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2009年1月31日 (土)

海辺の文学記念館

竹島から戻ってきますと橋から正面に見えます鳥居、
ここも「八百富神社」?何か変な感じでしたが遥拝所でした。

正面?へと回ります、

Gamagori001
なるほど、拝殿?からみえる竹島橋と竹島、
それにしても立派な遥拝所です。

この左手横にあるなにやら気になる洋館!

Gamagori002 

入口にあるブロンズ像のお尻の下には「常盤苑」と。

Gamagori003
海辺に佇む洋館と庭園につられて見学です。
案内には「海辺の文学記念館」とあります。

明治末期に竹島の対岸に建てられた料亭「常盤館」、
一時期取り壊しになったものの、常盤館にまつわる文化的、
歴史的価値を少しでもよみがえらそうと、市内にあった明治
の建物を同じ地に模倣復元したものだそうです。

Gamagori004
入って案内されたのは左手にある第二展示室。
「がまごおり絵手紙大賞」入賞作品が展示されています。

そして第一展示室。

 Gamagori0051_2 Gamagori0052
常盤館・竹島にかかわる文学作品や
常盤館関連資料(パンフレット・調度品)が展示されています。

Gamagori006 
奥にあります和室。

常盤館の客室で使われていた調度品が置かれていますが、
ここからの眺めも素晴らしいものです。

暖房のためガラス戸越しになりますが、

Gamagori007
庭園越しに見る竹島。

Gamagori008
そして裏手に広がる庭園です。

”海の眺めは蒲郡”と鉄道唱歌に歌われた景勝地・・・、
その鉄道唱歌30番です。

”豊橋おりて乗る汽車は これぞ豊川稲荷道
東海道にてすぐれたる 海のながめは蒲郡” でした。^^; 

2009年1月30日 (金)

竹島・蒲郡市

何十年も?行っていなかった蒲郡市の竹島です。

蒲郡のシンボル的存在でもありますが、
天気の良い日が続くときにと出かけてみました。

Takesima001
「俊成苑」から見る竹島。

いつ整備されたのか記憶にありませんが?綺麗な公園が、
建つ像は平安時代三河の国司としてこの地区を開発した
藤原俊成卿像です。

Takesima002
竹島橋の途中でアサリ漁をしていたおじさん?
ここ竹島海岸は春には潮干狩りで親しまれているところ。

Takesima003
387mの竹島橋(二代目だそうです^^;)、
その先にある鳥居、ここから石段が続きます。

 Takesima0041 Takesima0042
まず直線的に一つ目と二つ目の石段を上り、
右に折れて三つ目を上り切ります。

正面にあるのが「宇賀神社」、

Takesima005 
商売繁盛の神、宇賀御魂神を祀ります。

すぐ後ろに「大黒神社」、その横に「千歳神社」、
そして正面奥に「八百富神社(やおとみじんじゃ)」があります。

Takesima0052

御祭神は”市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)”、
藤原俊成卿が琵琶湖の竹生島より勧請し、
開運、安産、縁結びの神として知られているそうです。

    Takesima006

通俗には竹島弁天と言われる。
”河雀という書には、江ノ島、竹生島、厳島などと共に
日本七弁天の中に挙げられています。”(HPから引用)。

本殿横からさらに奥へ行くと「八大龍神社」、その脇から
「龍神岬」へ抜けて行きます。

Takesima007
   Takesima0081_2 
老い松に囲まれた岬、

ここから竹島遊歩道への案内板がありました。

   Takesima0082
岬の下の遊歩道から見る三河大島と小島です。

遊歩道はここから右回りに指標があります。

 Takesima0091 Takesima0092
回っていきます竹島遊歩道。

周囲620メートル、総面積19,000平方メートルの小島ながら、
暖地性植物230余種の自生が確認されており、
島全体が国の天然記念物に指定されています。

   Takesima010
まったくの観光写真です。 ><;

Takesima011

正面に戻りまして残りを半周、龍神岬に戻ってきました。

蒲郡のシンボル、竹島を散策して戻る途中の光景です。

    Takesima012
竹島橋の途中で群れ飛ぶユリカモメと、蒲郡プリンスホテル。

お断りしておきますが・・・、やらせです!
何かなければこんなにタイミング良くはいきません!
おじさんの持つ餌に群らがるカモメたちを便乗撮影です。><;

Takesima013

蒲郡市、竹島。
この日も多くの方が訪れていました。

やはり市民の方をはじめ、この地方の方には憩いの、
そして信仰の場所なんでしょうか?
そんな竹島を・・・?十年ぶりに訪ねました。

2009年1月29日 (木)

長浜盆梅展

昨年は大雪の中の「長浜盆梅展・長浜市慶雲館」でしたが、
今年は雪はなかったものの、なんとも寒い日でした。

Bonbai001

まだ1月の平日とあってか人出は多くありません。

Bonbai002
入口正面の盆梅、
昨年よりは一回り大きな木で花もまずまず咲いてます。

 Bonbai0031 Bonbai0032
今年の大広間、
人が少ないのが救いですが館内の花もまだ”5分咲き”とのこと。

   Bonbai004
見事な盆梅が並ぶこの大広間でも、
やはりこの「不老」だけは別格に見えます。(こちらは3分咲き?)

  Bonbai0041_2
     Bonbai0042_2
今年は雪もなく雪吊りのされた庭園を楽しめます。

   Bonbai0051
第二会場の角にあるしだれ盆梅、名前は「花簾」。
しだれは枝垂れで華やかなもんです!

   Bonbai0071
   Bonbai0072
第二会場には近郊の愛好者の方の盆梅も並びます。

そして二階の会場へ。

Bonbai008
階段を上がった隅にある枝垂れ、
昨年も撮りましたが今年は20日ほど来たのが早いんですが、
咲き具合はほとんど昨年と同じ状態でした?

これ、好きなんです!今年はチョッと角度を変えて・・・。^^;

ここでは珍しい盆梅を。

 Bonbai0091 Bonbai0092
黄金梅(おうごんばい)、
世界に数種しかない、非常に珍しい黄色の梅だそうです。

Bonbai010

そして、紅白二色咲き!
立派な盆梅なんですが、ほんの一部で遊んでみました。

「長浜盆梅展」。
少し早かった感はありましたが、
それはそれで楽しませてもらいました。^^;     1月27日   

2009年1月28日 (水)

浅井盆梅展・長浜市

地味な記事が続きましたがそろそろ季節モノを訪ねてみようと、
すでに始まっています長浜盆梅展!です。

・・・と書くと、お馴染みの「長浜慶雲館」ですが、
もう一つの会場「浅井ふれあいの里・プラザふくらの森」の
「浅井盆梅展」から回りました。

Azai001

入口からの様子です。
ここはいつも先走りみたいなもので?
一昨年も同じ時期に来ていて早すぎたんですが、
今年もやはりそのようでした。

Azai002
しかし一昨年に来たときよりはまだいい方で、
結構咲いている盆梅もあって何とか見れる状態です。

Azai003
Azai004

本来なら素晴らしい盆梅の姿、形を載せなきゃいかんのですが、
まだ蕾の木が多くついつい・・・。

 Azai005 Azai0051
まぁ、こんな感じの盆梅が多いですね。

Azai006

久しぶりに撮る花!つい、アップになります。^^;

Azai008
第二会場から第三会場に出ます。

正面にある盆梅、

Azai009
ここは浅井の町、
ということで「長政」、「お市」の盆梅が並びます。

一昨年が1月24日、この日が27日でした。
同じ言葉になりますが、
やはりここは2月に入ってから来るのがよろしいようで・・・。

この後は「長浜盆梅展」慶雲館へと向います。

2009年1月27日 (火)

