大変ですね~。

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愛知県は「モリゾーとキッコロ」。
「愛・地球博」のマスコットでおなじみです。

ここまでで展示作品の約半分、(飛ばした数は・・・?)
左回りに会場もほぼ3分の2週をしました。
このあとは正面入口に戻りながら残りの作品から
その一部を紹介していきます。   続きます。

2009年11月 6日 (金)

答志島・築上遊歩道

鳥羽湾に浮かぶ最大の答志島。
平安期には答志郷と呼ばれ近世には九鬼水軍の将 嘉隆が、
関ヶ原の戦いに敗れ自刃した場所です。

ここにはその胴と首が別々に葬られています。

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和具漁港を見ながら集落へ入りますが、
すぐに案内板で胴塚へ。

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狭い路地を入るとある祠と石碑群、

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広場の奥には嘉隆が自刃した「洞泉庵跡」があります。

広場を挟んだ前にある血洗い池、

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嘉隆が切腹した時に使用した刀を洗ったといわれます。

そして胴塚、

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九鬼親子が分かれて戦った関ヶ原の戦い。
西軍について敗れた嘉隆がここで自刃したあと、
その子守隆が建てたものを嘉隆の孫が再建したそうです。

その首は検分のため持ち去られ、後に胴(胸部)と離れて
築上(つかげ)山頂に建てられ・・・と。
ここから首塚へ道が延びています。

行きます、これからが築上山遊歩道です。

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入ってすぐは少し荒れていましたが、
登るにつれて遊歩道らしくなってきました。

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こちらの遊歩道にもやはり海の見える展望台があります。
まずは見晴らし台ですが・・・。

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見えるのは答志の東側、八幡神社に架かる赤い橋です。

戻ります。

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こちらは首塚に向かう途中から見える和具港です。

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細かいアップダウンの遊歩道は続きますが、
ここが最後の登り、登りきった小さな広場にある首塚です。

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何の木か知らねども・・・塚の中にどっしりと、
その傍にある小さな塚碑。

胴塚からこんなに離れたところになぜ首塚を?と思えど、
胴と首を結ぶのはこの遊歩道・・・。

東に開ける景色は抜群!海は広いな大きいな~~♪
鳥羽に向かうのは伊勢湾フェリー。

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暫しの休養をとって戻ります。

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戻る途中から見る和具の町、右から左へ眺める景色。

答志も和具も遊歩道から眺める景色は予想外^^でした。

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遊歩道、途中から別の道へと下りましたが、
登り口はどうやら3ケ所あるようです。

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戻った和具の港、
市営定期船乗り場から歩いた遊歩道のある築上園地です。

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”水軍の将 九鬼嘉隆が眠る島、歴史が息づき、
また新しくはワカメづくり風景が「かおり百選」に選ばれるなど、 
新しい島の魅力も生まれはじめている・・・ ”
そんな答志島のふたつの遊歩道散策でした。

” 離島で心の深呼吸 ”
ただいま鳥羽市の離島キャンペーン実施中!^^

2009年11月 5日 (木)

答志島・岩屋山遊歩道

鳥羽湾にある4つの離島、神島と菅島は灯台で訪れましたが、
今回は離島最大の答志島でした。

西に位置する桃取と東の答志、和具の各町(漁港)は、
答志島スカイラインで結ばれています。

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鳥羽佐田浜港から菅島海峡を抜けて向かったのは答志地区。
海上遥か右手に見える和具地区の先になります。

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答志港から右に回りこむとある旅館、
(手前にあるブルーの小屋は海女小屋です^^)
その横の建物の切れ間にあるこの碑です。

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「西行法師歌碑」。
” さきしまの 小石の白を高波の 答志の浜に打よせてける ”
山家集にある歌の一首で、
漂泊の歌人西行が晩年の一時期二見ケ浦に止住したことがあり、
その折に詠まれたと推定される・・・そうです。

少し西にある「八幡神社」には柿本人麻呂の歌碑もありますが、
この日の目的はこの碑と岩屋山、築上(つかげ)山遊歩道でした。

町の中を少し戻って岩屋山遊歩道に入ります。

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まちかどにある案内板、立派なものです。
瀬古(細い路地)を入ります。

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遊歩道入口にあった「寝屋子交流館」。

答志に長年受け継がれた特有の風習で、
” 一定の年齢に達した男の子数名を預かり世話をする制度で、
 預かる家を寝屋子という・・・生涯義兄弟の縁を結ぶ。”
とまぁ、簡単に言ってしまいましたが歴史のある制度です。

ここから遊歩道に入ります。

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置かれた竹の棒?登り初めて分かりましたが、

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途中まではご覧のように木の階段が続きます。

着いたところは富士見展望台、

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ご覧のようなカメラ台が設けられています^^
富士山が見えるかどうかは分かりませんが、
ラブラブの二人には・・・納得でした。

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港が見える丘?眼の下には答志港、遥か先には神島です。
先ほどの杖?多分観光客はここから戻るんでしょうねぇ。

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この先から遊歩道はまさしく山の中へと入ります。

ときおり海の見える山中を行く遊歩道・・・
最上部に近くなると目の前が開けます。

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眼下に見える港は答志東港、
この集落の中を車道が和具の町に通っていますが、
我が身はまだ山の中!

