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2009年6月27日 (土)

国史跡 唐子・鍵遺跡

奈良県磯城郡田原本町。
多くの古社、古寺があり、国史跡 唐子・鍵遺跡を有する町、
”歴史のオーラが見えるまち”がうたい文句です。^^

以前にも少しだけ町のことを紹介しましたが、
今回はまちなかに整備された散策路「大和・山辺探訪コース」を、
・・・といっても目指したのは国史跡 唐子・鍵遺跡でした。

Tawaramoto001
近鉄橿原線の田原本駅から散策路を北上します。

途中には多くの古寺や古社がありますが、
いちばん北にある寺がこの「安養寺」。
山門横に道標がありますがかっての下ツ道が横を通ります。

ここからその道を一部通ってさらに北へ、

Tawaramoto002 
カラー舗装された道に埋め込まれたレリーフ、

Tawaramoto003
そしてマンホールの蓋、同じ絵が・・・。

駅から北上すること2キロほど、
国道24号線を東に渡るとその楼門が見えます。

Tawaramoto004
ここが唐子・鍵遺跡(からこ・かぎいせき)の入り口。

石段を上がると目の前は唐子池。

Tawaramoto005

” 奈良盆地のほぼ中央、初瀬川と寺川に挟まれた沖積地に
 立地する 弥生時代の大規模な環濠集落跡です。・・・・・ ”

Tawaramoto006
池を周回する道を行くとその西南角に楼門があります。

Tawaramoto007
道にあったレリーフやマンホールの蓋の絵、
これがその楼門です。

Tawaramoto008

” 平成3年秋、唐子・鍵遺跡の第47次調査において楼閣の
 描かれた土器片が出土し、古代建設史上、画期的な発見
 として大きく取り上げられました。・・・ ” とつづきます。

Tawaramoto009

弥生時代中期(紀元1世紀)のもので、
すでにこの時代には大陸文化を取り入れた建築物があったことを
証明する資料になった。 とも。

  Tawaramoto0101 Tawaramoto0102

2層の屋根、大きな渦巻き状の棟飾り、3羽の鳥と思われる
波線が、またもう1つの土器片には2本の柱と刻み梯子が・・・と
ありますが、こちらは撮っていません><

Tawaramoto011

この楼閣は高さ12.5m、柱の間隔4×5m、柱の太さ0.5m。

説明板には、
” また、魏志倭人伝(3世紀)には卑弥呼の宮室は「楼観、城柵を
 おごそかに設け・・・」と記されています。卑弥呼の住む邪馬台国
 にはこのような高い建物がそびえていたのでしょう ”とも。

今回の記事はほとんどが説明板からの引用。手抜きですm(__)m

楼閣から邪馬台国はみえるか?「国史跡 唐子・鍵遺跡」。
これもガイドマップのタイトルでした。^^;   

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お出かけ」カテゴリの記事

コメント

ぶらり旅も 卑弥呼の世界まで踏み入られましたね。
ぶらりとも言っていられないですね。
足の下まで いい旅を ありがとう!ございます。

ビズーさん
卑弥呼の住む邪馬台国!残念ながら見えません。(笑)

しかし凄いコピーを考えるもんです。
田原本、ここはまた街道歩きで訪れたいところです。

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