滝山東照宮・岡崎市

岡崎市にある「家康ゆかりの史跡」めぐりもこれで終りにと・・・、
そう思いながら行ってきました「滝山東照宮」です。

前回の大樹寺から東に2キロほど行きます。
橋を渡って滝町に入る入口に三門がありました。

Takizan001
「滝山寺」三門(国重文)。

”飛騨の内匠藤原光延が建立した仁王門で、 屋根は入母屋造、
こけら葺、文永4年(1267)の建立で 県下最古の木像建築物。
仁王像は運慶の作と伝えられる・・・。”

Takizan002
その前にある塚は、
”工事に当たり飛騨権守藤原光延が垂木を逆さに打ったのを
恥じて自殺したとの伝承があり・・・、”その墓という。

入口で長くなりましたが、ここから先に1キロほど・・・。

Takizan003

左手、山の手に鳥居が建ちます。

正面の石段を上って、

 Takizan0041_2 Takizan0042 
うっそうとした木々の右への石段、
そして葵の紋が入った石灯籠のある左の石段を上りきります。

Takizan005
正面にいきなり滝山寺(たきざんじ)本堂が現れました。

”役小角の草創といい、保安年中(1120~23)に比叡山の
僧仏泉永救が再興した天台宗の寺院・・・。
近世では正保2年(1645)将軍家光の命により本堂の隅に
東照宮が建立され、幕府の保護のもと繁栄を続けた。”

その滝山東照宮です。

Takizan006
Takizan007

社殿は絢爛豪華な漆塗り及び極彩色が施され、日光、久能山
と並び日本三東照宮に数えられているそうです。

Takizan008
Takizan009

拝殿、幣殿、本殿ですが、
確かにその面影は見られますが・・・、色落ちが激しいです。

 Takizan0101 Takizan0102
左右に建ち並ぶ石灯籠が目を引きましたが・・・?
数の多さにチョッと驚き!

ただ思ったほどではと?
私的には坂本の日吉東照宮 こちらの方が印象強かったです。

まぁ、日吉東照宮は日光の雛形となっただけに、
意味が少々違いますが。

Takizan011

岡崎市の北部にある山村のなかに、
忘れられたようにありました「滝山東照宮」。

「家康ゆかりの史跡」めぐり、
ほんの一部でしたが最後はやはり東照宮でした。

2009年1月26日 (月)

豊田市民芸館

豊田市を流れる矢作川のほとり、
自然環境豊かな平戸橋公園の一角にある「豊田市民芸館」。

Mingei001
Mingei002
こちらはその第1民芸館。
「衣」をテーマに筒描きや着物などの民芸品のほか、
円空仏を常設展示。
常設企画は「器の民芸 日本の美Ⅰ」(~3月1日まで)。

この民芸館の裏手と横にある井上西洋館と登り窯です。

 Mingei0031 Mingei0032 
市内で明治時代の洋風建築の様式を残した唯一の建造物と、
市内に所在した古窯で、ともに移築、復元されたもの。

ここには第1民芸館から第2、第3民芸館があり、
短い散策路が各館を繋ぎます。

第2民芸館の横にある茶房「勘桜亭」。

Mingei004_2
立席茶房で呈茶もいただけますがこの日はありませんでした。

そして第2民芸館です。

Mingei005 
「食」のテーマ館として、陶磁器、漆器、
ガラス製の食器類などを展示。
企画展は「民芸品の中のくるま」(~3月1日まで)。

Mingei006
入口に置かれていたのはダイハツミゼットでした!
懐かしい~~~。

Mingei007
Mingei008

庭園を見るような散策路を楽しみながら館をめぐります。

最後は第3民芸館。

Mingei009
Mingei010
一番新しい建物で往時の田舎屋を再現して造られ、
「住」をテーマにいろりや日本間など館全体が常設展示に。
企画展は「舞い上がる和凧展」(1月25日終了しました) 

Mingei011
Mingei012
企画展示室の様子と、
展示されていた全国の凧25点から佐久凧「源義経」です。

Mingei013

この先、第3民芸館から散策路は市民の野外活動施設
「平戸橋いこいの広場」へと続きます。

「豊田市民芸館」。
想像していた以上に自然に囲まれたところ・・・、
そして素晴らしい施設でした。 

2009年1月25日 (日)

松平郷・松平氏発祥の地

奥殿陣屋から北東に向って更に行くと、
豊田から新城に向かう国道301号線沿いに「松平郷」があります。

徳川300年の礎となった松平家八代の歴史は
ここ松平郷からから始まった・・・と。

その史跡の中心は「松平東照宮」、そして「高月院」です。

Matsudaira001

その「松平東照宮」、
八幡宮と称して松平家の屋敷神であったのを、元和5年(1619)、
家康を合祀し昭和40年(1965)には松平親氏を合祀。

本堂から右手に進みと「産湯の井戸」があります。

Matsudaira002
”在平信盛が掘ったと言われ、松平家は代々この水を
産湯に用いた・・・、岡崎で竹千代(後の家康)が生まれたとき、
この水を竹筒に入れ、早馬で届けたといわれます。”

ここから松平家菩提寺「高月院」にかけては、
歴史と自然の里「松平郷園地」として整備されています。

 Matsudaira0031_2 Matsudaira0032

入口にあたるところには、松平家八代を象徴する七対の石柱と、
初代親氏の銅像があり、ここから松平家菩提寺の「高月院」まで、
遊歩道が続きます。

Matsudaira004
その間に設けられた室町壁、
塀の右手は散策路のあやめ恋路として親水緑路になっています。

ここ松平郷の開拓領主は、後宇多天皇に仕えた在原信盛、
その子信重の末娘・水女とここを訪れた旅の僧徳阿弥が婿養子
となり初代松平親氏となる。

 Matsudaira0051 Matsudaira0052 
途中にありました見初めの井戸。

徳阿弥が旅の途中高月院への道すがら、
咲き誇る”あやめ”にみとれていたら、水女姫が井戸の水に
一輪の花を添えて差し出した、これが二人の出会い・・・と。

場所を変えて復元されていますが、
右が本来あった神社の前にある井戸跡。

すぐに「高月院」に着きました。

Matsudaira006
Matsudaira007
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松平氏の菩提寺。
山門や本堂は徳川家光によって建てられたそうです。

とにかくここにはお手植えの木がやたら多く、

Matsudaira009
家康公お手植えのしだれ桜。

Matsudaira010
皇室関係者のお手植えの木がずらりと並びます!
驚きました。

Matsudaira011

「松平郷史跡跡」、
ここには他にも松平氏墓所、松平城跡、展望テラスなど、
散策路もあって、自然とのふれあいが演出されています。

岡崎から豊田へと松平・徳川ゆかりの地を訪ねました。

2009年1月24日 (土)

奥殿陣屋・岡崎市

岡崎市の北、豊田市に接する奥殿町にある「奥殿陣屋」。

持統天皇が命名されたと伝えられる花ぞの山(村積山)の麓、
徳川発祥の地松平郷に程近いところ。

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宝永4年(1707)大給(おぎゅう)松平第4代乗真(のりざね)の時、
大給(豊田市)からこの地に陣屋を移して奥殿藩が誕生。

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かっては表御殿、書院をはじめ33棟が建ち並んでいたという。