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頂上部を越え、道は緩やかに下ります。
緩やかに・・・ということはまだ距離があるということ?

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ようやく(といっても十数分ですが^^;)和具の町が見えました。
下りの分岐で「岩屋山古墳」に登り返します。

数分で東屋のある「岩屋山古墳」に着きました。

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遊歩道はこの先、殿山遊歩道へとつながりますが、
そこはまたあらためて・・・こちらには別の目的があります。

ここから一気に和具の遊歩道入口まで駆け下ります。

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和具側入口にある「美多羅志神社」。
由緒ある神社のようですが参拝だけして・・・先へ。

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答志地区から来る車道は「へーふり坂峠」、
なにやら連想しそうですが^^神聖な幣です。

かって村の代表者が神祭具である”幣”を振りながら、
天気と豊漁を願ってこの坂を登ったという・・・そんな坂です。

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坂を下りながら見る岩屋山、その高さ80m。
一気に駆け下りた・・・ということはこちらからは急登です。

岩屋山遊歩道。
山間と海の景色の両方を楽しめる道、
そして整備された素晴らしい道でした。  
和具へと続きます。

2009年11月 4日 (水)

中山道赤坂宿まつり

岐阜県大垣市赤坂町、
旧中山道赤坂宿の道筋で行われた「中山道赤坂宿まつり」です。

まつりの華は皇女和宮降嫁を再現するという姫宮行列、
出発から折り返しまでを追ってみました。

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出発準備が終わって定刻どおりのスタートでした。

その隊列です。

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先頭は宮中雅楽隊?護衛の供侍、子供武者隊、
そして女官が続きます。

資料がなく見たままに書いていますがそのあとに皇女和宮。

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江戸時代後期の動乱期、
朝廷と幕府が執った公武合体政策のなかで、
第14台将軍家茂に降嫁した皇女和宮。

江戸へ向かう途中、ここ赤坂宿に宿泊したとされ、
道沿いの家屋を建て直し、「嫁入り普請」を行ったと言う伝えから
地域おこしのためと始まったまつり。

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続くのは第9代将軍家重の正室、比宮(なみのみや)。

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第10代将軍家治の正室、五十宮(いそのみや)。
そして最後にも子供武者隊です。

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行列は中山道に入ります。

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これからまつり見物の人たちでごった返す街道筋へ。

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姫宮行列の一行はその中を進みます。

途中にある本陣公園で「和宮記念碑」に献花、
行列のメイン行事です。

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和宮以下、参加全員の献花です。

献花のあと再び行列は町筋を進みます。

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この辺りは道も狭く人、人、人の波でした。

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先頭で雅楽を受け持つ人たち。
単調な行列に唯一の調べが雅を演出します。

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赤坂大橋で行列が折り返しました。

ここから出発地まで戻ります。

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美濃赤坂、中山道赤坂宿まつり。

江戸に降嫁した皇女和宮が下向した中山道、
かって歩いたところにも和宮に関するものがありました。
あらためて思い出したまつりでした。     3日

2009年11月 3日 (火)

白山スーパー林道

休日に挟まれた平日でしたが高速1、000円の旅、
久しぶりに長距離ドライブでした。

紅葉も終わりの「白山スーパー林道」。
見頃は石川県側との情報でしたが、
この日(2日)は飛騨地方だけが曇りのち雨の天気予報。><

しかしここを外してはチャンスなし!出かけました。
途中の東海北陸道は快晴!
しかし、白川郷辺りから天気は曇りに・・・あたります。

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スーパー林道の白川入口から最初の白川郷展望台から、
中央に小さく見えるのが荻町集落です。

当たる天気予報、この辺りから雨が降り始めました。
途中にある駐車場で適当に車を止めて・・・

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すでに紅葉とは思えない山々も雨のなかです。

岐阜県側から石川県に入りました。

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こちらの山頂部もすでに紅葉は終わって、
雨のなかにけむる山々は秋の終わりを感じます。

三方岩駐車場、とがの木台展望台と過ぎて下って行くと、
スーパー林道で最大の滝があります。

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「ふくべの大滝」です。
国見谷の断崖より86mを直下する豪壮な蛇谷第一の大滝、
まさにこの日のハイライト!でした。
長くなりますが写真を繋いでみます。

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少々荒っぽくて難がありますがそれはご愛嬌で・・・
これで一つの滝です!しかし凄い滝でした。

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あらためて・・・見事な滝です!

