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2009年7月31日 (金)

大垣ひまわりランド・上宿

「大垣ひまわりランド」、
今年は大垣市平町と墨俣町上宿の2ヶ所で植栽されていますが、
その上宿が見頃とのことで出かけました。

墨俣一夜城から南へ1.5キロほどのところにありますが、
ここは周りを建物や住宅に囲まれた中にあります。

ひまわり畑も建物の間に大、小と分散している感じです。
その中心部、

Kamisyuku001
いきなりこれって?!の光景ですが、
これはその南面の畑でまだチラホラ、これからですかね?

その左側(北面)の畑です。

Kamisyuku002
背を向けていますが南西から見た東の長良川桜堤方面です。
日差しはないんですが、東を向くひまわりです。

Kamisyuku003
その東側からみたところ。

見頃ですが、畑に咲くひまわりはまだ5~6割程度ではないかと?
これは見た目での推測です。

Kamisyuku004
堤防側、北西の角から中心部のほぼ全体を見ています。

広さは約4ヘクタール(ピンときませんが^^)に23万本!
畑の真ん中辺りはまだ咲いていないところが多いです。

では、畑のなかからいいとこ撮りで・・・、

Kamisyuku005
Kamisyuku006

周りを建物に囲まれていますが、
撮っていても一部を除いてそれほど気になりません。

Kamisyuku007
Kamisyuku008
それよりも花と花の隙間が気になります^^
これが満開になるとまた違うんでしょうが・・・。

Kamisyuku009
ひまわりのおよその高さがお分かりいただけるかと。

Kamisyuku010
やはりアップも1枚!^^

Kamisyuku011
背中?と、

Kamisyuku012
正面から・・・。

本部前に場所の案内図がありました。

  Kamisyuku013_2

ところでこの周辺にあるひまわり畑の情報です!

岐阜羽島の田園街道(市之枝の羽島浄化センター前)、
池田町の池田温泉周辺はまだこれからです。
大垣市のもうひとつ平町は蕾が出ていました。
美濃国分寺跡は畑を確認できませんでしたが、
ここは無いのかも知れません?

しかし長い梅雨です、
ひまわりではありませんが・・・青空が欲しい!!

2009年7月30日 (木)

おふさ観音風鈴まつり’09

久しぶりに晴れ間が覗いて待っていましたと飛び出しました。

これといった目的もなく向かったのは橿原市、
昨年はパスしましたが、
やはりこれだけ蒸し暑いと少しは涼しいところ?
いや、涼しくなれそうな所と「おふさ観音・風鈴まつり」でした。

Ofusa001
どう撮るかは別にしても特に配置が変わっている訳ではなく、
入口の写真ははどうしてもこんなもんです><

Ofusa002
着いたときは残念ながら曇天の無風と最悪!の状態。

Ofusa003
わずかになびく短冊も音を奏でるまではいきません。
ここは目で涼しさを追うだけでした。

Ofusa004

本堂前の風鈴も・・・風なし、音なしで、
賽銭の音だけがチャリン~と響きます。><

Ofusa005
咲き残っているバラも少しはありました。

Ofusa006
日本庭園へ向かう道、
この辺りは一昨年と同じようです。

Ofusa007
Ofusa008
吊り下がる風鈴が少し違うものもありました。

この日は座敷に展示されている日本の風鈴が、
貸切のために入れず見れませんでした。

ただ、これは一昨年のものと同じではないかと、
別に気にしませんでしたが・・・
屋外に吊るされたなかから2つだけ。

Ofusa009
琉球ガラス風鈴。

そして

Ofusa010
南部風鈴、
” 残したい日本の音百選 ” に選ばれた風鈴です。

今年は初めて見る風鈴もありました。

Ofusa011
これなんかはチョッと我が好みの風鈴です^^

これももうひとつ!この風鈴

Ofusa0121
せんとくん!で~す^^

Ofusa0122_2

この地は藤原宮ですが、
来年は平城宮遷都1300年、
まさか風鈴でお目にかかるとは・・・嬉しいことでございます。

Ofusa0123 

大和の夏の風物詩「おふさ観音・風鈴まつり」。

風鈴の涼やかな音を楽しむことはできませんでしたが、
今年は”せんとくん”風鈴にご対面・・・
これまた思い出の「風鈴まつり」になりました。

2009年7月29日 (水)

奥の細道懐古・最上川

久しぶりにホームページの手直しでもしようかと、
見ていた「奥の細道」から古~~い写真を引っ張り出しました。

「奥の細道」旅で、歩かなくてもよかったところのひとつ、
それが最上川舟下りでした。

03年8月20日、雨の最上川本合海(新庄市)です。

Hosomiti001

芭蕉は元禄2年(1689)6月3日の好天の中、
最上川を舟で下っています。

Hosomiti002
Hosomiti003_2
本合海の「芭蕉乗船の址」に建つ芭蕉と曾良の像、
そして芭蕉句碑。
もちろん句は ” 五月雨をあつめて早し最上川 ”

本合海大橋から見た最上川、
こ日は前夜からの雨で水かさが増していました。

Hosomiti004 
芭蕉はここから舟に乗りましたが、
今の観光舟下りはここから8キロほど下流の古口乗船所です。


Hosomiti005_2
Hosomiti006

我がHPからです。

” 再び47号を川沿いに行く。古口大橋を右手に見て左に廻り込むと
 間もなく「観光舟下り」の乗り場に着く。
 「戸沢藩船番所」を模した乗り場は天気に関係なく、
 増水した白濁の川面を舟が次々と出てゆく。
 川を下る事50分弱、「白糸の滝」が見えると「草薙リバーポ
 ート」の降り場に着く。今日の水量はいつもの約倍とのこと。”

その最上川を下りました。

Hosomiti007

芭蕉は本文で、
” 最上川は陸奥より出でて、山形を水上とす。
 碁天・隼などいふ恐ろしき難所あり。・・・ ”と書いていますが、
この難所は大石田より上流にあります。

Hosomiti008

普段の最上川を見ていませんが、
この日初めて経験した舟下りで見たこの水量には
また違った恐ろしさも感じたものです。

Hosomiti009
対岸に「白糸の滝」が見えると、
すぐに草薙の下船場、最上川リバーポート。

観光船はおよそ12キロ1時間ほどの船旅でしたが、
芭蕉達はさらに下流の清川へ上陸しています。

その清川はここから川沿いの県道を4キロほど行ったところ。  

Hosomiti010 

清川小学校裏の「芭蕉上陸の地」(清川関所跡)。

” 「芭蕉上陸の地」の標柱と案内板がある広場の傍に、
 立派な芭蕉像と芭蕉句碑が建つ。
 「五月雨を集めて早し最上川」の句と
 「清川史跡、清川関所跡、芭蕉庄内上陸地」を刻んだ銅版
 が嵌め込まれている。” とHPに書いています。

梅雨のおかげか?お出かけもなく長期休養^^、
久しぶりに見た我がHPから「奥の細道」最上川の懐古でした。

2009年7月28日 (火)

元祖大須観音・羽島市

さすがに梅雨!動けぬもどかしさも”忙中閑あり”と・・・
いうのも冗談ですが、撮り溜めた写真の整理などしていて、
温存しておりました写真の復活です。

いつかは載せようと思っていました元祖「大須観音」。

Oosu001

岐阜県羽島市桑原町大須にあります「北野山 真福寺」、
近くの大須交差点には「元祖大須観音」の看板があります。

Oosu002

旧名鉄竹鼻線の終着駅、大須駅の北側に位置する小さなお寺。

寛元の頃(1240年代)、土地の人たちによって尾張の国
長岡庄大須(現在地)に「中島観音堂」が建てられたのが始まり。

Oosu003

その百年後、対岸の真光寺に入った能信上人によって、
「北野山 真福寺」と号する真言宗の寺院が創立され「宝生院」と
改名されます。

Oosu004

その後幾多の変遷があり、
戦国の世の紛乱と木曽長良両川の水害によって寺は荒廃、
慶弔10年(1605)の大洪水で堂塔はすべて流失、
本尊と貴重な宝物、古文書だけを残すのみとなります。

