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2007年6月 6日 (水)

古地図で歩く四間道

「名古屋城下デジタル復元地図」というのがある。
「白兎」さんのブログで教えてもらって名古屋市博物館のHPから
ダウンロードしました。

弘仁から明治の頃の拝領屋敷に残る藩士名や江戸期の寺社、橋、
幹線道名が細かく載っている名古屋城下の古地図と、現在の地図
を重ねて見ることができて実際に重ねてみるとその変遷がよく分かり、
個々の藩士名や禄高、名前までポップアップされる優れものです。

さっそくこの重ね地図を持って、四間道(しけみち)と円頓寺界隈を
歩こうと思ったんですが、四間道の横は旧美濃街道です。
ならばいっそう前に歩いた金山の佐屋街道分岐から美濃路を歩こう
と金山からスタートしました。

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佐屋街道分岐から国道19号金山新橋を渡って北上します。
古渡町交差点を越えると国道19号線から右に本町通へ。
大須観音をかすめて白川から広小路、錦本町を過ぎると伝馬町本通。
すぐ北にある「札の辻モニュメント」が「名古屋宿」の中心です。

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ここから伝馬町通りを西へ、伏見通りを歩道橋で迂回し伝馬橋を渡り
堀川筋を北にとると美濃路で、四間道は一本西側です。
この辺りは古地図もあまり関係ありません。


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古い家並が少し残る先を行き、五條橋で一旦戻ってここはあえて
四間道を歩きます。

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四間道(しけみち)の角にある村社「浅間神社」から北に延びる道の
両側に古い家並みや土蔵がが建ち並びます。
江戸の大火の教訓から道幅を四間(約7m)に広げたことから
その名が付いたとか?浅間神社とその道筋です。

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それなりの趣はあるんですが?なぜか思っていたほどではない。
道を通る車が多く、今日は工事の車両が止まっていたこともあってか、
往時の面影や雰囲気はあまり感じませんでした。

ここから円頓寺商店街に寄り道です。

  Pict0044_3 Pict0048_4
古地図にある「長久山園頓寺」。
これは当然この地の名の由来ですから現存します。
「慶栄寺」は慶栄寺太子堂としてこれも現存していますが、
「専修寺高田本山」(これってここにあったの?)は確認できずです。

ここから北に美濃路は続きますが、ここから北は古地図と現在の地図
を重ねて見ると実にはっきりとその変遷が分かります。

美濃路と四間道、円頓寺を歩いて古地図とにらめっこ。
これは面白いですよ。地図の重なりが現在と過去を語ってくれます。

このあと美濃路を清須宿まで歩いてきました。
                   
           詳細=美濃路佐屋街道分岐から清洲宿

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コメント

おお、さっそく歩かれたんですね!
私もそのうち挑戦してみます。
四間道、円頓寺は最近、古民家を利用したお店などが多くなりましたね。
それにしても、高田本山があのあたりにあったなんて、意外でした。

花兎さん、ぜひ挑戦を。

高田本山跡らしきところにお寺があったんですが、
つい先を急いで未確認のままです。
四間道、円頓寺も裏の細道までは入りませんでしたが、
そちらも綺麗に整備されて楽しそうです。
この地図はやはり名古屋城周辺が面白そうですね。

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