あとは何も見るところはありませんでしたが、
下るにつれまだ紅葉が綺麗なところもありました。

しかしここが見たいと思っても車窓からの眺めだけ、
駐車するスペースがありません ><;

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ここが最後の広い駐車場、蛇谷園地です。
 
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晴れていれば綺麗だったんですが・・・、
残念ながら雨がいちばん激しく降っていました。
 
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駐車場から谷に下りれば姥ケ滝と露天風呂があると、
パンフにはありましたがさすがに下りる気にはなりません。

雨の「白山スーパー林道」。
今回は来年への下見だと・・・そんな思いの通り抜けでした。

2009年11月 2日 (月)

布引の滝・神戸

天気予報は”朝から曇り後雨”で行くあてもなく、
近鉄電車の「週末フリーパス」を手に乗った大阪線。

途中から快晴の空に思わず難波からそのまま神戸まで、
この時点で行き先はすでに決まっていました^^
相互乗り入れの阪神三宮駅から新神戸へと出ます。

久しぶりに芭蕉紀行「笈の小文」を追って「布引の滝」です。

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布引渓谷の入口は新幹線新神戸駅口からすぐ、
渓谷に架かる「砂子橋(いさごばし)」です。

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レンガ積みの水路橋で「布引水路橋」で明治33年の築。
当時は雌滝と鼓滝からくみ上げた水をこの橋の中に通された
水道管で浄水場に送っていたそうです。

ここから遊歩道を5分ほど歩きます。

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目の前に現れたのは雌滝で、高さ19m。

「布引の滝」は
4つの滝(上流から雄滝、夫婦滝、鼓滝、雌滝)から成り、
那智の滝、華厳の滝と並んでわが国の三大神滝といわれます。

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雌滝の取水堰堤です。
説明は省きますがここで取水された水は砂子橋を通り、
今でも下流の奥平浄水場に送られているそうです。

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上流に向かって遊歩道を登ります。

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途中にありました鼓滝ですが、見えません><

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滝の上部です。
この先にあると言う夫婦滝も分かりませんでした。

遊歩道の途中には多くの歌碑があります。
すべて布引の滝を読んだ歌ですが・・・
芭蕉「笈の小文」には
  津国幾田の川上に有
      布引の瀧 箕面の瀧 勝尾寺へ越る道に有。
とだけ書かれていて、ここで詠まれた句はありません。

すぐに雄滝に着きます。

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43mの高さから雄大に流れ落ちる雄滝。

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新神戸駅からわずか10分ほどで訪れることのできる
「布引の滝」です。

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布引渓谷の遊歩道はこの先にも延びていますが、
ちょうど雨になりました。

行きたいところですが・・・ここはまったくの予定外でした。
「布引の滝」だけ見て戻りましたが、
改めてこの「こうべの森」は歩きたいところです。

2009年11月 1日 (日)

史蹟神泉苑・京都

「二条城まつり」で賑わう二条城の南にある「神泉苑」です。

押小路通にある北門は料亭の入口になりますが、
その一本南の御池通に面した大鳥居をくぐります。

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平安京最古の庭園、史蹟 神泉苑。
延暦13年(7949)垣武天皇が平安京の造営にあたり、
大内裏の南の沼沢を開いて設けられたという苑池。

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常に清泉が湧き出すことから「神泉苑」と名づけられ、
かっては東西二町の広大な境域であったと・・・。

歴代の天皇や皇族が行事や遊宴をおこなったといわれます。

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本堂。
東寺真言宗の寺院で本尊は聖観音。

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傍には蕪村の一句、
”名月や 神泉苑の 魚躍る  蕪村 ” の句碑が建ちます。

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色付き始めた木々の葉、

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御池に架かる橋は法成橋(ほうじょうはし)。

ただ一つだけ心に願いを念じながら渡り、
その思いを善女龍王社にお願いすると叶うといわれる。
胸に抱く守護札は社務所にて・・・と^^

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守護札なしで願いを胸に橋を渡りますが、^^

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かけた願いは我が胸のうち、叶うかどうかはさて・・・。

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天長元年(814)、ここで祈雨(きう)がおこなわれるようになり、
貞観11年(869)疫病の流行に際し、鉾を66本造って
神泉苑に集まり行列をしたのが祇園祭りの始まりとも言われる。

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善女竜王社の前にある恵方社「歳徳神」。
毎年方角を変えて祀るという日本で唯一の社で、
方角は陰陽道によって決められるそうです。

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境内の右手には手前に弁天堂。

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その奥には宝筐院塔と稲荷社。

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放生池の浮島には五位鷺が棲みと言われます。

ここは静御前と義経の出会いの場であり、
小野小町も訪れて和歌を詠じたという・・・。

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平安京最古の史跡「神泉苑」。

その広大な神苑は徳川家康が二条城築城に際し
その大半を取り壊し、
その南にわずかに名残をとどめているにすぎません。

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