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2006年1月30日 (月)

二見道と二見の芭蕉句碑

伊勢でまだ見ていなかった二見の芭蕉句碑。

朝からの雨で迷ったが、
現地は曇りで雨は降っていないとの情報に思い切って出かける。

ならば二見道を歩こうと小田橋の伊勢街道合流点から簀子橋に出る。

0130futami001錦水橋を左に
県道を横断し、
勢田川の右岸を 行く。
左に川崎の町並みを
みながら道は続く。
北新橋を見て道は
右に折れる。
すぐに県道伊勢二見線に合流。

0130futami006 少し先で左に分ける。しばらく旧道を行くと、
「かどや民具館」があり、
突当りの「明治天皇御上陸記念碑」をみると
二軒茶屋餅の角屋がある。



かっては他に湊屋という茶屋があったことから二軒茶屋といわれた。
陸路の「へんばや」と水路の「二軒茶屋」、
ともに伊勢への入口である。
再び県道に合流し、国道23号を越えると国道42号になる。
通町の先、Y字の交差点で県道に戻ると
汐合橋で五十鈴川を渡る。

0130futami009 袂に道標がある。右に少し見える橋脚は、
かって山田と二見間を走っていた路面電車の鉄橋跡。
思い出すと懐かしい。橋を渡ると二見町に入る。
何もない道を淡々と行く。


JR二見駅の手前で左に折れ市街地へ。
商店街、旅館街を抜けて二見興玉神社へと道は続く。

0130futami0160130futami014参道入口に芭蕉句碑がある。
「うたがふな潮の花も浦の春」
元禄2年(1689)の句である。




参道の右手に「賓日0130futami019館」がある。


ちょうど玄関にひな壇が飾られていた。
こうしてみるとやはり華やかなものである。



PICT0027参道を突き当たると二見興玉神社。
二見道の終点である。
まったく何もみるべきものがない道だったが、
かっては御塩神社で造られた塩を、
外宮まで歩いた運んだ御塩道であるという。

歩いてわかる道物語。
教えられることが多い。

これもまた何十年ぶりか?興玉神社に参拝する。
見慣れた夫婦岩?。平日だというのに団体客が多い。
街は閑散、シーパラダイスは?寄らなかった。
伊勢に戻り、馴染の店で伊勢うどんを買う。

川崎を歩こうかと思ったがあいにく雨になる。
道も歩いた、うどんも買った。
JRの「快速みえ」で帰る。

2006年1月29日 (日)

東海道 鈴鹿峠の芭蕉句碑

朝から快晴!絶好の歩き日和だ。

これは見逃す手はないと、前回雪で中止した東海道、
坂下から鈴鹿峠を歩く。

風は冷たいが雲ひとつない青空が広がるなか、
西の追分から国道を行く。
旧道で市之瀬集落を抜けると再び国道1号線に合流する。
S字のカーブが続く国道にポツン、ポツンと民家がある。
右に鈴鹿川が迫ると左の民家の傍に
「一里塚阯」の碑が見えると旧道は右に折れ沓掛に入る。

街道の面影を残す家並みの集落を、
細い道がくねくねと続き少しづつ登っていくのがわかる。

0129tokaidosakasita006道がT字路に出る手前に
「五十三次」の宿場が書かれた柱が立つ坂道がある。
左に「鈴鹿馬子唄会館」を見て、
柱を数えながら先を行くが途中でわからなくなってしまった。
すぐに広い道に合流し、
さらに山間の中を縫っていくと坂下宿へと入っていく。

 

三重県側の最後(最初?)の
宿場である坂下宿は
山あいにひっそりとたたずんでいる。

0129tokaidosakasita09e
しかしこの道の広さはいったい何なんだ?。
坂下のバス停を過ぎる辺りから、
やたら「・・本陣跡」の石柱が建つ。
すぐに集落を抜けて国道に出る。


手元の地図は国道(峠からの下り線)の側道を行くが、
右に東海自然歩道の案内標識があり、道は山の中へ急階段を登る。
手引書では500mほど先で合流するからどちらでもいいとある。
しかしこの階段はきつそうだと側道を選んだ。

