中山道・太田宿
中山道・うとう峠から太田宿を歩いたが、
肝心の宿内を紹介しなかった。
あの、実もたわわな銀杏の木がある太田小学校の先で、
国道41号の高架をくぐって左に、
次を右と曲がるがそこが下町の枡形。
右に曲がる角に道標がある。
「右 関上有知 左 西京伊勢」。
前に高札場跡の立看板がある。
静かな宿の通りを行くと、
花などが飾られた小奇麗な酒屋さんがあった。
左に「中山道太田宿・・・」の灯篭型行灯、
右の赤い旧型ポストが店によく似合う。
少し先に残る本陣門跡。
一間の薬医門(本柱が門の中心線から前方に置かれている門)で、
両袖に半間の塀が付く。
この前が太田宿中山道会館。
そしてその隣が旧大田脇本陣林家住宅。
格子戸に連子造りの窓。うだつ屋根、
真ん中に長屋門の立派な建物である。
もらったパンフでは「明治15年4月4日に、
板垣退助がここに宿泊し、
翌朝、岐阜に赴いて暴漢に襲われたことはあまりにも有名・・・」。
とあるが、ここに泊まった?
なんってことはまったく知らなんだね~。
今は建物の一部である「隠居家」が公開されている。
旧吉田屋住宅(小松屋)や土蔵造りの風土舎など、
古い建物が町並みによく似合っていい。
すぐ傍が祐泉寺(山門は右手の川側にある)。
境内には芭蕉句碑の他にも北原白秋歌碑、
坪内逍遥歌碑などが建ち並ぶ。
祐泉寺横を左、右と折れる。ここが上町の枡形である。
この先で旧道は右に折れるが、
もらった地図を見ても曲る場所が分らなかった。
適当に川側に出て堤防を行く。
大田橋手前で川原?に下りると
石畳の道が残る「太田の渡し」跡である。
「木曽のかけはし大田の渡し、碓氷峠がなくばよい」と
うたわれたように、木曽川越えの難所だった。
とパンフにある。
確かに「日本ライン下り」の
舟乗り場は、この太田橋の
上側にある。
木曽川は満々と水を湛えて、
まさに悠然と流れていた。
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