村雲御所 瑞龍寺門跡
近江八幡には何度も訪れながら立寄っていなかった場所、
それが八幡城跡のある八幡山でした。
迷った結果、付けたのがこのタイトルでしたが・・・。
標高271.9mの山頂にはロープウエーでわずか4分。
上がるにつれて眼下に市の中心部が広がっています。
ロープウエーを下りるとまず通るのがこの「おねがい地蔵」、
その先で「瑞龍寺」への登山道と周遊歩道に分岐します。
とりあえず時計回りに周遊歩道を行きました。
まず目に飛び込んできたのが「西ノ丸跡」からの琵琶湖、
そして霞んでいますが奥に比良山系です。
この景色に見とれて、
うっかりと「出丸跡(斜め後ろに行く)を見逃しました。
ここから順路の指標に従い「北の丸跡」へと行きます。
各所に残る 石積みがかっての八幡城を偲ばせます。
そして北の丸跡からの眺め、
正面に見える高い山が繖山(きぬがさやま)、
手前の小高い山が安土城跡で手前に西の湖です。
城跡を一周してきて「瑞龍寺」への石段を登ります。
山門手前の門跡石柱と山門。
そして「村雲御所瑞龍寺」本堂です。
”開山は高野山で自害させられた豊臣秀次の菩提を弔うため、
生母(秀吉の姉)の瑞龍院日秀尼(にっしゅうに)が文六5年
(1596)に京都の村雲に建てたことにはじまり、
昭和36年(1961)にこの八幡山に移築された。”そうです。
門跡を拝観しました。
「接見の間」を見て廊下を行くと石の庭があります。
廊下の軒には「日蓮聖人御一代絵巻」が40枚。
そしてその廊下の前の庭です。
小石で書かれた妙法、よく分かるように並べます。

細かい説明は中央の説明にあるんですがそのタイトルだけを
みますと、”妙法とは即ち是れ心なり”
この場所は戦後瓦礫の山であったのを整備された・・・と。
そして「宮御殿 雲の間」、
京都時代は「貴賓の間」として使われていたとあります。
宮御殿、しっかりと拝観して戻ります。
境内を下りて売店のあるところが「二の丸跡」、
天正13年(1585)、豊臣秀次によって築城され、
八幡山最長部に本丸をもうけた一大要塞だったという「八幡城」。
秀次は秀吉の後継者をめぐって自害させられます。
その秀次を菩提するために建てられた「村雲御所瑞龍寺門跡」が
その八幡城跡にありました。
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