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2006年8月31日 (木)

東海道・吉原から由比宿

富士市に、芭蕉が「野ざらし紀行」の冒頭で詠んだ
「猿を聞く人捨子に秋の風いかに」の句碑がある。

前から訪ねてみたいと思っていた。
せっかくなので東海道を吉原から由比宿を歩くことにする。

9:00 吉原駅を出る。すぐに道を間違う。
道なりに行くところを直進してしまってうろうろし、
元に戻って東海道に入る。
30分のロスで再スタート吉原宿に向かう。

Pict0003_2しばらく行くと名勝「左富士」、
東海道を東から西に来るとここだけが
左に富士が見える。
広重も描いた左富士の名勝だそうだ。
だが、今は周りは工場群で何も見えない?
これはかっての名勝だ。
この先の吉原も宿場の面影は全くなく、
商店街の東海道を行く。

塔の木、本市場とから富士本町へ。
ここで街道を外れ今日の目的である芭蕉句碑を訪ねる。
富士駅前商店街を駅手前で平垣公園に折れる。

Pict0035Pict0034_1

 

 

 

 

 

公園の片隅に「野ざらし紀行」の”富士川にかかりて・・・”
の部分が刻まれた黒石の「捨子の碑」2基が並んで建つ。
                      
もともとは富士市の市民センターの駐車場にあったものだが、
センターの改築でこちらに移したそうである。

Pict0027

ここにはもう一つ芭蕉の句碑があった。
「ひと尾根はしぐるる雲か不二の雪」
貞享4年(1687)柚木の茶屋で詠んだ句である。
これは知らなかった。何か得した気分?と
勉強不足を痛感する。
これで今日の目的はすんだ。


後は惰性で?東海道を歩くだけ?
富士川を渡り、間の宿岩淵、蒲原宿へ。
大正時代の洋館「旧五十嵐歯科医院」、
「旅籠和泉屋」の旧家をじっくりと見せてもらい、
久し振りに街道歩きを堪能する。

蒲原宿を抜けると由比までは3キロ。
由比本陣公園を見て由比宿を行く。
ここはいわずと知れた桜えびの漁港地。
今夜の酒の肴にはこれ!と買ってしまった。
街道歩きはこの時点で終わり。心はもう家路に向う。
由比駅までの1キロがこんなに長かったとは??

 

   詳細= 東海道 吉原から由比宿

2006年8月26日 (土)

葛城古道

葛城・金剛山の東山麓。
葛城王朝以来の史跡や農耕文化の跡が広がる神話の里を、
古代の人々が往来した古道。
北は葛城登山口から南の東佐味まで、
わずか13キロの古道には古社が点在し、
道なき道に高天原などまさに神話の舞台がここにある?
とはちょっとオーバーかな?。

0825katuragi4近鉄御所駅から歩き、櫛羅集落
から六体の地蔵が彫られた巨石
を見て古道に入る。
いきなり田んぼのなかを行く。
さらに道は細くなり、
完全に畦道に。



さらに道はなくなり?これが道??の世界だ。0825katuragi012

 





「九品寺」から「葛城一言主神社」へ
道なき道は続く。

0825katuragi013


「一言主神社」に
芭蕉の句碑がある。




”猶見たし花に明行(あけゆく)神の顔”
笈の小文 貞享5年(1688)の吟である。

道なき道はここまで。
ここから県道をくぐり名柄の集落へ。
中村家住宅をはじめとする古い家並の続く町中を抜けていく。
道は井戸の辺りから上りに入り、
極楽寺を過ぎて橋本院へは雑木林のなかを、
丸太の階段の山道を登る。
道が開けると橋本院の境内。
本院を見て回り込むと高天原の碑。
一帯は史跡高天原。
田園風景を見ながら小さな集落を抜けると「高天彦神社」。
横に金剛山への登山口がある。

0825katuragi036ここから杉林のなかを一気に下り
西北窪から伏見に出る。
道の要所に立てられた
「近畿自然j歩道」と「葛城の道」の
道標に助けられて歩いてきた葛城古道。


