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2009年6月30日 (火)

名勝 城福寺庭園

味真野苑の近くにある「城福寺」、
観光パンフにあった「国指定 名勝庭園」の文字に思わず立ち寄り。

大まかな観光案内図では場所が分からず、
土地の方に訪ねての到着でした。

Jyofuku001
参道の先にある駐車場から戻ってきての撮影!
山門はこの奥にあります。

Jyofuku002
山門手前から振り返っていますが、
かっては大名行列の馬を繋いだ馬場だったそうですが、
その跡に茶が植えられ今日に至ると。

Jyofuku003
Jyofuku004
山門と本堂。

ここはまた「平家一門の菩提寺」でもあります。
なぜ平家?の疑問にご住職から聞いた話を先に・・・。

平家一門が源平の戦いに敗れて西海に没した時、
池大納言頼盛(平清盛の異母弟)一族だけが残ったのは
源頼朝の特別の計らいがあったという。
平治の乱に際し、平家に捕らえられた源頼朝(当時6歳)を、
頼盛の母、池禅尼が命乞いをして助けた・・・。
頼朝はこの恩を忘れず頼盛一族を厚遇したため、
今日までその血脈が保たれることになったと。

城福寺はその後、頼盛(よりもり)の嫡子、平保盛(やすもり)
によって鎌倉時代に建立された寺院です。

Jyofuku005
境内、本堂左にある「「花筺(はながたみ)の桜」、
これも庭園の説明の中でありました。

案内を乞うて暫し本堂で待ちます。
金色の阿弥陀如来(快慶作)の本尊を眺めつつ・・・、
そして庭園に案内されました。

Jyofuku006_2
庭園の隅にあるヒイラギの大木です。

庭園の中央には桜の大木があったそうですが、
昭和38年の豪雪で境内の桜ともどもに倒木、
庭園の桜の若木が境内の「花筺の桜」として残ると。

名勝庭園、貸切です^^ ご住職の説明が続きます。

    Jyofuku0071
    Jyofuku0072
    Jyofuku0073
左から順に並べています。

元禄年間に造園され借景枯山水築山式蓬莱庭園、
ヒイラギの大木を山に、苔の起伏は波を、軸先を西に向けた
舟島や鶴島・亀島が点在、西方浄土の地を模すと・・・。

この庭園、実は国指定の基準が他にもありました。

Jyofuku008_2
明治まで続いていたという越前福井藩主・松平氏が御成りの部屋。

遠く福井からの道を御成りになった松平氏は、
ここで休まれた(「花筺の桜」を楽しまれた?)あとお庭に・・・。

Jyofuku009
この礼拝石を先に進まれます。

庭に配された礼拝石はここだけにしか存在しないそうです。

Jyofuku010
中央の石席でヒイラギの大木下にある本尊石を礼拝、
これが江戸時代から続いた松平候の一連の行いだったそうです。

写真は逆になっていますが、
お成り部屋の床柱から礼拝石の先端と、本尊石が一直線に
結ばれていると・・・。

一対一で説明を聞きながら・・・勉強させていただきました。

Jyofuku011
よって、この建物と庭園が一対での国指定だそうです。

説明は他にも、なぜ庭園を見るのに拝観というか?などなど。^^
たった一人のために説明していただいたご住職に感謝!
何とも有意義な時をいただきました。 合掌

境内にビッシリと咲いていたこの花、

Jyofuku012 
銀盃草、別名・芝キキョウとも。

古くは越の国の玄関口として開かれていたという味真野。
万葉の世界と古刹に歴史を訪ねたひとときでした。

2009年6月29日 (月)

越前の里 味真野苑

越前市(旧武生市)余川町にある「越前の里 味真野苑」、
何十年振りになるか記憶にありませんが?・・・再訪でした。

Ajimano001
継体天皇ゆかりの地である味真野(あじまの)、
やはりこの像からです。

Ajimano002
継体天皇の花がたみ像。

謡曲「花筺(はながたみ)」、 詳しくはありませんが・・・

” 古の昔(1500年前)、味真野で仲むつまじく暮らしていた
 男大迹王(おほとのおう)と照日の前(てるひのまえ)の愛の物語・・・。”
第25代武烈天皇に後継ぎがなく、越国にいた応神天皇5世の孫
男大迹王が第26代継体天皇として迎えられます。
突然に遠い都とここ味真野に離ればなれになった二人が、
苦難の道を経て再び都で再会する・・・というお話だそうです。

Ajimano003
苑内にある「万葉館」。

時は流れて・・・第45代聖武天皇の時代、
聖武天皇の命によって味真野で暮らす(流刑された?)
中臣宅守(なかとみのやかもり)と、
都に残された妻、狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ)のふたり。

 Ajimano0041 Ajimano0042
離ればなれになってしまった二人の「逢いたい・・・」と願う気持ちが
相聞歌となって万葉集に残されています。

館内には二人の相聞歌63首が展示され、
万葉集と味真野の関わりについて学ぶことができます・・・と。

さて、苑内ですが、

Ajimano005
Ajimano006
まずは緑の中の遊歩道を歩いて5分ほどの展望台へ。
眼下には味真野の町が広がります。

Ajimano007
散策路が縦横に延びる苑内ですが、
花の季節も終わってか?この日は閑散としていました。

西の万葉舘から東の端へと行きます。

Ajimano008 
東端にある「旧谷口家住宅」。

越前市内にあった農家を移築したもので重要文化財です。

Ajimano009
 Ajimano0101 Ajimano0102
入口(大戸口)と建物の内部です。

悲しい恋物語から一転、
何の関係もない農家をご覧いただきました。^^

再び、万葉集と相聞歌を。

Ajimano011
苑内の目玉ですが、比翼の丘。
二人の相聞歌碑が二つの丘に相対して建ちますが
同時には撮れません>< 並べます。

 Ajimano0111 Ajimano0112
左が狭野弟上娘子の歌碑、
” 君が行く 道の長手を 繰り畳ね 焼き滅ぼさむ 天の火もがも ”

右が中臣宅守の歌碑、
” 塵泥の 数にもあらぬ 我故に 思ひわぶらむ 妹がかなしさ ”

ここ味真野苑は他にも万葉の歌が書かれた木札がたくさん
ありますが、すべてはこの二人に代表されます。

Ajimano012
一周してきた正面入口にある池ですが、
この池の左右にも二人の相聞歌碑があります。
さすがにこちらはカットしました。^^;

この時期、苑内の花はほとんどが咲き終わっていましたが、
花ハス、睡蓮、ツバキ、ボタン、フジ、花菖蒲と多彩!
この日はアジサイが彩を添えていました。

2009年6月28日 (日)