実際に帰路で歩いたが、かなり厳しい下りが随所にある
(返せば登りがその分きついが、道は登りの方が歩き易く、
下りのほうがより危険!)。

旧道はその合流地点から片山神社へ出る。
ここから八丁二十七曲(また二十七曲だ)の峠越えになるとある。
神社の右の九十九折れの道を行き、
国道の高架下を細い石段で登ると、案内板のある小広場に出る。

0129tokaidosakasita020  一段上に新しい芭蕉句碑がある。
 説明版には”芭蕉は鈴鹿峠について
「ほっしんの初めに越ゆる鈴鹿山」 の句を残している”
 とあるがこの句も全句集に見当たらない。



ここから再び二十七曲の広い峠道を行くと
あっけなく峠に出てしまった。

雪が残る峠に車が2台。
ここから高畑山への登山道が延びているが、
峠は登山者の駐車場代わり?か。
左に少し入った鏡岩を見て、峠の県境を越えると近江の国に入る。

0129tokaidosakasita0300129tokaidosakasita033

近江側には峠の面影はない。
左に広がる茶屋畑を見て
近江の国を少し行くと、
峠の象徴である
「万人講の常夜灯」が建つ
小広場の休憩所に着く。


すぐ下を国道が走り
滋賀県甲賀市の標識が見える。

久しぶりに三日連続の東海道歩きで、
芭蕉句碑を巡った東海道も愛知の吉田(豊橋)から
三重の鈴鹿峠まで歩いたことになる。

東海道の全行程を歩くことはまずないが、
残る東海道の芭蕉句碑巡りはいつの日かまた、ぶらり旅。

11:30 来た道を戻る。

2006年1月28日 (土)

東海道 岡崎から有松

昨日、苦杯をなめた岡崎二十七曲。
今日は詳細地図を手に二十七曲を歩き直すために再度「二十七曲の碑」まで戻る。

0128tokaidookazaki00210:45 今日も遅いスタートになる。

二十七曲の入口を探して行くが
昨日間違えたおかげで今日はすんなり見つかる。
碑から道を二本北に行った角に
「二十七曲岡崎城入口」の標柱があった。
ここから町の中心部を抜けるまで、
角ごとに標柱が案内してくれる。
最後の角で道を失ったが、
何とか出口の標柱をみて矢作橋を越える。

街道は国道一号線と付かず離れずのパターンで知立へ向う。
今日の目的は、岡崎二十七曲の攻略?と、
安城「無量寿寺」、「知立神社」の芭蕉句碑をみること。

しかし、この二十七曲には参ったな。
市の観光協会?もわかり易いところに標柱を立てずに、
迷いそうなところに立ててくれないかと心底思ったぞ。
岡崎を出るのに一時間もかかってしまった。家康め!。
                 
矢作川を越え、旧道は一号線と離れ、また合流を繰り返す。0128tokaidookazaki026
安城に入り来迎寺町交差点にある元禄9年の道標をみる。







右に500mほど入ると「無量寿寺」だ。
芭蕉句碑をみに寄り道する。
境内左手前に芭蕉連句碑がある。
「かきつばた我に発句のおもいあり 芭蕉
麦穂なみよる潤ひの里 知足」。貞享2年(1685)の作である。

ここには三河蕉風の井村祖風の墓がある
(知立神社には句碑がある)。
旧道に戻って牛田を過ぎると知立(池鯉鮒)に入る。
「知立駅北」を過ぎて知立神社に立ち寄る。

0128tokaidookazaki043芭蕉句碑は神社と菖蒲園の間にある休憩所前にある。
句は
「不断堂川(ふだんたつ)池鯉鮒の宿農木綿市 芭蕉翁」。
説明には元禄5年(1692)秋、
江戸深川で詠まれた句とあるが、芭蕉全句、
句集には見当たらない。まあよくあることだ?

