東海道 鈴鹿峠の芭蕉句碑
朝から快晴!絶好の歩き日和だ。
これは見逃す手はないと、前回雪で中止した東海道、
坂下から鈴鹿峠を歩く。
風は冷たいが雲ひとつない青空が広がるなか、
西の追分から国道を行く。
旧道で市之瀬集落を抜けると再び国道1号線に合流する。
S字のカーブが続く国道にポツン、ポツンと民家がある。
右に鈴鹿川が迫ると左の民家の傍に
「一里塚阯」の碑が見えると旧道は右に折れ沓掛に入る。
街道の面影を残す家並みの集落を、
細い道がくねくねと続き少しづつ登っていくのがわかる。道がT字路に出る手前に
「五十三次」の宿場が書かれた柱が立つ坂道がある。
左に「鈴鹿馬子唄会館」を見て、
柱を数えながら先を行くが途中でわからなくなってしまった。
すぐに広い道に合流し、
さらに山間の中を縫っていくと坂下宿へと入っていく。
三重県側の最後(最初?)の
宿場である坂下宿は
山あいにひっそりとたたずんでいる。
しかしこの道の広さはいったい何なんだ?。
坂下のバス停を過ぎる辺りから、
やたら「・・本陣跡」の石柱が建つ。
すぐに集落を抜けて国道に出る。
手元の地図は国道(峠からの下り線)の側道を行くが、
右に東海自然歩道の案内標識があり、道は山の中へ急階段を登る。
手引書では500mほど先で合流するからどちらでもいいとある。
しかしこの階段はきつそうだと側道を選んだ。
実際に帰路で歩いたが、かなり厳しい下りが随所にある
(返せば登りがその分きついが、道は登りの方が歩き易く、
下りのほうがより危険!)。
旧道はその合流地点から片山神社へ出る。
ここから八丁二十七曲(また二十七曲だ)の峠越えになるとある。
神社の右の九十九折れの道を行き、
国道の高架下を細い石段で登ると、案内板のある小広場に出る。 一段上に新しい芭蕉句碑がある。
説明版には”芭蕉は鈴鹿峠について
「ほっしんの初めに越ゆる鈴鹿山」 の句を残している”
とあるがこの句も全句集に見当たらない。
ここから再び二十七曲の広い峠道を行くと
あっけなく峠に出てしまった。
雪が残る峠に車が2台。
ここから高畑山への登山道が延びているが、
峠は登山者の駐車場代わり?か。
左に少し入った鏡岩を見て、峠の県境を越えると近江の国に入る。
近江側には峠の面影はない。
左に広がる茶屋畑を見て
近江の国を少し行くと、
峠の象徴である
「万人講の常夜灯」が建つ
小広場の休憩所に着く。
すぐ下を国道が走り
滋賀県甲賀市の標識が見える。
久しぶりに三日連続の東海道歩きで、
芭蕉句碑を巡った東海道も愛知の吉田(豊橋)から
三重の鈴鹿峠まで歩いたことになる。
東海道の全行程を歩くことはまずないが、
残る東海道の芭蕉句碑巡りはいつの日かまた、ぶらり旅。
11:30 来た道を戻る。
« 東海道 岡崎から有松 | トップページ | 二見道と二見の芭蕉句碑 »
「歩く・芭蕉」カテゴリの記事
- 鹿島詣(2012.07.26)
- 芭蕉更科紀行・善光寺(2008.06.05)
- 芭蕉更科紀行・続信濃路(2008.06.03)
- 芭蕉更級紀行・信濃路(2008.05.30)
- 芭蕉を歩く・中山道木曽路(2008.05.28)
コメント