Oosu0051

時代は移って慶長17年(1612)、
徳川家康は真福寺の由緒と貴重な蔵経があることを知り、
元和元年(1615)、自ら僧天海とともに真福寺に来て
その蔵経を見ると、名古屋城下に真福寺を移させます。

それが現在名古屋市にある「大須観音・(真福寺 宝生院)」です。

Oosu0052

移転したこの場所には村民が寺を建立し真福寺と称したが、
洪水によって幾度も場所が変わり現在に至っている。

以上はすべて境内の案内板から引用、
これ以上省略できないほどに要約したものです^^;

Oosu006

本尊は「聖観音立像」(市有形文化財)。

奥之院の前立であったもので、
徳川家康が真福寺を名古屋に移すときに信者の懇願により
残したものと伝えられるそうです。

Oosukannon_2

一度は載せようと思いながら埋もれていましたが
ようやく実現の「元祖大須観音」でした。

おまけです^^

Oosu007 
こちらは隣接する円空仏(不動明王坐像)がある「徳林寺」。

美濃新四国八十八ケ所の33番札所です。
因みに真福寺は34番札所になります。

岐阜県羽島市、近くには円空仏のあるお寺が点在しますが、
元祖大須観音・真福寺と円空ゆかりの寺「徳林寺」でした。

2009年7月27日 (月)

阿下喜八幡祭・町練り

「阿下喜八幡祭」の続編、神輿の町練りです。

雨が降ったり止んだりの天気でしたが、
神社を出た神輿はまず赤神通りを練ります。

Ageki012
Ageki013

鉦や太鼓が打ち鳴らされて、
威勢のいいサンヨ、サンヨの掛け声!

Ageki014

行きつ、戻りつの練り神輿、
戻って今度は西町通りへ。

Ageki015
Ageki016
通りには北町屋形と西町屋形が立ち、
各家に吊るされた御神燈や祭礼飾りのなかを練ります。

Ageki017
Ageki018

この道はかっての「濃州道(員弁街道)」、
古い家並みの残る街道筋を行く神輿。

Ageki019
西町通りから本町通りに入ります。

神輿の前では子供連が担ぐ五彩の布が掛かる御輿?
そして高張提灯に旗を掲げ、竹笹で道を清めていきます。

Ageki020
この通りは少し上り坂、
担ぐ男衆にも疲れがみえる頃ですが・・・。

Ageki021
神輿は県道5号(員弁街道)の交差点を渡ります。

先のロータリーを練ったあと、

Ageki022
戻ってきた交差点での練りです!これはチョッと予想外、
関係者が先に進むように促しますが・・・

Ageki023_2 

本町通りへ戻ってきました。
道の左右には露店が並び、見物客の数も増えてきました。

Ageki024
そして東町へと進みます。

Ageki025
東町自治会館前の広場では打ち水の洗礼ですが、
晴れた暑い日ならこれは絵になりますが・・・この天気です。

各地区を隈なく回って練る神輿、
すでに1時間半を過ぎましたが北町通りの東部へ入ります。

Ageki026
雨で霞んでいた藤原岳が見えました。

再び本町通りです。

Ageki027
通りにある本町屋形をくぐりますが、
男衆は腰を屈めて神輿を地面すれすれに・・・重そう!
そして担ぎ揚げます。

Ageki028

夕闇が迫ってきた訳ではないんですが、
厚い雲に覆われて辺りは薄暗くなってきました。

お旅所まではあとわずかでしたが・・・なぜか夕立の予感^^;
2時間にわたる神輿の追っかけでしたが、
この日も途中で引き揚げた祭り見物でした。

阿下喜八幡祭・いなべ市

多くの祭りが集中した26日の日曜日、
昼過ぎから雨との予報にエスケープも考えて決めたのはここ!

三重県いなべ市北勢町の「阿下喜八幡祭」でした。

Ageki001
阿下喜にあります「大西神社」。

明治40年(1907)に八幡社が大西神社に合祀された以降、
大西神社の祭礼となった八幡祭です。

この地方に居住した豪族が始めたと伝えられる奇祭。

Ageki002

この日の本祭は”おとな神輿”の町練りです。

神輿を担ぐ各地区の男衆が神社に集まりますが、
天気予報が当たりましたか?雨が・・・。

Ageki003
神事が行われて神輿を待つ間にすごいどしゃ降りです。

ようやくカメラに雨用のカバーを付けましたが・・・
身を整える間もなくびしょ濡れに!

Ageki004
しかし神輿は雨をものともせず拝殿から境内に出されました。

Ageki005
Ageki006
雨の降るなか、境内で激しく練り回されますが、
この神輿、雨に強いようです!濡れても平気です^^

ひととき練った後町内に繰り出します。

Ageki007
Ageki008
神社から繰り出す神輿!

Ageki009 
Ageki010
最初の北町通りと神社前で練ります。

この神輿、行きつ戻りつ進むため、
なかなかすんなりと行きません><

Ageki011

ようやく動き出した神輿とともに
このあと阿下喜の町内を追っかけました。

長くなります・・・町なかを練り歩く神輿の模様は
続編の町練りにてアップします。

2009年7月26日 (日)

一宮七夕まつり

愛知県一宮市の「おりもの感謝祭・一宮七夕まつり」です。
” 街に溢れる光と音のハーモニー ”がキャッチです。

駅前にには風にたなびく七夕飾り!

Tanabata001

25日土曜日の昼間に訪れました・・・。
幼稚園児のちびっこパレード、小学生の音楽隊パレードが
この時間のメインイベント。

Tanabata002
本町商店街のアーケードにはビッシリと七夕飾りが!

Tanabata003
昼間とはいえ、かなりの人出!
浴衣姿の娘さんや子供たちも多く見かけました。

さすがに織物の町です!

Tanabata004
商店街に作られたアーチもまた人気です。

 Tanabata0051 Tanabata0052_2
これはなんといいますか、歌舞伎役者絵の暖簾?
やけに三枡の紋が気になります。

見上げていたら後ろではパレードの開始です!

 Tanabata00611_2 Tanabata00622
幼稚園児によるちびっ子パレード。

Tanabata007
七夕飾りの下を元気よくパレードしてくれます^^

Tanabata008 
時間が経つにつれて人はどんどんと増えてきました。

昼間はこの七夕飾りを見るためでしょうか?
それともまつりの雰囲気がいいんでしょうか?
何か夜店感覚でそぞろ歩きが楽しめます。

 Tanabata0091 Tanabata0092
役者絵暖簾にビックりしていたら、
こちらにはまた歌舞伎のアーチがありました。

片側には「暫」です。 成田屋!

Tanabata010
市内の小学生たちが作った七夕飾り。

Tanabata011
そして会場の突き当たりは「真清田神社」。
境内も飾りと人出で賑やかです。

Tanabata012
いつもとは違う雰囲気の本殿。

その隣では、「火の輪くぐり」が行われていました。

Tanabata013

「茅の輪くぐり」は見ましたが火の輪、
くぐる意味は同じですが・・・。

戻りかけたらいきなりのにわか雨!どしゃ降りです。

Tanabata014
しばし立ち往生!

雨の通り過ぎるのを待っている間に
小学生の音楽隊(金管バンド)がスタートしていました。

 Tanabata015 Tanabata0152
この日の昼間のメインイベントです!

