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2008年6月30日 (月)

夏越大祓え・京都城南宮

今日は各地の神社で行なわれる「夏越大祓え」の日でした。

そうなんです、もう半年が過ぎてしまいました!早いもんです。
今までこんな行事に出かけようとも思っていませんでしたが、
なぜか今年は感慨深いものがありましてふとその気に

Natugosiharai001
こちらは平安神宮の神門の茅の輪です。

別にここを選んだわけではありません。
その場所、いや神社をどこにするか迷いに迷い!ましたが、
結局は初めて訪れる京都の「城南宮」でした。^^

Natugosiharai002

「夏越の大祓え」は日本古来の風習だそうで、
この半年の間に知らず知らずのうちに身についた罪や汚れを
祓い捨て、心身を清めて残り半年間の無病息災を祈願するという。

神事が執り行われたあと参列者は本殿前に造られた
茅の輪をくぐり抜けます。
そして人形(ひとがた)を禊(みそぎ)の小川に流します・・・と。

その前に我が身も茅の輪をくぐり、己の罪と汚れた心を祓い心身を清め、
人形の禊流しを済ませました。

Natugosiharai003

輪を左にくぐり、次に右へ、そしてもう一度輪をくぐります。
難しい呪文もありますが、そんなもんとても分かりません。

Natugosiharai004
そして紙の人形に名前と年齢を書きます。
左、右と自分の身にあて、ふ~と息をかけます。

Natugosiharai005_2

禊流し・・・、どこの方か知りませんでしたが失礼しました。

Natugosiharai006_2
そして我が人形(ひとがた)が流れていきます。
禊の小川に流して残り半年が無病息災、
この半年の幸せが続きますようにと・・・祈願しました。

これで罪と汚れは祓われたては思ってもいませんが、
とにかく残りの半年も前半のような幸せな日々が続くようにと・・・
そっと祈ってきました。

そして15:00 神事の始まりです。

Natugosiharai007_2
受付に参加者が続々と訪れます。

Natugosiharai008_2
神官が集まり神事開始です。
そして茅の輪くぐりへ。

Natugosiharai009
Natugosiharai010

この後神殿を回ってもう一度”茅の輪”をくぐって禊流しの小川に
向かいます。

Natugosiharai011
Natugosiharai012
     Natugosiharai013
「夏越の大祓え」。
決して楽しみだけに来たわけではありませんが、
これが日本古来の風習の神事でした。

大晦日の”大祓え”は実感します。
この「夏越大祓え」はどう感じていいのか?
まだまだ知らない世界があることを知りました。

2008年6月29日 (日)

野間灯台と野間大坊

知多半島、花の次は景観と歴史の美浜町野間でした。

豊丘から知多半島の西側を走る国道247号線に出ます。
内海から北上して小野浦に入ると国道沿いにある「野間崎灯台」。

Nomat1

ドライブコースのワンポイントスポット。
恋人同士の憩いの場、そして伊勢湾の夕焼けが美しい灯台として
有名なところだそうですが、
残念ながら夕日に映える灯台は今だかって見ていません。^^;

    Nomat2
”知多半島唯一の沿岸灯台として大正10年(1921)の
3月に点灯以来、・・(中略)・・全国の灯台フアンに親しまれている
灯台です。”と案内板にありました。

美浜の野間といえばもう一つ有名なのが「野間大坊」です。

知多四国八十八ヶ所の51番札所ですが、
同じ境内にあるのが50番札所の「大御堂寺」。

Nomat3

左の大門は源義朝(頼朝の父)建立との伝承があります。

Nomat4
Nomat5

正式には「鶴林山無量寿院大御堂寺」、歴史のある古刹です。

Nomat52

こちらは鐘楼堂。
梵鐘は鎌倉5代将軍頼嗣の寄進に寄るもので、
建長2年(1250)の銘があるそうですが国重文です。

Nomat8

そしてこちらが「野間大坊」本殿、知多四国の51番札所です。
桃山城本殿を移したといわれる客殿は県指定の重文です。

野間はまた平家に破れた「源義朝」が東に落延びる途中に、
この地の長田父子の策略によってその命を落としたところで、
寺内にはその「首洗い池」と「墓所」があります。

Nomat6
謀殺された義朝のくびを洗ったとされる「血池」。

殺された時、浴室で裸だった義朝が
”我に小太刀の一本なりともあれば”と無念の言葉を残して
最後を遂げたという伝えられています。

Nomat71
その小太刀が多く献じられている「義朝の墓所」です。

ちなみに、この傍の49番札所「安養院」は、
天正十一年(1583)羽柴秀吉に岐阜城を追われた織田信孝が
自害したところでもあります・・・。

野間灯台と野間大坊、
美浜町野間の景観スポットと、まさに歴史が息吹くスポットを
ぶらり旅でした。      6月27日

2008年6月28日 (土)

ひまわり

花を巡って知多半島を走ります。
コスモスの次は夏?の花に戻って”ひまわり”でした。

Himawari7e
Himawari1

南知多町豊丘にある観光農園「花ひろば」です。
20万本のひまわりを6回に渡って順次咲かせていくそうですが、
写真のようにその畑の様子がよく分かります。

 Himawari2 

その一番手の”ひまわり”が咲き競う様はまさに圧巻です。
   
  Himawari3_2
          Himawari31

この日は生憎の曇り空で陽射しを待っての撮影でしたが、
それもなかなかままならず!
”できれば抜けるような青空の中でこのひまわり畑を撮りたかった”
というのがホンネでした。

Himawari4
Himawari5 
Himawari6

観光用に植えられたひまわり畑なので土産は花!
もちろん本数制限がありますが、
目の前でこのひまわりを切り取っていきます。

Himawari7

なんだかもったいないというか、ひまわりの数が減る?
いいえ、20万本のうちの数千本です、目立ちません。^^;

Himawari8

まだ開いていないのもたくさん混じりますから当然計算の上です。
これからもどんどん花開いてきます。

コスモスにひまわりと、
ひと足早く知多半島に季節の花先取りの一日でした。 
 6月27

2008年6月27日 (金)

梅雨空にもう秋か!

毎度の新聞ネタでぶらり旅。
少し時間が経っていたので心配でしたが、
天気予報を信じて梅雨空の中を知多半島に花見物です。

花はまだけなげに咲いていてくれました。

Tita11

どこかのお嬢さん!チョッと失礼しました。

梅雨空に秋色!早咲きのコスモスです。
特には4月からでも咲く早咲きもあり珍しくはないんですが、
こぼれた種から咲き始めたと記事にありましたが、
これだけまとまって咲いていると見ていても綺麗です。

Tita1

美浜町豊丘の観光施設「美浜ナチュラル村」、
その海の見える丘にある畑でした。

 Tita21 Tita22

天気予報も今回は大当たりで!(翻弄されます^^;)
時おり陽も射す絶好の天気にいったいどうなっているんでしょうね。

Tita3
Tita4

撮る身としては非常に嬉しいんですが・・・、
正直言いますと花はびっしりと咲いてはいません。
蕾みも多く見られ、少しまばらに感じましたがまだこれからかも。

 Tita51 Tita52

それでアップに逃げていますが、それでも十分楽しめました。
上のサムネイル写真、少しサイズが違いますが左がこのカメラの
最大画像サイズ、右がフィルムカメラと同じものです。
敢えてそのままにしました、念のため!

