東海道・藤川宿の芭蕉句碑
東海道・藤川宿の芭蕉句碑を見たくて出かける。
前に歩いた赤坂の続きを歩く。
名電長沢駅から旧道に出て街道歩きを楽しむ。
すぐに国道1号線と合流し、味気ない国道歩きが続く。
峠のドライブイン(あまり登った感じはしないが何故か峠)を過ぎると、
すぐに岡崎市に入る。
少し先で本宿の手前に本宿のモニュメントがある。
傍の国道1号線とは対照的な道が延びる。
すぐ先で本宿・宿の案内板を見て集落に入ると、
すぐに徳川家康ゆかりの法蔵寺がある。
本堂左手を行くと新撰組隊長・近藤勇の首塚がある。
本陣屋敷跡、一里塚跡など見ながら本宿を抜け
国道に合流する。
山中八幡宮を見て国道を左にとると藤川宿に入る。
藤川宿は広重の「棒鼻(宿の出入り口)」 で知られ、
吉良街道への交通の要所だそうである。
東の棒鼻、西の棒鼻が藤川宿の出入り口になる。
宿は「藤川宿町づくり研究会」により整備され
旧道の面影が残されている。
こういう宿場町を残してくれる人々に感謝したい。
藤川には本陣、脇本陣と古い建物が残っており、
資料館として現存する。
やはり東海道だ、宿場は長い。宿場を抜けて西棒鼻を見ると、
すぐ左に十王堂がある。
境内というより街道沿いに大きな芭蕉句碑が建つ。
「ここも三河むらさき麦のかきつばた ばせを」
立派な句碑だがこの句は芭蕉全句、俳句集にも見当たらない。
良くあることだがチトがっかり。
藤川の松並木を見て乙川をわたり大平町に入る。
大平一里塚を見て、ここから道を外し岡崎市街を右往左往する。
やはり詳細な地図を持たないと街道は歩けないと痛感する。
ようやく旧道に戻ると「二十七曲碑案内板」があった。
案内板の地図をみて行くが、地図のない悲しさ、
全然道が読めない。道は甘くなかった。
挫折感と再挑戦を誓いトボトボと東岡崎駅に向う。
さすが家康、ただではこの道を通さないつもりか?。
見ておれすぐに攻略してやる。 くやしい~~!。
詳細=東海道 長沢・本宿から岡崎
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