京都大原・寂光院
「桂離宮」参観の前に訪れた大原の「寂光院」、
放火による本堂全焼という悲しい出来事は今でも忘れられません。
新しい本堂が落慶してから数度訪れていますが、
まともに記事にするのは初めてです。
この日は静かな大原の里でした。
人のいないこんな参道は初めて、
思わず何度も立止まっての撮影です^^;
苔むす屋根の茶室「弧雲」の門を見て、
山門をくぐリます。
正面に復元された新しい「本堂」、
本尊は聖徳太子作と伝えられる「六万体地蔵尊(重文)」。
天台宗の尼寺で、山号は清香山、寺号を玉泉寺。
推古2年(594)に聖徳太子が、
父・用明天皇の菩提を弔うために建立された。
ここから案内順路に従って拝観していきます。
本堂手前右側にある南蛮鉄の雪見燈籠。
太閤豊臣秀吉の寄進によるもので桃山城にあったのを移したもの。
回り込むと回遊式四方正面の庭園。
最奥には岩清水を引いた”玉すだれの泉”という 三段の瀧が落ち
(写真ではよく見えません><)、
林泉、木立、清浄の池として表現されている。
本堂内、御本尊を拝観して戻ります。
本堂手前左側には、
心字池を取囲むように、千年の姫小松(本堂火災により枯死)、
苔むした石、汀の桜などがあり、
平家物語大原行幸・・・その当時のままと。
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理を顕す
建礼門院徳子は、文治元年(1185)9月に入寺し、
「真如覚比丘尼」となる。
そして平家一門と、我が子安徳天皇の菩提を弔い、
終生をこの地で過ごし閑居御所とされた・・・。
大原行幸諸行無常の寺「寂光院」、
静かなる山里にあらためて古の思いを感じたひとときでした。
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暫く御無沙汰の大原の地
この寺院は少し離れているので
時折、人が居ない時間帯に出くわす事があります
良いタイミングでしたね
再建された本堂も風雪で少し黒ずんできたので
周りの風景に溶け込みだしましたね
投稿: 雪だるま | 2009年4月20日 (月) 05時35分
雪だるまさん
この日の拝観者は滞在中に十数人でした。^^
訪れるたびに入り口で”さよなら”をするんですが、
やはり時間的にタイミングが良かったようです。
本堂も仰るとおり、落慶当初に比べるとずいぶんと
らしくなっていますね。
大原に行くとここにはやはり入山に関係なく
足を延ばしてしまいます。
投稿: 好好爺 | 2009年4月20日 (月) 17時19分
お久です。
放火で焼けたあと、既にもう復旧していたんですね。
三千院までは行っても、ここはまだ焼跡というイメージがあり、
もう十数年、足を運んでおりませんでした。
人が多い時は、イマイチ絵になりにくいところですが、
これだけ閑散としていたら、やはりそれなりに風情がありますねえ。
でも自分には、こんなタイミングには巡り合えんのでしょうけど。
投稿: Iga | 2009年4月21日 (火) 00時22分
最後から二番目の写真にある 黄色い花は 何の花ですか?
山吹にしては 花の一つづつが 大きいように見えますが・・・
分かりましたら 教えて下さい。
投稿: ビズー | 2009年4月21日 (火) 05時28分
Igaさん
はい、新しい本堂落慶から4年になりますね。
三千院に比べると観光客は少ないほうですが、
しかしこの日の寂光院はさらに少ない観光客でした。
こんな写真が撮れるとは思いもしませんでしたが、
まぁ、ラッキーでした。
やはり平日に動けるからということでしょうか。
ビズーさん
ずばり!山吹です。
>花の一つづつが 大きいように
花を手前にして撮っているためその分大きく見えます。
沙羅双樹なら申し分ないんですが・・・
そうはうまくいきませんね^^
投稿: 好好爺 | 2009年4月21日 (火) 16時55分