石田三成出生地・長浜市

長浜市の東部、米原市山東町と接する石田町、
関が原の戦いで西軍の指揮をとった「石田三成出生地」です。

大河ドラマ「天地人」でこのところ登場していますが、
その三成出生地、石田町を訪ねました。

Isida001_3 
いきなり道路端から入りましたが、
町の中で駐車場を探していたらここに出てしまいました。^^;

駐車場は「石田会館」にとめられるようですがこの日は適当に・・・、
ということで、ここから案内板に導かれるようにまちなか散策です。
まずは旗の先に見える木のあるところ、

Isida002
「八幡神社」ですが目的はここではありません。

この拝殿と本殿の横には「石田神社」の石柱が、

 Isida003 Isida004
そしてその裏には「石田三成公一族家臣之供養塔」が
ありました。

Isida005
「石田家一族香炉堂」。

Isida006
その左手には三成自筆という歌碑があります。
” 残紅葉 散り残る紅葉はことにいとおしき
 秋の名残はこればかりぞと  三成 ” とあります。

ここからすぐの「石田会館」。

Isida008
ここが「石田三成公屋敷跡」。

Isida009
Isida010
三成に関するものはすべてがここに集約されていますが、
そのなかから、「石田三成公像」と、顕彰碑。
碑には「石田冶部少輔出生地」と刻まれています。

他にも三成に関係した碑や堀端池(冶部池)など・・・、
ここから町なか散策へ。

北に少し歩くと石田三成産湯の井戸がありました。

Isida011
永禄三年(1560)、冶部屋敷の北側にあったとされ、
三成の産湯の水を汲んだとされる井戸です。

Isida012
道端に立つ照明灯には三成に関係する武将達の名前があります。
これはもちろん、「天地人」ですね~^^
説明版には「東の盟友」とあります。

Isida013
三成には直接の関係はありませんが、「日吉神社」。

ここ日吉神社からは織田信長が姉川の合戦で勝利した後に、
羽柴秀吉が入った横山城のある横山への遊歩道があります。

Isida014
その横山です。
山向こうの「観音寺(以前紹介した三成三碗の才)」までは、
山頂を経由して行けるそうですが・・・、
この日はあまりにも暑くてさすがに失礼しました。><

そして・・・、
 Isida015_2 Isida016
日吉神社の参道と真新しい本殿。
これも遷宮か?本殿は完成していましたが、拝殿はこれから。

長浜市石田町、
「石田三成出生地」として知る人は知る?

Isida017
そんな町なかを散策して来ました。

真夏日が続いていますが夏といえば”ひまわり”、
石田三成が戦った関が原!
その熱き戦いに思いを馳せた・・・そんな石田町でした。

2009年6月27日 (土)

国史跡 唐子・鍵遺跡

奈良県磯城郡田原本町。
多くの古社、古寺があり、国史跡 唐子・鍵遺跡を有する町、
”歴史のオーラが見えるまち”がうたい文句です。^^

以前にも少しだけ町のことを紹介しましたが、
今回はまちなかに整備された散策路「大和・山辺探訪コース」を、
・・・といっても目指したのは国史跡 唐子・鍵遺跡でした。

Tawaramoto001
近鉄橿原線の田原本駅から散策路を北上します。

途中には多くの古寺や古社がありますが、
いちばん北にある寺がこの「安養寺」。
山門横に道標がありますがかっての下ツ道が横を通ります。

ここからその道を一部通ってさらに北へ、

Tawaramoto002 
カラー舗装された道に埋め込まれたレリーフ、

Tawaramoto003
そしてマンホールの蓋、同じ絵が・・・。

駅から北上すること2キロほど、
国道24号線を東に渡るとその楼門が見えます。

Tawaramoto004
ここが唐子・鍵遺跡(からこ・かぎいせき)の入り口。

石段を上がると目の前は唐子池。

Tawaramoto005

” 奈良盆地のほぼ中央、初瀬川と寺川に挟まれた沖積地に
 立地する 弥生時代の大規模な環濠集落跡です。・・・・・ ”

Tawaramoto006
池を周回する道を行くとその西南角に楼門があります。

Tawaramoto007
道にあったレリーフやマンホールの蓋の絵、
これがその楼門です。

Tawaramoto008

” 平成3年秋、唐子・鍵遺跡の第47次調査において楼閣の
 描かれた土器片が出土し、古代建設史上、画期的な発見
 として大きく取り上げられました。・・・ ” とつづきます。

Tawaramoto009

弥生時代中期(紀元1世紀)のもので、
すでにこの時代には大陸文化を取り入れた建築物があったことを
証明する資料になった。 とも。

  Tawaramoto0101 Tawaramoto0102

2層の屋根、大きな渦巻き状の棟飾り、3羽の鳥と思われる
波線が、またもう1つの土器片には2本の柱と刻み梯子が・・・と
ありますが、こちらは撮っていません><

Tawaramoto011

この楼閣は高さ12.5m、柱の間隔4×5m、柱の太さ0.5m。

説明板には、
” また、魏志倭人伝(3世紀)には卑弥呼の宮室は「楼観、城柵を
 おごそかに設け・・・」と記されています。卑弥呼の住む邪馬台国
 にはこのような高い建物がそびえていたのでしょう ”とも。

今回の記事はほとんどが説明板からの引用。手抜きですm(__)m

楼閣から邪馬台国はみえるか?「国史跡 唐子・鍵遺跡」。
これもガイドマップのタイトルでした。^^;   

2009年6月26日 (金)

伊雑宮 御田植祭・続編

伊雑宮 御田植祭の続き、第2幕です。

勇壮な「竹取神事」が終わったあとは雰囲気が一転!
謡とはやしにあわせて、すげがさに紅白の衣装の早乙女らが
苗を植えていく「御田植神事」が始まります。

Otaue1
Otaue2

雨も上がり暑い日差しが照りつけるなか、
謡とはやし役、早乙女らが御料田に入ります。

Otaue21
御田植の開始です。

Otaue31
Otaue32
Otaue33

小謡にあわせてゆっくりと苗を植えていく早乙女ら・・・。

小謡九番がすむと中休みに。

Otaue4
早乙女らはいったん御料田から出ます。

このあと、若布(わかめ)の引張肴で酒宴、とありますが、
このあたりは遠くでよく分かりません。><

続いてはおくわか、さいわかによる「刺鳥差(さいとりさし)の舞」。

Otaue5
奉仕者全員が御料田に入り整列です。

Otaue61
Otaue62
どちらが”おくわか”か”さいわか”か分かりませんが・・・
その間15分ほどでしょうか。

舞が終わると続いて小謡十番から十八番までを唄い、
二回目の御田植です。

Otaue7
Otaue8
再び御料田に入る早乙女ら。

Otaue9_2
謡とはやしのなか、

  Otaue10_3
    Otaue11
ゆっくり、ゆっくりと苗が植えられていきます・・・。

Otaue12
小謡が十八番まで唄われると御田植神事が終わります。

Otaue13
田道人(たちど)に手を引かれて御料田から出る早乙女、
小学生でしょうか?^^

古来から脈々と受け継がれてきた伝統と歴史の重みを感じる、
伊雑宮 御田植祭(国重要無形文化財)。

祭はこのあと時間をおいて、
ここ御料田から伊雑宮一の鳥居まで練る「踊り込み」が
行われますが、この日はここまでで引き揚げました。

2009年6月25日 (木)

