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2008年1月 8日 (火)

米原市西円寺

いつも国道21号線を走る時に目にする「西円寺」の案内看板。
一度寄ってみようと思っていたんですが行ってみました。

米原市の国道21号線と8号線の分岐が西円寺交差点、
岐阜から走るとその手前で左に入ります。

Saienji1
その米原市西円寺の集落の一角です。
ややこやしいんですがが、
この集落の最奥に「大雄山西園寺」があります。

Saienji2
龍が門の左右で睨みを効かせます。
本来なら仁王門?ですが・・・。

Saienji2e
想像していた山門とは違って
びっくり!まさに想像外でした。

Saienji3_2 
こういう仏閣の由緒は要約するのが難しいので、
いつものように後で調べたHPの解説を借用します。

”山号を大雄山と称し、南北時代に仁空にて建てられたという
天台宗のお寺でしたが江戸時代に黄檗宗になりました。
本尊である木造聖観世菩薩(秘仏)”

とありますが付け加えますと
中国風の門は「双龍閣・通称双龍門」と呼ばれ、
建築業者をいれず護持会と檀信徒の手によって
造られたそうです。

”境内には江戸時代前期の作で琵琶湖形といわれる
池庭式庭園や樹齢600年になるモッコクがあります。” 
とも。

     Saienji5_2
そのモッコクと、

池庭式庭園です。
これも自然美をそのまま借景した江戸時代の庭園とありますが。

Sqaienji6
Saienji7
Saienji8
上から、左斜め、ほぼ正面、右端から撮ったものです。
水はありませんがかっては当然あつたでしょう庭はこの状態です。
今は池庭?とはチトいえませんが。

もちろん自由拝見ですが、一応300円の拝観料とありました。
この庭園がその価値があるかどうかは?見た人の価値観です。

庭の上に見えます赤い祠は、

Saienji9
この近江稲荷社。
これも曰くがありますが・・・。省かせていただきます。

そしてこれです。

Saienji10
「龍目井(りゅうもくせい)」といわれる聖水だそうで、
甘みがありマイルドな水。
そんなの飲んでみましたが、分かりませんでぇ~。
これは結構飲むのに勇気がいりました。

いや~、新年早々から
ローカルを(地区の皆さんm(__)m)訪問していますが、
ここはその最たるもんでございました。これもm(__)m

どうか写真には惑わされないように
くれぐれもおねがいします。

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お出かけ」カテゴリの記事

コメント

好々爺さんおはようございます
西円寺、確かに看板を見かけますね
どうなんだろうな?
って結構疑問でしがた
こういう寺院なんですね

なるほど

行ってみてもいいものかどうか
悩みますね

写真を拝見する限りでは
撮ってみたい気もしますが
どんなものですかね?

ちょっと如何わしい気もしますね
特に山門の龍なんかは

好々爺さんどうでした?

雪だるまさんも気が付かれてましたか。

この日は中途半端な時間だったので遠出もできず
ちょっと出かけてみたんですが、
小さい寺にしてはやたらと説明板のある寺でびっくりでした。
双龍も説明を読むとあぁそうかですが、なんでここにですかねぇ。
まぁ、是非にとは絶対に言いません!が、
現物を見たいと興味があればどうぞ、の世界ですわ。

 皆さん”西円寺”の看板に気を惹かれるのですね。現在西円寺は黄檗寺院でありますが、もともとは1300年代に京極家の根本被官(古くからの家来)である在地領主の今井氏によって天台寺院として建立されました。本堂向かいの山腹には今井家の墓所もあり、同氏の拠点の一つであったようです。背後の山頂、山腹には山城を構えた跡があり、国道寄りの児童公園の辺りは出丸(攻撃防御の拠点)の跡もあります。この地方の例に漏れず、織田信長によって焼き討ちされ、その後井伊家家臣の手によって黄檗寺院として再建されました。本来は京極(または六角)・浅井家と姉川合戦前後の歴史とともに語られる寺院ではありますが、先代の住職在世の折は特徴があまり無い、鄙びた普通の村寺でした。黄檗画家であるご子息が現住職(普段は大阪に住居)となられてから寺院再興のため双龍門の設置や境内の手入れに着手し、中国色の強い黄檗寺院としての趣を前面に押し出しています。

三太夫 さん
西円寺についての詳しい歴史を教えていただき
ありがとうございます。

当時は詳しいことも知らずに拝観しておりましたが、
いただいた由緒を拝読しながら、
折があればあらためて訪れて見たいと思います。

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