「高鴨神社」を見ると終わりは近い。
すぐ先の「風の森」の案内板を左にとり「風の森」バス停に出る。
「山辺の道北コース」を思い出す前半の古道。
街道歩きの楽しみがある名柄の集落。
山歩きのような高天原から橋本院、高天彦神社から西北窪。

芭蕉の句碑も訪ねて、
距離の割には充実の古道歩きでした。
でも、やはり暑かった~~~。

   詳細=葛城古道

2006年8月24日 (木)

斎宮歴史博物館

佐渡旅行の整理をしなければと思いながら、
気になっていた斎宮に出かける。

一度来たことがあるが、
見たい目的をもって寄るのは初めてだ。
近鉄斎宮駅周辺、東西2キロ、南北700mの
広大な国史跡の斎宮跡。

駅裏の「いつきのみや歴史体験館」から斎王の森と歴史の道を行く。
「斎王の森跡」には大伯皇女(おおくのひめみこ)の歌碑がある。

0824saikuu013”わがせこを 大和へやると さ夜ふけて
     あかとき露に 我がたちぬれ志”

伊勢まで逢いに来た弟、大津皇子を諭して
大和に返して見送るうちに夜も更けて、
いつのまにか暁の露にわたしも濡れて
しまった。と


後に自分を責めることになるとは知らず呼んだ
姉大伯皇女の歌である。

解釈は自分勝手にしているため念のため。
概ね間違ってはいないと思いますが詳しくはネットで調べてね(-_-;)
歴史の道には歌碑が建ち並び最後に歌碑の解説版がある。(遅いわい)

0824saikuu020
すぐに立派な「斎宮歴史博物館」の建物。
周辺はふるさと広場として整備されている。
あまり?人がいないため古代歴史というより
現代の技術の建物と公園の中に、
一人の老人がさまよっているみたいだ。



博物館は第一、第二、映像展示室で
構成されている。

第一は「文字からわかる斎宮」。これは興味深く見る。
第二は「ものからわかる斎宮」。斎宮跡の発掘調査だ。
ここはなんといっても第一展示室。

0824saikuu014
歴史資料や王朝文学などから斎宮、
斎王の史実を再現している。
映像展示室では3テーマを
日替わりで放映。今日は「斎王群行」。




1038年、後朱雀天皇の子良子(ながこ・8歳)斎王が、
京から斎宮までを行く群行の様子が18分間の映像で
紹介されていた。

何をしに来たのかただの説明になってしまったが、
知りたかったのは大伯皇女のこと。
ネットで調べればすぐすむことだが、
やはりここには現場の斎宮がある。
660年にわたって続いた斎王(いつきのひめみこ)の歴史。
その初代といわれる斎王大伯皇女。

彼女を訪ねてきた斎宮。
飛鳥時代の歴史の哀史、大津皇子と大伯皇女の物語が
ここ斎宮にあったはず?だが、
ここでは二人のことには触れてない。

第一展示室には後の伊勢物語が
メインでビジュアルに展示されている。
これはどうしても二上山の大津皇子の墓にも行かねば。

2006年8月22日 (火)

佐渡金山とトキ保護センタ―

佐渡金山とトキ保護センタ―

佐渡といえば佐渡金山とトキの森公園・トキ保護センタ―。
定番のここを外しては佐渡に来たとはいえないだろう?と、
二日目はこの2ヶ所を組込んだスケジュール。
島の北端まで行き両津まで島を半周するコースだ。
最初に佐渡金山へ。
ふむふむ、なるほど、なるほど!特に解説することもない。
ここから尖閣湾へ行き、遊覧船(グラスボート)に乗る。
日本海の波は高く、小さい船は物凄い揺れ。
これには参った。
ここから島北端の「二つ亀」をみて本島側を南下する。
ここから見える本島はむちゃ近く見える。
両津まで南下してトキの森公園のトキ保護センタ―へ。
あまり期待していなかったが、結構多くのトキが見れた。
ただ、何とも呆気ない十数メ―トルの観察区間にはちょっとびっくり。
今日で佐渡旅行も終わり。
見所の少ない島とは言わないが、ここも一回でいいわ。