伊雑宮 御田植祭・志摩市

日本三大御田植祭(重要無形文化財)の1つに数えられる、
志摩市磯部の伊雑宮の御田植祭です。

千葉の香取神社、大阪の住吉大社とともに知られる御田植祭、
少々長くなりますが・・・まずはその1幕を。

Otaue001
祭りの前の伊雑宮拝殿です。

今年の受持ち地区での式・・・何というのか分かりませんが・・・、

Otaue0021
出発前の儀式が行われていました。

この後、伊雑宮へと・・・。

Otaue0022
一の鳥居前での修祓を受ける役の人たち。

この後、御正殿に参拝。

Otaue003
全員が神官のお祓いを受けます。
曇り、時々雨から晴れて、この時は晴れていたんですが・・・。

Otaue004
役の方が御料田に参集した頃には雨に・・・。

そぼ降る雨のなかで祭事が始まります。

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Otaue006
はじめは早乙女による早苗取り、
早乙女と田道人(たちど)は苗代を三週半して早苗を取ります。

そしてこの後「竹取神事」が始まります。

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勇壮な男達が団扇のついた忌竹(いみだけ)を奪いあいますが、
その前の泥かけ?

ここからは説明することもありません!
ただ写真を並べます。><

Otaue008
忌竹が倒されます。

Otaue009
Otaue010
忌竹の竹を取り合う男達!

Otaue011
ここから激しく竹を回します。

    Otaue0121
    Otaue0122

左周りから右回りに回しが変わります!

    Otaue0131
    Otaue0132_2
この間、短い時間です!疲れたか?男衆・・・、

Otaue014
この後すぐに「竹取神事」は終りました。

Otaue015

忌竹を手に引き揚げる男衆、
この後はメイン?の「御田植神事」へと続きます。

載せたい写真は多かれど・・・載せれば果てしなくつづきます><
とりあえず次はその「御田植神事」です。     24日
 

2009年6月24日 (水)

吉野山 吉水神社

奈良県吉野山にある「吉水神社」。

南朝皇居として知られ後醍醐天皇を祭神とし楠正成、
吉水院宗信法印を合祀している。

Yosimizu001
桜や紅葉の季節には何度も訪れていますが、
書院内を拝観するのは初めてです。

ここはまた、源義経一行が兄頼朝の追手を逃れ、
吉野に潜んだときの場所でもあります。

Yosimizu002
その「義経潜居の間」。
義経と静御前が暫しの時間をすごしたところ・・・。

居間の片隅には
Yosimizu0031
「弁慶思案の間」があります。

Yosimizu0032
その奥には義経の鎧(色々威腹巻・重文)が。

廊下を先に行くと、

Yosimizu004
「後醍醐天皇王座」がありました。

延元元年(1336)、京より免れた後醍醐天皇が吉野に潜幸、
ここ吉水院(当時)を南朝の行宮と定められる。

Yosimizu005
以後、南北朝の対立のなかで、
吉野朝4代57年にわたる歴史の舞台となります。

さらに奥へと・・・、

Yosimizu006
ここからは資料室、
吉野歴史の殿堂、古美術の宝庫・・・と栞に。

すべて載せたいほどですが、あまりにも数が多い!><
なかから、やはり興味のある義経関係の陳列ケースを。

Yosimizu007
義経、静御前、弁慶、佐藤忠信らが使用した品々が並びます。

Yosimizu008
こちらは静御前の鎧(よろい)、小さいです。
上が義経の使用した鐙(あぶみ)です、比べても!?!?
静御前の姿が想像できます。

Yosimizu009
書院の外に出てみました。
ここから見える先、入口へと戻ります。

Yosimizu010
この居間には「役の行者像」や、
豊臣秀吉が愛用した2対の金屏風があります。

そのひとつ、
Yosimizu0101
狩野永徳筆「桜の図(桃山時代前期)」。


しかしここ、すべて撮影可能というのもびっくりでした。

Yosimizu011

書院の内部を拝観して戻ってきましたが、
この書院、初期書院造りの代表的傑作でもあります。

義経・静御前の悲しい別れや、南朝の哀史に思いを馳せる一方、
太閤秀吉の絢爛たる文化をも偲ばれる・・・
そんな対照的な世界に魅せられた吉野山「吉水神社」でした。

2009年6月23日 (火)

吉野山 あじさいまつり

桜では全国的に有名な奈良の吉野山ですが、
初夏の花はやはりあじさいでした。><

只今開催中の(~7月7日まで)”吉野山あじさいまつり”です。

Yosino001
うたい文句が ”歩いて楽しい吉野山” 、
歩いて楽しい・・・その最初がここ七曲坂。

楽しいかどうかは・・・その人に任せるとして。

Yosino002
こちらは七曲遊歩道、
坂と遊歩道の違いは単純、坂は車道のまさに七曲・・・。

七曲坂をショートカットする遊歩道、楽しみ方はそれぞれです。^^

Yosino003
Yosino004
登るほど綺麗に咲いている(といってもまだ早い?かなとも)。
不思議な開花状況・・・これは日当たりの加減でしょうか?

Yosino005
こちらは七曲坂から・・・。

  Yosino0061
    Yosino0062
こちらは遊歩道から・・・マンネリです><
見える赤い橋は大橋、吉野下千本への入口です。

Yosino007
さすがに山?だけあってここまで来るのに大汗

    Yosino0081 
    Yosino0082
吉野山の入口でこんな大汗をかくとは・・・、
この日は雨でと覚悟していたんですが、いや~暑かった!

Yosino009
七曲りあじさい園。

そんな名前が付いているとは少しも知りませんでしたが、
今、まつりの真っ只中です。

Yosino010

メインイベントは6月27(土)28(日)の2日間!

