名古屋の善光寺街道
寺社めぐりが続きましたが、今日は少し息抜きで・・・。
先週歩いた名古屋の「善光寺街道」を紹介します。
「なごやの古道・街道を歩く」・池田誠一著(風媒社)。
紹介されている22本の街道から、すでに歩いた東海道、
美濃路、佐屋路は別にして残り19本の街道から
善光寺街道を歩いてみました。
街道のスタートはここです。
以前歩いた美濃街道で紹介した
本町通と伝馬町筋の「札の辻」です。
道を西にとると美濃路で伝馬橋へ、
善光寺街道は北に行きます。
京町通りの東南角に新しい道標がありました。
京町筋を東に向かうのが善光寺街道。
ここから西に向かうと「五條橋」から美濃路、南に戻ると熱田の
宮宿です。・・・で東にひたすら歩きます。
途中にあった「西明寺」の鐘楼を見てつい、
これは陶器?なんでしょうか、石鐘のようですが。
一瞬あの瀬戸の寺で見た陶器の鐘を思いました。
解説がないと・・・ほとんど解りません!。
これが素人の悲しさです。
国道19号線に出ました。
代官町交差点の西南角に道標があります。
指差し道標で、「西側に善光寺道 北側に京大阪道」とあります。
この先大曽根、勝川から坂下を通り、
内津峠を越えて多治見から釜戸へ出ると槙ケ根の追分で
中山道に合流します。
小牧から犬山を通って今渡で中山道に出る木曽街道(上街道)
に対して別名下街道と呼ばれる街道です。
道標の指差しに従って北に折れます。
ここから国道19号線の一本西側を北に進みます。
途中、平田町交差点、赤塚交差点で迂回しながら
再び赤塚交差点で国道を渡り、赤塚の新明社で右、左と
小刻みに折れ曲がります。
しばらく北上して国道に戻る手前を右に入ると
「了義院」があります。
ここには芭蕉の句碑がありました。
こちらが戦災で破壊された碑を繋ぎ合わせた旧碑。
そして新しく建てられた碑です。
句は 「有とある たとえにも似ず 三日月」。
「何事の 見たてにも似ず 三かの月」の異形句(初案)で、
元禄元年(1688)に詠まれたものです。
実はこれを見るのがもう一つの歩く目的でした。
ここから旧道に戻って国道に出ます。
この後大曽根駅前から矢田川を渡り、
庄内川の堤防まで続きますが、
長くなりますので見所だけをご紹介していきます。
大曾根の国道脇にある「山田天満宮」と、
同じ境内にある「金神社の銭洗い」です。
右の柄杓で正面の大黒天さんに水をかけ、
その流れた水で銭や宝くじなどを洗うとご利益がある
とされているそうで、
実際に娘さんがお母さんに教えられながら
五千円札を二枚洗っていたのには思わず??
いやぁ~たまげました。
すいません街道でした。
矢田川を渡り守山区瀬古の集落に入りますと、
街道の面影が残ります。
少し先で寄り道すると石山寺がありました。
二層の山門が建つこの寺は、
本尊が近江の石山寺と同木で彫られたことに寄るそうです。
旧道に戻って更に北に行き、
小学校を迂回すると道を挟んで「東春酒造」のお店があります。
幕末からの古い造り酒屋のようですが、
店の北側に回りますとご覧の水屋造りの蔵がありました。
すぐ北側が庄内川で、その洪水に備えたものだそうです。
そしてすぐに庄内川の堤防に突き当たります。
街道は川を渡って更に北に行きますが、
名古屋の「善光寺街道」はここまででした。
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