この後、夕刻からのイベントまで時間が空きます。

Tanabata016

別の特設ステージでは多彩な催しもありましたが、
子供たちの七夕飾りに書かれた願いを読みながら・・・。

第54回おりもの感謝祭「一宮七夕まつり」、
ほんのひとときの体験でした。

2009年7月25日 (土)

五個荘の中山道

近江商人屋敷の「うちわ・扇子展」の前に一汗掻きました^^;

てんびんの里・五箇荘を通る旧中山道、
北東の街道口から西南の街道口まで2.5キロを散策です。

Kaido001
五個荘は宿町ではなく単なる街道筋の集落であまり見るものも
ありませんが、街道筋の面影を残します。

「愛知川宿」を出た中山道は国道8号線に合流し、
御幸橋で愛知川を渡ります。

少し先にある宮荘の交差点で左の旧道へ、
ここから五個荘の旧中山道に入ります。

Kaido002
すぐに「五箇神社」の御旅所、角にある常夜灯、
この前には休憩所のポケットパークがあります。

大同川に沿って行くと右手に東近江市五個荘支所がります。

Kaido003
前に架かる橋の欄干にはてんびんを担ぐ可愛い商人像が。

Kaido006
支所の前を通り過ぎると一回り大きなポケットパーク。

ここには文化3年(1806)に江戸幕府が作った
街道絵図が掲げられています。

  Kaido0071Kaido0072
ちょうど歩いている区間が詳細に描かれています。

以前に歩いたときは詳しく見ていませんでしたが、
この「中山道分間延絵図」は右が愛知川宿側、
左から歩いてきていますから左右逆になっていました。


この辺りから町筋に古い建物が見られます。

Kaido008
Kaido009
べんがらに塗られた板塀の立派な屋敷、そして土蔵、
ただ、ここはまだ旧五個荘の町並みではありません。

この先にある常夜灯が乗ったような古い標石がありますが、
ここが御代参街道の追分。

Kaido0010
この写真でははっきり分かりませんが、
右面(正面)に「 右 京道 」、
左面に「 左 いせ ひの 八日市 」と刻まれています。

御代参街道は八日市や日野を経て東海道土山に続く道で、
伊勢や多賀大社への参詣道でもありました。

少し先で交差点を渡りますが、
この辺りから近江商人発祥の地、五個荘の町並みへと入ります。

Kaido011 
五個荘町北町屋集落の家並みが続きます。

Kaido012
Kaido013
「金毘羅大権現」の常夜灯と、
西国32番札所「観音正寺」への道標。

中山道は五個荘町山本、石塚の集落を抜けていきます。

Kaido014
右に繖山(きぬがさやま)が 見えると道は国道8号に合流。

Kaido015
ここが五個荘を通って来た中山道の西南の口、
ほんの短い五個荘の旧中山道、懐かしい街道歩きでした。

ここから道は清水鼻集落から、
老蘇の森・「奥石神社」を通って次の「武佐宿」へと続きます。

2009年7月24日 (金)

うちわ・扇子展

五個荘・近江商人屋敷(外村繁邸)で開催されている
「うちわ・扇子展(~8月16日まで)」です。

梅雨の合い間の暑い日!
少しでも涼しい気持ちになるかと出かけてみました。

Gokasho001
お馴染みの近江商人屋敷ですが、
こんな夏の企画展、13回目とありますが初めてです。

Gokasho002
2月のひなめぐりではお雛様が飾られている広間ですが、
この日はうちわが飾られていました。

Gokasho003
もう古き昭和の時代になりますが、
その頃は憧れだった女優?さんたちのうちわ、
今も現役で活躍されているのはこの方のみか?

Gokasho004
健在ですね、森光子さんです!

名札のないのが2つありました。
”どなたでしょうかねぇ?”と聞かれましたが”・・・?”。

隣では「紋きりうちわの作品展」。

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江戸時代から庶民の間で親しまれてきた切り紙遊び。

Gokasho006
紙を折り、型にそって切り抜き、拡げてみると綺麗な模様が
現れる・・・、その切り紙で作られたうちわです。

傍にはこんなうちわも、

Gokasho007
掃除用の大うちわ。

畳の叩いたときの埃をこの大うちわで吹き飛ばす、
そのとき、遠仁者疎道(おにわそと)・富久者有智(ふくわうち)と
唱えながら掃除をしたそうです。

二階に上がります。

Gokasho008
こちらにもいろんなうちわが飾られています。

Gokasho009
それぞれに時代が懐かしい?(年ですねぇ~)
そんなうちわもたくさんありますねぇ。

Gokasho010
こちらは扇子。

扇子にもいろんな種類があるようですが・・・、
眺めているだけでも楽しいもんでございます!

Gokasho011
こちらは日本三大うちわとありました。

左から、香川丸亀の平柄、京都の差柄、
そして千葉房州の丸柄だそうです。細かい説明は省きます^^

Gokasho012
まぁ、いろいろなうちわや扇子があるものです。

そして、うちわの中でも特に夏にはこちら、

 Gokasho0131 Gokasho0132_2
水うちわ。

Gokasho014
こちらはまた特別な扇子。

うちわと扇子展、
少しは涼しく感じた気もしましたが・・・。

おまけです!

Gokasho015
まちかど交流館の「ミニ風鈴展」、
こちらは十数個の風鈴を目と音で楽しみます。

五個荘・近江商人屋敷の夏の企画「のれん展」が終わって、
続いて行われている「うちわ・扇子展」でした。

2009年7月23日 (木)

天橋立

大雨注意報がでている雨のなかを走り抜けて、
たどり着いたのは宮津は天橋立です。

いまさら説明の必要もありません!
トップは「天橋立ビューランド・飛龍観」からの股のぞきです。

Hasidate001

しばしご覧いただいて・・・
天に舞い上がる龍のように見えますでしょうか?

股を開き、頭を深くさげているとだんだんと頭に血が充血し、
目が廻って天橋立が紫紺の空に続くようになると。

残念ながらこの天気!紫紺の空とはいきませんが・・・。

戻します!

Hasidate002
「飛龍観展望台」から見る天橋立です。

右の宮津湾と左の阿蘇海の間を文殊から一の宮まで、
3.6キロの松並木が続きます。

その宮津湾。

Hasidate003 

この日は「西国33ケ所めぐり」以来の松並木歩きでしたが、
思えばそのときも雨模様だったような気も・・・。

その前にやはり文殊堂へ。

Hasidate004
まずは黄金閣とも呼ばれる山門。

禅宗様式・三間三戸二重門、
楼上には釈迦如来を中央に両脇士・十六羅漢が
配置されているそうです。

 Hasidate0051_3 Hasidate0052_3 
境内左にある多宝塔と本堂です。

日本三文殊のひとつで、
通称切戸(久世戸)の文殊堂として知られていますが、
正式には「智恩寺・文殊堂」。

参拝して天橋立松並木に入ります。

Hasidate006
最初にわたる「小天橋」。
普通の橋に見えますが廻旋橋で船が通ると90度廻ります。

渡りきったらちょうど船が通りました。

Hasidate007
橋が廻って船を通します。

 Hasidate0081 Hasidate0082
船が通って橋が戻ります。
無事繋がって散策の方たちが町へと渡っていきました。

こちら小雨の中を天橋立歩きです。

Hasidate009
入口近くの宮津湾は天橋立海水浴場。
白砂青松の砂浜です。

天橋立のなかにある見所のひとつ「磯清水」。

Hasidate010
日本名水百選のひとつ。

” 四方を海に囲まれているにもかかわらず、
 少しも塩味を含んでいないことから古来不思議な名水として、
 「長寿の霊泉」とされています ” と。

Hasidate011
この日はさすがに人も少なく静かな松並木でした。

Hasidate012
道沿いには歌碑もいくつか建てられていますが、
そのひとつ、やはり芭蕉の句碑です^^

また、天橋立には大正、昭和天皇お手植えの松や、
松並木のなかの18本の松にはいろんな名前がつけられています。

Hasidate013
こちらは平成16年の台風23号によって倒れた「双龍の松」。

このとき247本の松が倒れ、天橋立の姿を一変させたそうです。

そのときの惨状を記憶にとどめ、その姿を保存することで、
天橋立を子孫に残していきたいとの思いから整備されたと。

Hasidate014
すぐ先で天橋立松並木は終わります。

道を左にとると一の宮の船乗り場から「傘松公園」へ。

Hasidate015
歩いてきました小雨の中の天橋立3.6キロ、
名松や歌碑を見ながらゆっくり歩いても小1時間。

この日は雨で「傘松公園」には行きませんでしたが、
ほんのチョッと時間があれば歩いて渡れる天橋立!
帰りはあっという間の船旅でした。

2009年7月22日 (水)