2006年8月21日 (月)

佐渡おけさ

佐渡おけさ

直江津の朝の雷雨には驚いたが無事に佐渡に着く。
御当地ソングといえば「佐渡おけさ」。
歌は嫌というほど聞かされているが踊りはあまりみない。
佐渡の旅ではそれがみられる何らかの企画があるからうれしい。

今夜も佐渡おけさと鬼太鼓の競演がホテルの企画であった。
旅行中このようなショ―はほとんどみに行くことがなかったが、
おけさに魅かれてつい酒席?を外し観てしまった。
やはり地場芸能はその地でみてなんぼやね〜。
酔ってみていることもあり、つい、雰囲気にはまってしまった。
これも旅の楽しみか?
喧騒も一時で、今夜も佐渡の夜が過ぎてゆく。
明日もまた佐渡。この島には夢があるわ。

佐渡航路

佐渡航路

今年の夏の旅行は佐渡。
朝から猛烈な雷雨で一時はどうなるかと思ったが、
出航前にはあがった。
直江津・小木間、2時間40分の船旅。

出航と同時に、お馴染みの海猫の見送りが始まる。
空の旅もいいけれど、海の旅もまた風情があっていい。
佐渡は49里、海上はるか先。
結構遠いね〜。

2006年8月17日 (木)

大伯皇女と二上山

竹内街道と長尾街道との追分の道標の傍に立つ細い鉄柱に
万葉の歌が貼り付けられていた。
たまたま二上山を歌ったものだったのでフレームに入れたが、
今日その部分を切り取ってみた。
                   0815takenoutik
「現身(うつそみ)の
 人なる我や明日よりは
 二上山(ふたかみやま)を
 弟(いもせ)とあが見む 
 大伯皇女 」とある。

この世の人である自分には
明日からはもはや二上山を弟と
思って見るより
ほかなくなって
しまった~。

天武天皇崩御後の皇位継承で
皇后鵜野(うの)~後の
持統天皇~
によって謀反?の
罪で処刑された大津皇子
(おおつのみこ)の墓は
二上山にある。

斉王の任を解かれて伊勢から大和に戻った
姉の大伯皇女(おおくのひめみこ)が、
二上山に弟を思い詠んだ歌である。
幼くして母を亡くし、
肉親以上の姉弟愛で生きてきた二人
に起きた悲劇!。
これも涙ものやね~。
いまさら「大津皇子事件」や
万葉の世界を論じる気もないし、
そんな学問や知識があるはずもない(-_-;)

逆に、たまたま見た一つの歌から
大伯皇女を検索していて日本書紀、
万葉集とえらい勉強をさせてもらった(笑)。
近いうちにまた二上山と伊勢の斎宮を訪ねよう~と。

2006年8月15日 (火)

竹内街道と芭蕉綿弓塚

堺市大小路から竹内峠を越え、
當麻町の長尾神社まで約27キロの竹内街道。
短い街道だがはるか推古天皇が西暦613年に作った
「大道」が起源とされる日本最古の官道(国道)である。

竹内集落は芭蕉と「野ざらし紀行」をともにした
千里の故郷でもあり、芭蕉「綿弓塚」がある村。
暑いけど思い切って出かける。

Pict0001_2近鉄南大阪線「上ノ太子駅」駅前に
「竹内街道」の石碑がある。
駅前の道が竹内街道。
しばらく国道を行き、赤坂町で旧道に入る。





Pict0009_3道はカラー舗装された集落の街道を行く。
六枚橋バス停を過ぎて道はゆるやかに登っていく。
孝徳天皇陵の道標をみてさらに登ると
「竹内街道歴史資料館」があるが今日は休館日。
すぐ先の道の駅で「力餅」を買い昼食に備える。
道は国道166号に合流し竹内峠へと登っていく。