春の桜、秋の紅葉、そして訪れた初夏のあじさいでしたが、
あまりの暑さ!><
さすがにこの日は”歩いて楽しい”を実感できませんでした。

2009年6月22日 (月)

初瀬街道・榛原から名張

雨模様のなか久しぶりに街道歩きでした。 

初瀬街道(はせかいどう)、
大阪玉造を起点に、奈良街道 暗がり峠越えから
奈良を南下する上街道を桜井へ、
道は初瀬街道となって榛原で伊勢本街道と分かれます。

Hase001
榛原にある伊勢本街道との分岐の道標です。
「右 いせ本かい道 左 あをこ江みち 」、
ここから初瀬街道は左の道を直進して行きます。

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この日はここから名張までほとんど見るべきところがない道ですが、
その榛原集落を抜ける旧道。

Hase003
古い旧家の残る街道筋に昔の面影が偲ばれます。

ここを過ぎると後は国道156号線と付かず離れず、
ほとんどがつまらない国道歩きになります。

名阪国道針インターからの交差点で北に、
ここからしばらくは三本松宿への静かな旧道歩きが楽しめます。

 Hase0041 Hase0042 
といってもほとんどが山間部、
森林浴に近い街道歩きが続きます。

Hase005
三本松集落の入口ですが、すぐに集落を抜けます。

Hase006
抜けると真下に近鉄大阪線の線路が。

Hase007
いつもは車窓で見る景色が広がります。

 Hase0081 Hase0082_3 
今回は逆に近鉄電車を見ることになりました。

残念ながら電車が通り過ぎるのを眺めるだけで・・・
一枚も写真が撮れていません。><

ここからすぐに室生区滝谷の道の駅、
先日に来たばかりのところにこの日は歩いて来てしまいました。

Hase009
三本松からは再び国道歩き、そしてここが県境、
奈良県大宇陀市から、三重県名張市に入ります。

あまり歓迎したくない国道歩きでした。

Hase010
国道から離れて道は宇陀川を沿うようにつづきますが、
途中にあった本居宣長の「菅笠日記」の碑。
一文が刻まれていますがこの街道筋では以前にも見ました。
それはまた行く先で・・・。

道は再び国道へ、そして名張の集落に入って行きます。

 Hase0111_2 Hase0112
この先の黒田橋を渡って左へ新町橋を渡ります。
さらに右へ折れると名張宿の新町、

Hase012

ここからはもう何度も紹介してきました初瀬街道・名張宿。

 Hase0131 Hase0132
旧街道の名残を残す町並みが続きます。

Hase014

この日は榛原から名張へと短い街道歩きでしたが、
歩きたいと思いながら歩き残していた初瀬街道。

ようやくそのほんの一部を歩いてみました。

2009年6月21日 (日)

談山神社

紅葉と蹴鞠で有名な奈良県桜井市の「談山神社」。

まったくのシーズンオフで何を目的にと言われると、
これまた困るんですがやはり”アジサイ”でした。^^;

Tanzan001
まぁ、観光客もほとんどいませんが・・・アジサイもまだまだ、
案内では”平地の花が終わった頃が当社の見頃”と・・・。

Tanzan002
しかしここは何と言っても紅葉の名所!
アジサイなんて見に来るほうが可笑しいかも。

Tanzan003
でもあるんですよ^^小さな”あじさい園”。
なぜかトイレの近くに行くほど綺麗に咲いているんです^^;

 Tanzan0041_2 Tanzan0042_2 
この日の受付は西入山口・・・あじさいの小径を受付へ行きます。
池のほとりに咲く”伊勢なでしこ”、これまたびっくり!

Tanzan005
Tanzan006
神廟拝所(旧講堂)、
秘仏”談峯如意輪観音像”が特別公開されていました。
小柄ながらチョッと小首をかしげたその姿に暫し見惚れます。

 Tanzan0071 Tanzan0072 
サツキとあじさい!
奥に見えるのは末社・総社の拝殿です。

Tanzan008
こちらは本殿前にあった”庵羅樹”、結実しています。
藤原鎌足長男の定慧(じょうえ)和尚が唐の国から持ち帰った
霊木と伝わるそうです。

 Tanzan009 Tanzan010 
”東西透廊、そして本殿です。
昔、紅葉の時に撮った構図と何も変わっていませんわ><

この日の目的はあくまでもアジサイでした、しかし^^

 Tanzan0131 Tanzan0132
単独で見ると綺麗なアジサイもありましたが・・・。

やはりここは紅葉がよろしいようで・・・、
最後はこちらです。

Tanzan011
十三重の塔。

でもこの時期です、

Tanzan012
秋の紅葉を意識して・・・><

静かな、静かな多武峰「淡山神社」、
そんな静寂の中でゆっくりと過ごしたひとときでした。

2009年6月20日 (土)

花の郷滝谷・花しょうぶ園

奈良県宇陀市室生区にある「花の郷滝谷」です。

600種100万本、春から夏への葉なの競演!
キャッチコピーのとおり、なんでもありの花の郷です^^;

Takitani001
入口を入ってすぐの園内です。
見えるのが「花しょうぶ園」、
この右手にあるのが「芝桜」と「てっせん」の道。

Takitani002
Takitani003
今は「花しょうぶ園」がメインですが、
すでに園内はアジサイも咲き始めていました。

とにかく何でもありです!見た順です。

 Takitani0041 Takitani0042
睡蓮池を見て右回りに「てっせん」の道へ、咲き残る「てっせん」。

 Takitani0043 Takitani0044
つるバラがありましたが、こちらも終り、
花しょうぶ園の道沿いに咲くゆり?でしょうね、なまえが???

※ 教えていただきましたスカシユリ、ありがとう!

Takitani005
ササユリも少々。

Takitani006
最奥にあります「ブルーベリーの丘」から入口方面、
ここも広いです。

そのブルーベリー、

Takitani0071_2
7月にはブルーベリー摘みが始まります。

Takitani0072
そしてシモツケ、まだこれからです。

 Takitani0073 Takitani0074
ノアザミにハギと・・・ありますねぇ。

  Takitani0081 
    Takitani0082
アジサイに、メインの「花しょうぶ」。

Takitani009 
こちらは小さい華?たち、
こんなところで園外活動なんていいですねぇ!

Takitani010
最後やはり「花しょうぶ」・・・。

そして戻ります。

Takitani011
見えるのは正面入口(受付)の建物。

ここも観光施設だけに園内は綺麗に整備され、
多くの散策路、探索路があります。
花だけではなく林の中の散策もまたよろしいかと^^
そんな「花の郷滝谷」でした。

2009年6月19日 (金)

関市板取

再び関市板取の「21世紀の森」です。^^;
今回は先の「あじさい庭園」の奥にあります「」。

「21世紀の森公園」のあじさいを見ながら遊歩道を上って
行きますと、途中にあったこの杉株です。

Kabusugi001

ここに来る途中にあじさいの下草刈をしていた作業員の方に、
ここには珍しい株杉の群生があると・・・話を聞いていました^^;

この株を見て思わず先を急ぎます!