城崎温泉・温泉寺

城崎温泉2日目の朝は今でも雨が降り出しそうな曇り空。

早朝の散歩にでもと、
下駄を鳴らして傘持ってチョッと出かけた「温泉寺」でしたが・・・。

Onsenji001
早朝の湯の里通り、
まだ外湯も開いていない時間で人もいません!

通りの突き当りを右に曲がると温泉寺参道に出ます。

Onsenji002
Onsenji003
右に「城崎温泉元湯」を見ながら参道を行くと山門です。

現在の山門は明和年間(1764~1772)に再建されたもので、
左右に金剛力士像の立つ仁王門。

 Onsenji0041 Onsenji0042
県の文化財指定の像は運慶・湛慶作といわれます。

山門を入った境内左横にあるのが「薬師堂」。

Onsenji005
Onsenji006
文化年間(1804~1817))に再建された、
総欅造り、四間四方の宝形造り四方縁勾欄付の建物。

温泉守護のお薬師さんとして信仰をあつめ、
本堂まで行けない人もここで参拝するとごりやくがあるそうです。

朝の散歩としてはここで止めればよかったんですが、
お寺となるとやはり本堂が見てみたいと・・・。

Onsenji0071
山門から先に延びる石段の参道を上ります。

チョッと調べていれば分かったことなんですが、
何の迷いもなく二段、三段と折れて続く石段を上ること・・・。

Onsenji0072
数十分も歩いたでしょうか?
さすがに下駄の鼻緒が指の間に喰い込んできたころ、
ようやく最後の石段になりました。

Onsenji008
参道から垣間見る城崎温泉の町です。

上ること400メートル(本堂横の案内板にありました)><

Onsenji009
Onsenji010
ようやく本堂到着です。^^;

養老4年(720)に城崎温泉を開いた道智上人により、
天平10年(738)に開創された古刹。
聖武天皇から名前を賜ったという城崎温泉守護の寺。
本尊は十一面観音像。

Onsenji011
本堂右手には万冶元年の木札がかかる「鐘楼」。

Onsenji012
その前、本堂裏の小高い場所に建つ多宝塔。

さらに奥に延びる綺麗な道を行くと、

Onsenji013
「城崎美術館」がありました。

ちょうどここは城崎温泉ロープウェイの中間駅、
「温泉寺駅」があるところ。

Onsenji014
美術館前の山腹から見る城崎温泉、
知らずに上って来ましたが・・・結構な高さです。

朝の散歩にしては予定外のハードな「温泉寺」参り、
宿に帰ってひと風呂浴びて、さてお寺参りのごりやくは?!・・・

このあと、大雨注意報の兵庫県北部を走り抜けます。 

城崎温泉・まちめぐり

梅雨空の中の三連休最終日、
こんな日にと、場違いとも思える温泉旅行は城崎温泉でした。

しかしやはり梅雨には勝てません!この日は残念ながらの雨、
雨もまた良しと、まちなか散策です。

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まずは城崎定番、
大谿川(おおたにがわ)を挟んだ両岸にある柳並木です。

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そぼ降る雨に濡れて・・・これまた情緒があります。

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まち筋にはこの懐かしい郵便ポスト。

そしてこれも定番の外湯めぐり、
7つの外湯がありますがまずはこちら。

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町の西外れにある「城崎温泉元湯」です。

城崎温泉の守護寺といわれる「温泉寺」の参道入口にありますが、
このお寺は翌朝に訪問、あらためてご紹介を。

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相対するようにあるのが「鴻の湯」。

城崎温泉にある7つの外湯の中の一つで、
コウノトリが傷を癒したとの言い伝えがあるそうです。

ここから南に少し歩くとあるのが「極楽寺」。

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大師山の麓に佇む閑静なお寺、
かの沢庵和尚が再興した古刹だそうです。

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境内にある無病長寿の水といわれる「独鈷水」。

その境内は城崎唯一の石庭「清閑庭」となっています。

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Gokuraku4 
本堂前とその正面ですが、
この日は庭の剪定が行なわれており、
山門から境内に脚立やハシゴが置かれていてチョッと窮屈な
アングルでしか撮影できませんでした。><

ここから再びまちなかを東へと巡っていきます。

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大谿川に沿って行く木屋町通り。
静かで風情があり、散歩するにはもってこいの小路です。

このあと柳並木の右岸を通って駅通りから駅前へ。

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駅前にあるコウノトリのモニュメント、
後ろに見えるのは外湯「さとの湯」です。

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その正面、

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そして、湯の町ですねぇ、ずらりと並べられた奉納下駄。

城崎にて・・・、最後はやはりここ。

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「城崎文芸舘」。
傍には「志賀直哉文学碑」が建ちます。

城崎の町筋には24もの文学碑が点在します。
これを探して散策するのもまたよろしいかと^^

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湯の町”城崎”。

浴衣姿と下駄の音に雨を忘れてのまちなか散策、
この日も多くの方が外湯めぐりを楽しんでいました。

2009年7月21日 (火)

関宿夏まつり・特別編

続けましたが関宿夏まつり、
このまつりの見所を昼間に見ることができました。

最後は山車の特別編、舞台回し(屋台回し)です。
ここは何も解説無しです、その昼間の屋台回しを
連続写真で載せます。

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旧東海道、東追分で休憩に入った山車の下、
ジャッキで山車が固定されます。

ここからは小崎町山車の昼間初めての舞台回しをどうぞ。

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何回回ったかは分かりませんが、
凄い勢いでの回しでした。

これはあくまでも今年だけのものだそうですが・・・
観光客が多ければ続けるとか。

そんな貴重な”まつり山車”の 曳き回しを体験した
「関宿夏まつり」の2日間でした。

2009年7月20日 (月)

関宿・曳山続編

関宿夏まつり山車編の続きです。

東追分で向きを変え、山車は小崎町の山車倉に帰ります。

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旧東海道の坂道を上がる山車、
沿道の皆さんに曳き手の協力をお願いします。

それだけ曳き手が少なく厳しい上り坂です。

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見物の皆さんの手を借りて一気に坂を上りきりました。
ここは休むと山車を引き上げるのが大変だそうです。

汗だくでの男衆。

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やはりここは一休み!

その後は町の山車倉に帰還です。

Seki019
戻って来ました街道筋の分岐。

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今度は出るときと逆に曲がりますが、
これも見せ場のひとつです。

そして、

Seki021
曲がりきりました。
ここで暫しの休憩をとって先の山車倉へと戻ります。

この日は本祭日、
いったん休憩の後夕方の山車引き回し、
関山曳きへの休憩に入りました。

なが~い記事にお付き合いありがとうございました。
別編の舞台回し(屋台回し)もぜひお付き合い頂ければと
またまた連続アップです。

関宿夏まつり・関の曳山

2日連続での関宿夏まつりでした。

先に御神輿巡行でしたがこの日は山車の巡行!
それも今年初めて、いやこの祭りでも行われたことがないという
昼間の”関の曳山”です。

Seki001
曳かれるのは小崎(こさき)町の山車。

本来は土曜日と同様に夕方からの町内巡行ですが、
町の衆もこれまた初めての経験!それもまた暑い日でした。

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12:00
山車が山車倉から出発しました。

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江戸時代の元禄年間から伝わる祭り。
最盛期には16基の山車があったといいますが、
今は4基が保存されているのみ。

まず神社からの道を旧東海道へと曲がります。

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囃子と曳き手は子供達が中心!
唄われる曳山唄はやはり鈴鹿馬子唄が入ります。
唄うのはベテランのお父さん。

一気に角を曲がりました。

次に来るのは下り坂!