    Jinnya0031 Jinnya0032 
Jinnya004
現在の書院は昭和60年(1985)、
竜渓院庫裏となっていた書院を現在地に移し復元されたもの。

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     Jinnya0052_2
冬です!ガラス戸越しに見る「蓬莱の庭」。

 Jinnya0061_2 Jinnya0062 
古図にある池庭をモデルに、
江戸時代の作風を生かした蓬莱の庭として復元されています。
写真右の奥の建物はお食事処「金鳳亭」。

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書院を右手に見て「金鳳亭」への道。

Jinnya008
蓬莱庭の上部にあるもう一つの池庭。

Jinnya009

築山全体が杉苔で覆われ、見事な美しさを醸し出しています。

Jinnya010
一回りして書院奥から・・・。

    Jinnya011_2
「金鳳亭」から見下ろす「蓬莱の庭」。

ここはまた花園の里でもあります。

Jinnya012
陣屋脇にはバラ園、紫陽花、萩など、
四季折々に花が咲く!特に4~5月が見頃とのこと。

”座して、静。味わいて、想。四季折々、色彩万花、趣深し。
いにしえの夢景色、岡崎に奥殿陣屋あり” パンフから・・・。
  

2009年1月23日 (金)

家康ゆかりの寺社めぐり

岡崎市観光協会のHPにある”おすすめコース”の一つ、
「泰平浪漫(家康公ゆかりの名所)」。

「六所神社」から「滝山東照宮」まで4社寺の寺社めぐり。
そのなかから「伊賀天満宮」と「大樹寺」をめぐりました。

「伊賀八幡宮」近く、能見町の県道沿いには
こんなオブジェが建ち並びます。

Okazaki001
石像のなかに小学生が描いた伊賀八幡宮の絵が、
すぐに県道から左斜めに延びる参道がありました。

Okazaki002
赤い鳥居が二つ、
先の鳥居の傍らには「徳川氏累代祈願所」の石碑が。

その先には、

 Okazaki0031 Okazaki0032  
赤い神橋、そしてその先には国重文の神橋です。
残念ながら見たかった随神門は工事中でした。><

Okazaki004

右手に回り込んでで境内に入ります。

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こちらも工事中で機材が入り雰囲気がイマイチ!
拝殿、幣殿、本殿ですが横からになります。

”松平四代・親忠が、松平家の氏神として武運長久・子孫繁栄を
祈願するため、三重県の伊賀から三州額田郡井田村へ社を
移したのがはじまり・・・”その地名にちなんで名付けられたと。

Okazaki006

慶弔16年(1611)家康の造営で規模が整い、
嘉永13年(1636)家光の造営で現在の社殿となる。

参拝所横の”さざれ石”を見て、
ここkら北へ1キロほどにある「大樹寺」へ行きます。

まず驚かされたのがこの三門でした。
Okazaki007 
Okazaki008 

三代将軍家光が寛永18年(1641)に鐘楼・総門とともに建立、
正面に掲げられた額は後奈良天皇(在位1536~57)の筆。

”松平四代親忠が、勢誉愚底上人を開山として建立した”と。

 Okazaki0091  Okazaki0092
境内右手に鐘楼、左手奥には多宝塔(国重文)があります。

そして本堂です。

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堂内に座して案内のテープを聞きます。

この本堂から三門、総門(今は小学校の南門)を通して、
三キロ先の岡崎城天守閣が見えるという・・・、確認していません。

松平家・徳川家の菩提寺である「大樹寺」。

桶狭間の合戦で今川義元が破れたため、当時大高城にいた
家康は身の危険を感じ大樹寺に逃げ帰り、先祖の墓の前で
自害しようとしたが、住職登誉上人に諭され新しい人生を
踏み出した・・・。なるほど、桶狭間の戦いが絡みます。

本堂左手、墓地の北側に松平家八代の墓と、
徳川家康の墓がありました。

 Okazaki0121 Okazaki0122

元和元年(1615)、徳川家康が先祖八代の墓を再建したもので、
松平初代親氏から八代広忠までの墓が並び、
左手奥には徳川家康の墓がありました。

Okazaki013 

家康ゆかりの寺社めぐり、
「六所神社」は先の浄瑠璃姫コースで訪れています。

残るは「滝山東照宮」なんですが、
ここはまた機会を改めて訪ねてみたいと・・・。
ちょうど降りだした雨のなかを駅に戻りました。

2009年1月22日 (木)

桶狭間古戦場・豊明市

有松から旧東海道を西に向かうと国道1号線沿いに
「桶狭間古戦場址」があります。

名鉄「中京競馬場前」駅から南へ入ったところ、

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Okehazama002

この日は道路工事中でなんともサマになりませんが、
案内板には
”この地は永禄3年(1560)5月19日、今川義元が織田信長に
襲われ戦死した所と伝えられ、田楽狭間、あるいは館狭間と
呼ばれた・・・・・。”とあります。

史跡公園として整備されていますが、左回りに見て行きます。

         Okehazama003
まず最初にあるのがこの石碑、
”「七石表ノ一 今川義元の戦死した場所を明示する最も古い
  ものである。・・・” とあり、この先に義元の墓があります。

Okehazama004
墓石面には「今川治部大輔義元の墓」と。

 Okehazama005 Okehazama006
公園南面には「桶狭間古戦場址」の石柱と、
左手には桶狭間古戦場の戦記を記した「弔古碑」が建ちます。

ここから公園右側には小さな石碑が建ち並びます。

Okehazama007 
「七石表その三」。

もともとは今川義元や松井宗信らを弔った土塚であったのを、
明和8年(1771)に石碑としたもので「七石表」と呼ばれ、
全部で七つの石碑があるはず・・・なんですが?

 Okehazama0081 Okehazama0082 
「七石表その四」、と「七石表その五」。

 Okehazama0083 Okehazama0084
「七石表その六」、と「七石表その七」です。

なぜか「七石表その二」がありませんでした。

Okehazama009
史跡公園北面からですが、
この公園の傍にある「高徳院」にも古戦場の跡がありました。

Okehazama010
見事な「金剛生門」の高徳院。

その境内です。

Okehazama011
門をくぐると大タブの木の元に「今川義元公本陣跡」の碑、
この境内が本陣跡のようです。

Okehazama012
本堂。

そして、境内の見事な”タブの木”を見て戻ったんですが、
実は後で撮った寺院の案内写真を見ていたら、何と!

Okehazama013
写真左手の客殿の裏に「七石表その二」があったんです。><

いつもの事ながらヌケの多い”ぶらり旅”、
実は今回、タイトルに豊明市と入れましたが、
名古屋市緑区有松にもう一つの「桶狭間古戦場跡」がありました。

もちろんこの近くです、回れた時間でしたがヌケてます。
何故?ハナからここだけと思っていました!
これには諸説あるようですが、
こちらもまた機会があれば訪ねてみたいところです。

2009年1月21日 (水)

絞りの里有松・旧東海道

久しぶりの”まちかど散策”に名古屋市緑区有松です。

名古屋城が開府400年なら、
ここ有松も2008年が開村400年でした。

名鉄「有松」駅から有松裏通りを東に歩いて旧街道に入ります。
東の宿口から古い家並みが続きます。

Arimatsu0011
「東海道」の石柱と”ありまつ”の暖簾?が掛かる民家。

重厚な造りの町家が街道沿いに建ち並び、
往時の雰囲気が見事に残ります。


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こちらは「服部家」

”有松における絞り問屋として代表的な建物、
主屋には卯建を設け、2階は虫籠窓、
土蔵は海鼠壁で防火対策がされている。”(愛知県指定文化財)

Arimatsu002
本来は有松絞りなんですがひな祭りも近く思わず一枚、
当然ですが衣装は絞りですね?

