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2006年2月27日 (月)

伊賀市大山田の芭蕉句碑

伊賀市大山田の芭蕉句碑を訪ねて伊賀街道を歩こうかと出かける。

関トンネルを抜けると天気が一変した。
今にも降りだしそうな雲行きである。
大山田支所の駐車場に車を入れるが(失礼します)
猛烈な風とそれに寒い。
芭蕉句碑は4ケ所にあり、廻るには13キロほどだが
歩くには少し条件が悪すぎる・・・と思いながら、
とりあえず近くの植木神社まで行く。

神社は平田宿口にあり夏の祇園祭りは
県の無形民俗文化財指定である。

0227ooyamada0050227ooyamada003







入口に新しい句碑と手水舎の横に古い句碑がある。

枯芝ややゝかげろふの一二寸 
貞享五年(1688)~笈の小文~

平田宿を少し歩くがやたら寒い。
歩きは中止して車で廻ることにする。

役場から東に9キロほど行くと新大仏寺がある。
境内の片隅に俳文「新大仏寺記」の刻まれた大きな句碑が建つ。

0227ooyamada0070227ooyamada011







文字はかなり判読しづらいが、
隣に前文を写した立派な石の句碑がある。

丈六に陽炎高し石の上 
同じく笈の小文で詠まれた句である。

さらに東に行った長野トンネル手前の角に多くの句碑が建つ。
その一段高いところに猿蓑塚がある。

0227ooyamada0190227ooyamada018







古い句碑は風化が激しく判読できない。
傍に新しい塚碑が建てられている。

初しぐれ猿も小簔をほしげ也 
元禄二年(1689)の吟である。

帰る途中、もうひとつの句碑があったのに気づく。
須原地区の大橋の袂に
「からかさに押しわけみたる柳かな」
元禄七年(1694)があったのを忘れていた。
江戸での句で、この地で詠まれたものではない。

いずれは歩く伊賀街道だ。
そのときまで残しておくことにする。

2006年2月25日 (土)

春まだ遠き藤原岳

今年初めての山歩きに藤原岳に出かける。

花はまだ無理だと分かっていても、
毎年同じ御在所岳の雪歩きよりは良いか?と。

2合目、6合目とも雪も花も無し。
7合目から雪道になる。
8合目広場に雪はないがここにも花はない。

ここから登山道は雪の下だ。
ここで花がないなら9合目もだめだろうと思ったが、
ついでだと行ってみる。
冬道を避けて一般道を行くが足跡が薄く、
どうも斜めに直登しているようだ。

案の定一気に9合目手前の道に出る。

PICT00019合目もご覧のとうり。
雪はなかったが花もまったくなかった。
これはやはり早過ぎた。
これから芽を出し花開くまで
まだ少し時間がかかりそうだ。PICT0002

ここから上まで行っても雪道を歩くだけだ。
また出直すことにして今日は引き返す。

景色を楽しみ冬道を下りる。春まだ遠きか?

2006年2月24日 (金)

奈良の芭蕉句碑

奈良の芭蕉句碑を歩く。

句碑は西の京、唐招提寺から東へ歩き京終(きょうばて)称念寺、
若草山、二月堂とある。

0224nara002 今も平成大修理中の金堂を包む工事現場を通り
講堂を抜ける。

旧開山堂の前に句碑が建つ。

「若葉して御めの雫ぬぐはばや」
元禄元年(1688)~笈の小文~での吟。

唐招提寺、薬師寺から
「歴史の道」を歩いて奈良を横断する。


0224nara011京終の「称念寺」には

「菊の香やならには古き仏達」
元禄七年(1694)の句碑がある。

奈良から大阪に向った
最後の旅の途中に詠まれた。

ここからならまち、猿沢の池、
奈良公園と行き若草山へ。

0224nara016 若草山の麓、
「手向山神社」の近くの桜の木の下に

「奈良七重七堂伽藍八重ざくら」
年次未詳の句碑がある。
何度も来ているがこんなところに
芭蕉句碑があるとはまったく知らなかった。

芭蕉を追って初めて知るいろいろか?