Kabusugi002
「通行止」のゲートの手前に「」の案内板があります。

ここからは蕪山までの登山道(散策路)ですが、
その最初の部分が「」のようです。

ほんの入口部分だけでしたが入ってみました。

Kabusugi003
しばし唖然!の光景が目の前にありました。

Kabusugi004
動揺した訳ではないんですが、
杉の根元ばかり撮ってしまっています><
その上が大事なんです。
ご覧のように太い古株の上に何本もの幹が成立しています。

Kabusugi005
” ここ、奥牧谷は巨大株杉が集団で自生している
 全国的にも唯一の地域です ”と・・・。

” この林には100株以上が確認され、
 株の直径が1mを超えるものが30株あり、
 樹齢は大きなもので400年から500年と推定される” とも。

Kabusugi006

” 他の地域で見られる株杉は一般的にA型の天然木ですが、
 この地域のものはそのA型天然木であったものが、
 何回も伐採が繰り返されているうちに移行していったものです”
と説明版にありました。

1株の上に成立する幹は平均6本、多いものでは20本とも。

Kabusugi007
ほんのさわりだけでしたが、まぁ、凄いものです。

Kabusugi008
帰りの遊歩道で見たもうひとつの株杉。

後で調べたら「」は30分ほどで回れる範囲、
これはやはり散策しておくべきだったと・・・、あとのまつりです。

21mori

周りを山に囲まれる岐阜県関市板取地区に、
あじさいを求めて走った「アジサイロード」。

アジサイはまだ早すぎた「21世紀の森」でしたが、
その「株杉」にはびっくり!まさに驚きの森でした。

2009年6月18日 (木)

高賀神社・関市洞戸

岐阜県関市洞戸高賀にある「高賀神社(こうかじんじゃ)」です。

国道256号線高賀口の先を右折すると高賀の入口、谷戸地区。
ここに高賀神社遥拝所の高賀神水庵があります。

Koka001
以前に来たときの面影はまったくありません、
これはもう立派な施設です。
多くの方が次から次と水を汲みに来ています。

Koka002
神水庵の置くに鎮座する龍神?
こんなのがあった記憶がないんですが・・・
御神水場も立派になっていました。

そしてその前にある遥拝所です。

Koka003
ここから北に3キロほど行くと「高賀神社」があります。

行きました!高賀渓谷に沿って山に延びる道、

Koka004
突き当たると、ど~ん!とそびえる大鳥居。

ここ、高賀の郷の象徴のひとつで、
御影石の鳥居としては日本最大だそうです。

 Koka0051 Koka0052
橋の袂の狛犬ですが、
かっては本殿の廊下に置かれていたという
円空作の狛犬を模したもの・・・。
実物は円空記念館にあります。

” 大鳥居をくぐると今もなお 大自然の四季の香りが漂う
 伝統と信仰の里 高賀神社へと道はつづきます ” と栞に。

Koka006
こちらが一の鳥居でしょうか?

Koka007
拝殿への石段下には二の鳥居があります。

Koka008
Koka009
拝殿と本殿。

” 高賀神社には全宇宙の中心の神といわれる
 天之御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)をはじめ
 20数柱の神々が祀られています ” と。

境内にありました「高光公とさるとらへび」の像。

Koka010
ここにも伝説がありました。
平安時代に村上天皇の勅命を受けた藤原高光公は
高賀山中に棲み、妖魔猿虎蛇(顔は猿、体は虎。尾は蛇に似る)
を退治したという・・・。
伝説は神社の由来へと続きますが省略します。><

Koka011
同じく境内にある「円空記念館」です。

円空が彫ったといわれる仏像30体、狛犬、
そして円空歌集などが展示されています。

Koka012
里の横を流れる高賀川、
流れは下って高賀渓谷となり、やがては板取川へと注ぎます。

伝説と神話の継承地・・・まぁ、凄いところですが、
その高賀癒しの郷に鎮座する「高賀神社」でした。

2009年6月16日 (火)

二見しょうぶロマンの森

こんなにこの道(国道42号二見町江)が混むとは?
思っていなかった渋滞にハマって急遽ルートを変更、
聞けばこの日は「ふたみしょうぶフェスタ」でした・・・。

三重県伊勢市二見町松下にある「二見しょうぶロマンの森」です。

Futami001
「民話の駅 蘇民」は人でごった返していました。

皆さんの目的(自分もですが><)はこちらです。

Futami002
道の駅の裏、その先にある「ふたみしょうぶロマンの森」、
その”花しょうぶ園”でした。

Futami003
整備された綺麗な遊歩道を行くと最初のしょうぶ園に。

開花情報では満開でしたが・・・。
この花しょうぶ園!ここから少し途切れます、
その間を埋めるように咲くアジサイ!

 Futami0041_2 Futami0042
以前紹介した亀山公園のアジサイと花しょうぶの競演!
それがここにもありました。><

Futami005
花しょうぶを見に来ているのか?アジサイか?と悩みますが、
どちらも素敵です。

Futami006
Futami007
満開との開花情報が不思議なんですが、
まぁそれはまだ先にある花しょうぶ園までお預けで・・・。

広いです!まさに「ロマンの森」。

Futami008
ちょうど中間部分ですかね。
まだ先に続く花しょうぶ園です。

 Futami0091 Futami0092
途中で逢ったゆるキャラの”花照(はなてらす)ちゃん”で~す^^
歓迎あいせつを受けてこちらはさらに奥へ。

Futami010 
ここが最奥、振り返っています。
その広さ1haとか、言われても分かりませんが・・・これが?です。

戻ります。

Futami011
帰り?は花を愛でながらゆっくりと・・・。

 Futami0121 Futami0122
花しょうぶも良し、アジサイも良し、両方が見れて贅沢三昧。

Futami013
ここが周回してきたしょうぶ園の最後のところ。
咲き乱れる花がまばらに見えるのはこの広さでしょうか?

「二見しょうぶロマンの森」。
ここは今も蘇民将来の民話が息づく地でもあります。   13日

2009年6月15日 (月)

