名勝 城福寺庭園
味真野苑の近くにある「城福寺」、
観光パンフにあった「国指定 名勝庭園」の文字に思わず立ち寄り。
大まかな観光案内図では場所が分からず、
土地の方に訪ねての到着でした。
参道の先にある駐車場から戻ってきての撮影!
山門はこの奥にあります。
山門手前から振り返っていますが、
かっては大名行列の馬を繋いだ馬場だったそうですが、
その跡に茶が植えられ今日に至ると。
山門と本堂。
ここはまた「平家一門の菩提寺」でもあります。
なぜ平家?の疑問にご住職から聞いた話を先に・・・。
平家一門が源平の戦いに敗れて西海に没した時、
池大納言頼盛(平清盛の異母弟)一族だけが残ったのは
源頼朝の特別の計らいがあったという。
平治の乱に際し、平家に捕らえられた源頼朝(当時6歳)を、
頼盛の母、池禅尼が命乞いをして助けた・・・。
頼朝はこの恩を忘れず頼盛一族を厚遇したため、
今日までその血脈が保たれることになったと。
城福寺はその後、頼盛(よりもり)の嫡子、平保盛(やすもり)
によって鎌倉時代に建立された寺院です。
境内、本堂左にある「「花筺(はながたみ)の桜」、
これも庭園の説明の中でありました。
案内を乞うて暫し本堂で待ちます。
金色の阿弥陀如来(快慶作)の本尊を眺めつつ・・・、
そして庭園に案内されました。
庭園の隅にあるヒイラギの大木です。
庭園の中央には桜の大木があったそうですが、
昭和38年の豪雪で境内の桜ともどもに倒木、
庭園の桜の若木が境内の「花筺の桜」として残ると。
名勝庭園、貸切です^^ ご住職の説明が続きます。
左から順に並べています。
元禄年間に造園され借景枯山水築山式蓬莱庭園、
ヒイラギの大木を山に、苔の起伏は波を、軸先を西に向けた
舟島や鶴島・亀島が点在、西方浄土の地を模すと・・・。
この庭園、実は国指定の基準が他にもありました。
明治まで続いていたという越前福井藩主・松平氏が御成りの部屋。
遠く福井からの道を御成りになった松平氏は、
ここで休まれた(「花筺の桜」を楽しまれた?)あとお庭に・・・。
この礼拝石を先に進まれます。
庭に配された礼拝石はここだけにしか存在しないそうです。
中央の石席でヒイラギの大木下にある本尊石を礼拝、
これが江戸時代から続いた松平候の一連の行いだったそうです。
写真は逆になっていますが、
お成り部屋の床柱から礼拝石の先端と、本尊石が一直線に
結ばれていると・・・。
一対一で説明を聞きながら・・・勉強させていただきました。
よって、この建物と庭園が一対での国指定だそうです。
説明は他にも、なぜ庭園を見るのに拝観というか?などなど。^^
たった一人のために説明していただいたご住職に感謝!
何とも有意義な時をいただきました。 合掌
境内にビッシリと咲いていたこの花、
銀盃草、別名・芝キキョウとも。
古くは越の国の玄関口として開かれていたという味真野。
万葉の世界と古刹に歴史を訪ねたひとときでした。
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