0224nara017 ここから三月堂へ行くと、二月堂との間にある
龍王の滝の前に句碑が建つ。
貞享二年(1685)「野ざらし紀行」で詠んだ
「水取や氷の僧の沓の音」

0224nara020





二月堂は3月1日から始まるお水取りの準備で、
すでに竹柵が立てられ着々と準備が進んでいた。

2006年2月22日 (水)

常盤御前の墓と芭蕉句碑

「奥の細道」歩きで見過ごした関が原の「常盤御前の墓」と
芭蕉句碑を撮りに行く。

0222tarui002不破の関資料館に車を止めて、
中山道を「山中」へ歩く。
山中の集落で新幹線のガードをくぐった先を
右に入ると、小公園の奥に小さな供養塔が
立ち並ぶ墓所がある。
ひときわ大きい塔が二つあるが
どれが「常盤御前の墓」かわからない。


0222tarui003墓?の後に芭蕉句碑が建つ。

句は「義朝の心に似たり秋の風」
貞享元年(1684)~野ざらし紀行~での吟である。

車に戻り、ついでに垂井へ寄る。
「垂井の泉」と句碑。「本龍寺」の句碑を撮る。

帰ってHPに写真の追加と文章の修正をする。

2006年2月18日 (土)

郡上八幡散策

手軽な散歩にと郡上八幡に出かける。
町中散策は当然としてまず郡上八幡城に登る。

0218gujyo003本丸跡に山内一豊と千代の像がある。
比較的新しいものだが、
このところのNHK大河ドラマの影響か、
なぜか行くところ一豊・千代の宣伝が目立つ。
ここにも「千代の里 郡上」の幟がはためく。

別に意識して来たわけではないが、
先の長浜城(長浜の町中)には
「北近江・一豊・千代博覧会」
(一豊と秀吉が駆けた時代~夫人が支えた戦国史~)が。

昨日の金華山岐阜城にも
「千代が愛した一豊とぎふ・長良川」の幟がはためいていた。
これじゃ掛川城と高知城はどうなっているんだろ?
行かないからわからないがチョッと気にはなる・・・。
0218gujyo0130218gujyo008
町中を散策をする。
「宗祇水」で有名な町だけに、
いたるところに水路 があり
水呑場がある。
古い町並みもそれぞれに
手入がされて
いかにも観光の町そのものだ。

歩いてみて初めてわかる。
いつものことながら・・・
今日も感じる郡上八幡ぶらり旅。

2006年2月17日 (金)

岐阜市の芭蕉句碑

芭蕉は、貞享5年(元禄元年・1688)の6月から7月にかけ
岐阜に滞在している。
この間1ケ月近くを妙照寺で過ごしたとされ、
長良川の鵜飼見物などして数句を残している。
JR岐阜駅から
「御鮨街道?(と案内板にある)」を歩き長良川河畔へ句碑を訪ねた。

道順で句碑を拾っていく。
             
0217gifu0040217gifu005最初は伊奈波神社。
正面入口広場の右隅に、
唐獅子の台座上に円筒の
「芭蕉翁碑」。
裏に「山かげや身を養はむ瓜ばたけ」。
碑は4段に折れて修復の痕が痛々しい。
最近修復されたとのことである。

0217gifu008


国道256号に出て、岐阜公園に向う右手に
芭蕉が滞在した円照寺がある。
本堂手前の境内に
「やどりせむあかざの杖となる日まで」の句碑が建つ。
ここに着いたときの挨拶句である。

0217gifu009ここから岐阜公園を行くと、
三重塔下に
「城跡や古井の清水先とはむ」がある。
金華山登山コースに入る手前で
案内板もなく少し分かりにくい。0217gifu013



公園を抜けて長良橋の袂。
南詰め小公園の角に
「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」の碑。