峠手前の「万葉の森」。
二上山への登山道があるが今日はパス。
真直ぐ峠へ。


Pict0019閉鎖された道を行くと峠の国境に
三基の碑が建つ。

左に「鶯の関跡」碑。
「鶯の関跡」を見るのは二度目だ。
一度目は「奥の細道」で歩いた南条の
「鶯の関跡」。


道はここから下りに入り、展望台横から旧道へ。
杉並木の中、横を抜けて旧道は再び国道へ。

 

Pict0033 すぐに、竹内集落に入る。
大和造の家が建ち並ぶ集落を行くと
「芭蕉ゆかりの綿弓塚」がある。
ここは「野ざらし紀行」で芭蕉に同行した
千里の里。




「大和の国に行脚して、葛下の郡竹の内と云處、
 彼ちりが旧里なれば・・・わた弓や琵琶になぐさむ竹のおく 」
と「野ざらし紀行」にある。

Pict0039

その綿弓塚。
右側面に「綿弓や琵琶に慰む竹の奥」が
刻まれている。
傍には千里の
「深川や芭蕉を富士に預け行く」の句碑もある。
ここは司馬遼太郎が
幼少のころ暮らしたところでもあるそうだ。



少し先に地蔵堂。傍らに「左たいま道」の道標。
芭蕉も當麻寺には二度訪れている。

二上山にはいけなかったがここはつい寄り道をする。
ここにも芭蕉の句碑があるはずだが、
今日は本堂にお参りするだけ。

Pict0064街道に戻りバイパスをわたると
長尾街道の追分。
直進するとすぐに長尾神社の横、
竹内街道の終点に着く。

わずか26キロの街道だが
この8キロに凝縮された竹内街道。


満足の街道歩きでした。

詳細=竹内街道 上ノ太子から磐城

2006年8月13日 (日)

潮騒の孤島・神島Ⅱ

八代神社の長い階段から遊歩道を行くと
0813kamisima007神島灯台。











 眼の前に伊良湖崎が見える。 0813kamisima039

 伊良湖水道を挟んで
 見える伊良湖灯台。

 ここから急坂を登って
 灯明山山頂へ。


道はここから下りになる。
下ると「潮騒」のクライマックスで知られる「監的哨」。
ここは涼しい!!

木造の階段と遊歩道を下りきるとカリスト地形の不動岩?に出る。

0813kamisima020








0813kamisima018

わずかに残るハマユウと
ハマナデシコが
台地の傍で
咲いている。


ここには知らない花(木?)が多い。

0813kamisima021ニワの浜から祝が浜に出ると
ハマゴウが咲く。
過ぎると神島漁港はすぐ。
食事をと思ったが、なんと食事処はあっても
食べ物がない。うそ~?



ようやくもぐり込めた所で何とか昼食にありつけたが、
今日の観光客で満杯だ。
お盆の真っ盛り。神島にも帰省の人たちが多い。
何でこんなときに?。
こちらにも事情はあるわな~~。

潮騒の孤島・神島

潮騒の孤島・神島

小説「潮騒」であまりにも有名な神島。
鳥羽湾の沖合に浮かぶ周囲4キロほどの小さい島である。

鳥羽・佐田浜港から市営定期船で50分、
島を一周する潮騒ウオ―キングに出かけた。

神島漁港からスタ―トし、まずは八代神社に参拝する。
いきなり214段の長い階段を上がる。
見所各所には小説の名場面を辿るように、
潮騒の引用文が書かれた潮騒案内板が立てられている。
標高171mの灯明山を巻くように神島灯台、
監的哨、不動岩(カルスト地形)、ニワの浜と周って行く。
ゆっくり歩いて2時間ほどだが、
おかげで帰りの船まで2時間の待ち時間。
同じ人たちが十数人ほど。何もない島でどうするねん?

