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2009年9月25日 (金)

きらり吉良町・吉良仁吉

吉良といえばもう一人!「吉良の仁吉」です。

吉良町上横須賀にある「源徳寺」。
ここには仁吉の墓とともに遺品が残されています。

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吉良の仁吉、本名は太田仁吉。
清水次郎長の兄弟分として幕末期に活躍した侠客。

本堂前にはこんな碑がありました。

Kira042
”義理と人情”・・・これぞ任侠「仁吉」の世界ですが、
これもまた凄い碑ですね~。

境内にある「仁吉の墓」です。

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「仁吉」の一周忌に「清水の次郎長」が建立したものです。

横には仁吉が荒神山へ出かけるときに祝餅をついた・・・という
石臼もありました。

Kira045
傍には「人生劇場」の歌詞を刻んだ碑。

” おれも生きたや~仁吉のように~~♪
            義理と人情の~この世界~~~♪ ”
戦前の歌ですが、戦後に村田英雄が歌って知られています。^^

「人生劇場」はこの地の出身尾崎士郎の自伝小説で、
青成瓢吉の青春とその後を描いた長編シリーズ。
東映任侠映画として登場するのは飛車角と吉良常の世界です。

本堂内の資料室。

 Kira051_2 Kira052_2
仁吉一家が使っていた土瓶に、道中合羽と三度笠。

「清水の次郎長」に身を預け三年後、
仁吉はここ吉良で一家を築きます。仁吉26歳でした。
この後、「仁吉」は「神戸の長吉」と「桑名の穴太徳」との
縄張り争いで兄弟分の長吉に助勢を頼まれます。

恋女房と別れてまで義理と人情に生きた吉良の仁吉・・・。

Kira053 
その恋女房とは喧嘩の相手となった「穴太徳」の養女「キク」。

義理のために「キク」を離縁して「長吉」に助勢した「仁吉」でしたが、
「荒神山の喧嘩」で銃弾を受け28歳の若さで落命します。


きらリ吉良町、名君”吉良さん”こと「吉良上野介義央公」、
そして侠客「吉良の仁吉」。
吉良町に残る二人のゆかりの場所をめぐりました。

付録です。
やはりここは喧嘩の場となった鈴鹿の「荒神山」を
載せないわけにはいけません!行ってきましたここです。

Suzuka011
鈴鹿市加佐登にある「荒神山観音寺」。
仁吉が必勝祈願をしたという「加佐登神社」の近くです。

Suzuka012
本堂の裏手にある広場、
この場所で「吉良の仁吉」が助勢した「神戸の長吉」と、
「桑名の安濃徳」との争いがあったんでしょうか?

見える護摩堂の右手横にその碑があります。

Suzuka013

遠くて近い・・・まだそんな時代、幕末期の話ですが、
ここ「荒神山」にはこの碑があるのみです。

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コメント

おお!荒神山!さすがです。
白い萩と赤い彼岸花、さすがです。
>おれも生きたや~仁吉のように~~♪
歌声が聞こえそうです ^^

恵美さん
白い萩と彼岸花、チョッと彩を添えてみました^^

荒神山!静かでした。
仁吉の碑を見ながら思わず出ました”人生劇場”!
”おれも生きたや~仁吉のように~~♪”
静かな境内で心地よく歌わせてもらいましたわ。
m(__)m半分冗談です><

 あれは小学校4~5年の時でした。先生が
「虎は死んで皮遺す、人は死んで名を遺す」
と言われたのを憶えています。どうやら、骨しか残りそうにありませんが、
「俺も遺したや仁吉のように・・・」

高橋昌勝 さん
コメントありがとうございます。

>骨しか残りそうにありませんが
同感ですねぇ。
しかし名が残っても、「死んで花実が咲くものか」
ですかね。

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