桶狭間古戦場・豊明市
有松から旧東海道を西に向かうと国道1号線沿いに
「桶狭間古戦場址」があります。
名鉄「中京競馬場前」駅から南へ入ったところ、
この日は道路工事中でなんともサマになりませんが、
案内板には
”この地は永禄3年(1560)5月19日、今川義元が織田信長に
襲われ戦死した所と伝えられ、田楽狭間、あるいは館狭間と
呼ばれた・・・・・。”とあります。
史跡公園として整備されていますが、左回りに見て行きます。
まず最初にあるのがこの石碑、
”「七石表ノ一 今川義元の戦死した場所を明示する最も古い
ものである。・・・” とあり、この先に義元の墓があります。
墓石面には「今川治部大輔義元の墓」と。
公園南面には「桶狭間古戦場址」の石柱と、
左手には桶狭間古戦場の戦記を記した「弔古碑」が建ちます。
ここから公園右側には小さな石碑が建ち並びます。
「七石表その三」。
もともとは今川義元や松井宗信らを弔った土塚であったのを、
明和8年(1771)に石碑としたもので「七石表」と呼ばれ、
全部で七つの石碑があるはず・・・なんですが?
「七石表その四」、と「七石表その五」。
「七石表その六」、と「七石表その七」です。
なぜか「七石表その二」がありませんでした。
史跡公園北面からですが、
この公園の傍にある「高徳院」にも古戦場の跡がありました。
見事な「金剛生門」の高徳院。
その境内です。
門をくぐると大タブの木の元に「今川義元公本陣跡」の碑、
この境内が本陣跡のようです。
本堂。
そして、境内の見事な”タブの木”を見て戻ったんですが、
実は後で撮った寺院の案内写真を見ていたら、何と!
写真左手の客殿の裏に「七石表その二」があったんです。><
いつもの事ながらヌケの多い”ぶらり旅”、
実は今回、タイトルに豊明市と入れましたが、
名古屋市緑区有松にもう一つの「桶狭間古戦場跡」がありました。
もちろんこの近くです、回れた時間でしたがヌケてます。
何故?ハナからここだけと思っていました!
これには諸説あるようですが、
こちらもまた機会があれば訪ねてみたいところです。
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