今日の目的は済んだが。さてどうするか。
時間は15:25。
名鉄知立駅まで戻るには1キロ弱。

この先の有松(名古屋の東海道出発点)まで約10キロだ。
思案の末、吉田(豊橋)から芭蕉句碑を巡った東海道をつなぐため
有松までの残りを歩くことにする。

逢妻町から国道1号との交互を繰り返しながら行く。
今川町で境橋(尾張・三河の境)を渡り尾張の国へ。
豊明に入り、「阿野の一里塚」をみて、前後から中京競馬場前と行き、
「桶狭間古戦場跡」をみると有松はすぐだ。
1号線を横断して斜め右に入ると有松宿に入る。

すぐに名古屋の東海道で歩いた出発点に合流する。
17:10 芭蕉句碑を巡る東海道。
いつのまにか吉田(豊橋)から熱田宮宿まで歩いてしまった。

 

                                                詳細=東海道 岡崎から有松

2006年1月27日 (金)

東海道・藤川宿の芭蕉句碑

東海道・藤川宿の芭蕉句碑を見たくて出かける。

前に歩いた赤坂の続きを歩く。
名電長沢駅から旧道に出て街道歩きを楽しむ。
すぐに国道1号線と合流し、味気ない国道歩きが続く。
峠のドライブイン(あまり登った感じはしないが何故か峠)を過ぎると、
すぐに岡崎市に入る。

0127tokaidofujikawa004
少し先で本宿の手前に本宿のモニュメントがある。
傍の国道1号線とは対照的な道が延びる。
すぐ先で本宿・宿の案内板を見て集落に入ると、
すぐに徳川家康ゆかりの法蔵寺がある。
本堂左手を行くと新撰組隊長・近藤勇の首塚がある。

本陣屋敷跡、一里塚跡など見ながら本宿を抜け
国道に合流する。
山中八幡宮を見て国道を左にとると藤川宿に入る。

藤川宿は広重の「棒鼻(宿の出入り口)」0127tokaidofujikawa030 で知られ、
吉良街道への交通の要所だそうである。
東の棒鼻、西の棒鼻が藤川宿の出入り口になる。




宿は「藤川宿町づくり研究会」により整備され
旧道の面影が残されている。
こういう宿場町を残してくれる人々に感謝したい。
藤川には本陣、脇本陣と古い建物が残っており、
資料館として現存する。
やはり東海道だ、宿場は長い。宿場を抜けて西棒鼻を見ると、
すぐ左に十王堂がある。

0127tokaidofujikawa051_1 境内というより街道沿いに大きな芭蕉句碑が建つ。
「ここも三河むらさき麦のかきつばた ばせを」

立派な句碑だがこの句は芭蕉全句、俳句集にも見当たらない。
良くあることだがチトがっかり。
藤川の松並木を見て乙川をわたり大平町に入る。
大平一里塚を見て、ここから道を外し岡崎市街を右往左往する。
やはり詳細な地図を持たないと街道は歩けないと痛感する。

ようやく旧道に戻ると「二十七曲碑案内板」があった。
案内板の地図をみて行くが、地図のない悲しさ、
全然道が読めない。道は甘くなかった。


挫折感と再挑戦を誓いトボトボと東岡崎駅に向う。
さすが家康、ただではこの道を通さないつもりか?。
見ておれすぐに攻略してやる。 くやしい~~!。

               詳細=東海道 長沢・本宿から岡崎

2006年1月25日 (水)

もう一つの芭蕉生誕地

芭蕉生誕地については旧上野市と伊賀町(現在は合併により伊賀市)の
二説があるのは知られている。
観光地としての上野は周知のとおりだが、
他方の伊賀町はほとんど知られていないと?勝手に想像する。
これじゃあまりに不公平と思いつつ初めて訪ねてみる。

まずは資料を集めるために伊賀市伊賀支所に向う。

0125igatyo001

支所の入口に新しい芭蕉像と句碑があった。
昭和58年の建立で
碑は「草いろいろおのおの花の手柄かな」
貞享5年(1688年)の句である。



頂いた資料によると、
この地にも「芭蕉誕生宅阯」と「墓」があるそうだ。
伊賀支所から国道25号を東名阪伊賀IC方向に向う。


PICT0030   

柘植郵便局の前を右折し橋を渡ると
「芭蕉翁誕生宅阯碑」の案内がある。
車1台がやっと通れるほどの道を行くと民家の小屋?の傍に
「芭蕉翁誕生宅阯」と刻まれた碑がたっている。


上野は「生家」であるが、こちらは「誕生宅」だ。
どちらも一緒だと思うけど
やはりメンツもあるのかな~?とも思う。
25号線に戻り先の三叉路で橋を渡って右折する。
案内板で細い道を入ると万寿寺山門前に出る。

本堂には桃青殿があり芭蕉翁の木坐像と位牌が安置してあり、
毎年11月12日の命日?には
「しぐれ忌」法要が行われているそうだ。

0125igatyo003 本堂左手前の観音堂横を下りると松尾家三家の墓とともに
石垣で囲まれた芭蕉の墓碑がある。
上野の愛染院の「ふるさと塚」は遺髪だが、
移設されたというこの墓には何があるのだろうか?



