雛めぐりin’08最終回
今年も沢山見ました、そして行きました”ひいなめぐり”も最終回。
締めくくりは「有職雛(ゆそくびな)」です。
絢爛な江戸中期の大名雛の衣装から本来の公家の装束を
考証して作られたもので、後の古今雛に大きな影響を与えたとも
いわれ町雛のほとんどがこの流れを汲んでいるそうです。
明治後期の有職雛です。
残念ながら公家の出ではないのでこの装束が何なのか
分かりませんが(多分束帯?)・・・。
男雛は公服の束帯から平服の直衣(のうし)、小直衣に
外出時の狩衣などをそれぞれの変化で表現すると・・・、
やはりお公家さまにはついていけません。
それとこの有職雛自体が少ないんですねぇ。
博物館以外ではなかなかお目にかかりませんがここにはありました。
こちらは大正時代のもの(これも束帯?)。
この内裏雛は説明なしで見たら多分古今雛と間違うのがオチ?
まぁ、難しいことは抜きにしてこんなのもあるんだということで・・・。
ところでこの雛めぐりをしていて、皆さんの一番多い疑問が
男雛と女雛の位置でした。
その説明でまた一番多かったのが
”向かって左に男雛は関東、右が京風(関西)”でした。
これって・・・正解です。
では何故か?一番分かりやすい説明です。
昭和天皇の即位の時(昭和3年)に天皇の左手に皇后様が
立たれました。 (この部分正しくは下記のとおりです)
( 大正天皇の大典のときに天皇の左手に皇后様が
立たれました。その後昭和天皇の即位のときにも
天皇の左手に皇后様が立たれました。)
この方式に習って関東の人形関係者(組合)が男雛を向かって左、
女雛を右の位置で飾りました。
それが大手市場で採用され右、左が逆転し現在に至ります。
しかし京都(関西)では古式を守ってあくまでも向かって右に男雛を、
左に女雛を飾っています。
したがって男雛が向かって左は関東、右が京都(関西)。
と、まぁいうことです。
思いますが、ようはどちらでもいいんです!誰も咎めません。
好きに飾って子供の幸せを願っていただければ・・・。
それがもう一番の雛まつりです。
それでは08年雛めぐり最後の官女です。
有職官女です。
すみません!最後の官女なのにガラスへの写りこみがきつくて
どうにもならんのですが、テーマ上どうしても載せたくて敢えてです。
今年も各地で楽しませていただいた”お雛さんめぐり”でした。
お付合いいただいた皆様に感謝します。
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めずらしい美しいお雛様の写真をたくさんありがとうございました。勉強にもなりました。
何回も見直して今も楽しんでいます。
各地の写真も楽しみにしております。
投稿: フデ | 2008年3月 7日 (金) 21時54分
フデさん
ご覧いただきありがとうございました。
載せた写真はほんの一部で手元にはもう凄いお雛さんです。
これからゆっくり自分で楽しみます。(笑)
これからはいよいよ春本番!今度は花を求めて彷徨います。
これからもご覧いただければ嬉しいかぎりです。
投稿: 好好爺 | 2008年3月 8日 (土) 18時11分
こんにちは。「有職雛」で検索していたらこちらに・・
男びなの着ている装束は
「直衣」だと思います。それに合わせて
女びなの装束も十二単ではなく略式
(たぶん小桂・長袴姿)になってます。
江戸時代のお公家さんの姿をそのまま
模しただろう有職雛、私も大好きです。
装束の織りとか仕立てとか、きっと
すごく手間がかかっているだろうなぁ~
投稿: さつき。(嶋原応援してます) | 2010年2月23日 (火) 12時05分
さつき。(嶋原応援してます) さん
コメントありがとうございます。
>直衣に小桂・長袴
やはり日常の上衣である装束ですね
ありがとうございました。
最近は有職雛を見るとその装束に関心がいきます。
今も雛めぐりを続けていますが
有職雛についてもまだまだ勉強不足です。
またお気付きの点ありましたらご指摘お願いします。
投稿: 好好爺 | 2010年2月23日 (火) 13時30分