姨捨・芭蕉更科紀行
棚田を巡っているうちに何故か思い出したのが千曲市姨捨。
あの名勝・田毎の月で有名なところですが、
我が身としてはやはり芭蕉の「更級紀行」の書きだしが浮かびます。
”さらしなの里、をばすて山の月見ん事、しきりにすゝむる秋風の
心に吹さわぎて、ともに風雲の情をくるはすもの又ひとり、
越人と云(いふ)・・・”
心はすでに姨捨でした。
善光寺平を一望する海抜547mの姨捨駅からの眺望です。
日本三大車窓の一つに数えられるところでもありますが、
ここはまたスイッチバックの駅でもあります。
入って来た電車がバックして行き、
本線に入って長野に向かいますが、松本へは当然ですが逆に。
と、まぁこれは本題に関係ないんですが、
この駅から少し下ると「姨捨山放広院長楽寺」があります。
この地のいわゆる姨捨山がここだそうですが(冠着山との説も)、
境内にはたくさんの俳人の句碑が建ち並んでいます。
この日の目的はもちろん芭蕉句碑。
山門?左に建つ「芭蕉翁面影塚」と右面に刻まれた句です。
”於毛かげや姨ひとりなく月の友」(俤や姨ひとりなく月の友)。
元禄元年(1688)更科紀行での吟です。
芭蕉はこの姨捨の月を見たくて元禄元年8月11日岐阜を発ち、
中山道から善光寺西街道を通って更科に到着。
観月のあと善光寺に参拝して江戸に戻っています。
それだけ見たかった姨捨の月。
長楽寺の前面から東側に広がる斜面の棚田です。
名勝「姨捨(田毎の月)」、千枚を超える棚田があるそうですが、
こちらは姪石(めいし)地区、このず~と下に四十八枚地区が
あるんですが残念ながら外してしまいました。(>_<)
西行の歌
”くまもなき月の光をながむれば、まづ姨捨の山ぞ恋しき”。
西行を心酔する芭蕉の胸中にはおそらくこの歌が
あったと思われますが、
芭蕉はなぜか月を見ることに格別の思いがあるようです。
我が身も姨捨に行きたい!そう思い立ったのはこのところの
棚田めぐりからですが、やはり更科紀行と芭蕉句碑でした。
しばらくやっていませんが、
ここに来て、また芭蕉の足跡を追ってみたくなりました。
駅から改めて見る棚田です。
無人駅のホームから目の前に広がる雄大な景色を見ていると
心が洗われますが、なぜか侘びしい気分も・・・。
振り向けば・・・。(笑)
こんな写真なんぞ久しく撮ったことはないのに。(苦)
先に更科紀行のハイライト部分に来てしまったんですが、
中山道の歩き残した所からはじめようかとも。
姨捨に来て何やらやる気が出てきました。
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