2006年8月11日 (金)

中山道・加納宿から鵜沼宿

鵜沼の芭蕉句碑を訪ねてついでに中山道を歩く。
岐阜駅から少し南に下がり、中山道加納宿に入る。

0811unuma004_1
途中に「皇女和宮御仮泊所跡」 がある。
徳川家茂に嫁ぐ「内親王和宮」が中山道を
通り江戸に向った途中、ここ加納宿の
本陣で宿泊し、そのとき詠んだ歌碑が建つ。
中山道と皇女和宮。
切っても切れないね~。


ここも城下町。
お馴染に道はカギ状に細かく曲る。
見落とした番所跡、道標もあった。
宿を抜けると後はただ鵜沼宿まで何もない道を歩くだけ。
切通、蔵前、各務ヶ原と行き、三柿野で国道21号に合流する。

すでに32度の国道歩き。
この国道歩きはきついわ~~、死にそう!
何でこの暑いのに歩くの?と言われても、なんだろう?
歩きたいから?
おがせでようやく国道から離れる。

旧道から鵜沼宿への高台に入ると、右に犬山城、
右前に成田山不動尊、モンキーパークの観覧車が見える。

0811unuma049
しばらくで芭蕉句碑が建つ
「二ノ宮神社」の角に着く。
小広場に4基の碑が建つ。
あまりにも多いので驚いたが




「説明板」にはここは芭蕉がよく通ったところとある。
なら、当然かも。

芭蕉は貞享5年8月11日美濃を出発して更科の月見に赴く。
「更科紀行」の旅である。
新旧暦は違えども同じ8月11日。
平成の芭蕉も美濃を出た?
さてこの後はどうなるか?わが身自身分からない。

0811unuma040
 

句碑のなかの一つ「更級紀行首途の地 
 送られつ送りつ果は木曽の秋」。 
秘かに更科紀行を歩きたいと思っている自分には
この碑は嬉しかったが、
そうか?鵜沼が出発地だったのか。




0811unuma056

 

 

 

 


再び芭蕉を歩く旅。

そのきっかけをとりあえずつくって
「うとう峠」の手前から新鵜沼駅に出る。

                                             詳細=中山道 加納宿から鵜沼宿                                    

2006年8月10日 (木)

伊吹山の蝶

0809ibuki021昨日伊吹山で見た綺麗な蝶。

昆虫図鑑で調べたら
どうやらマダラチョウの仲間で
「アサギマダラ」のようである。




黒い羽が前ばね、茶色い部分が後ばねでPict0001_1

図鑑の写真はこれ→
なるほどこんなになっているんだ!





写真を撮るときもなかなか羽を開かず
開いても一瞬で閉じてしまい苦労したが、
前後の羽が重なると綺麗になるんだね~。

2006年8月 9日 (水)

今日も伊吹山

今日は孫を連れて伊吹山に避暑?に行く。

猛烈な霧が吹き上げるなか、いつもの西遊歩道から山頂へ。
爺婆の足に小3と小1の孫の足がついてこれるか?
心配は無用、子どもはたくましい。

0809ibuki015
今日の目当てはルリトラノオ。
クガイソウと似ているが見分けは葉のつき方。
クガイソウは葉が輪生。ルリトラノオは葉が対生。








0809ibuki009

 

 

 

 

 

西遊歩道で見た
イブキフウロ。

花はやはりシモツケソウ。新聞にも載った群生は山頂付近。
東遊歩道ののイブキジャコウソウも確認して中央道を下りる。

0809ibuki026
山頂の山小屋近くで見た蝶。
名前は確認していない。
昆虫にはまったく疎く名さえ分からないが?
綺麗だね~~。




0809ibuki017




閉じた羽、開いた羽を見ればこの蝶の
名前が判る?かも。
メタカラコウと何?蝶。




花の伊吹に蜜を求めて飛び交う昆虫たち。
ここはまた自然の宝庫。実感できるひと時である。

今年も孫と歩いた伊吹山。
ここに来ると年々子どもの成長が分かる。
うれしいね~~~。

2006年8月 5日 (土)