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坂でのスピードを抑えるために手動ブレーキで、
曳き手は後ろに回ります。
ここはむしろ後半の上りが見所ですが・・・それは後ほど。

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祭りの主役は子供ですかねぇ。

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山車は折り返しの東追分に到着です。

ここで曳山の見もの”舞台回し(屋台回し)を見せてくれました。

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今回はほんの少しだけ、
この舞台回しは別編で同時アップします。

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山車の向きが変わって道を戻ります。
まだ半分です。><

戻りの山場!坂道です。

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旧東海道の町並みと先に見えるのがその坂です。

このまま先へ突進しようと思ったんですが・・・、
ここはさすがに長くなります。

この先はやはり続編で連続アップに^^、すぐです。

2009年7月19日 (日)

関宿夏まつり・亀山市

三重県亀山市関町の「関宿夏まつり」です。  18日

旧東海道関宿にある関神社の例祭行事で、
元禄年間(1688~1703)から伝わるとされる祭礼です。

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保存されている4基の山車は曳かれるのは夕刻になりますが、
その前の神輿曳きと練りを見に訪れました。

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正午、神事のあとに拝殿から神輿が引き出されます。

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ここから地蔵院までは町内を子供の曳き回し、
東の追分から先、「関の小万のもたれ松」まで神輿が曳かれます。

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後ろに見えるのが「関の小万のもたれ松」。

鈴鹿馬子唄に唄われる小万の話は以前に載せましたが、
この唄がこの神輿練りに唄われるとは知りませんでした。><

ここから折り返し旧東海道筋を戻ります。

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先回りした中町筋にはすでに幼稚園児が小山車を曳く準備に。

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4基の小山車を曳いて地蔵院に向かいます。

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後を追うように曳き神輿が到着、
ここからはお兄さん達に担がれてお旅所への練り込みです。

ここから祭りの様子が一変しました!

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地蔵院境内で行われる激しい神輿練り。

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各宅の戸口に神輿を入れて、鈴鹿馬子唄が唄われ、
賑やかな、”ようさしゃ!ようさしゃ!(よいさ、よいさ?)”の
掛け声が入ります。

Seki013
鈴鹿馬子唄、必ず唄われるのは関の小万!

” 関の小万の米とぐ音は一里ここえて二里ひびく・・・”

やはりここは関の小万の地です!

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長い道中、神輿は西の追分に入りました。

ここから先の町内を廻って戻り、神輿は御旅所に入ります。

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その御旅所。

うだる暑さの中で訪れた「関宿夏まつり」、
本番の山車曳き回しはこの後夕刻からでしたが、
いつものことながら待てません。><

宿内の狭い道いっぱいに巡行する様から「この上ない、精一杯」
との意味で用いられる「関の山」の語源とされる山車曳き。

夕方から行われる山車の舞台回しを、
一度は見てみたいと思いながらの引き揚げでした。

2009年7月18日 (土)

涼を求めて赤目渓谷へ

暑い暑いといいながらも出かけていますが・・・、
この日だけは涼を求めてお馴染みの「赤目四十八滝」でした。

あまりこの時期に訪れたことはないんですが、
今回は赤目四十八滝から先に続く出合いまでの上流部です。

まずはこの滝、

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最奥にある巌窟滝のひとつ前、琵琶滝です。

この滝の周りは休憩場所として人が多いところ、^^
人の映り込まないこの滝を撮るのは久しぶりです。

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平日の朝一番、先に訪れていた人を追い越しての到着、
まるで貸切の滝をゆっくりと撮影しました。

この日はここから先の出合まで、
赤目渓谷の上流部を載せていきます。

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四十八滝最後の「巌窟滝」、
この日は少し水量が少ないように見えました。

滝を見ながら巻くように回り込んで滝の上流に出ます。

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出合までは静かな流れと小滝が楽しめる渓流部。
泳ぐ魚もすぐ間近に見ることができます。

ここは滝見物以外のハイキングを楽しむ人が多いところ。

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渓流を飛び交う「ミヤマカワトンボ」、
上が雄、そして下が雌です。
少々荒っぽい画像ですが何とか両方とも捉えました。^^

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四十八滝の渓谷とは違った浅瀬の続く川の流れを楽しみます。

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ときどき現れる小滝。

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川面に映る景色も穏やかです。

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「巌窟滝」からおよそ1キロの道、
大きなアップダウンもなく渓流沿いと森林を行く遊歩道。

自分好みで楽しめる赤目渓谷、
四十八滝とともに暫しの涼を楽しみました。  16日

2009年7月16日 (木)

相差天王くじら祭り・続編

「相差天王くじら祭り」、町内パレードの後は海上パレードです。

大、小の鯨御輿が「おまつり広場」に戻ってから待つこと暫し!
今回も1時間半ほどの待ち時間。^^;

「おまつり広場」で最後に男衆によって練られた鯨御輿は、
海女さんたちの手によって海に帰ります。

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男衆に担がれて浜に運ばれる鯨御輿!

海で海女さんたちに引き継がれます。

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待ち受ける海女さんたちは6人。

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鯨御輿が海に入りました。
男衆の肩から海女さんの手に渡ります。

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鯨御輿の左右に3人ずつの海女さんが付きます。
曳船のロープが鯨御輿に繋がれて・・・。

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ゆっくりと鯨御輿が曳かれて行きます。

勢いよく潮を噴き上げる鯨?
傍にはまるで付き添うように海女さんたちが・・・。

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港内の前の浜をゆっくりと曳かれて回ります。

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船団とともに何度も何度も回ります。

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何か別れを惜しむように潮を吹き上げて・・・
うまくできていますねぇ。

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船団が散って、鯨御輿の海上パレードが終わります。

変わって入ってきたのは「宝船」!

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何ともきらびやかな「宝船」の入港です。
こちらも浜内をパレードします。

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船上の帆には「海上安全」、「豊漁豊作」の文字が。
付き添うのはえべっさんに大黒さんでっか?

何周かしたとき派手に花火が打ち上がりました!!

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いよいよ祭りもクライマックス!

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「宝船」が浜辺へと近づいて、
船上からは縁起物が待ち受ける人たちに投げ込まれます。

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さすがに海の町相差!これぞ町を挙げての祭りです。

祭りはこの後、夕刻から町の演芸会が行われ、
最後は花火大会で終わるようです。

久しぶりに手作りの祭りを堪能!
と言っても21回目の「相差天王くじら祭り」でした。

相差天王くじら祭り・鳥羽市

三重県鳥羽市相差町で14日に行われた「相差天王くじら祭り」。

町には観音様が鯨に乗って鯨崎に着いたという伝説があります。

平成元年には鯨崎の沖の定置網に鯨が迷い込んだことがあり、
それを機に鯨の供養と、地域活性化のためにと始まったという、
21回目を迎える町を挙げての手作りの祭りです。

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祭りの会場となる相差漁港の入口。

祭りの前に行われた式典。

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祭りは式典のあとは小学生のマーチングバンドや、
小中生の龍宮連、中学生の踊連、婦人会・一般の方の手踊りに
大、小の鯨御輿が担がれて会場の相差漁港へとパレードします。

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会場近くに咲くハマオモト(ハマユウ)。

待つこと暫し!1時間半ほど。><

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花火を合図にパレードの開始!
先頭は小学生5,6年生によるマーチングバンド。

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続くのは小中生の龍宮連と中学生の踊連、
担ぐのは手作りの鯨御輿と、曳くのは龍宮城の山車でしょうか?