Tita6

このところ花のネタもなかったので、
久しぶりに自分も楽しみながらの花の撮影でした。

Tita7

帰り道にあった「再開の門」、
次は何に再開させてくれるのでしょうか?
ここも何度も前を通りながら通り過ぎていたところでした。

知多半島の花見物、次は秋から夏へ!逆戻りです。

2008年6月26日 (木)

大阪ワッハホール

今日は大阪のワッハホールに片岡我當一門勉強会の
「ときわ会」を観に行きましたが、もちろん初体験の舞台です。

舞台についてはとてもまだ記事にする知識などなく
ご勘弁いただくとして、
7才という和田祥太朗君の「羽根の禿」の踊りに思わず拍手!
こういう若い子たちが歌舞伎を継いでいくのかと思うと、
歌舞伎ファンならずとも頼もしく思います。

で、その前に立ち寄った「長居植物園」です。

Nagai1
Nagai2

珍しい花「ジャカランダ」が初めて咲いたということだったんですが、
こちら→植物園のブログです。

結局受付で聞いても分からぬままであきらめて、
つまらん花?それはないですかね^^;を撮ることになりました。

まずはハス池なんですが、
ここまで来てハスもないだろうと他に回ります。

で、選んだのがここ「ヘメロカリス園」。

Hemero1
Hemero2
カラフルなんですが?しかし何か撮りたいという気がしなくて。

結局花は撮ったんですがイマイチ普通の花。
仕方なく最後はこの花です。

Yamamomoso 
Hakutyou

ヤマモモソウ(別名ハクチョウソウ)です。
冴えない長居植物園でしたが、まぁ、こんなもんですかね。

植物園の花にはまさに外されましたがそれはそれで、
今日はワッハホールの舞台に咲く美しい華に酔った一日でした。

2008年6月25日 (水)

東海道・掛川から見附

京街道の最終部分を残したままこの日は東海道でした。
こちらも虫食いのように勝手気ままに歩いていますが、
今回は掛川から見附(磐田)までです。

今にも降りだしそうな曇り空でしたが昼頃には晴れ間も出て
快適な街道歩きです。
芭蕉を追って歩いた島田、金谷、日坂、掛川と歩いた続きで
ここからは次が袋井宿です。

街道筋にはいろんな見所もあるんですが、
通じていえるのは「一里塚跡」、宿の「本陣・脇本陣跡」、
神社・仏閣に道標などで、歩いている身には楽しいんですが・・・。
これを記事にしてもなんも面白くないですわね。^^;

Fukuroi

その袋井宿の案内板です。
東海道の27番目の宿になりちょうど真ん中ということで
ご覧の”どまん中”が謳い文句になっています。
歩いていると徹底して”どまん中”の文字に出会います。

ちなみに距離的なまん中は次の見附と浜松の中間辺りになります。

とまぁ、講釈はこれぐらいにして、今回の見どころはこちらです。

Mituke001

見附宿の本陣跡の傍に建つ白亜の洋館、
明治8年(1875)に建てられた旧見附学校で、
現存する日本最古の洋風疑木造建築小学校校舎(国史跡)。
建物は屋上に二層の楼が重ねられ三階二層の造りです。


現在は郷土・教育資料館として、教育関係の資料を中心に
展示されています。

Mituke003
Mituke004

その一階部分には明治期の授業風景や校長室が再現され、
教育関係の資料が展示されています

Mituke005
Mituke007

二階には帰宅後の子供の読書の様子が再現され、
当時の学用品や遊び用具の品々が展示されていました。

Mituke008
Mituke009
Mituke010
Mituke011

いずれも我が身としては経験のある懐かしい遊びの品々です。

Mituke012

究極の遊びでした、輪ころがし!やりましたねぇ。

そして3階は郷土資料が並びます。

Mituke013

3階全体が郷土資料舘となっていて、明治、大正時代に使われた
日用道具が中心に展示されています。

Mituke014

さらに上にある楼、4階に当たりますが展望を兼ねた休憩所?
でしょうか。

Mituke015

そして最上階の展望階ですが、さすがに狭く感じます。
四方を見渡せますが、

Mituke016

磐田市の市街地・磐田駅方面(南)です。

姫街道(見附から御油赤坂まで)との追分がある見附宿。
いつか姫街道を歩くためにもここだけはどうしても歩いておきたい、
そんな気持ちで来ましたが、街道歩きでこんな寄り道をしたことは
あまりありません。

今回は先を急ぐ歩き旅でもなく、のんびりと観光気分で歩いた
楽しい旅でした。

2008年6月24日 (火)

京街道・枚方宿

午後から晴れるとの予報に大阪へ。
昨年の夏に途中まで歩いたまま放ったらかしの京街道、
梅雨空のなかを樟葉から再開でした。

Kyokaido001

すぐに淀川の堤防に入って,、
楠葉パブリックゴルフコースを見ての道歩きです。
伏見宿から、淀宿と二つの宿を歩いて来ましたが、
今回は枚方宿から守口宿までの歩きでした。

頼みの天気は予報に反して曇り後雨、
当たらん時はこんなもんです。
この京街道、道中は何の見所もありません。
宿間はほとんどが淀川の堤防を河川公園を見ながらの歩きです。

Kyokaido002

堤防歩きから枚方宿に入ります。
とにかく街道筋もほとんど見所がありません!