板取アジサイロード

「あじさいの山寺 三光寺」からそのまま関市板取へと向かいます。
もちろん目的はアジサイでした。

板取川沿いの国道256号線と県道52号線。
その道沿いに24キロにわたりアジサイが植えられていて、
季節には約7万本のアジサイが咲く”アジサイロード”です。

アジサイロードを走りながら、
道筋にある3つの「アジサイ園」を回ってみました。

板取に入ってまず最初にあるのが「白谷あじさい園」。

Itadori001
国道から少し離れますが、
道の左右に植えられたアジサイもまだ開花は少ないです。

Itadori002
Itadori003 
園内もほとんど咲いていません。

Itadori32 
山の中でやや寂しいですが、
小池や東屋もあって明るい感じの園内です。
入口の石には「あじさい園 ユネスコの森」と刻まれていました。

ここからさらに走ると一里保木の道路沿いに見事なアジサイ園が。

Itadori004
ここは駐車して見ることができます。

見える軽トラは作業員の人たちのもので園内の手入れ中でした。

Itadori005
Itadori006
上は遊歩道入口、ここから園内を散策できるようですが、
下草刈りの作業中のため少し登って戻ります。

Itadori007
6月20日(土)から始まる「板取あじさいまつり」に向けての
準備でしょうか?多くの方が作業中でした。

さらに道を北上して行きます。
国道256号線から県道52号線に入り板取の中心部へ。

Itadori008
すぐに「21世紀の森」の看板を見て右折、
長い公園へのアプローチです。

Itadori009
駐車場から続く遊歩道です。

ここは関の道ウオーキングコースのひとつ、
「21世紀の森蕪山(かぶらやま)コース」。

Itadori010
その入口部分がこの「あじさい庭園」、
ここに約3万株のあじさいが咲きますが・・・今はまだ^^。

Itadori011 
Itadori012
遊歩道をハイキングコースの入口まで歩いてみました。
山道の自然観察路までは舗装されていますが少し登ります。

Itadori013
山の麓に造られた「21世紀の森公園」、
20日からの「あじさいまつり」はここがメイン会場になるようです。
イベント開催は6月27日(土)・28日(日)。

「関市板取アジサイロード」、
この先も続いていますが今回はここまででした。   12日

2009年6月14日 (日)

あじさいの山寺 三光寺

岐阜県山形市富永にある「三光寺」、
山アジサイ、額アジサイの咲く”あじさい寺”として知られています。

Sankoji001
その数、140余品種・8,000株にも及ぶとも・・・。

Sankoji002
山アジサイ、額アジサイだけに早い開花か?と思いましたが、
この日はまだ早すぎました。

咲き誇る・・・と言うまでにはまだ1週間ほどかと。

と言ってもこのヤマアジサイ系はホンアジサイなどに比べて
ボリューム感がありません。

  Sankoji0031
    Sankoji0032
しかし写真に撮るには楽しいターゲットです。

Sankoji004
境内に咲く紫陽花、
もちろん個々に名前はありますが・・・。

Sankoji0051 
Sankoji0052
ひときわ目を引いたのがこの”紅(クレナイ)”、
小ぶりですが鮮やかな赤い萼の装飾花がまた綺麗です。

Sankoji006
Sankoji007
雨に似合う花の代表ですが、
陽光に透ける萼片もまたそれなりに・・・。

    Sankoji008

”あじさいの小庭ここにあり・・・その姿花曼荼羅の如し”と。

    Sankoji0091
    Sankoji0092
この日の咲き様ではどうしてもアップが主になってしまいました。

Sankoji010

満開の山アジサイ、額アジサイ!
あらためて見たいと思いながら、撮れば同じかと自問しつつ。

”紫陽花や  藪(やぶ)を小庭の  別座敷” 芭蕉 。

「アジサイの山寺 三光寺」でした。   12日

2009年6月13日 (土)

四條流包丁式

古くなりますが特に時期外れのものでもないため敢えて・・・、
多賀大社の御田植祭の前に行われた「四條流包丁式」です。

祭りの下調べをしていて境内に戻ったら、
すでに境内の能舞台で始まっていました。

置いてあったパンフレットには「包丁道 正派四條流」と。

Sijyo001
途中からです。

Sijyo002

以前に神宮の内宮参集殿・能舞台で
「古式四條流儀式包丁道」を初めて見ましたが、
その時は珍しい鳥を使っての包丁式でした。

今回は魚です。

 Sijyo003 Sijyo005
俎(まないた)にもそれぞれに決まり事があるようですが、
難しいことは別にして・・・。
包丁だけで魚が捌かれていきます。

Sijyo006
ちょうどモニターが設置され上からの様子が分かります。

Sijyo007_2
Sijyo008
「包丁道」についての解説はできません、
この捌きの意味も正直分かりませんが・・・御題は「波寄せ鯛」と。

Sijyo009
今度は紙ですかね?(モニターから)。

Sijyo010
Sijyo011
先ほどの魚身と同じ捌き方で紙を切っています。
ここまでは「包丁人」?が担当。

Sijyo012
ここからは「納人」の役割でしょうか、
三方の上には料理された魚(鯛)・・・。

 Sijyo013 Sijyo014
包丁道の腕前吟味ですかね?

Sijyo015
再び三方に戻して・・・こちらは後見人でしょうか?に検分です。

Sijyo016
最後は俎を綺麗に拭いて終わります(モニターから)。

「四條流包丁式」~波寄せ鯛~の儀式、
解説がないので何も細かいことは分かりませんが・・・、
撮った写真をそのまま順番に載せてみました。

2009年6月11日 (木)

いがまち散策・白藤の滝

亀山市から向かった次の目的地は伊賀市の西之沢でした。

これも新聞記事の後追いでその地に咲く”ノハナショウブ”、
絶滅の危機にあるノハナショウブを自分の水田に移して世話を
されているという・・・、その方の水田。

地元の方に聞けども場所不明!道筋ではないと知りながら
近くまで行ってるはずなんですが?入口が分かりません><
走り回った挙句に初めて目的地を外しました。

このまま手ぶらで帰る訳にはいけません!
「いがまち散策」、季節外れでしたが新緑の「白藤の滝」へ。

Sirafuji001
滝の入口広場にある石標と「白石不動尊」。

滝道への入口です。

Sirafuji002
ここから少し谷に下ります。

Sirafuji003 
途中の滝道、

Sirafuji004 
滝道から見る渓流?滝の音が聞こえていますが、
滝は赤い橋の向こうに・・・。^^

 Sirafuji0051 Sirafuji0052
滝道を下りて橋に近づくと滝が見えます。

Sirafuji006
    Sirafuji007
新緑の中の白藤滝。

          Sirafuji008 
ここは伊賀では紅葉の名所!
滝の周囲の新緑が秋には真っ赤に染まります・・・が、
いまだにそんな素晴らしい紅葉を見ていません。><

  Sirafuji0091         
     Sirafuji0092_3
水量のためか滝が大きく見えますが・・・落差15メートル。

Sirafuji011
落ちた滝水は渓流となって谷へ流れ込みます・・・。

Sirafuji012

”ノハナショウブ”は見逃しましたが・・・「白藤の滝」、
走り回った後での新緑と滝は一服の清涼剤でした。    

2009年6月 9日 (火)