 Arimatsu003 Arimatsu004
屋根の古い行燈、
そして「竹田家住宅」、(名古屋市指定有形有形文化財)。

こんな町家が続きます。

 Arimatsu0051_2 Arimatsu0052_2
こちらは「岡家住宅」
江戸末期の建築、切妻造桟瓦葺で正面に土庇がつき、
2階は虫籠窓でこれもまた塗篭造の建物です。

 Arimatsu0061 Arimatsu0062
とにかく有松絞りを紹介するにも重厚な建物で、
そのの入口の格子戸を開けて入る勇気がありません。><;
そんな建物がお店なんです。

そして有松の西宿口に入って行きます。

Arimatsu008
村社「天満社」、
秋の例大祭には東町、中町、西町の山車が東海道筋に
集結します。

街道に戻ります。

Arimatsu007_2
「東海道五十三次二代目松」、時代は変遷しています。

Arimatsu009
有松の西、
その宿口にあります「祇王寺」、
光明天皇が万葉集に呼んだ歌碑や奈良薬師寺を模した
仏足石があるそうですが・・・。

Arimatsu010

名古屋市緑区有松、
旧東海道はただいま電柱移行工事中でした。

この街道筋から電柱がとれて地中埋没になれば、
ここ有松の景観もまた素晴らしいものになると思います。

旧東海道有松、その時が楽しみです。

2009年1月20日 (火)

越前海岸・呼鳥門

”旬モノ”の記事を一つ挟みましたが、再び越前海岸です。

越前岬から更に北にある「福井市越前水仙の里公園」。
「水仙ドーム」、「水仙ミュージアム」、「越廼ふるさと資料館」の
三つの施設から成っています。

国道沿いにあるのが「水仙ドーム」、

 Echizen0011_2 Echizen00111 
室温13℃以下に保たれた日本唯一の低温室で、
常時3,000本の水仙が栽培・展示されています。

「水仙ミュージアム」はやはり高台にありますが、
急な階段で歩いても行けます。

 Echizen0012 Echizen00122
水仙でつづる三つの文化体感ゾーン(展示室)で、
水仙のあらゆる情報を知ることができるように構成されています。

Echizen0013

そして「越廼ふるさと資料館」では、
越廼の暮らしの移り変わりや歴史を知ることができると。

また、ここ越廼地区は越前水仙(日本水仙)発祥の地でした。

水仙にまつわる文化、情報を勉強して?戻りましたが、
途中で昼食に立ち寄った場所にある「呼鳥門(こちょうもん)」。

Echizen0021

昭和14年3月までは国道305号の天然トンネルとして
使用されていたんですが、
今は「呼鳥門園地」として整備されています。

Echizen0022
園地に建つ五木ひろしの「越前慕情」碑。
以前とはかなり様変わりしている気がしました?

Echizen0023
かっては国道だったところ、
今はこの左横に出来た呼鳥門トンネルを国道が通っています。

Echizen0024 
高さ15m、幅30m、県道の建設中に発見されたという洞穴、
このトンネルを車で走ると”越前海岸”を実感したものです。

Echizen0025

”洞穴はここを訪れる人々の心に「大自然に対する畏敬の念」を
抱かせる迫力で迫ってくる。” と傍らの説明板にあります。

かってこの道を何度通ったか?以来、訪れていなかった場所、
改めて園地として眺めると感慨深いものがありました。

2009年1月19日 (月)

名古屋城本丸御殿復元着工

名古屋城本丸御殿復元着工記念式典が行なわれました。

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今日の目的は名古屋能楽堂で行なわれる「城郭都市サミット」、
その前に名古屋城を散策です。

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マスコットキャラの”はっちゃん”

メインは12:45からの式典ですが、
名古屋城西ノ丸広場では関係市町村のブースが並び、
ステージでは太鼓や獅子舞などが行なわれています。

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午後からの式典会場です。
すでに会場は立ち見の人で厚い壁、
始まった式典をいつものように頭越し撮影です。

まずは狂言でしたが、中身は分かりません。

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関係者代表で松原名古屋市長挨拶。
この後来賓挨拶が続き代表者の鍬入れです。

式典終了で能楽堂に、

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途中の西ノ丸広場では名古屋市消防音楽隊の記念演奏が、
この後、餅投げがありますがサミットが始まります。

名古屋能楽堂です、

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まずはこちらも名フィル弦楽四重奏のウエルカム演奏。

そして、荒俣 宏氏の基調講演「現代の城は、市民が建てる」。

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築城(国づくり)に係わった加藤清正、中井正清(大工棟梁)や、
天下普請のプロジェクトに市民は欠かせないこと、
戦国時代の黒い城、後に主流となる山城における白い城の話、
そして明治の廃藩置県後、取り壊しの多い城のなかで姫路城は
なぜそのまま残ったか?などなど興味深い話を拝聴しました。

その後は城郭都市サミット、「城の輝き、街の輝き」、
各都市発表のトークセッションです。

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城郭を持つ五都市、大阪市、京都市、熊本市、犬山市、
そして名古屋市の市長によって、その城の歴史や経緯、
これからの思いが語られました。

そのすべてを載せるわけにはいけませんが、
このトークセッションで各市長が語られた多くは、
城を中心にした街づくり、それはやはり匠の技と多くの市民の結束、
そして協力によるものだと。

最後に開催都市名古屋の松原市長は、
名古屋城本丸御殿復元着工に際し、本丸完成に向け、
工事はすべて見えるようにしたい、
見学、カメラの設置など手段を考えたいと・・・。

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コーディネーター:荒俣 宏氏は、
城間交流、今後の城郭都市の情報交流はこの言葉と〆ます。

2018年完成に向け名古屋城本丸御殿復元工事は
今日スタートしました。

2009年1月18日 (日)

越前岬水仙ランド

昨年は吹雪いて大荒れの「越前岬水仙ランド」でしたが、
今年は天気予報を確かめて改めての再訪でした。

曜日が違えど昨年も同じ1月17日、こちら です。
しかし今年は途中から小雨、
着いてからもしばらくは雨の中の散策でしたがすぐに晴れます。

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越前岬灯台は改修中で近くからは絵になりません。
ということで、遠望です。

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岬の斜面に造られた水仙ランド。
先に見えるのが「越前町自然文学資料館」、
手前がガーデンクラブハウス「水仙の館」、
さらに上がるとハーブ栽培温室と最高部に展望台です。

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越前海岸の水仙はほとんどが海岸沿いの斜面に咲きます。
ここも国道から急な坂を上って来ます。

昨年はシャーベット状の雪に悩まされましたが、
この日は風もなく途中から雨も止んで絶好の水仙めぐりに!