で、今回は枚方宿の「鍵屋資料館」です。

Kyokaido003

枚方宿といえば「くらわんか舟」。
淀川を行き交う三十石船の船客に、
くらわんか!くわらんか!と舟を付けて食べ物を売った事で
有名ですが、そうした当時の様子が再現されています。

Kyokaido007

「鍵屋」はまた、そうした三十石船待ちの宿として栄えました。
その母屋を解体して修理し」、復元されています。
その母屋です。

Kyokaido004

こちらは見学は無料。

Kyokaido005
Kyokaido51
Kyokaido52
Kyokaido006

母屋にも歴史を感じる展示品が多くあります。
そして資料館は有料(200円)ですが、

Kyokaido53

こちらは淀川舟運の歴史が紹介されています。
こちらが入口ですが、まぁ、なかの紹介は省きます。


  Kyokaido009_1 Kyokaido008_1

そして宿の西外れにあります「水面廻廊」です。

太閤さんも、紀州候も、象も通った枚方の街道、
歴史の面影を残す町並みでした。   6月23日

2008年6月23日 (月)

大師の里・あじさいまつり

大雨の大紀町でびしょ濡れになり帰ろうとしたら雨が小降りになる。
ならば、帰る途中にありますもう一つのあじさいの里、
以前に行ったことのある「丹生の大師」の里です。

町に入る途中から車道の両脇はあじさいだらけです。
駐車場横の道もご覧のとおり。

Nyu1

正式には「大師の里・彦左衛門のあじさいまつり」。
Nyu2

6月8日がまつりの日ですでに終っていましたが、
あじさいはまだまだ見頃でした。

Nyu3

駐車場から「立梅用水」に沿って続く「あじさいの小径」から、
里内の田畑のなかを縫うように延びる道筋に、
あじさいが植えられていて里内がまさにあじさいで埋まっています。

その数どれほど?これはもう説明不要です、
そのあじさい群を歩いた順に拾っていますが、
これでもほんの一部です。

  Nyu41 Nyu42
Nyu5

 Nyu61 Nyu62
Nyu7
Nyu8

とにかく道の両脇に咲くあじさいの数はどれほどあるのか?
ただ雑然と植えられているのですが、
歩く角度ですべてロケーションが変わります。

Nyu9

三重県多気郡丹生、大師の里の「あじさいの小径」。

雨も上がって何も言うことのない、
ほんとに見事なあじさいを堪能させてもらいました。

2008年6月22日 (日)

大紀町あじさいの道まつり

三重県の北中部大雨洪水注意報発令中!午前中大雨の恐れ。
なんぼ雨に似合う花とはいえ、
何でこんな日に行かなけりゃいかんの?というのがホンネです。

天気はその場のものと、勝手に決めて行ってきました
度会郡大紀町阿曽の「大紀町あじさいの道 まつり」でした。

Taiki1

阿曽温泉からバスの輸送(歩けば約3キロです)で「あじさいの道」
入口まで、そこから1キロほどの奥河内川沿いの道。

天気予報はよく当たります!
こんな日にもあじさい見物という物好きは・・・、多いんです。
当然この日限りのまつりですから、地元の人たちも大変です。

Taiki2

まぁ、少々補正するよりそのままのほうが雰囲気が出て??
よろしいかと暗いまま載せます。
無論、レンズにかかる水滴もそのままです。^^;

Taiki3
Taiki4

まぁ、天気は別にして、ロケーションとしてはよろしいんですが。

Taiki5

  Taiki61 Taiki62
何せ花がないんです!
載せているのは1キロの道筋で、ポツン、ポツンと現れる花の群れ。
あまりにも「あじさいの道 まつり」にしては寂しい限りで・・・。

花も雨に濡れますが、こちらもびしょ濡れです。

Taiki8
Taiki7

とにかく雨が止むことはありませんでした。

ここには林道の奥に「風穴(もちろん中に入れます)」と
「八重谷湧水」の見所があります。

話を戻してこのあじさい、
数年前から鹿に食べられるという鹿害?に遭っているそうで、
単独株はその害にあったものだそうであまりにも惨めでした。

2008年6月21日 (土)

梅雨空にハスが咲く

新聞(20日)のベタ記事で早咲きのハスの写真が載った。
場所は三重県菰野町の庁舎内にある池。

ハスといえば近くでは愛知県愛西市の「船頭平河川公園」。
毎年楽しんでいるんですが昨年は7月7日に行っています。

天気がはっきりしないなかを様子を見に出かけました。

Sendo1

満開にはほど遠い状態ですが早咲きのハスが結構咲いています。

Sendo2

いつもハスを見るとどの状態が一番いいのか?と思うんですが、
撮る時はやはり自分の好みの開き具合にカメラを向けます。

Sendo3
Sendo4

ただ、この時期はまだ花数が少ないのでそうもいきません。
適当に見繕って撮るしかない そんな状態でした。

Sendo5

やはりハスは7月に入ってからが見頃のようです。
今の見頃はこの花、

Ponte
「ポンテデリア・ランケオラタ」。
涼しげな青い花が一面に咲いていました。

Suiren

そしてスイレンも咲いてここも小さいながら水生植物園です。

さて、新聞に載った菰野町のハス池に回りました。
小公園もある素晴らしい菰野町庁舎の図書館の裏にある池です。

Komono2
Komono1 

確かに咲いていましたが・・・^^;、こちらはまだまだこれからです。

足湯の温泉が池に流れ込むのでひと足早く咲くとのこと、
咲いているのは事実ですが?チョッと見物にはまだのようです。

ただ、ここにこんなハスの咲く池があるのを初めて知りました。

2008年6月20日 (金)

谷瀬の吊り橋・十津川村

吉野からひと足?とはいきませんが、チョッとばかり走って、
十津川村は「谷瀬(たにせ)の吊り橋」です。

悪名高い国道168号線もところどころは立派な道になって
トンネルを抜けていきますが、まだ工事中のところもあり
私的にはやはり悪路の感がぬぐえません。

  Tanise111_4
Tanise1_2

20年ぶり?の再訪です。
そのときはこの下にある「谷瀬のオートキャンプ場」での
キャンプでしたが、橋を渡ったのはそのときが初体験でした。

Tanise2_2

以前の時より揺れがないかなぁ~?と思ったんですが、
渡っている人が少ないので納得!

Tanise3_2

この辺りまで来ると前にも後ろにも進めなくなりしゃがみ込んで
しまう人もいたんですが、この日はそんな様子はありません。

  Tanise41

中央部からの対岸。

Tanise5

対岸に着きました。

  Tanise61

そして対岸から戻ります。

その橋の様子です。

Tanise7
橋のサイド。

Tanise8
その下の網の部分、黒く見えるのが川筋です。

Tanise9
そして敷かれた板です。

Tanise91_2

さすがに若ものたちが渡ると揺れます。
でも皆さん、思ったより静かに渡っていました。

Tanise10

この子は強い!なんとも平気で日傘を差しての往復です。
この日に見た中で渡れなかったのはこの子のお母さんだけでした。

長さ297.7m、高さ54mの吊り橋。
歩道専用の吊り橋としては日本一と言われています。

少しの時間でしたが懐かしく楽しい「谷瀬の吊り橋」でした。

2008年6月19日 (木)