万寿寺からゆるやかな坂をさらに行くと福地城址がある。
詳しい説明は省くことにして、資料には明治6年の芭蕉200年回忌の際、
当時の所有者松尾宇八郎氏から村に寄贈されたのを機に、
「臍の句碑」を建立し芭蕉公園としたのが始まりとある。

0125igatyo016



公園入口には
「蕎麦はまだ花でもてなす山路かな」
元禄7年(1694)の句碑がある。



石段を登り石垣を見て道を廻り込むと公園がある。

PICT0022

公園奥の中央正面、
一段と高いところに臍の句碑
「ふるさとや臍の緒にになく年の暮れ」
貞享4年(1687)・笈の小文の碑が
公園を見下ろすように建っている。

公園には他にも「臍の句碑建設記念」碑、
「芭蕉翁生誕之地」碑に、松瀬青々、細身綾子など
柘植に関係深い人たちの句碑や、門人卓袋の句碑などが建ち並んでいる。

もう一つの芭蕉生誕地、伊賀町柘植。
芭蕉オンパレードの上野と比べるつもりはないし、
また比べようがないが、伊賀国阿拝郡柘植山出拝野の里。

ここにも確かにもう一人の芭蕉がいた。

2006年1月24日 (火)

四日市の芭蕉句碑

四日市らいぶらり1 「文学碑とその風土」なる本をみていたら、
四日市市に4基の芭蕉句碑があるのを知る。

一つは先に歩いた東海道の杖衝坂。
残る3基を見たくて出かける。

JR四日市駅近くの駐車場に車を止める。
一つはここ朝日町の村山氏宅玄関先とある。
番地が書かれてなくその村山氏宅がどこかわからない。

0124basyoukuhi001そう広くもない町内なので、
まずは民家のあるところからと1丁目から歩き出したら、
なんとすぐに見つかった。
玄関先の植え込みの中に
「白露をこぼさぬ萩のうねり可な」
元禄6年(1693)の句碑がある。
表札には「村山・・・」とあるから間違いない。

見つけるのに手間取ると思ったが、
こんなすぐに見つかるとは思ってもみなかった。
次の北町「建福寺」はここから歩いていく。
国道1号線寄りに出て旧東海道を北進する。
昨年歩いた懐かしい道だ。

0124basyoukuhi005
三滝川の手前で案内により右に折れると
すぐに「建福寺」がある。
山門を入った本堂右手の境内に、
蘇鉄の陰に隠れるように句碑がある。

句は
「けうばかり人もとしよれはつしぐれ」元禄5年(1692)。
桑名市東鍋屋町の本願寺跡にある句と同じである。
書には当地とは直接関係がないとある。

駐車場に戻り三つ目の句碑がある「垂坂山観音寺」へ向う。
垂坂町にはあちこちに「国宝元三大師」の赤い幟が立つ。
車一台がやっと通れる細い道を行くと観音寺がある。

0124basyoukuhi010

 

 


0124basyoukuhi007
本堂手前の境内右手に句碑
「三日月の地はおほろなる雪見草
全句集は
「三日月に地はおぼろ也蕎麦の花
元禄5年(1692)の句。
同種異形句があるが「雪見草」はない。
書では建碑者の思い違いか、
改変かとある。
三句碑とも建碑者、年代不明である。

ここには他にも「四日市蕉風連中奉納歌仙額」があるとの
新しい説明板が建てられており、
十二吟歌仙一巻を収めたものとあるから
四日市にも多くの俳人がいたようである。

2006年1月23日 (月)

雪が舞う

PICT0001_1朝 6:00 夜来の雪が積もっているが、
空は晴れて月が昇っていた。

7:00 雲に覆われて急に雪が降り出した。
ときおり強風が吹き、屋根の雪を巻き上げる。
辺りは一変し、見る見る雪が積もっていく。

8:30 陽が照り空は晴れて青空が広がる。
8:38 また雲が出始め雪が舞い始めた。


その後は快晴になるも風強し。
なんという気まぐれな天気なんだ? 

