丹生大師の里
丹生大師(神宮寺)、境内に建ち並ぶお堂、神社や
隣接の「丹生神社」などを回った後は丹生の里の散策でした。
”丹生は古代、水銀の産地として知られていた。
その頃日本で使われていた水銀のほとんどが、
丹生で採掘されたものと考えられている” だそうです。
・・・で、いきなりですがその水銀杭跡です。
この手のものは当然山中にあるんですが、
意外と綺麗に整備されていました。
左が古い時代のもの、右が昭和30年頃のもので
400年ぶりに水銀産出に成功したと言われる
新しい水銀坑跡だそうです。
その近くにあった水銀製錬装置。
昭和20年頃にできた日本で唯一の手製のものだそうです。
他にも散策路の途中にはこんな水銀坑跡もありました。
ここはもう一つ、
立梅用水(たちばいようすい)なるものがあります。
近隣諸村の窮乏にあえぐ農民を救うため、
文政6年(1823)に丹生の地士西村彦左衛門の尽力によって、
櫛田川から取水する用水が完成しました。
その苦労は大変だったようで、
この素掘りのトンネルもその一つ。
ノミ一本で掘ったと説明にあります。
ここ丹生ではその用水路に沿って散策路が整備され、
水を生かしたいろんな取り組みもされています。
これはホテイアオイの群生するビオトープ、
そしてメダカ池もありました。
さて散策路を一回りして丹生大師に戻ります。
もう一つの道、それが和歌山別街道です。
マップでは丹生大師の正面が大師道、
一本南側を並行するように行くのが旧街道となっています。
(三重の歴史街道マップでは大師道が旧街道に)。
暫くは何もありませんので途中寄り道です。
街道から少し外れますがここ「本楽寺」。
境内に見事なオオイチョウがありましたが
これが目的ではありません。
ここに「快楽園」という庭園があります。
本楽寺第六世住職尼子合明が本堂・庫裏を再建したときに、
本堂裏に回遊式庭園を築造し偕楽園と称したそうです。
池は近くの丹生川から取水していたそうですが、
今は取水されずご覧のとうり。
ちょっと綺麗とはいえませんが・・・。
庭を一周して撮った中から一番らしきところを載せています。
さて、街道に戻りますが・・・少々長くなってきました。
久しぶりに二部構成に分けてアップすることにいたします。
続きはすぐに。
« 丹生大師(丹生山神宮寺) | トップページ | 丹生の里・和歌山別街道 »
「まちかど散策」カテゴリの記事
- 木彫りのまち 井波(2022.08.06)
- 若狭鯖街道 熊川宿(2022.07.14)
- 駅前イルミネーション(2021.12.18)
- ぶらり鳥羽・江戸川乱歩館(2019.08.20)
- 飛騨金山 筋骨めぐり(2019.05.27)
コメント