亀山仇討物語
大阪松竹座で公演中の「初春大歌舞伎」。
その演目にある「霊験亀山鉾」は、
三重県の亀山市で実際にあった仇討が題材になっているとのこと。
興味があったので調べていたら亀山市の資料の中にその一項目、
仇討ストーリーとそのルートがありました。
ルートは亀山八幡神社から→大手門跡→太鼓門跡→石坂門跡→
黒門跡→京口門跡、そして野村照光寺へとなっています。
これはもう行かねばなりません!(悪い癖です^^;)
その最初にある八幡神社は亀山城址の中にあります。
しかしこのルートは特に仇討を意識したものではないようで、
単に関連の碑を結んだだけのようです。
勝手にルートを変えます。
城址から大手門跡に向かう途中にある「太鼓櫓跡」。
整備されポケットパークになっています。
この前(右手)が標柱だけが立つ太鼓門跡。
そして大手門跡ですが、つい最近記事にしたばかりで、
代わりに傍らの交差点です。
撮っている角は旧東海道の曲がり角、
直進すると亀山城址です。
ここから少し遠回りですが旧東海道を行きます。
ちょうど大手門跡から街道はカラー舗装されています。
各家にはそれぞれの屋号札がかかりますが、
前に歩いた時より多いようで、また新しいですね。
ここから東海道は左に曲がっていくんですが、
こちらは街道を外れて石坂門跡へ。
前に池があるんですがその手前から見る多聞櫓。
そして写真の右端に見えるのが石坂門跡と
「石井兄弟亀山敵討遺跡」の碑です。
亀山市には二つの仇討があります。
一つはこの石井兄弟の29年目の仇討、
”元禄14年(1701)5月9日早朝、石井源蔵、半蔵兄弟が、
28年目に父の敵、赤堀水之助(源五衛門)を討ち取った・・・
「元禄曾我兄弟」と称されて、歌舞伎、講談、絵本、浮世絵
などに取り上げられ・・・・・”と解説板にあります。
そしてもう一つは「関の小万」の仇討ですが、
これは以前に載せました。
ここから黒門跡の標柱を見て再び東海道に入ります。
すぐに京坂口に出ますが、亀山宿の西の口「京口門跡」です。
東の宿口は本町筋にある「江戸口門跡」、京と江戸です。
京坂口橋を渡ると右にあるのが照光寺。
山門左手に赤堀水之助(源五右衛門)の碑が、
そして本堂左手奥の広い墓の中に墓石がありました。
歌舞伎「霊験亀山鉾」の話から始まった亀山仇討物語。
史実の記事は地味ですが、
これが歌舞伎の舞台になると違うんでしょうね。 15日
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