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2009年4月21日 (火)

陽夫多神社・鞨鼓踊り

地域に根付く伝統行事は数多くありますが、
この日は三重県伊賀市馬場にあります「陽夫多(やぶた)神社」の
春祭「鞨鼓踊り」でした。    20日

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祭神はあの”須佐之男命”、えぇ~と思いながら・・・、春祭です^^;

Yabuta002
”鞨鼓踊り”
360年前の寛永年間に始まるとされ、
大江にあった火明(ほあかし)神社で夏祭りに行われていたもの。

Yafuta003
明治41年に陽夫多神社に合祀されてからは
春祭(4月20日)に行われている・・・と。

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農耕の予祝神事としてはじまる民族行事の一つとして、

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干ばつのときは雨乞い踊り、
平穏なときは豊年踊りとして行われる・・・。

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踊り子は頭に山鳥の尾、
背中にはオチズイと呼ばれる桜傘を模した飾りを付け、

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前には鞨鼓を付け、踊り歌と太鼓、
ほら貝(子供が吹きます)の音に合わせて鞨鼓を叩きながら
赤鬼、青鬼とともに踊リます。

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Yafuta0072_2
踊りは14種類あると言われるも伝える書はなく・・・、
口伝により残るのは9種類だとか。

この日の踊りは”信玄踊り”、と”鐘巻”踊り。
えぇ、鐘巻!あの安珍・清姫?・・・ではありませんが、
どうも物語りはその筋書きのようでした。

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踊りは今までの静かな動きから一転!激しく動きます。
女の怨念が鐘を巻いて焼き潰す・・・。

今まで動きのなかった踊りが最高潮となって終幕です。

Yafuta010
踊りの奉納を終えて戻られる大江地区の皆さんたち・・・。

伊賀市指定無形民族文化財、陽夫多神社の春祭・鞨鼓踊り。
ここにも歴史のある郷土の伝統行事がありました。

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コメント

まだ 九種類もの踊りが 残っているのですね!
陽夫多神社とか 火明神社とか 読めないので 何やら古事記にでもでてきそうだな・・・
などと 思いながら見ています。
男性ばかりなのに オチズイが 優しさと華やかさを 醸し出していますね・・・
「祭りの色」心魅かれます  伊賀という所 いろいろ残っていていいところですね。 

ビズーさん
本文訂正、残る5種類は口伝がなく分からないそうです。

古事記:八雲立つ出雲八重垣妻ごみに
     八重垣作るその八重垣を・・・。
神社の祭神、須佐之男命が詠んだ歌、まさに古事記です^^
境内にで~~ん!と立派な歌碑がありました。
鞨鼓踊り、オチズイの華やかさとは別に動きの少ない、
実に静かで優しい踊りです。
    

松江には 八重垣神社があります。そこも八雲立つ出雲八重垣・・・とあります。
神様が会議を 終えられ 発って行かれるのが 神立ち橋(かんだちばし)、もあります。
ちなみに 11月は こちらでは 神在り月と申します。
この 出雲地方は まさに古事記の世界ですが 伊賀と出雲のつながりどうなっているのでしょう。

歌碑があると いうだけで 何か勘違いしてたかもしれません。
こちらの八重垣神社には 鞨鼓踊りもありませんし 伊賀の独特の文化として
受け継がれているのでしょう。
うむ〜 ・・・??・須佐之男命は天の高い所で 八雲立つ出雲八重垣妻ごみに
八重垣作るその八重垣を・・・と詠まれたので 各地に響いたのかも知れません。
ネ・・・!

ビズーさん
須佐之男命が詠んだ歌は祭神とする神社によくあることです。

古事記に由来することは事実ですが、
歌碑はこの神社の一つの思い入れでしょう。
鞨鼓踊りは地方に根付く神えの風習で、
古来からの雨乞いの慣わしが伝えられるものです。
それほど深い意味はないと思います^^

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