義経伝説・吉野山

今は何もない吉野山に「義経伝説」を訪ねました。
桜を愛でながら義経ゆかりの場所を載せたことはあるんですが、
テーマを持っての吉野行きは初めてです。

と言っても、やはり歩きが目的でしたのでコース上の場所を
メインに載せていきます。

Yosino

”あじさいまつり”が開催中ですが、まだ少し早いようでした。
平日で町なかは観光客もいないだろうと思っていましたが、
中心部にはチラホラと散策の人も・・・。

この日の目的は”義経”で、最初は義経が潜居した「吉水神社」
なんでしょうが、金峯山寺も吉水神社もパスして最初はここでした。

Sizuka_1

「勝手神社」ですが、
残念ながら境内危険のため立入り禁止です。

愛する”義経”と一緒に行きたい”静”でしたが、
吉野大峯への女人禁制の掟を破ってまでの同行はならず、
京での再開を近い雪の中での悲しい別れとなります。

Sizuka11

”文治元年(1185)の暮れ、源義経と雪の吉野山で涙ながらに
別れた静御前は、従者の雑色男に金銀を奪われ、
山中をさ迷っているところを追手に捕らえられて、
この社殿の前で法楽の舞をまい、・・・” と説明板にあります。

ここからキツイ登りが始まります。
花見の時は花を愛でての散策ですが、
今回はただひたすらに金峯神社を目指します。

中千本の「横川覚範供養塔」がある小広場から階段を
上ったところが「佐藤忠信花矢倉」。

Tadanobu1

”義経の身代わりとなって主従を落ちのびさせるために、
佐藤忠信が一人ここにふみとどまり、
追いすがる敵を切り防いだ古戦場で・・・” と説明にありますが、
その相手が妙党院の豪僧「横川覚範」でした。

少し上にある定番の地、花矢倉展望台からの吉野です。

Tadanobu2

春には周りにある緑の山々がピンクに染まるんですが・・・。

さらに道は上っていきます。
吉野山がこんなにキツイとは正直思いませんだ!
全身から汗が滴り落ちます。(この日はまた暑かった!

そして金峯神社への最後の参道を上りきります。

Yositune1

「金峯神社」、吉野山の総地主の神です。
目的はこの左の道を下りたところにある「義経隠れ塔」でした。

Yositune2
Yosino031ee

大峯修業場の一つですが、説明には
”文治元年(1185)11月、義経がこの塔に隠れ、
追手から逃れるために屋根を蹴破って外に出たため
「義経隠れ塔・蹴抜けの塔」ともいわれています。” とあります。

「吉水神社(吉水院)」からこの隠れ塔周辺に身を移した
義経主従は、ここから極寒の吉野を逃れて行きます。

2008年6月18日 (水)

竹林院群芳園

奈良県吉野町、桜の季節には凄い人が訪れますが、
この日は静かでした。
訪れた目的は違ったんですが、
少し帰りが遅くなりましたのでこちらを先出しです。

吉野山の右端を縫うように上って行きますとあります「竹林院」。

Tikurin001

ここに大和三庭園の一つといわれる「群芳園」があります。

Tikurin010 
Tikurin002

サツキの刈り込みと自然石が配置された池泉回遊式の庭園。

Tikurin003
Tikurin004

右に回りこみながら撮って行きますが、

Tikurin005

こちらが一番奥になります。

Tikurin006 

當麻寺中之坊、大和小泉慈光院とともに大和三庭園の
一つに数えられている庭園だそうです。

Tikurin007
Tikurin008

千利休が手を加え、桃山風の庭園に改修したものだそうですが、
一説には細川幽斎が改築したとも伝えられるそうです。

と言われても・・・私にはあまりよく分かりません。^^;

Tikurin009

何度も吉野に来ていながら・・・、ここは桜だけではないんです。
「竹林院」、名前は知っていましたがただ通り過ぎていました。

汗だくで下りてきて目についた”大和三庭園の一”の文字に、
つい惹かれて入りました「群芳園」でした。
吉野にも知らないところが多い!ただそれだけでした。 汗

あじさいの久米寺・橿原市

羽曳野市古市から橿原に戻り神宮に参拝して久米寺です。

ここまできたら久米寺のあじさいは見ておきたい、ということで、
曇り空で夕方と、時刻はかなり厳しかったんですが・・・。

Kume1

境内のあじさい園は和洋40~50種、3000~4000株のあじさいが
あるそうですが、5~6分咲きでしょうか?

Kume2 

神通力を会得した久米仙人が飛行中に、
吉野川で洗濯している娘のふくらはぎに目がくらみ、
神通力を失くし落ちた場所に建てたお寺と言われているそうです。

 Kume31 Kume32

ただ、さすがに暗い!もう少し陽が欲しかったんですが・・・
こればかりは無理というもので。^^;

Kume4
Kume5

迷路のようなあじさい園を隈なく回っていきますが、
かなり撮影もISOを上げての撮影になりました。

Kume6

創建は聖徳太子の弟来目皇子(くめのおうじ)とも
久米仙人ともいわれています。

 Kume71 Kume72

綺麗な両性花(中性花)の咲く前と、咲いているものです。

Kume8

ちょうど一回りして出ましたら閉園でした。

このお寺も見所が多いようですが、
この日はとにかくあじさいだけでした。
満開になるのはあと少し?かと思いましたがどうでしよう、
今週末か微妙なところです。    6月15日

2008年6月17日 (火)

ヤマトタケル白鳥伝説

以前にスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」の記事でタケルの陵墓、
三重県亀山市能褒野神社の白鳥陵を紹介しました。

大和へ辿りつきたい一心からか、
三重の能褒野御陵からタケルは白鳥となって天を翔けます。
そして念願の大和に降り立ったのがここ琴弾原(ことひきはら)、
奈良県御所市富田でした。

Takeru1

何かそんな雰囲気の漂うなかを案内板に導かれていきます。

こんなところに陵墓があるのかと・・・?

Takeru2
Takeru3

決してあじさいロードではありません!
花の先にチラッと見えますがまだ新しい?階段、
少し上るとそのヤマトタケルが思い焦がれたであろう
大和の地「琴弾原」の「日本武尊白鳥陵」がありました。

Takeru4

想像していたのとはかなり違った御陵で、
わざわざ来たわりには(交通の便はありません、車か歩きです)、
寂しい限りでしたがこれがヤマトタケルにふさわしいお墓かも?

