芭蕉更級紀行・信濃路
中山道木曽路の奈良井から芭蕉の追っかけは更科へと、
信濃路の善光寺西街道(北国脇往還)に入ります。
善光寺街道に更級紀行の句碑がある最初の宿は会田ですが、
ここに行く交通機関はバスか、タクシーしかありません。
それが嫌なら歩け、ということで何の見所もない街道歩きです。
この日は峠を2つ越えなければならず松本のホテルを
7:30と早めの出発です。
東に少し歩き本町通りで善光寺街道に入ります。
すぐ先の指差し道標「ぜん光寺道」で右に折れると中町通り。
明治時代につくられたという塗りごめ白壁土蔵造りの家が
左右に建ち並ぶ町筋は壮観です。
見どころはここだけ、 あとはひたすら会田宿を目指します。
松本の次は岡田宿。
宿場に関するものは何も残っていません。
宿の突当りで鍵型に曲ると道標があります。
善光寺街道と江戸道(保福寺街道)の分岐で、
傍らの標柱には「狩谷原峠2.9km・四賀村役場8.8km」と。
これから向かう会田宿がその四賀村です。
まず途中にある狩谷原峠を越えます。
峠の手前にある伊深から見る稲倉の集落ですが、
これからしばらくは山間の集落を抜けることになります。
この先で馬飼峠の道を分けて峠への荒れた道へ。
これが最初の難所といわれる狩谷原峠でした。
何もない峠に長居は無用で狩谷原宿まで下ります。
下りたところが狩谷原宿。
といってもまだ道はどんどん下っていきます。
ちょうど峠道の途中に宿場があるようなもんです。
ようやく目的の会田宿に入ります。
ここにくるまでがまったく余分な歩きでしたが、
それはそれでまた楽し!・・・で。
宿場の雰囲気が残る新町から本町へ。
本町入口の道標、ここから今度はどんどん上って行きます。
途中にある善光寺常夜燈、2基とも残るのは珍しいとか。
立峠に向けてさらに進むと無量寺太師堂、
ここに芭蕉句碑がありました。
句は
「身丹志み亭大根からし秋乃風 者せ越」
(身にしみて大根からし秋の風 ばせを) 貞享5年(1688)吟。
更級紀行の途中に詠んだ句です。
これで目的は終ったようなもんですが先に行かないと帰れません。
少し先で左に山道?を行きますと無住の岩井堂があります。
人の気配もまったくなくて、佇む御堂になにやら異界の雰囲気を
感じますが、それはここに来るまでの景観によるものでしょうか?
地層が折重なった堆積岩の岩肌に圧倒されましたが、
御堂へはこの堆積岩の鎖道を少し通過します。
旧道に戻って道はさらに立峠に向かって上って行きます。
自然歩道案内板で山道に入りました。
これは久しぶりに登山です!立峠の旧道は通行不能で、
これはもちろん街道ではありませんから当然でしょうが、
まったくの山道でした。
これが立峠の山頂です。
広くはない広場にこの標柱だけが建っていました。
正面に聖高原が見渡せる峠でいざ昼食をと、
思ったらペットボトルがない!途中あまりのキツイ登りで、
一口飲んだ後で落としたようでした。
こんなの初めてです!
仕方なく昼食は止めて峠を下ります。
水を!水を!と求めて下る途中の石畳。
なぜか「芭蕉の小径」と名付けられていました。
下りた集落は「乱橋」、ここは会田宿と青柳宿の間の宿です。
我が息も乱れ気味でようやく水を手に入れて道端で昼食です。
そして最後の中峠へ。
中峠から見る乱橋の集落です。
この峠は少し上るだけで、むしろ下りが長い道です。
この後、青柳宿までとも思ったんですがさすがに疲れました。
西条(にしじょう)で今回の芭蕉の追っかけは一旦終了です。
芭蕉を歩く信濃路の旅はこれから「青柳宿」、「麻績宿」、
「猿ケ馬場峠」、「姨捨」、「坂城」そして「善光寺」へと続きます。
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