2006年1月22日 (日)

アクアプラザながら

なばなの里の「花市場」へ買物に出たついでに「アクアプラザながら」に寄る。

オープンしたばかりの頃に見学して以来10年ぶりになる。

0122akuapuraza002建設当時から物議をかもしたいわくつきの施設だが、
あれからまだ10年?なのか、
それとももう10年なのか?。
賛否は別にして、
長良川や河口堰を知るには結構な資料館である。


魚道が工事中のため「魚道観察室」には入れなかった。

0122akuapuraza005







今日は風もなく天気も良かったので、
散歩がてらに堰を歩いて右岸(右岸溢流提と説明板にある)
にある親水公園まで往復する。
間近でみる堰の凄さには圧倒される。

閘門を船が通るのをはじめて見た。
ちょっとしたミニ運河である。

アクアプラザの館内は他に人を見かけなかったが、
堰にはジョギングする人や、サイクリングの家族連れを見かける。
芝生広場に東屋や椅子も設けられており、
暖かくなればちょっとした水辺の遊び場である。

2006年1月19日 (木)

三重の東海道・関は雪

風はやや強いが天気は良かったので、
「三重の東海道」の残りを歩こうと家を出る。

東名阪亀山IC手前の電光掲示板に「雪 走行注意!」の文字。
いやな感じ!。

高速を下りて関に入ると雪は次第に激しくなる。
「西の追分」駐車場に車を停めてしばらく様子をみる。
ときおり薄日が差したりするが雪は間断なく降り続く。

PICT0001
峠付近の山も霞んで見える。
しばらく待つが止みそうにもないので
思い切って歩き始める。
ときおり猛烈な風に悩ませられながらも、
前回終えた市之瀬集落入口まで行く。



山に近ずくにつれ、風は強まり、雪も激しく、
真っ向からの吹きおろしで前に進めず
立ち往生する。

笠も折れそうで先が見えない。”こりゃとても無理だ!
坂下までは行けても峠には立てないだろうな?
山も霞んでまったく見えなくなってしまったし。” 

しばし自問自答したが思い切ってここは中止する。
通し歩きならこうはいかないが、
これが部分歩きの良いところだと、ちと負け惜しみも。
風に背を押してもらいながらトボトボと来た道を戻る。

帰りのハイウエイラジオでは”東名阪亀山ICから
伊勢道久居ICで雪が降っています”と言っていた。 

今日は選んだ場所が悪かった!こんなこともあるわな~。

2006年1月15日 (日)

伊勢街道 完結

8:15 松阪の和歌山街道追分から再開する。

0115isekaidoise001

道標をみて道を左折し、しばらく市街を東南に進む。
国道42号線んを渡り、
しばらく行くとなにやら赤い指示標のステッカーが
いたるところでみえる。


0115isekaidoise003

「熱田・伊勢初詣W(たぶんウオーキング)」の文字。
いやな予感がする。何かイベントがありそうだ。
市街地から街道らしき道に入る。

名古須川を越えると信楽寺があり、珍しい仏足石がある。
ここから何もない道を淡々と行く。

8:50 JR徳和駅を通過。上川町に入る。

0115isekaidoise012_1

下村の常夜灯をみてさらに行くと
「従是外宮四里」と刻まれた道標がある。

9:10通過。


櫛田の先、工事中の広い道の手前でドタドタと音がしたら、
数人のハイカーに追い抜かれる。これだ!いやな予感は?。
県、市、名前、歩く目的?の書かれたゼッケン?がリュックの背に踊る。
なんじゃこれは!。この後も次々と凄い勢いで追い越される。

何を急ぐのか信号無視も。
抜かれるのはいいけれど、信号無視はいかんよおっさん!。
主催者はもう少しマナーを教えろ!!。と言いたい。

くそ!。0115isekaidoise015(このことばはいけませんね)。
しかし、凄い速さだ。





爺も早いと思っていたがこりゃ比じゃないや。
途中のチェクポイントの人に聞くと、
全国ウオーキング協会のイベントで、
1月12日~15日
「熱田・伊勢初詣ウオーキング125キロ」だそうだ。
北海道から九州まで全国から参加しているという。
ならもっとマナーを守れよ!
あれから40年の中高年!!。爺もそうだが?。