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続いては婦人会・OB・一般の方の踊連が花を添えます!

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その後ろからはまず小さな鯨御輿、
担ぐのは少し大きいお兄ちゃん、お姉ちゃん(高校生?)たち。

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町内の男衆から水をかけられて・・・嬉しそう?

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パレードの最後を受け持つ大きい鯨御輿、
こちらは水のかけ方も半端じゃありません!

このシーンは夏の祭りには付き物のようです。

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このパレード!結構な数の人たちが参加しています。
数えてはいませんが・・・数百人?

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少し先で婦人会の踊連の前に出ました。

ここで少し休憩タイム、この間に先に行って会場の前で待ちます。

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小中生の踊連がやってきました。
最初に載せた写真「くじら祭」 の看板の下をくぐり会場へ。

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婦人会の踊連が入って・・・。

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最後の大きな鯨御輿が「まつり広場」に到着しました。

これで陸のパレードは終りです。

このあとは昼の祭の最後を飾る海上パレードとなるんですが、
それはもう少し後の楽しみになります、^^;
それまでは「まつり広場」での多彩な催しが続きます!

こちらも一休みのあと、続いてその海上パレードです。

2009年7月15日 (水)

田丸城址内堀の大賀ハス

ハスの花巡りではありませんでしたがここは偶然でした。

三重県玉城町の田丸城址。
今年は何度か載せましたが、
二の丸跡の内堀に見事な大賀ハスが咲いていました。

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石垣と内堀に咲く大賀ハス。

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これはまた、蓮池とハス田とは違って趣があります。

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やはりお城の堀に咲く蓮!
それなりに苦労があったと思われます。

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この大賀ハス、
平成のはじめに故人から寄贈された大賀ハスの種と、
蓮根を水槽に入れて栽培し開花させたものと・・・。

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そのハスを、田丸城築城670年を記念して、
ここ田丸城跡内堀に移植したと案内板にあります。

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ほんの小さな内堀に咲く大賀ハス。
鮮やかなピンクの大輪に魅せられてか?多くの方が
ハスを見に来てみえました。      12日
  

2009年7月14日 (火)

射和祇園まつり・松阪市

三重県松阪市射和(いざわ)町にある「伊佐和神社」の祭礼、
「射和祇園まつり」の本日です。      12日
  
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射和町は丹生(にゅう)水銀の中継地として、
またそれを原料とした軽粉(伊勢おしろい)の製造で栄えた町。

そして「祇園まつり」も地域に根付く伝統と歴史のまつりです。

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11日(土)の宵宮に続いての本日は、
小屋台が神輿とともに町の下の町から上の町まで本通りを
巡行する渡御祭。
各町内には宵宮に帰町した大屋台が飾り置かれています。

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夏祭りはどうしても夜のまつりになります。
この「祇園まつり」もメインは夜の還御祭!いたし方ありません。

町内に勢揃いした小屋台、

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2基の神輿の先導をつとめます。

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その神輿。

猛烈な暑さで立っているだけでも汗が噴き出すなか、
神輿を揺さぶっての練りが行われます。

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還御の時に神輿の練り込みがあるとは聞いていましたが・・・。

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猛暑の中の神輿練り!

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撮っている方も汗だくですが・・・
神輿を練る担ぎ手の方も大変で、早い回転で担ぎ手が変わります。

その前では小屋台が曳かれます。

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子供達が中心の笛や太鼓の囃しに合わせて鉾が
ゆっくりゆっくりと進みます。

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鉾(小屋台)と神輿が休憩に入りました。

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止まったところは射和町を代表する豪商のひとつ国分家の前。
家系三代の家が連なります。(驚き!)

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その前は維新に生き、勝海舟とも交流のあったと言う
竹川竹斎が居住した竹川家(射和文庫)でした。

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”祇園まつり”の追っかけはここまで。

この日は予想外の暑さに汗まみれ、
着替えも持たずに来てしまい散策も無しでの引き揚げです!
とにかく暑かった「射和祇園まつり」のひとコマでした。

2009年7月13日 (月)

気比神宮・敦賀

国道476号線で木の芽峠トンネルを抜けると敦賀市新保、
真っ直ぐ下っていけば越前国一宮「気比(けひ)神宮」に出ます。

なにやら「おくの細道」歩き旅と思いは重なりますが・・・。

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表参道の朱塗りの大鳥居は国重要文化財。

正保2年(1645)の建立で、木造としては厳島神社、
春日大社と並ぶ日本三大鳥居のひとつだそうです。

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やはりここは本殿参拝の前に再開するこの人、
旅姿の松尾芭蕉像です。

台座に書かれているのは
 ” 月清し遊行のもてる砂の上 ”
そしてその左奥には敦賀と月を詠んだ5句が刻まれた石碑です。

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月を見たくて旅した芭蕉が、
ここ敦賀で詠んだ月の句、5句が刻まれています。

この裏に、隠れるようにある露塚、

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石碑には”気比のみや・・・”で始まる
「なみだしずくや遊行のもてる砂の露」(月清し・・・の初案句)の
句が刻まれています。

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手前ごとで恐縮ですがやはりここは外せない場所、
参拝の前にまずおさらいでした。^^;

さて、その「気比神宮」です。

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芭蕉像と相対するようにあります社殿と拝殿。

敦賀市民には「けいさん」の愛称で親しまれ、
大宝2年(702)の建立と伝えられています。

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主祭神は伊奢沙別命(いざさわけのみこと)他
仲哀天皇 神功皇后 日本武尊 應神天皇 玉妃命 武内宿禰命
の6祭神を祀る。

Kehi007

なぜ”けひ”か”神宮”かは別に譲るとして・・・、

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以前に訪れたときは先を急ぎ、
まだ見ていないところがありました。
その回廊と東門です。

そしてここも、

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絵馬殿でしょうか?
その奥には神苑があります。

  Kehi0111Kehi0112_2
初めて見る神苑です。

もうひとつ、

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「気比の長命水」、
ちょうど神苑の裏手にあります「気比の長命・神水苑」。

あらためて芭蕉を訪ねた敦賀「気比神宮」。
思わぬ境内散策になりました。

2009年7月12日 (日)

北国街道・板取宿

今庄から国道365号(国道476号併用)を南下すると
道は次第に山中に入って上っていきます。

道が栃ノ木峠(R365)と木の芽峠(R476)に別れる手前に
旧北国街道の板取宿(上板取)関所跡がある。

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わずか数百メートル?の短い宿場跡、
石畳の道を登って行くと茅葺の民家が残っています。

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柴田勝家が北の庄に封じられたとき、
信長の居城安土に赴く最短路として、
天正6年(1578)栃ノ木峠の大改修を行う。

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以来、人馬の往来は頻繁となり、
越前南端の重要な関門の地として板取宿が置かれた。

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板取宿は北国街道(東近江路)の玄関口として、
また、近江と越前を結ぶ要の宿として発達していきます。

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見事な兜造りの茅葺屋根と妻入りの民家・・・。

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今も4軒の民家が残されていますが、
そのうちの2軒は現在でも実際に住まわれています。

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まさに山中の山里?・・・、
ここは板取宿の南に置かれた関跡でもあります。

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江戸時代、家康の子、結城秀康が入国以来関所を設けて
旅人を取り締まった。
のちに板取番所として藩士が駐在する。

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短い板取の宿を抜けて振り返って見る旧道、
傍らに見えるガードレールは今庄365スキー場への道路。