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水仙を観ながら散策できる水仙ゾーンには、
斜面を縫うように何本もの散策路が設けられています。

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雨上がりの水仙もまたいいもんです。

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こちらは「自然文学資料館」裏、
越前に因んだ多くの文学碑が建ち並びます。

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雪の中の水仙も趣がありますが、
陽に映える水仙もまた良しですね。

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今年は雪のためでしょうか?
ご覧のように倒れている水仙を多く見ました。

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文学資料館から見る日本海。

吹雪の昨年とは違って今年は無風、快晴のなかで
水仙を堪能した「越前岬水仙ランド」でした。     17日
 

2009年1月17日 (土)

亀山仇討物語

大阪松竹座で公演中の「初春大歌舞伎」。

その演目にある「霊験亀山鉾」は、
三重県の亀山市で実際にあった仇討が題材になっているとのこと。
興味があったので調べていたら亀山市の資料の中にその一項目、
仇討ストーリーとそのルートがありました。

ルートは亀山八幡神社から→大手門跡→太鼓門跡→石坂門跡→
黒門跡→京口門跡、そして野村照光寺へとなっています。

これはもう行かねばなりません!(悪い癖です^^;)

その最初にある八幡神社は亀山城址の中にあります。

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しかしこのルートは特に仇討を意識したものではないようで、
単に関連の碑を結んだだけのようです。

勝手にルートを変えます。

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城址から大手門跡に向かう途中にある「太鼓櫓跡」。
整備されポケットパークになっています。
この前(右手)が標柱だけが立つ太鼓門跡。

そして大手門跡ですが、つい最近記事にしたばかりで、
代わりに傍らの交差点です。

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撮っている角は旧東海道の曲がり角、
直進すると亀山城址です。

ここから少し遠回りですが旧東海道を行きます。

 Kameyama0041 Kameyama0042 
ちょうど大手門跡から街道はカラー舗装されています。

各家にはそれぞれの屋号札がかかりますが、
前に歩いた時より多いようで、また新しいですね。

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ここから東海道は左に曲がっていくんですが、
こちらは街道を外れて石坂門跡へ。

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前に池があるんですがその手前から見る多聞櫓。

そして写真の右端に見えるのが石坂門跡と
「石井兄弟亀山敵討遺跡」の碑です。

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亀山市には二つの仇討があります。

一つはこの石井兄弟の29年目の仇討、
”元禄14年(1701)5月9日早朝、石井源蔵、半蔵兄弟が、
28年目に父の敵、赤堀水之助(源五衛門)を討ち取った・・・
「元禄曾我兄弟」と称されて、歌舞伎、講談、絵本、浮世絵
などに取り上げられ・・・・・”と解説板にあります。

そしてもう一つは「関の小万」の仇討ですが、
これは以前に載せました。

ここから黒門跡の標柱を見て再び東海道に入ります。

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すぐに京坂口に出ますが、亀山宿の西の口「京口門跡」です。
東の宿口は本町筋にある「江戸口門跡」、京と江戸です。

京坂口橋を渡ると右にあるのが照光寺。

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山門左手に赤堀水之助(源五右衛門)の碑が、
そして本堂左手奥の広い墓の中に墓石がありました。

歌舞伎「霊験亀山鉾」の話から始まった亀山仇討物語。
史実の記事は地味ですが、
これが歌舞伎の舞台になると違うんでしょうね。   15日

2009年1月16日 (金)

長谷寺の冬牡丹

雪の室生寺の後は近くの長谷寺へ。   

雪の期待はしていなかったんですが、
もう遅いかなと思いながらも冬牡丹に期待でした。

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どうやら何とか間に合ったようですが、
かなり傷んでいるものやら花のないのもみられます。

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ここに雪でもあれば申し分ないんですが・・・
それは贅沢ちゅもんでして。

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まぁ、これだけの花を見れれば良しとしなければと
自分を納得させます。^^;

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ここには本坊にも冬牡丹があります。
いつものように境内を一周して行きました。

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本坊から見る本堂(大非閣)です。

残念ながらここはもうほとんど見るべき花はなく、
あえて花を包む藁苞の全景です。

晴れたり曇ったり、時折り霧雨の降る寒い長谷寺でした。    

2009年1月15日 (木)

雪の室生寺

石楠花、そして紅葉の室生寺はすでに訪れているんですが、
まだ見ていないのが雪の室生寺!
何年も機会がなかったんですがこのところの雪の便りに、
思い切って出かけました。    14日

国道から離れると案の定、凍てついた道が続きます。

車が通らないとどうしようもないですが、
緊張しながらも寺に雪はどれぐらい?と・・・馬鹿ですね~。

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でも予想していたよりは多い雪でしたが、
出来ればもう少しあれば景色が違ったでしょうね。

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かなりの白トビ、

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鎧坂も雪はありませんが、多分融雪剤で解かされています。
ちなみに境内の平地は雪と水が凍ってガチガチでした。

金堂はただいま秘仏特別公開中。

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拝観は帰りにして、気持ちは先に向いています。

     Murou005
ここもこんなもんでした。
とても雪の五重塔とはいきません。><;

この日の雪の室生寺?五重塔です。

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雪もあればそれでまた困る方も居るでしょうから、
これはこれで良しとしましょう。

奥の院へ行きます。

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滑る石段をと警戒していたんですが大丈夫でした。
さすがに胸突きの石段は融雪されています。

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奥の院、位牌堂です。

ほんのりと雪化粧した室生寺でしたが、
道中はかなり厳しいもんでした。

やはりここは朝早くは敬遠したほうが無難です。

2009年1月14日 (水)

大府市北部公園めぐり

朝からちらつく雪で急遽予定を変更、
雪のないと思った?大府市に歩きに出かけました。  13日

大府駅から「大倉公園」と「桃山公園」を結んで帰ってくる
「健康の道」と言う3.5キロのウオーキングコースがあります。
せっかくなので少し北にあるもう一つの公園を追加、
勝手に北部公園めぐりのコースを設定してしまいました。

まずは最初の「大倉公園」です。

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見事な茅葺の門が迎えてくれました。

HPからの引用になりますが、

”日本陶器(現在のノリタケ)の社長を務めた大倉和親氏の
別邸としてつくられ、昭和50年に市が買い取り公園にした・・・”と。

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入ってすぐに東屋のある広場です。

ここから幾本もの散策路が分かれます。

春には約2,800本のツツジが咲き乱れ、
ツツジまつりが催されるそうです。

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園内を縦横に延びる散策路、自然一杯の園内を通って
「健康の道」は次の「桃山公園へと結びます。

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桃山公園へは軽い上り坂を行きます。

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「桃山公園」のモニュメント、大空に輝く風車です。
春は桜が咲き乱れるとか。

展望台からの眺め。

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関が原方面の西を見ていますが雪ですね。
この右には霞んだ名古屋駅のツインタワーも見えました。

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ここには2つの遺構があります。

まずは左、「大府市水道発祥の地(桃山タンク跡)」、
かってはここから桃山住宅に水が供給されていたそうです。

右は「井戸の跡」、
”ここ桃山周辺には三万本を超える桃の木が植えられていて、
その果樹園を潤すために揚水風車を設置した・・・”と、

その跡が井戸のいわれだそうです。

「健康の道」はここから引き返すんですが、
さらに公園をめぐりに北へ向かいます。

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歩くこと15分ほど、「二つ池公園」に着きました。

名前の通り増田池と平戸池の二つの池がある公園ですが、
平戸池は何もありません。

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池の上のウッドデッキが実にいい感じで、
思わず名古屋博を思い出しました。^^;

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公園の施設として建てられた自然体験学習施設、
「二つ池セレトナ」ですがこの日は休館日でした。

ここから池を回る遊歩道に入ります。

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気持ちの良い道が続きます。
途中にもちゃんと見どころが設定されています。

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ちょうど一周してきました。

それぞれに趣の違った大府の公園。
歩くのはチョッとという方にはもちろん車でも回れます。

この日はほんとに寒かったですが、
また花の季節に来てみたいと思いながら駅に戻りました。 

2009年1月13日 (火)

丈山苑・回遊式池泉庭園

「丈山苑」の詩泉閣の玄関横から東に回り込みますと、
もう一つの庭園、回遊式池泉庭園があります。

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乙女椿ですね~。
庭園への入口に咲いていましたのでチョッと添え物で。

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”カ~ン”と響く猪おどしの音を聞きながら道を行きます。

静寂の中でときおり聞こえるこの音は詩仙堂にもありますね~。
いや、喧騒の詩仙堂に・・・もですか?