橋下をくぐるとホテル十八楼。
ここに「このあたりめにみゆるものは皆凉し」の句碑がある。
フロントに案内を請うと今日は工事中で見れないとのこと。
明日ならといわれても?
芭蕉十八楼記で有名だがいたしかたあるまい。
ここだけはどうしてもみたかった!残念だがあきらめる。

0217gifu015
長良橋を渡ると右に神明神社がある。
川面に面して「又たくひながらの川の鮎なます」。
長良川によくあう句だ。
0217gifu018
北に少し行くと法久寺。
立派お寺の境内左隅に
「芭蕉翁」の碑。
右側面に判読できないが
「夏来てもただひとつはの一葉哉」が
刻まれているとある。

0217gifu028句碑巡りを終えて川向こうに
岐阜城をみる。
当然行かなければ。
いくつかの登り道があるが百曲道から
一番親しまれているといわれる七曲コースを歩く。

初めて登る金華山。

岐阜城天守閣からみる長良橋。
そこに芭蕉の足跡が重なって見えた。

2006年2月13日 (月)

鳳来寺の芭蕉句碑

あまりにも天気が良いので、
遅いと思いながら鳳来寺山に芭蕉句碑を訪ねる。

11:38 本長篠に着く。
バスの便はなく鳳来寺まで歩く。
雲ひとつない青空の下快適なウォーキングだ。
鳳来寺入口の観来館(みのこんかん)で資料を貰う。

ここから石段入口まで1200メートル。 
その間、子(ね)から始まって石段下の亥(い)まで
100メートルおきに十二支の石碑が立てられている。

0213foraiji0100213foraiji011







芭蕉来鳳三百年の案内板をみて左に入ると
「夜着ひとつ祈り出して旅寝かな」
(元禄四年・1691)の「夜着塚」句碑と、
「屋根屋跡とその井戸」がある。

この辺りは山頭火の句碑が多い。
この先やたら句碑、歌碑が建っている。

なにやら工事中かやたらトラックが多い。
すぐに鳳来寺へ1425段の石段入口がある。
ホイホイと登っていくと途中で通行止めの柵。
迂回して仮道を行くとすぐ仁王門下に出る。

0213foraiji0170213foraiji021右に
旧芭蕉句碑(木枯塚)がある。
しかし
そのまえに新しい句碑がある
はずだが、
どうやら見逃したようだ。





あわてて戻り立ち並ぶ句碑を確認する。
新しい句碑は立ち入り禁止のなかにあった。
柵の横から無理やり入り句碑を撮る。

仮道はちょうど句碑を迂回しており、これではく分からないはずだ。
句はどちらも「こがらしに岩吹きとがる杉間かな」。
芭蕉はこの後体調を崩し下山。
宿を探しまわり、無理やり泊めてもらった「屋根屋」で
先の「夜着」の句が詠まれた。
今日の目的は終わったが石段はこれからが本番。

0213foraiji028
仁王門から本堂を目指し先を行く。
はじめチョロチョロから登りは次第にきつくなる。
医王院を過ぎ息があがりそうになるころ
本殿下の広場に着く。
すぐ上に本殿の屋根が見える。


登り始めてから35分、本殿に着く。

今日は平日の月曜日。
誰もいないと思っていたが先着の若いカップルに会う。
下山で一緒になり、下りる途中でご夫婦が登って見えた。
物好き?m(__)mは私だけではなかった。

バスの便が悪く、また歩いて本長篠まで帰る。

2006年2月12日 (日)

長浜盆梅展と芭蕉句碑

何年ぶりかで長浜盆梅展に出かける。
慶雲館での盆梅展。今日は日曜日、いつものことなのか?凄い賑わいだ。
盆梅展見たくて来てみれば梅と人との狂い咲きだ。
0212nagahama60212nagahama0110212nagahama018














0212nagahama013
盆梅の後は「北国街道」長浜を散する。
観光客で賑あう黒壁辺りは
とても街道の雰囲気ではない。
人ごみの中を抜けると静かな街中に
街道の趣が残る。