多賀大社御田植祭

7日(日)に行われた滋賀県多賀町、多賀大社の「御田植祭」です。

午後1時から始まる本殿祭のため、
本殿に向かう早乙女姿の豊年講員子女奉仕の子女たち。

Taga001
Taga002
本殿にて参加者全員が御祓いを受けます。

終わる前に・・・御新田に向かいました。

Taga003
ちょうど”豊年太鼓踊り”の方たちが神田に入るところ、
この後舞台で踊りが奉じられます。

Taga004
本殿祭を終えた早乙女たちが神田へ。

Taga005
神職を先頭に4面の水田を回ります。

 Taga006 Taga007
早乙女姿の子女は御田植踊りとお田植えを、
あやめ笠の子女は御田植唄を受け持ちます。

横に見えた初老のご婦人が、
昔は彦根の芸妓さんがたくさん来て唄ったと・・・。

Taga008
神田の畦道を回り終わった早乙女たちが位置に着きます。

 Taga009 Taga010 
舞台?では御神田神事 御湯の式が始まりました。
意味は分かりませんが・・・湯釜に入れた榊で湯が撒かれます・・・。

神事が終わって、

Taga011
早乙女たちが水田に入ります。

 Taga0121 Taga0122_2
御田植えの始まりです。
御田植唄と踊りに合わせて早苗を植えてゆく早乙女たち。

68人の子女奉仕が参加しているそうですが・・・、
4面の神田に入るのは半分の子女たち、子供です!

 Taga0131_2 Taga0132_2     
後ろに下がりながらの抜き足が難しそうですが・・・、
皆さん真剣です。

    Taga141_2
    Taga0142
この日は曇天の中での田植えで意外と寒く、
見ていても気になるほど・・・。

Taga015
田植えの途中にも、
御田植唄と御田植踊りが入ります。

Taga016
2枚はほとんど終わりましたが・・・残りの2枚はまだ、
やはり年齢差が出てしまいますか?

田植えが行われている間にも舞台では御神楽「弓の舞」、
尾張万歳が行われています。

Taga017
最後まで見たい気持ちはありましたが、
今にも降り出しそうな空模様とあまりの寒さに引き揚げます。

初めての多賀大社「御田植祭」。
”早乙女になる子が少なくなった・・・”、
地元の方の言葉にうなずきながら御神田を後にしました。 

2009年6月 8日 (月)

筒井町天王祭

名古屋市緑区の有松から、午後は同じく名古屋の東区筒井町へ、
この日は祭りのハシゴでした。

「筒井町天王祭」、
山車の曳き回しがあるとのことで行きましたが、
何の資料もありません・・・ネット頼みでした。

筒井町須佐之男神社(天王社)の祭礼。

Tutui001
建中寺山門前に待機する「神皇車」。
山門右手に須佐之男神社(天王社)があります。

Tutui002
奉曵前に山車は天王社(右手奥にチラリと見える)前へ。

Tutui003
出発前のからくり人形奉納?実演、
煙の中から神功皇后が鬼となって・・・と早変わりですが、
ここは省略です><

午後1時30分、

 Tutui0041 Tutui0042
山車の奉曵(町内曳き回し)が始まりました!

Tutui005
すぐに商店街に入りますが、
いきなり山車の方向転換(”どんでん”というそうです)です。

 Tutui0051 Tutui0052
商店街に出た山車は真っ直ぐ東に向かいます。

先の筒井町4丁目にも「天王社」があり、
こちらの山車は「湯取車」。(ともに市指定有形民俗文化財)。

二台の山車が出会います。

Tutui006
お互いの関係者が挨拶、

Tutui007
すれ違って「湯取車」が前に出ます。

Tutui008
向きを変えるため”だんだん”をする「神皇車」、
車を持ち上げ一気に回して降ろします。

Tutui009 
Tutui010
2台の山車が並んで今度は西に戻ります。

Tutui011 
「湯取車」の”からくり人形”実演。
巫女が釜に顔を近づけると飛び散る紙吹雪!
これは釜のお湯を飛ばして何かを占う仕草でしょうか?

そして商店街の交差点を曲がって南へ方向転換。

Tutui012 

この後は車道に向かってさらに奉曵が続くとのことですが、
この日の昼間はここまで、
後は山車にぼんぼりが付けられて夜の奉曳になります。

やはり祭りのメインは夜でした。     6月6日

2009年6月 7日 (日)

有松絞りまつり

祭りが集中していました6月の第一週末でしたが、
土曜日に行われた朝からのまつりは限られていました><

その中から出かけたのはここ、

Arimatu001
すでにテープカットの準備が進んでいましたが、
名古屋市緑区有松の「有松絞りまつり」でした。

すぐにパレードが始まり、まつりのスタートです。

  Arimatu002 Arimatu003_2
名古屋市消防音楽隊とマーチング隊、
絞りメイツと中日フォトメイツのパレードです。

Arimatu004
旧東海道有松の街道筋に掲げられた”絞り大のれん”、
まつりの期間は 凄い人出と・・・知っていましたが><

町筋には各町の山車が曳き出されています。

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  布袋車、              唐子車

Arimatu006
そして、神功皇后車、
各山車のからくり人形が実演されます。

このまつり、特に祭りらしきものはありません、
やはり絞り!これがメインです。

Arimatu007

ここは旧東海道の池鯉附宿と鳴海宿の”間の宿”。
そこにに生まれた有松絞り、
以来・・・ここは東海道の絞りの町として有名になります。

Arimatu008
ここにもありましたゆるキャラ、”しぼりーちゃん”。

Arimatu009
何回か載せました有松の旧東海道筋ですが、
さすがに祭りとなると人出が違います。

 Arimatu0101 Arimatu0102
古い商家の軒先に展示されている有松絞りの衣装。

Arimatu011
いつもは閉ざされているはずのお寺ですが、
この日は本堂も拝観自由でした、しかし・・・、

これは?

 Arimatu0121 Arimatu0122 
驚きました^^;「辻が花染め衣装展」。

宝塚歌劇団星組公演で、安蘭けいさんが着用したという、
4点の衣装が本堂に展示されていました。
その横では「匠の世界 絞り実演」です。

Arimatu013
そしてここが有松宿の出口、
ここから東海道鳴海宿まではすぐ。

Arimatu014
Arimatu015
道筋を帰りながら・・・、
園児の絞りTシャツ、買い物客のこれも見事な絞りの姿。

「有松絞りまつり」。
やはり普通の祭りではないと思いながら・・・次へ。

2009年6月 6日 (土)

上野森林公園・初夏

三重県伊賀市の「三重県上野森林公園」、
年に一度は載せているところですが今回は初夏編です。

何度も来ていながら花木に恵まれずにボツにすることが多く、
この日もあまり期待はしていなかったんですが・・・。

いつものように北のエリア「活動と健康の森」の”散策の道”へ。

Sinrin001
途中にある”風のとりで”です。

この道がいちばん花木を見ることができる道。

 Sinrin0021_2 Sinrin0022 
最初に見た木の花、ソヨゴです。
この木は雌雄異株で、左は雄花、右は雌花です。
雄花は枝分かれした先に3-8個の花柄、雌花は1個です。