多難だなあと思いながら一緒に行くしかないわ、トホホ!。
地図のチェツクもできないまま、斎宮、明星、小俣と過ぎていく。
ときおりポイントで写真を撮っている間にもどんどん人が歩いて行く。
ああ~なんでこんな日をと思うが後悔先にたたず。

小俣の「へんばや」を過ぎて宮川の堤防に突き当たると、
道は右に迂回して宮川橋を渡る。
団体は真直ぐ度会橋に向っていった。
堤防の先、川辺の親水公園にかっての「渡し場跡(桜の渡し)が整備されている。

0115isekaidoise067


伊勢に入り、
今は欄干だけの(実際には細い川がある)
筋向橋をわたり小西万金丹薬舗をみて
外宮へ参拝する。

時間は13時を廻る。
昼飯は伊勢うどんと決めていたので
古市の「起矢食堂」と「河崎屋」に寄る。
味は好みでそれぞれだ。

古市は油屋騒動であまりにも有名だが、
昔の面影を残すのは旅館「麻吉」ぐらい。ほとんどその面影はない。

0115isekaidoise083

                                         
街道筋にも真新しい石標が建てられているが、
いかにも観光のためとみえる。
ないよりましだが、まあこんなものか。



あの油屋騒動の現場は
このとうり中華料理屋になり(ここが油屋騒動の現場だ!)
備前屋は駐車場に変身? している。

0115isekaidoise087_1

 

 



0115isekaidoise088

 

 

 

 

「お紺と斎」の比翼塚は少し手前の
細い路地を右に入った「大林寺」境内本堂の左手にある。

 


0115isekaidoise096_2 すぐ先の古市参宮街道資料館に
「伊勢音頭恋寝刃」の解説と台本
2冊が錦絵とともに展示されている。
解説に寄ると歌舞伎の筋と、
本筋は少し違っているようだが、
爺にはよく理解できない。 


解説では「町の医者、孫福斎(まごふくいっき)が
馴染のお紺と酒を飲んでいたが、
途中お紺が他の座敷に呼ばれて中座し、
なかなか戻らないので怒って荒れ狂い即死2名、
負傷7人の九人切りの殺傷事件をこした。
斎は油屋から逃れたが、宇治浦田の藤波長官邸(あの藤波?)で自刃した。
行年27歳」とある。

これが事件の52日後の7月25日、
大阪の角の芝居で近松徳三作「伊勢音頭恋寝刃」として上演され、
その後各地で大入り満員となった(だから夏の出しものなんだ。納得)。
ただし古市では地元の反感や、
内容が事実とかけ離れていることから(確かにちと違うはな~)、
33年後の文政12年(1829)、
4代目坂東三郎が上演して大好評を博したとある。

この街道の終盤はほんとに何もないわ。
この後おはらい町を通り内宮へ。
なんでこんなに人がいるの。絶句!!。  

14:40 伊勢街道の終点内宮着。

宇治橋を渡り、古札と正月飾りを収め正宮に参拝する。

                    詳細=伊勢街道 完結 松阪から伊勢内宮

2006年1月12日 (木)

伊勢街道Ⅱ

伊勢街道第二回 津・江戸橋から松阪を歩く。

9:30 近鉄江戸橋駅を出る。
伊勢別街道の追分から伊勢街道に戻る。

0112isekaido001朝の静かな上浜町の街道を抜け、栄町から県庁街を通り
四天王寺を見ると国道23号で安濃川を渡る。
しばらく先で左折し大門商店街に向う。

商店街のアーケードから少し戻ると、
日本三代観音の一つといわれる「如意輪観音堂」がある。

すぐ横の「大宝院」に芭蕉句碑があるというので立ち寄る。

0112isekaido011なんと格子戸のある民家と思しき院で、
無断で入ると不法侵入になりそうだ。
すぐの玄関口に
「蓬莱にきかばや伊勢の初たより」の句碑が建つ。
外からそっと碑を写す(挨拶もせずごめんなさい)。
手元の説明には元禄8年の句とあるが
句集では元禄7年(1694年)の句である。