ここから再び天を翔けたタケル白鳥は旧市邑(ふるいちのむら)・
大阪府羽曳野市古市に舞い降ります。
なぜか古墳群の多い?いたるところに御陵のある町です。

Takeru51
Takeru52

そのなかの一つ、こちらは素晴らしい「日本武尊白鳥陵」でした。
まさに「前方後円墳」の陵墓です。

Takeru53

父、景行天皇がヤマトタケルのために造ったといわれる、
琴弾原白鳥陵、そしてこの羽曳野の白鳥御陵。

タケルの魂が白鳥になって天を翔けたといわれている
三重の「能褒野陵」。
そして最初に降りたった大和、御所市富田の「琴弾原白鳥陵」、
そして、最後に降りたった羽曳野市古市(旧市邑)の「白鳥陵」。
ここを最後に白鳥は天高く飛立ったと言われています。

スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」からタケルの白鳥伝説を追って、
三重から少し間が開きましたが大和、河内の旅でした。  

2008年6月16日 (月)

歌舞伎観賞教室・俊寛

早くも1年がたちました。
今日は歌舞伎観賞教室で奈良県の橿原文化会館でした。

    Kabukikyositu_2    

今年の演目は「俊寛」・鬼界島ケ島の場、初めて観ます。
肩タイトルが~平家女護島(へいけにょごがしま)~。
平家物語からの近松歌舞伎で、平家打倒を謀る俊寛が
裏切りにより清盛に漏れ平判官康頼、丹波少将成経と
鬼界ゲ島に流されます。
難しい話は別にして学生たちと一緒に観る実に楽しい
歌舞伎鑑賞教室です。

1年経って歌舞伎、文楽や祭りの子供歌舞伎など、
かなりの舞台?を観ましたが一向に観賞の成果も上がらず、
とても記事にするなどおこがましいんですが、
何故かこの観賞教室、
観る舞台が分かりやすい?のか、それともそう感じるのか
それはわかりませんが今回も楽しんできました。
毎度の事ながら、我が歌舞伎の師匠に感謝でした。

2008年6月15日 (日)

菅島灯台・鳥羽市

太平洋を望む伊勢志摩の海岸線に建つ灯台。
南から麦崎、大王崎、安乗崎、神島と見てきましたが、
思い当たるところで見残していたのが菅島灯台でした。

とにかく定期船の時間の都合で島の滞在時間が左右されて
今まで躊躇していたんですが、思い切って行きました。

Sugasima1

江戸時代、遭難する船が多く「かがり火」が設けられたそうで、
明治6年レンガ造りとしては現存する我国最古の様式灯台です。

   Sugasima2
これを見たくて・・・、ようやく願いがかないました。

Sugasima3

今は閉ざされた扉の上に取り付けられた銘板です。
明治の文字にその歴史を感じます。

   Sugasima4
凄い灯台です!。
残念ながら今まで見てきた伊勢志摩の灯台とは違って、
観光の趣はありません。

この島にわずか1時間10分の滞在でした。

Sugasima5 

来る途中の「しろんご浜」、
傍に白髭神社があり、7月11日には祭礼「しろんこ祭り」が
行なわれます。
”島中の海女が一斉に海に入り最初に採った雌雄つがいの
あわびが神殿に奉納される” と。
残念ながらわずかの距離でしたが神社はパスでした。

そして灯台を見て戻る途中の遊歩道(近畿自然歩道)。

Sugasima6

”びわ”の実が垂れる遊歩道にはチョッとビックリでしたが。
この後で急坂を上り途中寄りです。

登りきったところにある第一監的的哨跡へ。

Sugasima7

神島ではあまりにも有名(潮騒の場面)ですがここにもあります。
場所を変えれば第二もあるんですが・・・今回は回れません。

Sugasima8
Sugasima9

哨跡から見る菅島漁港と菅島灯台です。

ここから一気に駆け下ります。

Sugasima10

乗船場近くの菅島小学校ですが、
灯台をイメージしたこの校舎に思わず敬礼!でした。

Sugasima11

この日は灯台だけが目的で来たので十分満足したんですが、

この島を散策されるのなら最低3時間は・・・。
見所だけでも2時間は必要かも知れません。
そんな菅島でした。   6月14日

2008年6月14日 (土)

岡崎東公園の花菖蒲

形原から帰る途中の立ち寄りが続きます。
岡崎市にある東広園で開催中の「花菖蒲まつり」(~20日)です。

Higasi1

池を望む一角にある「菖蒲苑」は実にロケーションがいいです。
左奥には斜面に段差の「しょうぶ苑」が続きます。

Higasi51  
こちらが斜面側。

Higasi52
こちらが池側ですが、
ちょうど中央から右と左を見ていますが結構広いです。

Higasi2

メインどころのエリアの花にはすべて名札がありますが、
毎度のことながら紹介は省かせていただいて・・・。

Higasi3

この公園も各エリアに工夫がされていて結構見せてくれます。

もう、どう撮っても特別な花になるわけではないんですが、

 Higasi41 Higasi42
来た以上は一応アップも撮らねばと!無理やりに。^^;

Higasi6

ここは公園全体が広くて各エリアをつなぐ遊歩道も整備され、
訪れる人も多彩ですがやはり家族連れが目立ちます。

Higasi7

この日はあじさいがメインでしたが、
ついでに寄った岡崎東公園の「花しょうぶまつり」。

さすがに花しょうぶも見飽きてどうもマンネリです。
うん?前にも同じようなことを書いたかな。  6月12日

2008年6月13日 (金)

本光寺のあじさい

愛知県幸田町の深溝にある「本光寺」。
戦国最強の三河武士といわれた「深溝松平家」の菩提寺ですが、
ここには約1万本のあじさいが植えられています。

Honkoji1_2

山門に続く参道の両側にあじさいが咲きほこります。

Honkoji2 Honkoji3

境内には梅林や歴代の松平家の御廟所があり、
周りのいたるところでアジサイが楽しめます。

Honkoji4
Honkoji5

立寄った時間には天気も回復して、
強い陽射しのなかでのあじさい見物でした。

 Honkoji61 Honkoji62
あじさい園のあじさいまつりもいいんですが、
こうしたお寺でのあじさい見物も趣があってまたいいもんです。

Honkoji7

何気なく咲くあじさいも、
ちょっとしたアクセントを入れると雰囲気が変わりますねぇ。

Honkoji8

形原のあじさいしか頭になかったんですが、
近くにこんなところがあるとは思いもかけませんでした。
あじさいの「本光寺」、私的には意外な穴場でした。  6月12日

2008年6月12日 (木)

形原温泉あじさいの里

朝からの雨に行く場所もないかと思いながら、
朝刊の「形原あじさいの里」のあじさいが見頃との写真と
ベタ記事を見て決まりです。

昨年同様に今年もまた雨の「形原温泉あじさいの里」でした。

Katahara1

昨年とは違った写真の構成でいきたいと思いながら・・・、
どうしても同じ構図になります。

Katahara2

上部にある「あじさいガーデン」。
チョッと角度を変えてみましたが凄い広さとアジサイです。

      Katahara3
最上部からの「あじさいの里」です。

 Katahara4  

このところなぜかローアングル(ようは下からですの覗きです)^^;

Katahara6

雨の日に濡れた紫陽花を撮りに来たんですが・・・。
ないんですねぇ。

どうにか見つけたその雨に濡れた花です。

     Katahara32
何が紫陽花だと思われそうですが・・・、水滴が主役です。^^;

 Katahara52 Katahara5
雨が降っているのに何で乾いたアジサイばかりと思いながら・・・。
雫を求めて彷徨いましたら、なんと晴れてきました。

当たる天気予報?さすがです。

 Katahara72 Katahara7
雨も良しと、思うアジサイまつり。
晴れるとまた下からの絵です。(漢字変換の妙ですが股下?)

