もう一つの芭蕉生誕地
芭蕉生誕地については旧上野市と伊賀町(現在は合併により伊賀市)の
二説があるのは知られている。
観光地としての上野は周知のとおりだが、
他方の伊賀町はほとんど知られていないと?勝手に想像する。
これじゃあまりに不公平と思いつつ初めて訪ねてみる。
まずは資料を集めるために伊賀市伊賀支所に向う。
支所の入口に新しい芭蕉像と句碑があった。
昭和58年の建立で
碑は「草いろいろおのおの花の手柄かな」
貞享5年(1688年)の句である。
頂いた資料によると、
この地にも「芭蕉誕生宅阯」と「墓」があるそうだ。
伊賀支所から国道25号を東名阪伊賀IC方向に向う。
柘植郵便局の前を右折し橋を渡ると
「芭蕉翁誕生宅阯碑」の案内がある。
車1台がやっと通れるほどの道を行くと民家の小屋?の傍に
「芭蕉翁誕生宅阯」と刻まれた碑がたっている。
上野は「生家」であるが、こちらは「誕生宅」だ。
どちらも一緒だと思うけど
やはりメンツもあるのかな~?とも思う。
25号線に戻り先の三叉路で橋を渡って右折する。
案内板で細い道を入ると万寿寺山門前に出る。
本堂には桃青殿があり芭蕉翁の木坐像と位牌が安置してあり、
毎年11月12日の命日?には
「しぐれ忌」法要が行われているそうだ。 本堂左手前の観音堂横を下りると松尾家三家の墓とともに
石垣で囲まれた芭蕉の墓碑がある。
上野の愛染院の「ふるさと塚」は遺髪だが、
移設されたというこの墓には何があるのだろうか?
万寿寺からゆるやかな坂をさらに行くと福地城址がある。
詳しい説明は省くことにして、資料には明治6年の芭蕉200年回忌の際、
当時の所有者松尾宇八郎氏から村に寄贈されたのを機に、
「臍の句碑」を建立し芭蕉公園としたのが始まりとある。
公園入口には
「蕎麦はまだ花でもてなす山路かな」
元禄7年(1694)の句碑がある。
石段を登り石垣を見て道を廻り込むと公園がある。
公園奥の中央正面、
一段と高いところに臍の句碑
「ふるさとや臍の緒にになく年の暮れ」
貞享4年(1687)・笈の小文の碑が
公園を見下ろすように建っている。
公園には他にも「臍の句碑建設記念」碑、
「芭蕉翁生誕之地」碑に、松瀬青々、細身綾子など
柘植に関係深い人たちの句碑や、門人卓袋の句碑などが建ち並んでいる。
もう一つの芭蕉生誕地、伊賀町柘植。
芭蕉オンパレードの上野と比べるつもりはないし、
また比べようがないが、伊賀国阿拝郡柘植山出拝野の里。
ここにも確かにもう一人の芭蕉がいた。
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>芭蕉オンパレードの上野と比べるつもりはないし、また比べようがないが
確かに。
観光地として積極的に売り出したければ、京都のごとく華やかになる。
それは当たり前なことだから、とうっちゃっておけば奈良のごとく寂れる。
名古屋も後者都市なので、伊賀町の気持ちもわかるような気もするが・・・
結局は上野も伊賀も「伊賀市」でひとつになったのでは?(笑)
上野はホリエモンだったのかよっ!?(笑)
投稿: 恵美 | 2006年1月26日 (木) 15時19分
京と奈良、凄い比較をする(笑)、それって桁違いだよね。
ここは町の状況からして観光地にはなり得ない?(断定したらいかんか)。
訪ねて初めてその地を知る。あらためて実感させてもらった伊賀町です。
芭蕉への想いがここにある、とわかっていてもやはり上野には?か。
でも心情的にはここもいい。
短い時間で散策もままならなかったけれど、ほんの少し大和街道を歩いてみましたわ。
上野のホリエモンにここを歩かせてやりたいよ!。
投稿: 好好爺 | 2006年1月26日 (木) 21時10分