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池に水、なら橋は当然ですか、橋の右手に池があるんですが・・・。
橋を渡るとこの風景です!

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正面に見える東屋(四阿)を結ぶところが
ちょうど庭園の中央ですが右の池が入っていません。

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その中央から右手(南側)の池です。

ここから左回りに見て行きます。

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そして北側からほぼ池の全容です。

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最奥(東側)から西の詩泉閣を見ています。

ここから左手に行くと道は二手に分かれます。

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といっても裏道は関係ないんでしょうね。
当然両方行きましたが・・・。

そしてこの傍らにあるのが、

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石川丈山翁像です。

回遊式です、池を回ります。

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中央の四阿から見た庭です。
東本願寺渉成園(枳穀邸)をイメージした庭園。

「丈山苑」の庭園は紹介した三つの庭園を組み合わせた
本格的な庭園になっています。

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ぐるりと池を回って来ました。
こちらが南側から見た庭園です。

漢詩人、書家、そして煎茶の開祖ともいわれ、
作庭家でもあった石川丈山。

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洛北一乗寺に詩仙堂を開き、風雅を楽しみ詩作に遊ぶ、
そんな悠々自適の文人としての生涯を送りながら・・・
なを、望郷の念を抱き90歳の天寿を全うする。

そんな丈山の風雅な世界を楽しんだ「丈山苑」でした。    

2009年1月12日 (月)

丈山苑・安城市

愛知県安城市和泉町にあります「丈山苑」。

石川丈山が京都一乗寺に建てた「詩仙堂」のイメージを、
生誕地である和泉の地に再現し「丈山の世界」を創ったそうです。

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入苑券には ”~静寂のときが流れる~ 詩泉閣と庭園”、
栞には ”せせらぎと草木のそよぎに耳を澄ます
      石川丈山、その風雅な世界。” とあります。

さてその世界をお伝えすることが出来るでしょうか?

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詩仙閣の入口、見えます橋は「望京橋」。
橋の踏板は29枚、遠く離れた京都とここ和泉の地との距離
29里(115km)を表すという・・・。

その核となるのが詩泉閣。

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「丈山肖像」の掛軸、「生涯任自然」の衝立、
詩仙堂ゆかりの三十六詩仙の額がかかります。

さて、庭園ですが、

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まずは詩泉閣の左手(北側)にある「枯山水蓬莱庭園」です。
寒い日でした、ガラス越しになりました。

撮っている後ろに嘯月楼(しょうげつろう)への急な階段があります。

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後ろ向きに下りてくださいと書かれた張り紙を見ながら
上がりますとこの窓、嘯月楼の窓越しに見る庭園・・・。

窓から見た庭園を撮り忘れました。^^;

そして、今度は広間から見る右手(南側)の唐様庭園です。

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障子は開けられていましたが・・・。

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少々全体像がはっきりしませんが・・・、
京都詩仙堂の前庭をイメージした庭園だそうです。

この広間から東側に庭園は続いています。

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廊下を進みます。

    Jozan0072
東側からです。

戻ります。

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中央の手水鉢がポイントになっています。

最後におくの広間。

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ここだけは火鉢(もちろん電気です)で暖房されていました。

したがってここからの庭園はガラス越しになります。
で、当然ですが撮っていません!

ということで庭に出ました。

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庭園の南側から、詩泉閣のほぼ全景です。

田辺の酬恩庵(一休寺)の庭園をイメージした枯山水庭園、
そしてこの唐様庭園。

「丈山苑」、庭園はまだあります。 続きます。
 

2009年1月11日 (日)

尾張大国霊神社・国府宮

愛知県稲沢市にあります尾張大国霊神社(国府宮)。
毎年旧暦正月13日に行なわれる「はだか祭り」で知られています。

普通は二の鳥居から参道ですが、
この日は敢えて一の鳥居から参拝してみました。

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「尾張総社国府宮一の鳥居」の石柱が建つここが参道の入口、
旧美濃路(熱田宮から垂井の追分)に面しています。

おそらくここから参拝する人はまれだと思いますが、

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少し行きますと太鼓橋・・・に見えますがこれはただの歩道橋、

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その最上部から先に見える二の鳥居を望遠で撮っています。

その二の鳥居。

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大鏡餅の奉納もここから行なわれるようです。

もちろん車での参拝は近くの駐車場からになります。

その参道を行きます。

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すぐにあるのが神橋でしょうか?太鼓橋。

そして砂場の参道を行きますと三の鳥居です。

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この辺りは「はだか祭り」の舞台となるところ、
今年は2月7日に行なわれます。

そして楼門です。

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足利時代に建てられた見事な門(国重文)です。

神社境内は思っていたほど広くありません。

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楼門と拝殿の間にある仕切り・・・これは何というのか?
ずらりと絵馬が掛かります。

そして拝殿、そして拝殿前にある狛犬です。

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  Konomiya0111Konomiya0112 
右に「天下泰平」、左が「五穀豊穣」の文字が見えます。

”尾張地方の総鎮守神、農商業守護神、厄除神として広く信仰
されております。奈良時代、国衙(こくが)に隣接して御鎮座して
いたことから尾張国の総社と定められ、
国司自らが祭祀を執り行う神社でありました。
このことから通称「国府宮」として広く知られております。”


           Konomiya012
境内にありましたこの灯籠、
何か分からなかったんですが何なんでしょうか?
酒樽の上部には御酒の銘柄が書かれていました。

尾張大国霊神社(国府宮)。

今年も2月にはまた「はだか祭り」とともに、
全国にその名を知られることでしょう。

2009年1月10日 (土)

岐阜城・金華山

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岐阜市の金華山山頂(標高329m)にあります「岐阜城」です。

金華山には以前に一度登ったことがありますが、
その時はほとんど記事にしませんでした。

今回は数ある金華山登山道の一つで、
家族連れ向けの「七曲道」を登って改めての登城でした。

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この道は本来の大手道(登城道)ですが登ること30分、
ここがロープウエイのりばと百曲登山道の合流点。

城へはこの先まだ少し歩きます。

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初めに現れるのが「天下第一の門」跡です。

永禄10年(1567)稲葉山城を攻め落とした織田信長は、
直ちに尾張国から美濃国に本拠を移します。

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稲葉山の城郭を再建をするとともに城下町の井ノ口を
岐阜と改名し、楽市楽座の継続を認め美濃国の繁栄を図ります。

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二の丸門跡です。

天守閣の一段下に二の丸が築かれ、
さらに一段下に二の丸門が建っていた。

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二の丸門跡をくぐって初めて城が見えました。

ここからさらにさらに奥へと石段を上がって行きます。

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ようやく岐阜城天守閣に着きました。

昭和31年に復興されたもので、鉄筋コンクリート造り3層4階構造。
城内は資料展示室、楼上は展望台となっています。

展望台からの眺望です。

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眼下に清流長良川、見下ろすのは鵜飼の舞台です。

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左(西)には雪の伊吹山、右(北)に能郷白山です。

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13世紀のはじめ、鎌倉幕府の執事ニ階堂山城守行政が
ここに砦を構えたのが築城のはじめでした。