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ここから木の芽峠の旧北陸道まではおよそ3キロほど、
かっての旧道がハイキングコースとして残るようですが・・・。

今は見える国道365号線がこの先端で、
木の芽峠と別れるように左の栃ノ木峠へと向かっています。

2009年7月11日 (土)

北国街道(北陸道)今庄宿

南条から敦賀へと国道365号線を走るとすぐに今庄に。

江戸、京から山中、木の芽、栃の木といずれの峠を来ても、
まず最初に投宿するのが今庄宿。
また越前から江戸、京に向かう時、休泊するのもやはり今庄宿と、
ここは北国街道の交通の要衝でした。

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湯尾峠から来る旧街道と北陸線の線路を挟んで建つ
今庄宿の案内板です。

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観光客は少ないものの、
町には今でも当時の様子を偲ぶことができる古い家屋が残ります。

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お札場跡(旧西尾茂左衛門家)、

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京藤甚五郎家の重厚な家は塗籠の外壁と、
赤みの強い越前瓦の屋根の上に卯建が上がります。

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本陣跡、この辺りは宿の中心部になります。

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すぐ前には脇本陣(旧北村新平家)。
この脇本陣は特に加賀の殿様がよく利用したので
加賀本陣とも呼ばれます。

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この今庄宿の西側山頂にあるのが「燧ヶ城跡」。
この観音堂横から城への道があります。

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宿の南出口へと向かいます。

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この稲荷神社辺りが宿の南木戸口でしょうか。

そして道は追分へと入ります。

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旧道は手前の道しるべを右に折れますが・・・、

Imajyo011
道の分岐に立っていた「文政の道しるべ」、
5年前に歩いた時と比べてなにやら立派な場所に移っていました。

道標には「右 京 つるが 己可佐(わかさ) 道 
       左 京 いせ   江戸  道  」 とあります。

右に行けば木の芽峠越で敦賀・若狭への「北陸道」、
左にとれば栃の木峠を越えて木之本への「北国街道」です。

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新しく造られた?小広場には「蓮如ノ道」の石標も。
側面にはあわら市吉崎の吉崎御坊から北陸道を通って上洛、
下向の道のりが道中として記されています。

北国街道「今庄宿」。
新旧合わせて懐かしく思い出しながらの再訪でした。

2009年7月10日 (金)

花はす公園・はすまつり

福井県南条郡南越前町にある「花はす公園」、
7月4日(土)から8月9日(日)まで開催中の「はすまつり」です。

観賞池と観賞蓮園がある「花はす公園」と、
県道を挟んで2つの観賞蓮園があります。

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「花はす公園」。

ハスの観賞池が2つと観賞蓮園が2つ、
そのなかを何本もの散策路と橋で整備された公園!

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池の中は橋が架かり中央には浮御堂も・・・。

園内には世界中の蓮108種類が集められ、
くまなく蓮を観賞することができます。

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また、「はすまつり」期間中の週末にはイベントも開催、
お休み処もあって「はすまつり」を盛り上げます。

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公園の東側、
手前が観賞蓮園、奥に少しだけ見えるのが観賞池です。

ここから県道を挟んだ観賞蓮園(ハス田?)に出ます。

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その観賞蓮園の西の端から。

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そして反対側の東の端から見ています。
広いです!

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こちらはハス田のなかにも散策路が設けられていて・・・、
これは観賞蓮園というよりハス田の方がぴったりと思うのですが。

まあ、そんなことはどうでもいいとして・・・。

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ハスの花は、1日1回早朝から咲いて昼前には閉じます。
それを3日間繰り返すと花は完全に閉じないで4日目を迎え、
その日の午後には散り始めるといいます。

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「花はす公園」のハスと、この広大な観賞蓮園のハスたちは
まつり期間中のいつに見頃を迎えるのでしょうか?

ふとそんな疑問が・・・。

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日本一の花はすの生産地といわれる南越前町南条、
今では年間20万本を超す数が東京や大阪方面に出荷される。

そんな南条の「花はす公園」、
「はすまつり」は始まったばかりです。   9日 

2009年7月 9日 (木)

鶴岡八幡宮・鎌倉

時は流れて半世紀?><
遠~~い昔の修学旅行を思い出すそんな同窓会の旅でした。

定番中の定番、鎌倉です!
鎌倉の大仏しか記憶にありませんが・・・ここもその1つ、
もちろん鶴岡八幡宮です。

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さすがに修学旅行のメッカですね、中学生の姿が多いです。
大鳥居から参道を行きます。
この日はちょうど7月7日、「七夕祭」の当日でした。

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子供達に混じって若者や適当なおじさんの姿も見えます。

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かの静御前が舞ったという「舞殿」。
初めての八幡宮ですが・・・吉野山の「勝手神社」以来、
静御前の舞の話に触れました。^^

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ここから大石段を登ります。

登りきると本宮。
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七夕祭のためでしょうか?七夕飾りが風に舞います。
子供達の姿とともに何とも嬉しい雰囲気のなかで参拝です。

應神天皇・比賣神・神功皇后を祀る社殿、
石段下にある若宮(下宮)とともに国重要文化財。

” 康平6年(1063)源頼義が奥州を平定して鎌倉に帰り、
 源氏の氏神として出陣に際してご加護を祈願した
 京都の石清水八幡宮を由比ヶ浜辺にお祀りしたのが
 始まりです。” とあります。

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この日も多くの中学生達でしょうか?
何処から?と聞くとみんな元気で応えてくれました。

「舞殿」を東に入るとある「由比若宮遥拝所」、
八幡宮の元宮「由比若宮」を遥拝するところ。

その脇には「鶴亀石」があります。

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水で石面を洗うと鶴亀の文様が輝きが現れるという名石・・・。

相対してあるこちらは「白旗神社」。

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黒塗りの社殿が印象的ですが、
源頼朝、実朝公が祀られています。

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そして最後はやはり静御前!偶然見つけました。

おそらく福島県郡山市から移植された桜でしょうが、
いつの日にか?見事な花を咲かせるのを楽しみに・・・。

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鎌倉、「鶴岡八幡宮」。

ほんの短い訪問でしたが一度は来てみたかった念願の鎌倉。
いつか改めてゆっくりと再訪したい・・・そんな場所でした。

2009年7月 8日 (水)

箱根登山電車

1年ぶりの同窓会旅行でしたが雨の箱根になりました。

登ってくる途中の景色はもやがかかって何も見えません><
しかし、雨といえばやはりこの花!

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強羅駅から箱根湯元まで下る、
箱根登山電車で沿線に咲くあじさいを楽しみます。

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沿線に咲く約10,000株のあじさい!

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車窓に触れるほどの近さで見ることができます。

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駅のホームにもあじさいの鉢植えが。

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お神酒のおかげか?焦点が定まっていません><

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各地であじさいを撮ってきましたが、ここは格別!
次々と現れるあじさいにはまた違った雰囲気があります。

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箱根登山鉄道・あじさい電車の旅。

40分ほどの短いあじさい紀行でしたが、
今年最後のあじさいを(多分^^)楽しみました。  6日

2009年7月 6日 (月)

木曽三川公園パークセンター

岐阜県海津市福江にある「アクワワールド水郷パークセンター」、
ここも木曽三川公園のひとつ。

駐車場から右回りに南から北へと歩いて行きます。

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園内にはセミナー・イベントなど、
環境教育に関するさまざまな情報を提供するパートナー棟や
学習棟などがあります。

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南の入口から見るハス池(義呂池です)、広大です!