街道から長浜城歴史博物館へ行く。
「北近江一豊・千代博覧会」の幟が立つ。




常設展示「湖北長浜のあゆみ」と特別企画「一豊と秀吉が駆けた時代
~婦人が支えた戦国史~」テーマⅠ・Ⅱをみる。
これも大河ドラマの影響なのか、ここも老若男女の人で賑う。

PICT0028市民会館の前にあった芭蕉句碑が、
盆梅展が開催されている慶雲館に
戻ってきたことを後で知る。

雪の舞うなか戻って確認する。
大きな石に刻まれた
「蓬莱にきかはや伊勢の初たより」の句。
元禄七年(1694)の吟である。
帰りに長浜八幡宮に立ち寄り
もう一つの芭蕉句碑を見る。

2006年2月11日 (土)

近江を歩く・月心寺から小関越え

雪も収まったようなので久しぶりに大津へ行く。

今日は「月心寺」の芭蕉句碑を見たくて、
東海道逢坂山から小関越えのコースを歩く。

大津駅から旧東海道に入り逢坂山に。
すぐ国道1号線に合流する。

0211ootu0020211ootu0060211ootu0080211ootu009






国道手前にある「蝉丸神社」下社がある。
国道の先に道を挟んで「上社」、さらに先で国道を横断した
「逢坂関跡」碑から道を分けると「分社」が建つ。
分社の近くの芭蕉句碑を探すが確認できず先を行く。

0211ootu0150211ootu016 国道沿いに「走井」
「月心寺」と書かれた
行灯のともる家がある。


ここに芭蕉句碑があるはずだが、
寺とはいえ他の入口は閉ざされていて入れない。
打ち水がされた趣のある入口を入ると苔むした「走井」の井筒がある。

臆して外に出たがどうしても句碑が見たく意を決して案内を請う。
出られた女将さん?がチラッとこちらをみてあちらにと案内される。
よれよれのズボンにウインドブレーカー、
これではどう見ても敬遠されて不思議はないか。

案内された横の玄関を入ると、そこは台所?(勝手口でした)。
土間に赤い火鉢が5個ほど並びやかんから湯気が立つ。
蔵の横を抜けて池のある庭園横を、
竹柵で仕切られた石段を登ると句碑があった。

0211ootu018_1「大津絵の筆のはじめは何仏」
(元禄四年・1691)。
確認して戻りながらあらためてこの造りに感嘆する。
普通のお寺と思っていたが、これは?高級料亭だ。

丁重にお礼を言って失礼をする。





0211ootu020
ここから京、伏見道の道標を分け、
小関道道標(三井寺観音道)から小関越に入る。

道は一気に細くなり、
普門寺から山中を行く舗装道になる。
結構な登りを行くと車道に出て、
峠の地蔵がある。あとはただ下るのみ。
小関町の集落に入り天満宮入口で「小関越道標」を見る。
ちょうど逢坂山の周りを歩いたことになる。0211ootu027

天満宮に「山路きて何やらゆかしすみれ草」
(貞享二年・1685)。野ざらし紀行での吟である。
「野ざらし紀行」前書きに、”大津に出る道、
山路をこえて”とあり、何かで京、伏見から
この小関越えで大津に入った折の吟、と読んだ記憶があるが、
天満宮の句碑に解説はない。

このあと「円満院」、大津絵美術館、近江神宮、
天孫神社の句碑を見て歩いたが、
「月心寺」の感動を超えるものはなかった。

2006年2月10日 (金)

