阿波十郎兵衛屋敷・徳島
「ひなめぐり」は終わりましたがこちらはまだ旅の途中、
東かがわ市から再び徳島市に戻ります。
徳島に来てここは外せません!「阿波の十郎兵衛屋敷」です。
”徳島藩の政策上の犠牲となって処刑された
庄屋、板東十郎兵衛の名を借りて、お家騒動の物語に仕立てた
人形浄瑠璃「傾城阿波の鳴門」のゆかりの場所です”。
とパンフにありますがその板東十郎兵衛屋敷跡です。
ここでは「傾城阿波の鳴門」が毎日上演されていますが、
この日は「順礼歌の段」。
中庭に建つ「お弓、お鶴の別れの像」です。
屋敷内にある資料室、
展示されていました十郎兵衛(4代 大江巳之助 作)、
おつる・お弓(ともに天狗久 作)の文楽人形です。
母屋の前にある庭。
”板東十郎兵衛の築庭になるという純日本式の庭園で、
「鶴亀の庭」といわれ、黒松と自然石が巧みに配置されています”。
さて、「傾城阿波の鳴門・順礼歌の段」ですが・・・、
大阪玉造に、名を変え隠れ住む十郎兵衛、お弓のもとに、
順礼姿の娘お鶴が徳島から父母を訪ねてやってきます。
”じゅんれいに~ごほうしゃを~~”で始まる舞台・・・
”娘に国はいずことたずねれば、 阿波の徳島、
してととさんの名は、 ととさまの名は十郎兵衛、
かかさまの名はお弓と申します、 聞いてびっくり ”
さては我が子かなつかしやと、名乗りあげたい胸のうち
なれど悲しい隠れの身、
可愛い我が子まで罪を負わせたくない母親の情愛、
もう一度引き寄せ涙する
泣く泣く別れ行く跡を、
見送り見送り延び上り涙をのんで別れるお弓ですが、
立ち去るお鶴の順礼歌にたまらず後を追ってしまいます
この屋敷から数分のところにある「宝生寺」に、
十郎兵衛一族の墓がありました。
墓石左側に「長男 甚六 長女 おつる 」
墓石右側に「十郎兵衛 妻 お弓 」の法号です。
墓石正面は十郎兵衛弟の法号になっています。
説明では、
”十郎兵衛一家は処刑後も墓の建立もかなわず、
弟の墓石とともにまつられています” ・・・とありました。
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ととさまの名は十郎兵衛ぇ~かかさまの名はお弓と申します~。
文楽をご覧になったのですね?! ^^ いいですね~!!
現地の段は・・・ちょっと切ないので、
やっぱり大阪のお話(段)がよろしいかと思います。
写真も撮らせていただけるとは、ナイス!ですね。
投稿: 恵美 | 2009年3月 5日 (木) 00時47分
恵美さん
足助で音だけ聞いて以来1年ぶりに実現でした。^^
>現地の段は・・・ちょっと切ないので
こうなると観たくなるのが人情ってもんですが、
これはいつ実現できるか?
舞台写真!そうなんです撮れたんです。
お陰で涙が隠せましたが、^^;
ファインダーが滲んで困りました。><
投稿: 好好爺 | 2009年3月 5日 (木) 18時02分
ととさま 雁が〜
香川の後 あまりにも 哀しいので 何も言えません。
投稿: ビズー | 2009年3月 5日 (木) 21時06分
ビズーさん
雁が〜泣いて南?いやこちらは東の空へ~~。
冗談ですが^^人形浄瑠璃、泣かせてくれました。
またぶらりと戻ります。
投稿: 好好爺 | 2009年3月 5日 (木) 22時28分