信長・道三ゆかりの城、
この日もロープウエィで、またいくつかの登山道で、
観光客やハイカーの方たちが訪れていました。

2009年1月 9日 (金)

伊奈波神社・岐阜市

岐阜市にあります「伊奈波神社」。
この日(7日)はまだ松の内でしたが立ち寄りです。

とにかく多くの神社に末社がありますが、
まずは参道に入る左手にあるのが「岐阜善光寺」。

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神社には関係ありませんが通り過ぎるわけにはいけません。
六善光寺の一つ、
今年春には六善光寺初の同時御開帳があります。

ということでここからが「伊奈波神社」、
その参道大鳥居です。

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少しカーブした後緩やかに登って行きます。

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”景行天皇十四年、命の偉徳を偲び武内宿禰をして椿原の地
(今の岐阜公園丸山の地)に鎮斎せしめ給うたのが始まりで
今から約1900年以前のことである。” という歴史のある神社です。

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広い石畳を突き当たると大鳥居と神橋、
案内図ではなぜか一の鳥居、二の鳥居ではありません。

神橋左手に手水舎と「伊奈波大黒社」があります。

そして初めの石段を上がると楼門です。

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楼門をくぐってさらに石段を上ります。

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石段の先に見えますのが神門です。
ここまで寄り道せずに来ていますが、
参道両側には多くの神社や御宮があります。

神門をくぐるとようやく拝殿です。

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この後ろには入母屋造りの幣殿と本殿があります。

境内に建ち並ぶ神社や摂社に末社など紹介するには
とても一回では収まりません。

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神門の周りに結ばれた御神籤ですが、
御神籤箱はこの神門の袖に置かれています。

帰りの参道上から見下ろす市街地に、
この境内の高さを実感しました。

2009年1月 8日 (木)

北国脇往還・春照宿

国道365号と並行してある広域農道の道の駅「伊吹の里」。
ここから東に数100mほど行くと「北国脇往還」が通ります。

この日は「伊吹の里」で所用を済ませ少し時間があったので、
以前歩いた記憶を頼りに「北国脇往還」を「春照(すいじょう)宿」
まであらためて歩いてみました。

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小田(やないだ)橋(現在は通行不能)から来た街道は
ここ八幡神社から春照に向かいます。

写真左の手前角に道標があります。

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「左 山中道 右 江戸道」とありますが、
ここは街道の曲がり角で分起点ではありません。

しばらく何もない道を行くとこちらも同じ八幡神社ですが、

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その角に立派な道標があります。(向こうから歩いて来ています)。

「北国街道」から長浜街道が分岐するところで、
「右 北国 きのもと ゑちぜん道」、「左 ながはま道」。

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その「村社 八幡神社」ですが、
姉川の合戦に織田信長が戦勝を祈り凱旋の途に幣を納め、
徳川家康もまた勝運を祈ったという。

その後も羽柴秀吉がここを駆け抜けた「北国街道脇往還」。

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この分岐から道は春照の集落に入ります。

以前はここから宿だと思っていたんですが、
実はここはまだ春照宿ではありませんでした。
さらに行きますと小川があります。

架かる橋が北国橋。

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かっての橋はここから西にあり、
そこで二度直角に曲っていてそこが春照宿の宿口でした。

その傍にある「柳岸寺」。

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かってはこの前を街道が通っていただろうと思われます。

街道に戻り春照宿に入ります。
昔の面影はほとんどありませんが、

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白壁につるし屋根でしょうか?
どこかでみたような???と思いながら・・・。

そして唯一これが街道の名残り。

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春照宿の本陣跡です。

かっては本陣一軒、脇本陣ニ軒をはじめ、
多くの旅籠や茶店が軒を連ねたそうですが今はこの本陣跡のみ。

この先数百メートルで道は直角に北に曲がります。
その場所にある常夜燈。

Suijyo012

この「北国脇往還」は木之本からほぼ斜めに関が原に向かうため、
道はいたるところで直角に曲がります。
特に宿の出口・入口は直角に曲るという・・・その典型です。

北国脇往還・春照宿はここまでわずか数百メートルの宿道でした。

こちらはおまけで、さらに道を進みますとあるのが、

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「史跡野頭観音堂」の石碑と、芭蕉句碑です。
かってここに観音堂があり、旅人に茶の接待をしたとか?

ちなみに句は
「頭巾召せ寒むや伊吹の山おろし」ですが、
芭蕉全句にはありません。

ここから街道は藤川、玉宿通り関が原で中山道につながります。
久しぶりに歩いた?というより散策の春照でした。

2009年1月 7日 (水)

亀山城址・亀山市

三重県内にも数ある城址ですがここもまた知られているところ。

亀山市にある亀山城址です。

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以前に載せたかどうか・・・記憶にありませんが、
あれば改めての登城です。^^;

2007年4月の地震でかなりの被害を受け、
多聞櫓周辺の石垣が一部壊れたようですが、
さすがにこちらの石垣は健在でした。

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横から空堀へと入りますが・・・、
ここも見事な野面積みの石垣が残ります。

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下から見上げる多聞櫓ですが、
被害はここが一番大きかったところです。

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本丸天守台の多門櫓はご覧のとうりですが、
この石垣が被害を受けて天守台は立ち入り禁止です。

この伊勢亀山城、
説明をしようにも複雑でブログの記事としてはチョッと敬遠!
明治の廃城令によってすべてが取り壊されましたが、
現在は多門櫓と石垣、土塁と堀の一部が残るのみです。

ここから東に数百メートル行った東町に大手門跡があります。

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かっては東海道に直面する亀山城の正門。

大手門櫓と大手脇櫓から構成される枡形門で、
一の門が省略されたもので今では説明版にある写真でしか
見ることができません。

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お城に戻る途中にある東三の丸跡の標柱。

この城跡もこういった標柱しか残っていませんが、
すぐ傍の「ますみ児童公園」にわずかに再現された二の丸跡と
二の丸帯曲輪(おびくるわ)、埋門(うずみもん)があります。

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こちらは二の丸跡。

そして埋門(うずみもん)です。

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二の丸御殿と帯曲輪の間に造られた小さい門で、
半分地中にもぐるように造られているので埋門と。

最後はこれも初めてでした、

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二の丸帯曲輪です。
城を敵から守るためにつくられた場所が曲輪、
その曲輪でも帯状に長くつくられたのが帯曲輪とか。

帯曲輪には建物がなく、石を組んだ溝がめぐらされていたことが
発掘調査で分かったそうです。

亀山城址、今回は初めてじっくりと巡って見ました。

2009年1月 6日 (火)

竹成五百羅漢・菰野町

御在所の後も菰野町が続きます。

こちらは竹成地区にあります「大日堂五百羅漢像」です。

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入口に立つ石像、
奥にあるのは「弘法大師御旧跡松樹院」。

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松樹院(大日堂)本堂。
すっかり子どもたちの遊び場、よろしいな~。

五百羅漢像はこの正面にあり、
少し回り込んだこちらがその五百羅漢の入口です。

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”小高い草山に露座で行儀良く居並ぶ五百羅漢は、
県内で類のない石仏群像である・・・”
竹成出身の照空上人(神瑞和尚)が嘉永5年(1852)に発願、
桑名の石工、石長こと藤原長兵衛の一門の手により
慶応2年(1866)に完成しました。” とあります。

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五百羅漢像をぐるりと左回りに一回り。

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こちらが最上部、大日如来と四方仏だそうです。

”安政2年(1855)、工事半ばに照空上人が入滅されたあとを、
竹成村の人が継ぎ15年の歳月を経て完成させた”とあります。

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羅漢には同じものがないと言います。
自分に同じものがあるかどうか?それはまた探すのが・・・。

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今、菰野町の謎というキャンペーンが中ですが、
そのなかの竹成五百羅漢の不思議?
そのポスターのなかにある写真の一部が多分こちら?(汗;)。

探すのに苦労しましたが・・・
これも謎解きの一つか?と思いながら楽しみました。^^;

2009年1月 5日 (月)

樹氷は今・御在所岳

青空のなかを樹氷を見にと御在所岳です。

正月三が日は結構荒れていた様子なのでそろそろかな?と、
ムチャ期待してロープウエイに揺られます。

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暮れとは違って今日は6号鉄塔も綺麗に見えました。
ますます期待が・・・と思いながら一方天気が良すぎるとも。

まずは朝陽台広場から富士見台展望台へ向います。
その朝陽台広場です。

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ご覧のとおり、木々の雪は溶けてほとんど何もなし!

