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2009年1月 8日 (木)

北国脇往還・春照宿

国道365号と並行してある広域農道の道の駅「伊吹の里」。
ここから東に数100mほど行くと「北国脇往還」が通ります。

この日は「伊吹の里」で所用を済ませ少し時間があったので、
以前歩いた記憶を頼りに「北国脇往還」を「春照(すいじょう)宿」
まであらためて歩いてみました。

 Suijyo0011 Suijyo0012
小田(やないだ)橋(現在は通行不能)から来た街道は
ここ八幡神社から春照に向かいます。

写真左の手前角に道標があります。

Suijyo002
「左 山中道 右 江戸道」とありますが、
ここは街道の曲がり角で分起点ではありません。

しばらく何もない道を行くとこちらも同じ八幡神社ですが、

Suijyo003
その角に立派な道標があります。(向こうから歩いて来ています)。

「北国街道」から長浜街道が分岐するところで、
「右 北国 きのもと ゑちぜん道」、「左 ながはま道」。

 Suijyo0051 Suijyo0052
その「村社 八幡神社」ですが、
姉川の合戦に織田信長が戦勝を祈り凱旋の途に幣を納め、
徳川家康もまた勝運を祈ったという。

その後も羽柴秀吉がここを駆け抜けた「北国街道脇往還」。

Suijyo007

この分岐から道は春照の集落に入ります。

以前はここから宿だと思っていたんですが、
実はここはまだ春照宿ではありませんでした。
さらに行きますと小川があります。

架かる橋が北国橋。

Suijyo008

かっての橋はここから西にあり、
そこで二度直角に曲っていてそこが春照宿の宿口でした。

その傍にある「柳岸寺」。

Suijyo009

かってはこの前を街道が通っていただろうと思われます。

街道に戻り春照宿に入ります。
昔の面影はほとんどありませんが、

Suijyo010
白壁につるし屋根でしょうか?
どこかでみたような???と思いながら・・・。

そして唯一これが街道の名残り。

Suijyo011
春照宿の本陣跡です。

かっては本陣一軒、脇本陣ニ軒をはじめ、
多くの旅籠や茶店が軒を連ねたそうですが今はこの本陣跡のみ。

この先数百メートルで道は直角に北に曲がります。
その場所にある常夜燈。

Suijyo012

この「北国脇往還」は木之本からほぼ斜めに関が原に向かうため、
道はいたるところで直角に曲がります。
特に宿の出口・入口は直角に曲るという・・・その典型です。

北国脇往還・春照宿はここまでわずか数百メートルの宿道でした。

こちらはおまけで、さらに道を進みますとあるのが、

Suijyo013

「史跡野頭観音堂」の石碑と、芭蕉句碑です。
かってここに観音堂があり、旅人に茶の接待をしたとか?

ちなみに句は
「頭巾召せ寒むや伊吹の山おろし」ですが、
芭蕉全句にはありません。

ここから街道は藤川、玉宿通り関が原で中山道につながります。
久しぶりに歩いた?というより散策の春照でした。

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コメント

>ちなみに句は
>「頭巾召せ寒むや伊吹の山おろし」ですが、
>芭蕉全句にはありません。
小生も自宅に戻って岩波文庫の芭蕉俳句集を調べてみましたが、有りませんでした。
芭蕉が春照を通った折に詠ったものだろうかと、いろいろ考えてみましたが、句集そのもの
から抜けているのは納得がいきません。本当に芭蕉の句なのでしょうか。
 

篠塚 克巳 さん
ご覧いただきコメントありがとうございます。

芭蕉が「奥の細道」で敦賀から大垣まで通った道が不明ですが、
私自身はこの北国脇往還を通ったと思っています。
しかし芭蕉の伊吹の句は別の場所で読まれています。
全国の芭蕉句碑を訪ねられた方の資料によると、
この句は”誤伝か”、とあり、
加賀の千代尼の句に「づきん召せこゝは伊吹の山おろし」あり、とあります。
したがってこの句は芭蕉の句ではないと思われます。
全国には芭蕉の句碑が多くありますが誤伝や存疑の句も多いようです。
この句に対して少しは参考になりましたでしょうか。

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