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2009年1月23日 (金)

家康ゆかりの寺社めぐり

岡崎市観光協会のHPにある”おすすめコース”の一つ、
「泰平浪漫(家康公ゆかりの名所)」。

「六所神社」から「滝山東照宮」まで4社寺の寺社めぐり。
そのなかから「伊賀天満宮」と「大樹寺」をめぐりました。

「伊賀八幡宮」近く、能見町の県道沿いには
こんなオブジェが建ち並びます。

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石像のなかに小学生が描いた伊賀八幡宮の絵が、
すぐに県道から左斜めに延びる参道がありました。

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赤い鳥居が二つ、
先の鳥居の傍らには「徳川氏累代祈願所」の石碑が。

その先には、

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赤い神橋、そしてその先には国重文の神橋です。
残念ながら見たかった随神門は工事中でした。><

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右手に回り込んでで境内に入ります。

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こちらも工事中で機材が入り雰囲気がイマイチ!
拝殿、幣殿、本殿ですが横からになります。

”松平四代・親忠が、松平家の氏神として武運長久・子孫繁栄を
祈願するため、三重県の伊賀から三州額田郡井田村へ社を
移したのがはじまり・・・”その地名にちなんで名付けられたと。

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慶弔16年(1611)家康の造営で規模が整い、
嘉永13年(1636)家光の造営で現在の社殿となる。

参拝所横の”さざれ石”を見て、
ここkら北へ1キロほどにある「大樹寺」へ行きます。

まず驚かされたのがこの三門でした。
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三代将軍家光が寛永18年(1641)に鐘楼・総門とともに建立、
正面に掲げられた額は後奈良天皇(在位1536~57)の筆。

”松平四代親忠が、勢誉愚底上人を開山として建立した”と。

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境内右手に鐘楼、左手奥には多宝塔(国重文)があります。

そして本堂です。

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堂内に座して案内のテープを聞きます。

この本堂から三門、総門(今は小学校の南門)を通して、
三キロ先の岡崎城天守閣が見えるという・・・、確認していません。

松平家・徳川家の菩提寺である「大樹寺」。

桶狭間の合戦で今川義元が破れたため、当時大高城にいた
家康は身の危険を感じ大樹寺に逃げ帰り、先祖の墓の前で
自害しようとしたが、住職登誉上人に諭され新しい人生を
踏み出した・・・。なるほど、桶狭間の戦いが絡みます。

本堂左手、墓地の北側に松平家八代の墓と、
徳川家康の墓がありました。

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元和元年(1615)、徳川家康が先祖八代の墓を再建したもので、
松平初代親氏から八代広忠までの墓が並び、
左手奥には徳川家康の墓がありました。

Okazaki013 

家康ゆかりの寺社めぐり、
「六所神社」は先の浄瑠璃姫コースで訪れています。

残るは「滝山東照宮」なんですが、
ここはまた機会を改めて訪ねてみたいと・・・。
ちょうど降りだした雨のなかを駅に戻りました。

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