一乗谷朝倉氏遺跡・福井市
越前大野から帰りは北陸道・福井ICへ出ました。
実はもう一つの目的がありました。途中にある「一乗谷朝倉氏遺跡」です。
一度は来たかったところ、ここまできたら外す訳にはいけません。
復元された町並みを抜けて「御屋形橋」を渡ります。
遺跡の象徴といえる唐門をくぐると、三方を土塁と濠で囲まれた朝倉舘跡
の遺跡が広がります。
上から見た館跡と手前が庭園です。
姉川の合戦から始まった織田信長との戦によって敗れ、
従兄弟の朝倉景鏡の裏切りで越前大野で自刃した義景の館跡、
一乗城山の山城の麓に広がるこの遺跡は一乗谷城を含む278haが
国の特別史跡に指定されています。
館跡と庭園・・・、ここには四つの庭園があります。
その四つの庭園と史跡を巡りました。
南北に長~く史跡と庭園があって、最上部の奥にある「英林塚」と
南陽寺跡までは普通の観光客はまず行かない?かも知れません。
とにかく山の麓です、少しずつ上ります。
下から見て行きます。

まずは館跡の庭園です。
”滝石組、護岸石組みを持ち、その洗練された石組みに京都との交流が
偲ばれます”とあります。

こちらは館の東南隅にある石造りの義景の墓です。
一段?というより、すこし上がりますと右に湯殿跡庭園があります。
どちらから見るのが・・・とりあえずパンフのとうり南から撮りましたが、
西から撮った全体はこんな感じです。
舘跡を見下ろす山腹にあり、”鶴岩亀岩を思わせる中島や出島があり、
水路が山際に沿って南から北に走り滝口に注ぐ池泉庭園になっています”
とパンフにはあります。
上の写真ですが陰陽が強くちょっと説明を表現するには無理でした。
ここからもう一段上に上がって・・・と簡単に書きますが結構上ります。
突当りをまず左にとり南陽寺跡庭園へ。
南陽寺は3代貞景が娘のために再興した寺で、庭にはこの石組と
池泉跡が残っています。
引き返して今度は朝倉孝景墓(英林塚)です。
初めて一乗谷に城を築き、5代103年間にわたる繁栄の基礎をつくった
初代孝景の墓が近代的な建物の中に納められていました。
一旦湯殿跡へ下りると南へ、中の御殿跡を通って諏訪間跡へ行きます。
ここは義景の母、高徳院の居館があったといわれているところ。
遊歩道を横断して館跡の最南に位置する諏訪舘。
その諏訪館跡庭園です。
”諏訪舘は義景の妻「小少将」の館で、その庭園は遺跡の中でも最も
大きいもので、中心の4m余りの巨石は滝石組をなしており、全体に
水平感と垂直感を基本にして安定感のある構成になっている”と。
これで遺跡の主要どころはほぼ巡りました。
1573年、織田信長によって焼き討ちされて灰燼と帰したこの一乗谷
朝倉氏居城が、こうして発掘され目の前にありました。
今回は登れませんでしたが、この山(正面の丸い山)の山頂に山城が
築かれていて、三の丸、二の丸、一の丸の遺構が現存するそうです。
越前の戦国の雄・朝倉一族、その最後の朝倉義景が館跡。
この一乗谷に義景の無念を感じたひとときでした。
しかし、”これはなんとも凄い遺跡!・・・”が正直な感想です。
| 固定リンク
「お出かけ」カテゴリの記事
- 北国街道・板取宿(2009.07.12)
- 北国街道(北陸道)今庄宿(2009.07.11)
- 花はす公園・はすまつり(2009.07.10)
- 鶴岡八幡宮・鎌倉(2009.07.09)
- 箱根登山電車(2009.07.08)


コメント