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パートナー棟と交流サロンや環境学習センターが建ち並ぶ園内。

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週末にはいろんな催しが行われています。

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通路沿いには季節を彩る花が咲き、春のタンポポ、
夏のハスやオニバスなど四季を通じて花木が楽しめます。

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園内を取り囲むように造られた水路にも水生植物が咲きます。

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北入口に咲いていたひまわり、
ここのひまわりはもう終りに近い状態でした。

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イベント広場から見るパークセンターホールと風車。

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風車前の池、今は何もありませんが、
夏にはここにオニバスの花が咲きます。

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義呂池の最北です。
こちらはハスがチラホラと咲き始めています。

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ここのハスもこれからのようですが・・・、

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「木曽三川公園アクワワールド水郷パークセンター」。

いつもは花だけ!それもハスとオニバス、
そして水路に咲く水生植物が楽しみのところですが、
今回は公園の施設とともに紹介しました。

2009年7月 4日 (土)

船頭平閘門

「船頭平河川公園」。
「船頭平閘門(せんどうびらこうもん)」を挟んである水生植物園とともに
整備されている公園です。

その「船頭平閘門」。
水位の違う木曽川と長良川を結ぶため、水門で水を調整して
水面の高さを一定にする施設が閘門、その高さが一定になる
部分が閘室(ミニ運河?)です。

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長良川側の閘頭部を跨ぐ橋の上から見た木曽川側の閘室。

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同じ閘室を木曽川側から見ていますが、
ここで水を調節して水位を一定にします。

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こちらは木曾川側から見た閘門の閘頭部、

そして

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長良川側から見た閘頭部です。

” 明治時代の河川工事により木曾川と長良川を往来できるように
   した閘門で、門扉が二重になっている復門式の形状では
 わが国で初めてのもの。明治35年完成。”

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その二重になっている復門式の門扉です。

” 明治の改修によって三川の分流が完成。それにより木曾川から
 長良川や揖斐川へは河口まで回らなくてはならなくなり、
 その不便さをなくすためこの船頭平閘門が作られた 。” と。

さて、公園です。

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ここも木曽三川公園の1つですが、
特に目立った公園設備はありません。

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アジサイの咲く園内を回って行くとデ・レーケ像広場に出ます。

広場にあるデ・レーケ像、

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明治20年から45年にかけて行われた木曽三川下流部の
改修は、オランダ人技師ヨハネス・デ・レーケの指導によるもの。

木曽三川の歴史を保存する「木曾川文庫」。

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輪中、宝暦治水、明治の改修などの資料を見ることができます。

そしてこちら、

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「明治の水門扉・旧閘門扉」です。

” 完成以来90年余り活躍し、長年の歴史に耐えてきた閘門は、
 平成6年に改修が行われ、開閉装置が手動から電動へ
 切替わりました。 ”と。
その旧閘門扉が展示されています。

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この「船頭平閘門」は、
わが国で数少ない明治期に建造され、現在も使用されている閘門、
また、復閘式閘門としてわが国最初期のものであることなどから、
重要文化財に指定されています。

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初めて載せた「船頭平閘門」と「船頭平河川公園」の全容です。

初夏のハスを楽しみながら・・・
「船頭平閘門」に木曽三川の歴史のひとつを学びました。

2009年7月 3日 (金)

船頭平河川公園・ハス田

愛知県愛西市立田にある「船頭平河川公園」、
明治時代に木曽川と長良川を往来できるようにした閘門を中心に
整備された公園です。

そのなかにある「水生植物園」に咲くハス!今年の第一報です。

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水生植物園の東側部分にあるハス田、
以前にも紹介していますが15の田に15種類のハスが咲きます。

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なぜか?毎年ここが一番初めにハスの観賞に来るところ。

現在の開花状況、早いものもあればこれから咲くものと、
いつものことながら多様です。

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15種類のハス、いつもながら名前は省略します。

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ハスの開花!いったいどの状態がいいのか?

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かなり作為的な感じがしますが・・・
ここは咲くのが早いのか?毎年多くの方が撮影にみえます。

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ハス田の西側にはカキツバタ、スイレン池などがあり、
春から初夏にかけて花が楽しめます。

スイレンはほとんど閉じていましたが、
今はこの花?

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ポンテデリア。

そして、

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水生植物園には関係ありませんが><
ハルシャギクです。
植物園の周りにたくさん咲いています。

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「船頭平河川公園」 。

いつもはこの水生植物園のハスだけを載せて終わりですが、
次回は「船頭平閘門」と公園の紹介です。    2日                

2009年7月 2日 (木)

小次郎公園・今立

越前今立、旧今立町ですが武生市との合併で越前市となり、
町名はなくなりましたが今は今立地区として観光パンフにのみ
今立の名称が残ります。

その今立に数ある見どころスポット散策の最後に選んだのは、
北坂下町にある佐々木小次郎生誕地の「小次郎公園」でした。

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小次郎の生家と言われる「高善寺」に隣接する公園、
「佐々木小次郎」と書かれた木像が迎えてくれます。

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入口から回り込んで行きますと・・・こちらは佐々木小次郎銅像

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若き日の小次郎?背負う刀は、かの物干し竿!

若き小次郎の剣一筋に生きる姿勢を讃えるために、
地域住民を中心に佐々木小次郎生誕地顕彰会が発足し、
昭和63年に銅像が建立された、とあります。

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” ここから3キロ先の柳の滝で剣の修行をし、
 必殺技”つばめ返し”をあみ出したとここではありますが、
 ここから北にある一乗滝であみ出したと・・・ ”(これも他説あり)。

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池から公園の左手に流れる小川、結構広い公園です。

その生家といわれる「高善寺」、ちょうど銅像の裏手にあります。

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本堂右手には「佐々木小次郎生誕の寺」の説明が・・・。

” 18歳のとき「剣の道に一生をかける、二度と寺に戻らぬ」と誓い
 故郷をあとにしたと言い伝えがある ” と。

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その後、必殺技”つばめ返し”の剣豪として名を馳せ、
かの巌流島で宮本武蔵との決闘の日を迎えることになります。

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結末はあまりにも有名!
しかし、佐々木小次郎の生涯については謎が多く、
その出生地に付いても諸説あります。

この日はその1つ?越前市北坂下町(今立)の「小次郎公園」、
佐々木小次郎生誕地を訪ねました。

2009年7月 1日 (水)

越前和紙の里・今立

越前の里 味真野から北東に3キロほど行くと今立(いまだて)
ここは紙漉き発祥の地の1つに数えられる伝統の町です。

越前和紙の里、そのシンボルロードが「和紙の里通り」。

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西の端にある紙漉き体験館「パピルス館」を背に
その「和紙の通り」を撮っています。

ここから東の端にある紙の文化博物館「和紙会館」までの間、
およそ200mほどの通り。

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石畳の綺麗な遊歩道脇には小川が流れ鯉が泳ぎます。

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みやげ物店が立ち並ぶ通り沿い、
その中心部にあるのが「卯立つの工芸館」。

ここでは伝統工芸士の紙漉き作業が見学できます。

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しかし、この日はご覧のとおり・・・人がいません!
ほんとに出会ったのは10人ほどです。><
人のいない観光地がこんなに寂しいものとは思いませんでした。

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赤い日傘も、毛氈も・・・これも辛かった!

皆さんやはり見学に立寄られていたのかも知れません。

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音楽ベンチ。
腰掛のエリアに入ると音楽が流れ噴水が上がります。

ベンチに腰掛けて音楽を聴きながら、
上がる噴水を眺めましたが・・・これも人がいないと><

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泳ぐ鯉を相手にひとり戯れます^^

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「和紙会館」に着きました。

遠い昔を思い出しながら振り返りますが、

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「和紙会館(紙の文化博物館)」の貴重な資料で
越前和紙の今に触れ、「卯立つの工芸館」で和紙漉きを見学し、
最後に「パピルス館」では指導員のレクチャーで紙漉き体験をする
・・・これが3館セットのモデルコース^^

越前和紙の里 今立、チョッと寂しいレポになりました。

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