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2008年12月16日 (火)

村雲御所 瑞龍寺門跡

近江八幡には何度も訪れながら立寄っていなかった場所、
それが八幡城跡のある八幡山でした。

迷った結果、付けたのがこのタイトルでしたが・・・。

Hatiman001
標高271.9mの山頂にはロープウエーでわずか4分。
上がるにつれて眼下に市の中心部が広がっています。

Hatiman002

ロープウエーを下りるとまず通るのがこの「おねがい地蔵」、
その先で「瑞龍寺」への登山道と周遊歩道に分岐します。

とりあえず時計回りに周遊歩道を行きました。

   Hatiman003 

まず目に飛び込んできたのが「西ノ丸跡」からの琵琶湖、
そして霞んでいますが奥に比良山系です。

この景色に見とれて、
うっかりと「出丸跡(斜め後ろに行く)を見逃しました。

ここから順路の指標に従い「北の丸跡」へと行きます。

Hatiman004
各所に残る 石積みがかっての八幡城を偲ばせます。

そして北の丸跡からの眺め、

   Hatiman005 
正面に見える高い山が繖山(きぬがさやま)、
手前の小高い山が安土城跡で手前に西の湖です。

城跡を一周してきて「瑞龍寺」への石段を登ります。

 Hatiman006_2 Hatiman007
山門手前の門跡石柱と山門。

そして「村雲御所瑞龍寺」本堂です。

Hatiman008

”開山は高野山で自害させられた豊臣秀次の菩提を弔うため、
生母(秀吉の姉)の瑞龍院日秀尼(にっしゅうに)が文六5年
(1596)に京都の村雲に建てたことにはじまり、
昭和36年(1961)にこの八幡山に移築された。”そうです。

門跡を拝観しました。
「接見の間」を見て廊下を行くと石の庭があります。

Hatiman009 
廊下の軒には「日蓮聖人御一代絵巻」が40枚。
そしてその廊下の前の庭です。

Hatiman010
小石で書かれた妙法、よく分かるように並べます。

 Hatiman0101Hatiman0102

細かい説明は中央の説明にあるんですがそのタイトルだけを
みますと、”妙法とは即ち是れ心なり”
この場所は戦後瓦礫の山であったのを整備された・・・と。

そして「宮御殿 雲の間」、

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京都時代は「貴賓の間」として使われていたとあります。

宮御殿、しっかりと拝観して戻ります。

境内を下りて売店のあるところが「二の丸跡」、

Hatiman013

天正13年(1585)、豊臣秀次によって築城され、
八幡山最長部に本丸をもうけた一大要塞だったという「八幡城」。
秀次は秀吉の後継者をめぐって自害させられます。

その秀次を菩提するために建てられた「村雲御所瑞龍寺門跡」が
その八幡城跡にありました。 

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