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2009年4月30日 (木)

津島市散策と藤まつり

津島神社神苑の”つつじ”を見てそのまま東へ歩くと本町通、
南北に延びるこの通りはかっての津島上街道。

名古屋の新川橋で美濃路から分岐し
甚目寺、木田、勝幡を経て津島に入る道です。 

本町筋の上街道をほんのちょっぴり歩いて、
旧道に残る津島の古い町並みを散策しました。

Tusima001_2
本町筋にある「観光交流センター」で資料を入手。

昭和4年に立てられた銀行の建物がこの4月に観光拠点として
生まれ変わりました。
津島市初の鉄筋コンクリート造りで「復興式」と呼ばれる
建築様式だそうです。

 Tusima0021 Tusima0022
館内には天王祭のまきわら舟の提灯や、
秋まつりのからくり人形などが展示されています。

さて、旧街道です。

Tusima003_2
本町筋の北にある本町交差路から旧街道筋を行きます。

Tusima004_2
古い町並みの面影を残す街道筋。

Tusima005
街道にはいくつかの井戸が見られます。

まず目に入るのが「上切の井戸」、
”津島地方は木曽川の伏流水が多く、古地図にはいくつかの
街角に辻井や井戸が記入されている”と。

Tusima006
こちらは「堤下神社(とうげじんじゃ)の井戸」、
”津島神社を遥拝する御手洗の井戸として使われ、
また、近隣の住民の生活用水として使われた・・・”とも。

Tusima007_2
黒塀に見越しの松、よろしいなぁ、これぞ街道ならでの風景です!
ここからすぐ先にある道標、

Tusima008_2 
津島の歴史の古さを伝える道標といわれます。

そしてすぐに津島下街道分岐、

Tusima009 
橋詰三叉路。
上街道と下街道の分岐でもあり街道の起点です。

旧上街道はここで終ります。
ここから西に向かえば海津高須への高須街道、
南下すれば埋田の追分で佐屋街道に合流しますが、
どうやら下街道と呼ばれる道は佐屋街道が一般的なようです。
ここにも旧街道の歴史があります。

このすぐ先が本町筋、ここにも井戸がありました。

Tusima010 
「坂口町の井戸」、
辻井の形態を残す花崗岩の方形石組みの井戸で、
朝早くから近隣の住民が水を汲みに来て賑わたことから、
夜明けの時を知った・・・とか。

町中散策、たくさんの見所がありましたが最後はここ、

Tusima011
「稚児門」。
川祭祭礼当日、乗船する稚児が門外の水路から小船で
本船に向かったところ・・・だそうですが、
瑞泉寺と言う立派なお寺の幼稚園の前にありました。

津島の町中を巡って来ましたが、
最後はやはり「尾張津島の藤まつり」を載せないわけには・・・^^;

    Tusima012_2
    Tusima013
満開は過ぎてあまり気合が入りませんでしたが・・・、
下は八重の藤、「八重黒竜藤」 です。

Tusima014
いつまで持つか?そんな気がしましたが、
二度目となると今一つ魅力に欠けて・・・身が入りません><

信長。秀吉が見つめた尾張津島の春!
サクラとフジとツツジと旧街道の町中散策、
今年はすべてを見せてもらいました^^      28日

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