竹内街道と芭蕉綿弓塚
堺市大小路から竹内峠を越え、
當麻町の長尾神社まで約27キロの竹内街道。
短い街道だがはるか推古天皇が西暦613年に作った
「大道」が起源とされる日本最古の官道(国道)である。
竹内集落は芭蕉と「野ざらし紀行」をともにした
千里の故郷でもあり、芭蕉「綿弓塚」がある村。
暑いけど思い切って出かける。
近鉄南大阪線「上ノ太子駅」駅前に
「竹内街道」の石碑がある。
駅前の道が竹内街道。
しばらく国道を行き、赤坂町で旧道に入る。
道はカラー舗装された集落の街道を行く。
六枚橋バス停を過ぎて道はゆるやかに登っていく。
孝徳天皇陵の道標をみてさらに登ると
「竹内街道歴史資料館」があるが今日は休館日。
すぐ先の道の駅で「力餅」を買い昼食に備える。
道は国道166号に合流し竹内峠へと登っていく。
峠手前の「万葉の森」。
二上山への登山道があるが今日はパス。
真直ぐ峠へ。
閉鎖された道を行くと峠の国境に
三基の碑が建つ。
左に「鶯の関跡」碑。
「鶯の関跡」を見るのは二度目だ。
一度目は「奥の細道」で歩いた南条の
「鶯の関跡」。
道はここから下りに入り、展望台横から旧道へ。
杉並木の中、横を抜けて旧道は再び国道へ。
すぐに、竹内集落に入る。
大和造の家が建ち並ぶ集落を行くと
「芭蕉ゆかりの綿弓塚」がある。
ここは「野ざらし紀行」で芭蕉に同行した
千里の里。
「大和の国に行脚して、葛下の郡竹の内と云處、
彼ちりが旧里なれば・・・わた弓や琵琶になぐさむ竹のおく 」
と「野ざらし紀行」にある。
その綿弓塚。
右側面に「綿弓や琵琶に慰む竹の奥」が
刻まれている。
傍には千里の
「深川や芭蕉を富士に預け行く」の句碑もある。
ここは司馬遼太郎が
幼少のころ暮らしたところでもあるそうだ。
少し先に地蔵堂。傍らに「左たいま道」の道標。
芭蕉も當麻寺には二度訪れている。
二上山にはいけなかったがここはつい寄り道をする。
ここにも芭蕉の句碑があるはずだが、
今日は本堂にお参りするだけ。
街道に戻りバイパスをわたると
長尾街道の追分。
直進するとすぐに長尾神社の横、
竹内街道の終点に着く。
わずか26キロの街道だが
この8キロに凝縮された竹内街道。
満足の街道歩きでした。
詳細=竹内街道 上ノ太子から磐城
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