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2007年5月16日 (水)

町並み散策・名張

近くて歴史があって・・・、そして町なかを通る「初瀬街道」、
その町筋を見たくて久しぶりに町並み散策をと名張に出かけました。

その前に名張といえばまずはここ、「名張藤堂家邸跡」です。


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説明はパンフの「ちょいぶら名張」から手を入れて引用します。

”織田信長の重臣、丹羽長秀の三男で藤堂高虎の養子となった
高吉(たかよし)に始まり、寛永13年(1636)以来11代名張に
屋敷を構えた藤堂家邸跡。建物内では、調度品をはじめ武具、
典籍、文書などを展示し、近世上級武家の生活の一端に触れら
れるよう公開しています”

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展示されているのは「豊臣秀吉朱印状」「鉄唐冠形兜・一の谷形兜」
「朱具足」「備前無銘刀」「羽柴秀吉・丹羽長秀の書筒」などですが、
写真はその一つ「朱具足」です。

こちらは「羽柴秀吉・丹羽長秀の書筒」。
 Pict0005_3

そして部屋、左が「中奥、六畳間」、右が囲(茶室)「清閑楼」です。
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貴重な資料もここは全て撮影可でした。

そして庭は枯山水です。
 Pict0013_5

現存する屋敷は当主の日常生活場である中奥部分だそうで、
これは特質されるものだそうです。なんで・・・?
中奥は表の部分ではなく、残されることがすくない場所だそうです。

旧邸図を見ると全屋敷のほんの一部であることがよく分かります。

旧邸の正門(太鼓門)は寿栄神社とともに移築されて、
隣接する裏側にありました。

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「寿栄神社」の鳥居の先、参道の奥にある太鼓門ですが、
この門構えだけを見ても、その規模の大きさがよく分かります。

「名張藤堂家邸跡」、確かに貴重なものでありました。

ただ、私には高虎の跡を継ぐべく養子となった初代当主・高吉が、
高虎に実子ができたがために家臣の格を甘受することになる・・・。
要するに殿様から家臣(分家)に格下げでしょうか、それに従う?
まさに戦国の世の政略的養子縁組の典型ではありませんか。
栞に書かれていたこの一代記には非常に興味をひかれました。

この後、楽しみの「初瀬街道」を中心に町の見所を訪ねましたが、
まちかど博物館「はなびし庵」では江戸時代にタイムスリップ、
店の奥座敷にある貴重なお宝を解説付きで見せてもらいました。
この続きは明日に・・・。 

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