東海道芭蕉句碑 水口・石部宿

飽きもせず芭蕉句碑を訪ねて東海道の水口から石部宿までを歩く。

11:00 近江鉄道「水口石橋」駅から東海道を1キロほど戻り、
水口宿の「東見付」から歩き始める。

町の角ごとに「東海道五十三次 ・・・町」の標柱が建つ。

0210minaguti016
本陣跡、高札場跡をみて、
問屋場から芭蕉句碑がある「大岡寺」へ。
山門を入った右手に句碑がある。

「命二つの中に生きたる桜かな」
貞享二年(1685)野ざらし紀行で、
伊賀上野の門人土芳との再会の吟である。



旧道に戻り水口宿を行く。
アーケードの本町商店街をから石橋駅を見て道は先で枡型に折れる。
林口一里塚を見て西見付(確認できなかった)を過ぎると
何もない道をひたすら歩く。
泉集落の先で左に折れ、泉一里塚跡 を見ると
道は野洲川堤防の大常夜灯が建つ横田渡跡に突き当たる。0210minaguti033

国道で横田橋を渡り三雲へ。
相変わらず何もない旧道をひたすら歩く。

0210minaguti041 この先、道は大砂川と
由良谷川の二つの
天井川を隧道でくぐる。

正直、トンネルとはいえ初めて川の下を歩いた。
夏見、針、柑子袋集落を抜け、
落合川を渡ると石部に入る。

宿集落の家並みを見ながら先を行く。
「明治天皇聖蹟」の碑がある小島本陣跡
(これは水口宿本陣も同じであった)を見てすぐ先の茶屋手前を
左に入ると「真明寺」。

0210minaguti053 山門を入った左先に、
本堂と向うように芭蕉句碑が建つ。

「つつじいけてその陰に干鱈さく女」
貞享二年(1685)の吟。
野ざらし紀行は江戸に帰る途中で、
今日歩いてきたのとは逆になる。

東海道はこの先、伊勢落、林、
六地蔵から草津へ向う。

石部から草津までは約く三里の道のり。
距離的には充分行けるが、時間の都合もあり石部駅から帰宅する。

次は久しぶりの近江大津へ行くか?。
さて?草津はどうする?。

2006年2月 5日 (日)

東海道・美合の芭蕉句碑

東海道の美合から、前回道を外して見れなかった芭蕉句碑と、
岡崎源氏蛍発生地跡碑を見に出かける。

11:45 美合駅を出て東海道へ。
道はすぐ県道48号線に出る。

横断歩道のない県道を渡る。
手元のガイドブックでは道を渡ってすぐに
蛍発生地跡碑と芭蕉句碑があるとあり、
もう一つのガイドブックには先の山綱川に架かる
高橋の袂に碑があると書かれている。

しかし県道を渡ると廃車の車が山積みされた
工場の間を旧道は延びるが、どこにも碑と案内板が見当たらない。
行きつ、戻りつ、うろうろするがやはりない。
小さい碑ではないのに何故?散々探し捲くったが
あきらめて先を行く。

わが身がぼけたか?(よくあること)、また見逃したか?。
もう来たくもないが真相は何なんだ?
一度美合の観光課(うん?岡崎市か)に聞いてみたい。
と思いながら”ここにありますよ”といわれたらどうしよう?。

乙川を渡り間違えた旧道をトレースしていく。
二十七曲もあらためて歩き直す。だがここは難しい。DCF_0006

二十七曲最後の標柱を拾って
西の出入り口を確認する。

芭蕉句碑を見に来たぶらり旅。
こちらは確認できず残念だったが、
戻って岡崎城を見学する。



初めて入る岡崎城。家康誕生の二の丸能楽堂。
しかし家康は生まれたこの地から人質として他国で過ごす。
我慢の家康の基礎は他国にあり。
歴史は書により教えられる。しかし、道は歩いてその歴史を知る。
歩かなければ道は分からない。

この二十七曲。家康発案と思ったが浅はかだった。
家康後、田中吉政が整備したとある。
東から西へ。南には乙川があり道はすべて北に回り込む。
外敵に長く、味方に短く。城へ入る計算された道だそうである。
また一つ賢くなって帰途に着く。

でもあるのかないのか気になる芭蕉句碑。

2006年2月 4日 (土)