足下の雪はしっかりと踏まれていました。

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富士見台展望台への途中から見た四日市北部です。
このあと登山コースを通って遊歩道に向いましたが、
何とか樹氷は見れました。

とりあえず御在所岳の様子をご覧下さい。

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子どもそり広場前の氷爆です。
出来上がっているように見えますが・・・多分まだ途中?

そして暮れには行く手を阻まれました山頂への遊歩道。

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途中まではラッセルされていましたが運転休止中、
この先は右から登山者の足跡を行きます。

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今日の御在所岳山頂(1212m)です。
踏み跡はありますが少し外すと足が埋もれました。

ここから戻ります。
長者池まで行きましたがこの後は樹氷です。

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昨年暮れに載せました私的な定番スポットです。
木々に樹氷はありましたがやはり付が良くありません。

やはり思った以上に天気が良かったのかなと?
もちろんこの日も快晴で暖かかったんですが。

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その樹氷です!
少なかったですが、見られたのはすべて朝陽台広場北側から
遊歩道の日陰の辺りでした。

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日が当たらないところには辛うじて樹氷が残っています。

いろんな形の樹氷があります。

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風と氷点下の気温によって木々に着氷する樹氷、

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アップで見るとまた違った楽しみがあります。

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最後は今にも落ちそうな氷です。

昨年か?以前にも載せたパターンでです。^^;、
これを探していると足下がおろそかになり要注意!ですが。

樹氷の御在所岳、まだこれからが本番でしょうか。

2009年1月 4日 (日)

日本モンキーパーク

犬山市にあります「日本モンキーパーク」です。
この日はもちろん遊園地ではありません、
「世界サル類動物園」でした。

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始まりました当園の「冬の名物詩・たき火に当たるサルたち」です。
少し時間が早かったんですが人気があります!
場所はモンキーバレイ。

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この谷に住むサルは鹿児島県・屋久島に生息するニホンザルの
亜種だそうでヤクニホンザル、普通のニホンザルよりやや小柄。

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昭和34年の伊勢湾台風で倒れた木を燃やしたところ
サルたちが集まってきたそうです。

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毎年冬になるとテレビや新聞で話題になり、
一度は見てみたいと思っていたんですが・・・ご覧のとうりです。

たき火にあたるおサルも飽きないんですが、
ここのサルは見物人が投げる餌を見事にキャッチします。

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手を叩いて餌を投げろと要求します。
投げると見事にキャッチ!見事なもんですが、
落とすとすかさず下にいるおサルが拾います。
楽しいもんです。

サル園で珍しい(私的に)おサルさんを撮ってみました。

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ボリビヤリスザルです。
リスザルの島には14頭がいるとか。

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トクモンキー(オナガザル科)。
トク(トーク)とはふちなしの帽子のことだそうで、
頭の毛は頭頂部から放射状に生えています。

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ワオキツネサル。
鼻が突き出て、尻尾は白黒のしま模様が特徴。

そして最後はこれ、

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テナガ・クモザル。

別に曲芸をしている訳ではないんですが、
係員の方がこのサルの説明をするために下から餌を投げて、
その餌を捕るための仕草でサルの特徴を説明してくれます。

初めて訪れました「日本モンキーパーク」。
結構一人で楽しんでしまいました。

2009年1月 3日 (土)

大縣神社・犬山市

神社が続きますが別に初詣でをハシゴしているわけではなく、
目的は他にあったんですが少々時間があっての立ち寄りです。

愛知県犬山市宮山にあります「大縣神社(おおあがたじんじゃ)」です。

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国道41号線から約3キロほど東に入りますが、
名前は知っていたものの初訪問(初詣^^;)でした。

鳥居をくぐって参道を行きますと左手にある参集殿と並んで
あります「本殿・本宮」です。

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境内にあります”由緒”によりますと、

”大縣神社 尾張開拓の祖神大縣大神を祀る
 
・・・社伝によれば 御祭神大縣大神は、始め濃尾平野を見おろす
本宮山の頂に鎮座されておりましたが、
垂仁天皇27年8月(紀元前3年)に現在の地に新宮を営み
御遷座されたと伝えられております。・・・”

参拝をして参道の石段を上がった境内ですが、

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正面にるとあるのが「姫の宮」。
祭神は「玉比売命(たまひめのみこと)」。

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女性の守護神として篤い信仰があるという。

3月の豊年祭は天下の奇祭として、
近くの小牧市にあります田縣神社の豊年祭とともに有名です。

傍らにありましたこの「幸福ミニ鳥居くぐり」、

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実際にくぐってみえた方がいましたが・・・。

そして最奥にありますのがこちら、

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「大国・恵比寿神社」です。
何も言うことはありません、大国さん、えべっさんです。

正月3日の初えびす祭は、県下三大えびすの一つだそうですが、
今日じゃありませんか! 知らなかった!

そういえば中にたくさんの人が、そして外にも並んでいましたわ。
いつものことですが、気の向くままに動くとこんなもんです。

最後に、

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この神社の境内にあります梅林です。
紅白250本の枝垂れ梅が植樹され梅林公園として
造成されています。

見頃は2月中旬からとか・・・、これもまた楽しみです。^^;

2009年1月 2日 (金)

初詣・多度大社

毎年2日は初詣なんですが、
今年もやはり恒例の多度大社です。

白馬伝説の多度大社、神馬舎では「錦山号」が出迎えてくれます。

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いつものように参道を行きましたら、
何やら新しい門が・・・。

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建てられている木札には「冠木鳥居」と、
そして説明があります。

”この鳥居は熱田神宮中重鳥居(なかのえのとりい)
御下賜材にて建てられました” ということだそうです。

以前の記憶がありませんが・・・、
ようは1年間来ていなかったってことになります。^^;

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於葺門をくぐって落葉川を渡ると手前が別宮の「一目連神社」、
左奥に本宮の「多度神社」です。

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”今年も1年健康でぶらり旅が出来ますように”と願います。

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朝から少し雨だったからでしょうか、
この時間はそれほど混んでいませんでしたが何よりも寒かった!

境内の”どんど焚”で体を温め家に戻ります。

2009年1月 1日 (木)

2009年 元日

Isuzugawa

      新年明けましておめでとうございます

伊勢神宮・内宮の五十鈴川御手洗場です。
 
清流に手も身も清めて心気一転!
今年も話題を求めて各地に行きます、めぐります!

2009年”ぶらり旅”、
どうかお付合いのほど、よろしくお願いも~うし上げます。^^; 

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