北国街道米原宿
青岸寺の名勝庭園を観た後は
北国街道の米原宿を散策です。
お寺の駐車場横には
「旧米原尋常高等小学校」の校舎がありました。
時代を感じる建物です。
時計は止まっておりますので念のため。
この辺りは街道から一筋東寄りで稲荷社や湯谷神社などがあります。
北国街道に出ますとちょうど米原宿の中心部で真直ぐ進めば米原駅、
かっての米原湊で湖上交通の要衝であったところです。
右に街道を進みます。
しばらくいくと道は二股に分かれ、
中央に立派な道標が建っていました。
「左 北陸道 なかはま きのもと 右 中山道 はん八 さめかゐ」
東面には弘化三年(1846)再建の文字が読めます。
北国街道は左にとりますが、
右に行くと「深坂越」で中山道番場宿です。
ちなみにその番場宿にはこんな道標が建っています。
指差標で 「米原 汽車 汽船 道」(以前歩いた時に撮影)。
米原駅が設置されたのは明治22年(1889)ですから
それ以降のものではないかと思いますが、
ここから米原まではわずか3キロ程です。
北国街道は中山道鳥居本から摺鉢峠入口で分岐、
米原から長浜、木之本、中河内を経て栃ノ木峠を越え、
越前から加賀に至る道です。
米原はその一番目の宿になります。
さて、分岐から街道を戻りますが町の様子です。
ところどころに連子格子の家が見られますが、
町にはあまり古い趣は感じられませんでした
(道が工事中でもあったからか・・・な?)。
短い宿道で中心部を過ぎるとすぐに国道8号に出ます。
国道から引き返す途中で湯谷神社に参拝しました。
毎年10月初旬に米原曳山祭りの祭礼が行われる神社です。
「山を見るなら長浜、芸を見るなら米原」といわれているそうですが、
舞台の付く曳山で子供歌舞伎が演じられるという・・・。
見たいですね~!
もう一つ、
神社横にかっての米原宿本陣がありました。
「明治天皇小休所」の説明があり、
昭和6年近江鉄道の開通により
米原湊から建物が移築されたとあります。
米原湊と番場宿への深坂道を開いた
北村源十郎家の書院だそうです。
北国街道と米原宿。
ほんの少しだけ街道を楽しみました。
道筋に咲いていた萩です。
(注: コメントにてご指摘を受けましたが
萩でもアレチヌスビトハギで、北米産の帰化植物です)。
ひと足早い秋を・・・と思ったんですが、
いや~この日も暑かった~。
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このあたり、そういえば歩いたなぁ・・・
とちょっと懐かしい気持ちになりました。
ところで。
最後の花は、よく似ているけれど、萩ではないと思います。
「ひっつきむし」といわれる、人間の服や動物の毛皮につく実が成っていますでしょ?
投稿: きみこ | 2007年9月 7日 (金) 21時20分
追加です。
これって、「アレチヌスビトハギ」という、
北米原産の帰化植物ではないでしょうか?
投稿: きみこ | 2007年9月 7日 (金) 21時28分
きみこさん ご指摘のとうりです。
>これって、「アレチヌスビトハギ」という、
はい、一応はハギなんですが、しかしこの写真でお分かりとは
よくご存知ですねぇ。
早速注釈を入れました。
これからはもう少し細かく名前を入れていきます。反省です(-_-;)
投稿: 好好爺 | 2007年9月 7日 (金) 22時13分