街道は大門アーケードを通り岩田川を国道23号で渡り
岩田交差点で旧道に戻る。
藤枝、藤方、小森上野町から高茶屋小森町を抜けて島貫へ。

集落の先で雲出川に突き当たる。0112isekaido032
堤防を行くと立派な小公園があり常夜灯と、
街道の案内板が建つ。
手元の地図では軽自動車しか通れないとあるが、
片側1車線、車が通れるほどの歩道がある凄い橋だ。
渡ると道は直進するがこれは新道。

少し下流に戻り街道らしき道を行く。
北海道の名付け親松浦武四郎生家をみて先を行くと
曽原で奈良街道を分ける。

0112isekaido041伊勢街道で最大の道標だといわれる道標が建つ。
「月本おいわけ」と刻まれている。








松坂に近づくにつれて道はがぜん街道の趣が出てくる。

0112isekaido054

六軒で三渡川を渡ると初瀬街道の追分だ。
橋の袂に大きな道標と常夜灯が建つ。
「やまとめぐりこうや道」、「右 いせみち」、
「いがごえ追分」などの文字と、
下に「六けん茶や」と 刻まれている。


ここから「市場庄」の宿に入る。

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この街道で宿場の面影を残す(保存されている)
最高の町並みが保存されている。
各戸に屋号札があり、連子格子の家が並び、
これが参宮道の町並みとつい見入ってしまう。



町を抜けて近鉄のガードをくぐったすぐに
真新しい「市場庄」の案内板がある。

各戸のすべての屋号が記されている。
ここを見るだけでも充分に街道を堪能できる。

いつもならさっと見て先を急ぐか行き過ぎるが、
今日はじっくりと町角拝見をさせてもらった。
この先久米から松阪市街へと向う。
塚本、船江、川井町と行き、西町で大橋を渡ると
かって知った松坂市街本町。
すぐの小津家(松坂商人の館)、三井家発祥地などみて中町に入る。
何度も歩いた松阪の中心部。
よいほモールを歩きながらさてどうするか考える。
時計は15:00を廻った。
今回は楽しむところが多く少し時間がかかり過ぎた。
まだ先にいけるが残り20キロほどだ。

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すぐ先の和歌山街道追分の道標、
「右 わかやま道」「左 さんぐう道」を見て、
今回はここで終わることにする。

直進する参宮道を左にとり松阪駅に向う。
次回はここから伊勢神宮へ。                    

                   詳細=伊勢街道Ⅱ 津・江戸橋から松阪

2006年1月11日 (水)

むかしのくらし展

朝刊の記事をみて
「四日市市立博物館」の学習支援展示「むかしのくらし」を見に行く。

DCF_0004小学3年生の学習支援を目的に企画されているもので、
明治から昭和50年頃までに使用されていた道具などが
数多く展示されている。(許可がないと撮影禁止です)。

会場にはむかしの家の居間が再現されおり、
みずや、ちゃぶ台、火鉢などが置かれている。
土間にはかまどが造られ、せんたく板、たらい、
手動洗濯機などに、木製の五右衛門風呂もある。

別会場には戦前の教科書が並び、DCF_0005_2
戦後の「スクリーン」や「平凡」など娯楽本も。
またミシン、足踏みピアノ、カラーテレビ第1号なども
展示されていて多彩だ。




一つ一つに昔を懐かしむひと時をもらった。
現在の小学校3年生の子供たちは、おじいちゃん、
おばあちゃんの小さい頃のくらしの道具をみて、
さて?どう思うのだろうか。

併設されている常設展示場に
「東海道と伊勢参宮道の賑わい」なるテーマのコーナーがあった。
たまたま伊勢街道(参宮道)を歩いた後なので興味深かったが、
東海道と伊勢街道の追分(日永の追分)の賑わい振りを
取り上げているのみで、ちとガッカリ。
しかも模型と映像で見るメーンの説明のところでは、
肝心の音が出ないというおまけまで付いてしまった。

帰りに中部近鉄百貨店の「九州の大物産展」で
「めんたいこ」と「柚子ごしょう」を買う。

2006年1月 8日 (日)

新年初歩き・伊勢街道

昨年の初歩きは「山辺の道」。
今年は身近な「伊勢街道」を歩く。

0108isekaido002東海道との追分、
日永から伊勢内宮まで約70キロの街道をゆく。




まずは追分の鳥居をくぐり伊勢街道(県道0108isekaido008103号)へ。
河原田(集落に今宿の札がかかる)から高岡へ。
しばらく田園風景を楽しみながら十宮、
須賀町と行く。

