東海道・美合の芭蕉句碑
東海道の美合から、前回道を外して見れなかった芭蕉句碑と、
岡崎源氏蛍発生地跡碑を見に出かける。
11:45 美合駅を出て東海道へ。
道はすぐ県道48号線に出る。
横断歩道のない県道を渡る。
手元のガイドブックでは道を渡ってすぐに
蛍発生地跡碑と芭蕉句碑があるとあり、
もう一つのガイドブックには先の山綱川に架かる
高橋の袂に碑があると書かれている。
しかし県道を渡ると廃車の車が山積みされた
工場の間を旧道は延びるが、どこにも碑と案内板が見当たらない。
行きつ、戻りつ、うろうろするがやはりない。
小さい碑ではないのに何故?散々探し捲くったが
あきらめて先を行く。
わが身がぼけたか?(よくあること)、また見逃したか?。
もう来たくもないが真相は何なんだ?
一度美合の観光課(うん?岡崎市か)に聞いてみたい。
と思いながら”ここにありますよ”といわれたらどうしよう?。
乙川を渡り間違えた旧道をトレースしていく。
二十七曲もあらためて歩き直す。だがここは難しい。
二十七曲最後の標柱を拾って西の出入り口を確認する。
芭蕉句碑を見に来たぶらり旅。
こちらは確認できず残念だったが、戻って岡崎城を見学する。
初めて入る岡崎城。家康誕生の二の丸能楽堂。
しかし家康は生まれたこの地から人質として他国で過ごす。
我慢の家康の基礎は他国にあり。
歴史は書により教えられる。しかし、道は歩いてその歴史を知る。
歩かなければ道は分からない。
この二十七曲。家康発案と思ったが浅はかだった。
家康後、田中吉政が整備したとある。
東から西へ。南には乙川があり道はすべて北に回り込む。
外敵に長く、味方に短く。城へ入る計算された道だそうである。
また一つ賢くなって帰途に着く。
でもあるのかないのか気になる芭蕉句碑。
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