桑名いま・むかし

桑名いま・むかし

桑名メディアライヴの図書館に行ったら、
一階の多目的ホ―ルで、三重県立博物館の移動展示
「桑名いま・むかし〜くわなの自然と歴史に親しもう〜」
と題した移動展示が開催中。
収蔵資料を広く県民のみなさんに紹介するための
新たな取り組みとして、桑名が第一回だとある。
会場に入るといきなりアケボノゾウの全身骨格標本
レプリカが迎えてくれる。

いなべ市藤原町で見つかったゾウの一部の化石や、
伊賀市大山田の服部川で見つかったミエゾウの
足跡化石レプリカなどが展示された
第一テ―マ「くわなのあけぼのアケボノゾウがやってきた!」から
「太古のくわな化石から探ってみよう」、
「くわなの自然動・植物や昆虫に親しもう」、
「くわなの歴史むかしの「みち」をたどってみよう」、
の四テ―マで、
桑名地域における自然の営みや、人と人との交流の歴史が
紹介されている。

テ―マは別にして、構成のわりに展示物が少ない。
移動展示の難しさだろうと思うが?
もう一つテ―マを絞り込んで展示物を多くしてもらえたらな~。
などと戯言をぬかすのは入場無料とはいえ
企画された方に失礼か?

この後も続く各地の展示予定をみてみると、
結構みてみたいテ―マがならんでいる。少し遠征するか?

2006年8月 3日 (木)

霧ヶ峰八島ヶ原湿原

霧ヶ峰八島ヶ原湿原

久しぶりに遠出する。
霧ヶ峰高原の八島ヶ原湿原。

昨年も出かけたが時間がなくて、
ほんの入口近くを歩いただけだった。
今回は湿原を一周する遊歩道を歩いて湿原に咲く花をみる。

ニッコウキスゲはすでに終わっており、0803yasimagahara013今はヨツバヒヨドリが中心。

ハクサンフウロ、アサマフウロ、
チダケサシ、カワラナデシコなど
花は多く、
散策を楽しんで今夜の
宿上諏訪温泉へ。



諏訪湖に落ちる夕日をみながら一風呂浴びる。

0803yasimagahara040
今日の一花はカラマツソウ。
花弁のない花を多数つける。
唐松のように
細い白いおしべから名がつく。

2006年8月 2日 (水)

伊吹山お花畑・夏

雨で断念した伊吹山。
今日は雲が多かったが雨はないだろうと、
遅まきながら10:30に家を出る。
ドライブウェイのゲートでは、「山頂気温23℃、視界良好、途中霧」。
山頂駐車場から西遊歩道に入る。

バスツワーの人たちで、銀座の人出じゃないがとても歩けない。
さすが花の百名山。
人出をやり過ごしながら花を撮りつつ行く。

0803ibuki023

 

 

 

 

 

 

 

 

今の花はやはり季節のシシウド、シモツケソウとイブキトラノウ、
紫のクガイソウ、写真の真ん中にシュロソウ。
そして手前のカワラナデシコ。
黄色の花はメタラカコウとキバナカワラマツマツバ。
いずれも山頂付近。
日傘を差して登る人、これも花のうちか?
花を求めて登山道をさまようが何しろ人が多いわ。

今日の伊吹花畑。
確認できた花は他に、アカソ、ヤマホタルブクロ。
ヒヨドリバナ、キンバイソウ、ミツモトソウ、オオダイコンソウ、
ウバユリ、コオニユリ、クルマバナ、ハクサンフウロ、ベンケイソウ、
ウツボグサ、ミヤマコアザミ、クサフジ、オオバギボウシ。
そしてイブキジャコウソウ。
まだあったが忘れてしまった。

0803ibuki040

唯一つ、捜し求めたイブキジャコウソウ。
最後の最後、
東遊歩道の山頂下り口で見つける。
何度通った伊吹お花畑。
やっと見つけたこの花に
つい涙して(汗が目に・・・)ボケ写真。

0803ibuki041








後はただシモツケソウの群落を見て
駐車場に戻るだけでした。

 

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