Katahara8

戻りましたらご覧のとおり快晴になりました。
アジサイには?いえ、見る人にはどちらが良いのでしょうか。

形原温泉~あじさいの里~雨から陽射しのなかで、
まさにあじさい見物の日でした。

2008年6月11日 (水)

賀茂しょうぶまつり・豊橋市

チョッと時期を外してしまいそうなので急いでアップです。
豊橋市にある賀茂しょうぶ園の”しょうぶまつり”、17日までです。

Kamo1

この橋を挟んで両側に菖蒲園があります。
ここは賀茂神社の境内南にある面積9900平方メートルの園内に
江戸系、肥後系、伊勢系のしょうぶ300種約3万7000約300種・
37,000株の花しょうぶが咲きます。

Kamo2

 Kamo51_2 Kamo52_3    

菖蒲もこれからの花ですが、ここは早いですねぇ~。
この太鼓橋は賀茂神社への参道です。
橋から見る西のしょうぶ園と東側、結構広いんです。

Kamo3
これは西側のしょうぶ園。

この日は菖蒲をローアングルで攻めてみました。

 Kamo41 Kamo42
もう少し陽射しがあれば・・・透けたかも?

 Kamo43 Kamo44
違うアングルをと考えながら撮っているんですが、
所詮こんなもんですかね。

ここの東ゾーンには名札がありますが、
江戸、肥後、伊勢の系統から一花ずつ。

Edo
江戸系の紅型(ビンガタ)だそうです。
敢えて否定しませんが、花の特徴にはもちろん違いがあり、
その説明はよく分かるんですが、
立つ名札には疑問を感じることも多々あります。

Higo
こちらは肥後系で大和姫(ヤマトヒメ)。
昨年は伊勢菖蒲を探して何度この系統に悩まされたことか・・・。

Ise
残るは伊勢系の藤代(フジシロ)だそうです。

言われてみればなるほどっと思っても、
実際に見るとよく分かりません!この日はピンセットを使って
花芯の中まで調べていた人がいましたがいったい何をと・・・。

しかし名前はどうであれ、見事なしょうぶ園でした。

Kamo6

無料でこれだけの”しょうぶ園”を開放している豊橋市はえらい!
名前は加茂と違っても、静岡にもあるんですねぇ~。

まぁ、それなりの観光施設ですが、同じ”かも”ならこちらの賀茂を
チョイスしたい・・・そんな「しょうぶ園」でした。  6月7日

2008年6月10日 (火)

初体験・ヤマトタケル

Takeru

初体験、中日劇場初日(9日)のスーパー歌舞伎・ヤマトタケル。
右近・段治郎のダブルキャストによる3年ぶりの上演だそうです。

4時間に及ぶ長汀場の舞台にも飽きさせないテンポの早い展開。
豪華絢爛の舞台衣装に驚き!そのスペクタクルに喝采です。

踊り女に身を変えて熊襲のタケル討伐、
蝦夷(相模)での火攻めを切り抜けて”草薙の剣”の誕生。
走水の海上で荒れ狂う海を鎮めるため、
自ら海中に身を投じる決意をする弟橘姫(オトタチバナヒメ)との別れ。
伊吹山の山神と闘い傷つき倒れ、
能煩野(ノボノ)の地でついに命尽きるタケル。

そして最後は白鳥となって”天翔けていく・・・” 
華麗なるタケルの宙吊りと、まさに見せ場はたっぷり!です。

初観劇で初感激・大感動の舞台でした。(チョッとオーバー ^^;)
とにかく面白い!の一言、これはもうエンターテインメントです。
歌舞伎を知らない人(自分もその一人です)でも存分に楽しめる、
そんな「ヤマトタケル」でした。

とまぁ、べた褒めの感想ですが、
実はこのプログラムにあった記事に少々興味がありました。

~ヤマトタケルに浸る旅~「タケル終焉の地を訪ねて」。
三重県鈴鹿市と亀山市にあります神社とタケルの陵墓です。

これは行かねばなりません、いや!行ってきました。
まずは鈴鹿市加佐登にあります「加佐登神社」です。

Takeru001
祭神は「ヤマトタケル」。石像もあったようですが気が付かず?
陵墓に向かいます。

Takeru002
Takeru003

こちらが明治9年(1876)に明治政府により、
最初にタケルの能褒野墓とされた「白鳥塚」と古墳です。

ここから西に5キロほど行きます。
亀山市に能褒野町はありますが、
ヤマトタケルを祀る「能褒野神社」は傍の田村町です。

Takeru005
祭神は「日本武尊」と「弟橘姫」そして「建貝児王(タテカヒコノオウ)
誰かと思ったらヤマトタケルの子とありました。(ええぇ?)

Takeru004

そして明治12年(1879)に宮内省により
「日本武尊能褒野御墓」と制定された「能褒野王塚古墳」です。
前方後円墳で、宮内省の管轄になっています。

経緯は別にして、

Takeru006

安楽川に架かる「能褒野橋」から見る景色。
右端の小高い山が陵墓、左の奥に霞む山々の向こうに、
ヤマトタケルが最後まで思いを馳せた大和の国があります。

2008年6月 9日 (月)

斎宮のノハナショウブ

「斎王まつり」の会場から東に2キロ程の場所にある
国天然記念物指定「斎宮のハナショウブ」群生地です。

旬のものが続きますので一気に連続アップです。

Nohanasyobu001

”この野生の花菖蒲は植物学上「ノハナソウブ」といい
現在各地で栽培されているハナショウブの原種である。・・・”

説明文の一部ですが、花は濃藤紫色の単色です。

Nohanasyobu002
Nohanasyobu003

それだけにどれを撮っても一緒で・・・。

Nohanasyobu004
Nohanasyobu005

「斎王まつり」と同じ時期に開花するため、
まつりをみながらショウブを見に来る方も多いようです。

Nohanasyobu006
Nohanasyobu007

ここ斎宮はハイキングコースが設定されているためか?
駅からのハイカーも多く、”まつり”の日は特に人が多いようです。

明和町・斎宮の「ノハナショウブ」、観賞用の花菖蒲とは
また違った自然のハナショウブもいいもんです。

斎王まつり・明和町

曇り空のなか雨との予報もあったんですが、
そのときは国の天然記念物”ノハナショウブ”を見ればいいと
二股かけての「斎王まつり」でした。

予想に反して天気は最高、暑いぐらいのなかでの催行です。
昨年は斎王群行の様子を追っかけたんですが、
今年は群行に先立つ前の儀式を追ってみました。

Saioo001

儀式の前に並ぶ女官たち。
まずは「禊の儀」の開始です。

Saioo002

一人一人がてを清め禊を受けます。

Saioo003
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最後にこの”まつり”の主役「斎王」の禊です。
特別に造られた舞台?に進んで、
昨年は無かった祓川に見たてた水路での禊です。