道は北側のエリアの外回り。

Sinrin003
ネジキの可憐な花。

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テリハノイバラ。
チョッと見落としそうな斜面に咲いていました。

Sinrin005
目の前を飛ぶ・・・アブ?ですかね^^;
 ※ 茶太郎さんから「くまばち」とコメントいただきました、
    ありがとうございました。

道を一周して内周の”水辺の道”に入ります。

 Sinrin0061 Sinrin0062
”水辺のテラス”と”サギソウ園”、今はまだ花はありません。

ここからいったん”風のとりで”に出て、
南のエリア「観察の森」を周遊する「かたらいの道」に入ります。
このエリアには枝道がたくさんあり好きな道を散策できますが、
基本的には”かたらいの道”に 戻ります。

Sinrin007_2
”観察広場”で咲いていたノアザミ。

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途中にある”カブトムシの森”。

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道沿いに咲くナツハゼ。

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スイカズラ、と木々の花も多く見ました。

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”こもれびの道”の入り口に咲くシライトソウ。

 Sinrin0121 Sinrin0122
その先にはスイレンの咲く池があります。

”かたらいの道”に戻って最後に見つけた花、

Sinrin013
キキョウソウ、初対面でした。
別名がダンダンギキョウとも言うそうです。

公園内を一周して駐車場に戻ります。

 Sinrin0141 Sinrin0142
駐車場の前にあります”湿生植物園”、
キショウブが咲いていました。

そしてその横には家族連れに人気の芝生ひろば、

Sinrin015
”陽だまりの丘”があります。

行く当てもなく訪れた「三重県上野森林公園」。

またまた花木図鑑になってしまいましたが、
快晴のなかでの初夏のひとときでした。   6月1日

2009年6月 4日 (木)

油ケ淵花しょうぶ園

愛知県碧南市西端地区にあります「油ケ淵花しょうぶ園」です。

開花情報では7~8分咲き!とありました、
只今「花しょうぶまつり」開催中(~25日まで)。

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東側の入口から。

Aburabuti002 
しょうぶ園沿いに見て行きました。

Aburabuti003
東屋に噴水、赤い橋と、花より園内の造りが気になります。^^

  Aburabuti0041 
    Aburabuti0042
メインの花しょうぶ園には
19,000㎡の敷地に110品種3万株が植栽 されていると。

園地西側の小山の横にも一面、

Aburabuti0051 
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こちらもまだ蕾が多く見られます。

まつりのイベントは14日までの毎週土・日で4日間、
その頃には花も満開ではないかと・・・。

Aburabuti006
園地の中央部にある東屋。

ひとしきり花を愛でて・・・、
気になっていた、こちらの六角堂。

Aburabuti007_2
「如光堂」。
説明板には”蓮如上人を三河に案内した佐々木如光は
        西端に生まれたという・・・”と、蓮如上人?

道を挟んだところにあるこのお寺です。

Aburabuti008
「松光山 応仁寺」。
応仁2年(1468)蓮如上人がこの地に滞在し真宗布教につとめ、
その根拠地として建てられた上人ゆかりの寺、と。

Aburabuti009
本堂は昭和20年の三河地震で倒壊、
昭和32年(1957)地元民の手によって再建されたそうです。
このお寺は蓮如上人がこの地を去って以来500年以上、
今も住職、檀家も無く地元の方の手で守られています。

花しょうぶまつりの期間中だけでしょうか?
本堂公開中でした。

この応仁寺の境内にも花しょうぶ園がありました。

Aburabuti010

このあとは、西端地区の町なか散歩へと、
整備された”哲学の小径”という散策路を行きます。

2009年6月 2日 (火)

飛騨安国寺

岐阜県高山市国府町にあります「安国寺」、
国道の案内板「国宝安国寺経蔵」を見て立ち寄りです。

相変わらずの行き当たりばったりでした。

Ankokuji001
四脚門の見事な山門、奥に見えるのは玄関です。

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足利尊氏、直義(ただよし)兄弟が、
国土安泰を祈り全国に建立した安国寺の一つ。
正平2年(1347年)の創建。

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臨済宗妙心寺派の寺院で山号は太平山といい、
本尊は釈迦如来。

Ankokuji004
庫裏と、

Ankokuji005
本堂です。

”拝観は予約制・・・”と、玄関の柱の下に小さな案内板が・・・。

Ankokuji006
本堂左手には薬師堂と、

Ankokuji007
開山堂が並んで建ちます。

その奥に国宝の経蔵がありました。

Ankokuji008
しかし・・・、>< 石段下で立入禁止です。

見える範囲で撮影、

Ankokuji009
これだけ離れていると造りも分かりません、
これはもうネット頼みでした。

”応永15年(1408)の建築。入母屋造、杮葺き”。

Ankokuji010
この建物の内部には輪蔵(回転式の経蔵)があり、
”年代の明らかな輪蔵として日本最古のものとして貴重である”と。

まぁ、そこは国宝。
観たいとは思いましたが・・・、ここは引き揚げです。

Ankokuji011
咲いている花はカキツバタ。

「国宝・安国寺経蔵」、
飛騨の町、国府にある唯一の国宝を訪ねて・・・とは大げさですが、
チョイと立ち寄りでその一部を観てきました。

2009年6月 1日 (月)

花の森四十八滝山野草花園

宇津江四十八滝のもうひとつの目的は
滝に隣接する「花の森・四十八滝山野草花園」でした。

10万本のクリンソウが咲くという、その園内へ。

Kurin001
”自然の地形を活かし、白樺、ホウノ木、トチ、ヒノキなどの
森林のなかに、野の花や山の花の群生が広がる”とありますが、
アプローチを行くと森の一部が残る広大な山野草園が・・・。

そこに咲くクリンソウです!

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森の斜面に植栽されたクリンソウ。

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28,000㎡の広さの(といっても実感がない><)花園に、
約100,000本のクリンソウが咲いています。

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花園にはアジサイ、そしてササユリも植栽されています。

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クリンソウ、
名の由来はいろいろありますが、花が下から順に咲き上がって
何段にも重なって咲くというのが一般的。

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一方では、花の姿が五重の塔などの上に立つ九輪(宝輪)に
例えられることからと・・・、私的にはこの由来がいいですね^^;

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斜面に咲いているため、下から横から、上からと
眺めは自在に・・・。

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普通のお花畑と違って森の中に咲く花、
斜面を縦横に延びる散策路を巡れば自然と森林浴です。^^

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クリンソウの後はササユリ、そしてアジサイと続くそうです。

ササユリ、アジサイの競演!これもまた良し、
「花の森・四十八滝山野草花園」、開園期間は8月初旬まで。

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