義経伝説・吉野山
今は何もない吉野山に「義経伝説」を訪ねました。
桜を愛でながら義経ゆかりの場所を載せたことはあるんですが、
テーマを持っての吉野行きは初めてです。
と言っても、やはり歩きが目的でしたのでコース上の場所を
メインに載せていきます。
”あじさいまつり”が開催中ですが、まだ少し早いようでした。
平日で町なかは観光客もいないだろうと思っていましたが、
中心部にはチラホラと散策の人も・・・。
この日の目的は”義経”で、最初は義経が潜居した「吉水神社」
なんでしょうが、金峯山寺も吉水神社もパスして最初はここでした。
「勝手神社」ですが、
残念ながら境内危険のため立入り禁止です。
愛する”義経”と一緒に行きたい”静”でしたが、
吉野大峯への女人禁制の掟を破ってまでの同行はならず、
京での再開を近い雪の中での悲しい別れとなります。
”文治元年(1185)の暮れ、源義経と雪の吉野山で涙ながらに
別れた静御前は、従者の雑色男に金銀を奪われ、
山中をさ迷っているところを追手に捕らえられて、
この社殿の前で法楽の舞をまい、・・・” と説明板にあります。
ここからキツイ登りが始まります。
花見の時は花を愛でての散策ですが、
今回はただひたすらに金峯神社を目指します。
中千本の「横川覚範供養塔」がある小広場から階段を
上ったところが「佐藤忠信花矢倉」。
”義経の身代わりとなって主従を落ちのびさせるために、
佐藤忠信が一人ここにふみとどまり、
追いすがる敵を切り防いだ古戦場で・・・” と説明にありますが、
その相手が妙党院の豪僧「横川覚範」でした。
少し上にある定番の地、花矢倉展望台からの吉野です。
春には周りにある緑の山々がピンクに染まるんですが・・・。
さらに道は上っていきます。
吉野山がこんなにキツイとは正直思いませんだ!
全身から汗が滴り落ちます。(この日はまた暑かった!)
そして金峯神社への最後の参道を上りきります。
「金峯神社」、吉野山の総地主の神です。
目的はこの左の道を下りたところにある「義経隠れ塔」でした。
大峯修業場の一つですが、説明には
”文治元年(1185)11月、義経がこの塔に隠れ、
追手から逃れるために屋根を蹴破って外に出たため
「義経隠れ塔・蹴抜けの塔」ともいわれています。” とあります。
「吉水神社(吉水院)」からこの隠れ塔周辺に身を移した
義経主従は、ここから極寒の吉野を逃れて行きます。
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こんにちは。
私の実家のほう(岩手沿岸)に、義経伝説が逃げてきたという伝説があり、源平の合戦の様子を舞う踊りが伝わっております。
その後、大陸に渡りチンギス・ハーン・・・
という話もあるかもです。
投稿: 優男 | 2008年6月22日 (日) 15時22分
優男さん
コメントありがとうございます。
ありますねぇ、義経の東北から蝦夷逃避行。
そして大陸へ。
まさにこれが伝説ですかね。
>源平の合戦の様子を舞う踊り
岩手に?これは知りませんでした。
投稿: 好好爺 | 2008年6月22日 (日) 17時23分