Saioo005

女官が迎える中を斎王が戻ります。
この後小学生の子、5人が舞う「いつきの舞」が奉納されます。

Saioo006

これが長いんですが、暑いなかで頑張っていました。

そして「鎮魂の儀・発遣の儀」が始まります。

Saioo007

斎王が京の都から伊勢の斎宮に赴く決意を読み上げます。

Saioo008

終ると群行開始の準備に入ります。

Saioo009
Saioo010
Saioo011

隊列を組むために会場を出る上から「子供斎王」・「女別当」そして
「斎王」の怱華連(そうかれん)と呼ばれる車です。

予定どうりの時間に斎王群行が出発しました。

Saioo012

毎度の場所からの撮影です。^^;

「いつきのみや歴史体験館」の北側にあるこの場所も
”ノハナショウブ”が植えられていて見頃でした。

今年は”花”も”まつり”も楽しんで、
外れた天気予報に感謝でした。   6月8日

2008年6月 8日 (日)

勧修寺氷池園・京都山科

梅宮大社から戻る途中に山科の勧修寺(かじゅうじ)に寄りました。

京都市の名勝庭園・氷池園(ひょうちえん)に咲く睡蓮と、花菖蒲
ですが、どちらかというとここは睡蓮がメインのようです。

Kasyuji03

「氷室の池」を中心に周囲の山を借景にした「池泉式」庭園。
ここはやはり花よりその庭園からです。

 Niwa1_2 Niwa2

池の氷が五穀の豊凶を占うために宮中に届けられたという伝え
から「氷地池」と呼ばれるそうです。

池には睡蓮がびっしりと咲いて周りには花菖蒲です。

 Niwa3 Niwa4

梅宮大社の神苑では個々のアップでしたが、
こちらは団体技?^^;で迫ります。

Kasyuji02
Kasyuji01

焦点は睡蓮か花菖蒲かで迷いましたが、ここは花菖蒲で・・・。

Kasyuji04
Kasyuji06

載せながらこんな事をいっちゃ何ですが・・・、
花ってあまり変化がないんですね~。

Kasyuji05
Kasyuji07

同じ花ばかり撮っていると自分でも飽きてきまして、
どう撮ったらいいのか分かんなくなってくるんですわ。

こういうもんはたまにか、少しだけ載せるのがいいんでしょうが・・・。

Kasyuji08

撮ってきたらなるべく載せたいという気持ちもあって・・・、
なにやら同じような詰らんものまで載せてしまいます。

もしかしてまだあるの?と言わないでくださいね。(苦;)
ひとまず違うものを挟みますが、
実は手元にどっさり!とあるんです。 

2008年6月 7日 (土)

梅宮大社神苑・アジサイ

梅宮大社神苑、花菖蒲の次はアジサイです。

まだアジサイの開花には早いと思ったんですが、
開花情報どうりにここはまずまずでした。

Sinenajisai01

あと少しで満開になる状態でしたが、花菖蒲とアジサイを一緒に
見れるとはラッキーでした。

Sinenajisai02

アジサイも多くの種類がありますが、
ここの案内にはヤマアジサイとありました。

Sinenajisai03

アジサイ、ガクアジサイを母種とした園芸種。
ガクアジサイの両性花がすべて装飾花に変わったもので、
多くの品種があります。

Sinenajisai04

この神苑にある多くが案内どおりヤマアジサイかどうかは
分かりませんが、
目に留まったものを載せています。

Sinenajisai05
Sinenajisai06

山道で見るとヤマアジサイとすぐ決め付けてしまうんですが、
こうした場所で見るとこれもヤマアジサイ?と疑問符です。

Sinenajisai07
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それにしてもえらく種類が多いんですわ!
とても全部は載せられませんし、撮りませんでした。

Sinenajisai09

個人的には”隅田の花火”ちゅうのがアジサイらしくなくて
好きなんですが・・・、まぁ、それは別にして。

チョッとアンダー気味で暗いアジサイでしたが (^^;

ここらでパッと明るく!!

Sinenajisai10
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最後に嬉しい花見?になりました。

わざわざ京都まで来ましたが、
こんな嬉しいおまけもあって初めての梅宮大社神苑に感激でした。
ただ単純なだけです!(笑)

2008年6月 6日 (金)

梅宮大社神苑・花菖蒲

梅雨入りしてから不安定な天気が続いて、週末も何やら雨模様。
天気のいい日に出かけようと久しぶりの京都です。

久しく花を撮っていなかったんですが、
この時期の花とくれば紫陽花?か花菖蒲。
どこで撮っても花は同じなんですが・・・、そこはやはりね~。

ということで、京都は梅宮大社神苑の花菖蒲です。

Sinen 

場所を選んだ以上はそれなりにらしい所を撮らないと、
と・・・思いながらもいきなりアップで・・・。

Sinen2

ここにはいろんな花が咲くようですが、
この時期は花菖蒲と紫陽花が中心でした。

その花菖蒲ですが、これもかなりの種類が見られます。

Sinen3

やはりアップになってしまいますが、
今回は個人技(花の表情)を中心に載せます。(笑)

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まあ~しかしありますね~。
その舞台も少し・・・。

 Sinen05 Sinen13
神社仏閣の神苑、庭園は実に絵になります。

個人技、(笑)続けますが。

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失礼!これはアトラクションでした。

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個人技の菖蒲、まだまだあるんですが思わぬ飛び入りでした。

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八坂の舞妓さん?いいえ、まさかの舞妓さんでした。(^^;
こんなことがあるんですね~、これが京都でしょうか。

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花も綺麗ですが!やはり生身には?勝てません。
逢ったのが最後でよかったと、つい思いました。(?)