新城市・石雲寺のセツブンソウ

新城市名号の石雲寺でセツブンソウが見頃との
新聞の写真記事(1月31日付中日朝刊)をみた女房にせがまれ、
初めて山里の花を見に出かける。

新城市といってもかなり奥に入る。
湯谷温泉を抜け、愛知県民の森を過ぎる。
しばし山中の国道151号線を走るとひっそりとした集落がある。
0204sekiunji001                   
石雲寺は里のなかの少し高台にあった。
なぜかここだけ異様に車が多い。
やはり新聞記事を見て来た人たちでにぎやかだ。



0204sekiunji2a0主役のセツブンソウは
境内横の山すそ(畑)?に何箇所か群生していた。
こういった類の記事や写真は
期待して出かけると往々にして
ガッカリすることが多い。
写真は望遠レンズで撮っているから
綺麗に見えるが、
実際は囲いの中にあり小さくしか見れない。


中に入れば花を踏み荒らす。
マナーはその人の心にすがるのみだが?。
この規模ではとても花を間近でみることはできない。
記事用の写真、それはまあ~それようで?。
分かっていても皆さんは行きたくなる?。
当然です。我々も行きました。
私的には、やはり雪が溶けて福寿草との競演がみれる
藤原岳早春のセツブンソウ。
これが一番の楽しみだが。さて今年は?。 

帰ってきたら雪が舞う。

2006年2月 3日 (金)

伊勢別街道

新しく買ったシューズの履き慣らしに伊勢別街道を歩く。

関の東追分から津江戸橋までおよそ18キロ。
前後を入れても20キロ程度と、慣らしにはちょうど良い距離と選ぶ。

0203betukaido001JR関駅からお馴染の関宿・東の追分へ出る。
伊勢別街道はここから楠原、椋本、窪田の
宿場を通り津の江戸橋で伊勢街道に合流する
参宮道の支道であったとある。




わずか20キロ弱の短い道に見るものは何もないが、
宿場に残る連子格子の家並みや、格式高い門構えの家などは
充分に街道歩きを楽しませてくれる。 0203betukaido002

追分から鈴鹿川を勧進橋で渡るといきなり
「鈴鹿駅家跡(馬や人夫を備え宿舎を設けた場所)」がある。
左に折れるて連子格子の家並みを見ながら
名阪国道の下をくぐり抜ける。0203betukaido015

0203betukaido018
県道10号を行き
石山観音を分けると楠原宿に入る。
林の集落を抜け県道を横断し
横山池を廻り込んで行くと椋本宿へ。
「さんぐう道」道標、
講札の立つ旅館「角屋」など
街道ムード満点の道を行く。


椋本からしばらくは何もない県道を歩く。
再び県道から離れると長い高野尾町の集落に。
途中「ぜに可け松」の小堂を見るとまた県道に合流する。

少し先で新しい県道10号バイパスが延びるが
左の旧県道10号へ入る。
また何もない県道をひたすら歩くが、道筋の家並みは連子格子や、
重厚な門構えの家が残り、
街道の面影を充分に味わうことができる。0203betukaido031
ふたたび県道で中ノ川を渡ると窪田宿に入る。
県道とはいえ細い街道筋を行き、
JR紀勢本線の手前で右に折れ大きな窪田常夜灯をみて
踏切を越える。
また雨になる。伊勢街道のときもそうだったが、
何故か江戸橋に近づくと雨が降る。
すぐ真宗高田派本山「専修寺」があるが、
前にも来ているので先を急ぐ。
雨と、風で動きがとれず、寺内の家並みも
ゆっくり楽しむこともできなかった。

0203betukaido034 一身田中野を過ぎ
江戸橋駅を右にみて近鉄名古屋線の踏切を越えると
伊勢街道との合流点はすぐである。
新しいシューズの慣らし歩き。
最後は雨でゴアテックスのテストまでしてくれたが、
また長い付き合いができそうだ。

                       詳細=伊勢別街道   

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