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2009年6月24日 (水)

吉野山 吉水神社

奈良県吉野山にある「吉水神社」。

南朝皇居として知られ後醍醐天皇を祭神とし楠正成、
吉水院宗信法印を合祀している。

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桜や紅葉の季節には何度も訪れていますが、
書院内を拝観するのは初めてです。

ここはまた、源義経一行が兄頼朝の追手を逃れ、
吉野に潜んだときの場所でもあります。

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その「義経潜居の間」。
義経と静御前が暫しの時間をすごしたところ・・・。

居間の片隅には
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「弁慶思案の間」があります。

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その奥には義経の鎧(色々威腹巻・重文)が。

廊下を先に行くと、

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「後醍醐天皇王座」がありました。

延元元年(1336)、京より免れた後醍醐天皇が吉野に潜幸、
ここ吉水院(当時)を南朝の行宮と定められる。

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以後、南北朝の対立のなかで、
吉野朝4代57年にわたる歴史の舞台となります。

さらに奥へと・・・、

Yosimizu006
ここからは資料室、
吉野歴史の殿堂、古美術の宝庫・・・と栞に。

すべて載せたいほどですが、あまりにも数が多い!><
なかから、やはり興味のある義経関係の陳列ケースを。

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義経、静御前、弁慶、佐藤忠信らが使用した品々が並びます。

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こちらは静御前の鎧(よろい)、小さいです。
上が義経の使用した鐙(あぶみ)です、比べても!?!?
静御前の姿が想像できます。

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書院の外に出てみました。
ここから見える先、入口へと戻ります。

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この居間には「役の行者像」や、
豊臣秀吉が愛用した2対の金屏風があります。

そのひとつ、
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狩野永徳筆「桜の図(桃山時代前期)」。


しかしここ、すべて撮影可能というのもびっくりでした。

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書院の内部を拝観して戻ってきましたが、
この書院、初期書院造りの代表的傑作でもあります。

義経・静御前の悲しい別れや、南朝の哀史に思いを馳せる一方、
太閤秀吉の絢爛たる文化をも偲ばれる・・・
そんな対照的な世界に魅せられた吉野山「吉水神社」でした。

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コメント

好好爺さん得意の分野ですが、「後醍醐天皇」が変換ミスですネ 。

おお!義経の鎧・・・吉野山等で出てくるアレのホンモノですね♪
先日のプログラムにもここが載っていましたね~。
すでになつかしい・・・。

茶太郎さん
毎度のご指摘ありがとうございます。

致命傷ですね。(大汗;)
パソコン変換の恐ろしさ!
チラシを見ながら書いていてこれです><
ノーチェック、猛反省です。
    
     
恵美さん
吉野山の義経を追って!ここが最後の場所でした。

>先日のプログラム
歌舞伎観賞教室、ありましたねぇ。
さすがにその舞台を訪ねて・・・とはいきませんが、
義経千本桜吉野山、これですべてです。^^

吉水神社の宮司は八社会計(吉野山の八つの神社を守る爲皆でお金を納める)に金を入れず、全てを自分自身の懐に入れている等、惡行三昧。
彼を連れて來た一部の氏子も惡いが、宮司の行動は目に余るの一言。
參拜する方々には知っておいて頂きたく思います。
乱文御海容。

禿筆乍ラ さん
ご覧いただきありがとうございます。

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