花菖蒲、舞妓さんと勝負はしません。(苦;)
次は神苑の紫陽花編に続きます、もちろん最後に舞妓さんも。

2008年6月 5日 (木)

芭蕉更科紀行・善光寺

芭蕉の更科紀行を追っかけてきました善光寺街道、
最後は善光寺詣でと「刈萱山往生寺」の句碑です。

長野駅前の善光寺参道アーケードの先で右折して、
左からくる北国街道(善光寺街道)に入ります。

善光寺まではここから真直ぐに1.8km、
近代的なビルが建ち並ぶ中央通りを抜けていきます。
大門交差点の先で善光寺境内に突き当たると善光寺街道は
終りですが、北国街道は右に折れて越後へと続きます。

Zenkoji0011
仁王門から仲見世通りを進むと山門(三門)です。

Zenkoji12
只今山門特別拝観中でした。

Zenkoji0013
そしてお馴染の本堂です。
参拝して善光寺詣では終りなんですが、
芭蕉の句碑はここ善光寺境内にはありません。

ここから西方の高台にある「刈萱山往生寺」が芭蕉追っかけの
最終地でした。

境内を回って細い道を西に向かいます。

Karukaya1
途中にある道標を見て道は上り始めます。

Karukaya2
道端に咲く黄色い「ツルマンネングサ」を見て気を紛らわせながら
長い坂道を行きます。

Ojyoji1
坂道のどん詰まりにあります「往生寺」。
境内の本堂左手前にその句碑がありました。

Ojyoji2
奥が本堂、そして左端の石柱がその句碑です。

    Ojyoji3
句は「月影や四門四宗も只一ツ」
   貞享5年(1688)更科紀行・善光寺での吟です。

姨捨駅に降りたときから思い出したようにその気になって、
慌ただしく駆けめぐった中山道・木曽路から更科の地へ、
そして善光寺でした。

振り返れば、
今回は山の中ばかり歩いて来たような芭蕉の追っかけでした。

Karukaya3
最後もこんな高台まで歩かされるとは・・・。

芭蕉は善光寺に詣でた後、北国街道から信濃追分(軽井沢)で
中山道に入り、浅間山麓を碓氷峠越えで江戸に向かっています。

「更科紀行」にある最後の句が、
「吹きとばす石はあさまの野分哉」でした。

2008年6月 4日 (水)

北国街道・海野宿

予報どうり朝から雨。     6月3日
この日は芭蕉更科紀行最後の北国街道から善光寺詣ででしたが、
雨の場合は日程を繰り上げこちらを先にと決めていました。

その予定していたところに寄り道です。


Unno001
北国街道(善光寺街道)の海野宿(東御市)です。

しなの電鉄「田中駅」から北国街道に入り、
海野宿を歩いて大屋駅までの短いミニ街道歩きです。

Unno002

真直ぐに延びる650mの宿場町。
眺めるとまさに江戸時代の宿場がここにありました。

Unno003

町中を流れる用水路に柳の並木。

東信濃随一の豪族・海野氏の城下町でもあった「海野」、
今なおその町の様子が色濃く残ります。

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白壁の袖卯建が上がる町家、

Unno005

まさに静寂のなかの美しい家並みに歴史を感じますが、
この静かさは雨のせいでしょうか?・・・、とにかく静かでした。

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二階の出格子にみるこの地特有の美しい海野格子。

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重厚な白壁造りの卯建と町家。

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旧本陣の碑がありましたが、その長屋門と海野格子の窓。


Unno010

わずかな知識のなかで訪れました北国街道・海野宿。
雨のなかでしたが大満足のミニ街道歩きでした。

この後芭蕉更科紀行の締めくくり、長野は善光寺へと向かいます。

2008年6月 3日 (火)

芭蕉更科紀行・続信濃路

芭蕉の更科紀行を歩く、信濃路を再開です。
今回は坂北の青柳宿からスタ―ト。
麻績宿、猿ヶ馬場峠を越えて姨捨へと向かいます。

青柳宿を出てしばらくすると現れるのが大切通し。

Sarasina001
岩をノミで切り開いて通した道で、

Sarasina002
そのノミの痕がはっきりと残っています。
通り過ぎるとすぐに小切通しです。

Sarasina003
二つの切り通しを過ぎて麻績の宿へ入ります。

義仲伝説を伝える一口坂を上り、駒ヶ石など見て宿の中心へ。
旧旅籠の前に目的の芭蕉句碑がありました。

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句は二つ「身にしみて大根からし秋の風」
貞享5年(1688)更科紀行での吟。
左は「ひょろひょろとなほ露けしやをみなえし」
同じく更科紀行での吟句です。

宿場を抜けると、いよいよ善光寺西街道最後の難所、
猿ヶ馬場峠(さるがばんばとうげ)です。

Sarasina006
草むらのみちを行き、石畳の道を上ると「弘法の清水」と
芭蕉句碑があります。

Sarasina007
句碑の裏にある句は「さゝれ蟹足這いのぼる清水かな」
貞享4年(1687)の句で更科紀行には関係ありません。

そして最後の道を上りきると国道に出ました。
目の前は聖湖で、すぐ先が猿ヶ馬場峠です。

Sarasina008
峠の頂上はなんとリゾート地でした!あとは下るだけです。
途中で姨捨への林道に入り街道とはお別れです。

そして、戻って来ました姨捨です。

Sarasina010
前に来たときに外した名勝「田毎の月・四十八枚田」です。

芭蕉はここから坂城に回り、十六夜観月殿で月見をしています。
時間が気になったんですが、雨も降らず行くならこの日と、
そのまま坂城に向かいました。

坂城にある十六夜観月殿、回りには多くの月の句碑があります。

Sarasina011
Sarasina012
そして芭蕉十六夜塚です。
句は「いざよいもまだ更科の郡哉」
貞享5年(1688)更科紀行での吟です。

天候のこともあり、一気に坂城までを済ませました。
芭蕉更科紀行も残すは最後の善光寺だけとなります。

2008年6月 1日 (日)

小津安二郎青春舘・松阪市

思い出したように古い写真を引っ張り出しました。
松阪市の愛宕町にあります「小津安二郎青春舘」です。

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参宮街道沿いにあります資料館。
一度は寄ってみたいと思っていたところでした。

Ozuseisyunkan02
小さい資料館でそれほど広くはない館内ですが、
入ったすぐの正面からです。

右にある8ミリ映写機は「東京物語」で使われたものだったと?
記憶しているんですが・・・。(最近物忘れが激しくて ^^;)

右回りに見て行きますが、

Ozuseisyunkan03
居間と、右端の小さいセット。
これもチョッと記憶が乏しいですが、^^;
確か「秋刀魚の味」で使った部屋のミニセットだったと・・・。

Ozuseisyunkan04
壁際には小津安二郎関連の写真が飾られ、
なかには当時の宇治山田中学校、
(現伊勢市の宇治山田高校・我が母校です^^;)
の卒業写真などが並んでいます。

Ozuseisyunkan05
片隅にある映像シアターでは小津安二郎の幼少から中学時代、
そして松竹鎌田撮影所に入るまでの経緯を紹介しています。

Ozuseisyunkan06
右を向けばショーケースが置かれ、松阪時代の関連資料が
陳列されていますが撮影禁止でした。

Ozuseisyunkan08
そして入口左から見た資料館のほぼ全景です。

ローアングルの撮影で知られる名匠小津安二郎。
代表作の「東京物語」、そして志摩半島を舞台にした「浮草」など。

幼少を過ごしたこの松阪に生誕100年を記念して開設された
「小津安二郎青春舘」に昔を偲んだひとときでした。

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