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2006年3月13日 (月)

京都を歩く・芭蕉句碑巡り

雪が降りしきる京都。芭蕉句碑を巡って京都を歩く。

JR嵯峨嵐山駅11:15。遅いスタート。
渡月橋を渡り北におよそ1キロ。芭蕉をも行った?「大悲閣」。

0313kyoutoi002
入口傍に「花の山二町のぼれば大悲閣」の句碑。
芭蕉句集にはない。
境内を登ると千光寺(大非閣)写真
だが鍵がかかって入れない。
今日は12:00から開くそうでしばらく待つ。
時間が惜しいがいたしかたなし。

山腹に建つ寺への途中にもう一基の句碑がある。


0313kyoutoi005「 六月や峯に雲おくあらし山」、
元禄七年(1694)の吟。
ここからの眺めは絶景とあるが、はて?

時間がないので入山料を払って渡月橋に戻る。
橋を渡って川沿いに行き、
三条通りを「車折神社」へ向う。
すでに1時近い。急がねば。


「車折神社」写真 で句碑を探すが見当たらない。
聞くと神社本殿の奥にある「地主神社」の庭?と
おぼしき片隅にあった。
ここには小さな神社が多くある。

0313kyoutoi017
句は「ほととぎす大竹やぶをもる月夜」
元禄四年(1691)~嵯峨日記~で
去来の「柿ぬしやこずゑはちかきあらし山」との
連句である。

ここから京都市内を横断する。



帷子ノ辻から太秦、花園を通り、妙心寺前から
北野白梅町、「北野天満宮」前を今出川通りへ。
堀川今出川から北上し、
鞍馬口通りを折れて東に向い「上御霊神社」写真 へ行く。

0313kyoutoi022山門をくぐった先、手水舎の傍に句碑がある。
「半日ハ神を友にやとし忘」
元禄三年(1690)ここで詠まれた句である。

ここから寺町通りを南に下る。
名前のとうり寺が多い。
中ほどにある「阿弥陀寺」。
山門前に「織田信長公本廟」写真 の石柱が建つ。


説明によると「本能寺の変」のおり、
信長と親交のあった当寺の清玉上人が本能寺に駆けつけ、
信長、信忠親子と家臣百有余名の遺骸を
当寺に埋葬したとある。本堂には今も木像が安置されているそうだ。

0313kyoutoi029本堂左手に句碑がある。

「春立や新年古き米五升」
貞享元年(1684)の句でここでの吟ではない。

再び今出川通りに出て東進する。
百万遍で今度は北に向う。



高野の交差点を過ぎた先の信号で再び東に向う。
あとは最終目的の一乗寺「金福寺」写真 まで一直線に進むだけだ。
細い階段を上った民家風の小さな本堂前から
庭園を登っていくと「芭蕉庵」がある。

0313kyoutoi037芭蕉と親交を深めた当寺の住職、鉄舟和尚が
無名の庵を「芭蕉庵」と名付けたが、
後に荒廃した庵を蕪村が再興したと説明にある。

また、与謝蕪村がここでよく句会を催したともあり、
横に「蕪村筆洛東芭蕉庵再興記」の全文が
書かれた俳文板が建っている。

庵の裏には芭蕉句碑と翁之水碑、芭蕉碑が0313kyoutoi042建ち並ぶ。

句は「うき我をさびしがらせよかんこ鳥」
元禄四年(1691)~嵯峨日記~で
桑名長島の大智院で詠まれたもの。

小さな寺だが庭園を廻り込んだ小高い丘のには
蕪村の墓がある。また他にもたくさんの句碑や、
碑が建っている。
結構由緒あるお寺のようだ。

西の嵐山から、東の一乗寺まで。
他には眼もくれず芭蕉の句碑を巡った京都の旅。

今日は”ほんまにさむおすな”を実感した。

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