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「神戸の見付」をみて神戸に入る。0108isekaido019






六郷川にかかる大橋を渡り、
かって高札場のあった札の辻あたりの曲りくねる道を抜けて
伊勢鉄道鈴鹿駅そばから玉垣町へ入る。

このあたりは「山ノ神」が多く祀られている。
いたるところ「山ノ神」だ。フジクラ鈴鹿工場を通り抜けると江島に入る。
街道の面影を残す江島本町で休憩を兼ね昼食にする。
追分からちょうど3時間だ。
白子港を左にみて寺家に入る。川を渡り道は二手に分かれる。0108isekaido038

直進して海側を通る道と、右折して安産の寺として知られる
「子安観音寺」前を通る道がある。
子安観音はぜひ見ておきたかったので右折し立ち寄る。
このあたりは道が狭く入り組んでいてどこも街道にみえる。

ここから旧道は磯山、千里、上野と行き、
途中国道23号線と交差しながら長瀬、栗真町小川と行き、
栗真町屋町で巡礼道と分ける。

0108isekaido053

 

左の伊勢街道と右への巡礼道の間には常夜灯、
道標などが建っている。

ここから国道23号に入り、三重大病院をすぎてすぐに
道を右にとると江戸橋を渡る。
木造造りの橋はなかなか趣がある。

0108isekaido058渡ってすぐに右から来る伊勢別街道との
追分に出る。
角に常夜灯と高田本山道の道標がともに建つ。

 



伊勢街道は追分を左にとるが、
今日は時間切れで道を直進し、近鉄「江戸橋」駅に行く。
久しぶりの歩きで少し頑張りすぎたかな?。
7時間10分の初歩き。

残り伊勢まで約40キロを次回に残す。

                    詳細=伊勢街道Ⅰ 日永追分から津・江戸橋

2006年1月 4日 (水)

長島温泉・湯あみの島 正月

このところの天候不順で運動不足もあってか正月三が日のお酒が抜けない。
今日も曇り空でときおり雪混じりの雨が降る。
何もすることがない訳じゃないが、
こんな日は1日家にいるのも気が滅入るし、
新年早々だが酒気抜きを兼ねて長島温泉「湯あみの島」に行く。

人は結構出ているがジャズドリームへ行くカップルが多い。

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この寒さじゃ遊園地も大変だ。
正月飾りの入口も人はまばらだ。


いつものように一風呂浴びてから、
大広間でアトラクションの「宮路おさむショー」を見る。
11月にオヨネーズの「長田あつし」が
正月は「宮路おさむが来るからよろしく」と
言っていたのを思い出す。

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前半は 恋は紅いバラ、なみだの操、
夫婦鏡など「殿キン」のヒット曲、
後半は あなたが命、かすみ草 
など最近のリリースを含めた新曲、
なかにトークを挟んでの構成である。

「なみだの操」の大ヒットからすでに30年。
1970年代は演歌の全盛で自分も青春真っ只中だったが。
あれから・・・・年。あ~あ、あの時代には戻れない~~。
せめて歌を聞いて短い時間の青春時代に戻る。

ショーを見て一休みしたあと、
もう一度一風呂浴びて小雨のなかを帰る。寒い!。

2006年1月 2日 (月)

迎春初詣

あけましておめでとうございます。

今年も元旦は朝から飲みつづけて、恒例の寝正月でスタートする。

0102tado0001今日は朝からあいにくの雨。

毎年2日は朝から「多度大社」へ初詣に行く日だが、
天気予報では曇りの予報なのでしばらく様子をみる。

9時過ぎから雨はあがり、
空も明るくなってきたので思い切って出かける。
例年に比べると車も少なく参道の駐車場も空きがある。
参拝客が少ないのも何か寂しい。

もう少し人出があった方がいいかなあ~

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なんて思いながら参道を行く。
本殿前もスムースに流れて混雑はない。




「今年も一年がよき年でありますように、
家内安全と家族の無事」をお願いする。
帰りは晴れて青空がのぞく天気になった。

天気を見て出た人が多いのか、
さすがに車も増えて県道は大渋滞になっていた。

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