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2005年10月28日 (金)

中山道 鳥居本から高宮宿

昨日の東海道から一転、
彦根界隈の芭蕉ゆかりの碑を巡って中山道を歩く。
今日も時間的に出るのが遅く、
11:20 近江鉄道鳥居本駅に着く。

1028nakasenndou005 中心部から少し戻って「赤玉神教丸」の
有川製薬付近から歩き出す。
重厚な建物の門前には
「明治天皇御休止所跡」の石柱が建つ。
ここから旧道は左にカーブして行き、
真直ぐ南に延びている。

格子構えの古い建物の残る道を行く。


 1028nakasenndou002

 

 合羽の看板の掛かる家からしばらくで
 彦根への道を分ける角に道標がある。

1028nakasenndou009

 

「左 中山道 右 ひこね道」
とある。

 

越えて道は左に名神高速、
右に新幹線に挟まれたなかを行く。


1028nakasenndou012


新幹線のガード手前に「小野の小町塚」をみて
ガードをくぐる。


名神高速のインター下、手前に原八幡宮がある。
芭蕉の「ひるね塚」の碑
「ひるかおにひるねせうものとこのやま」と、
塚の横に門人祇川居士の「白髪塚」が建つ。

 

1028nakasenndou019

 

 

 

名神高速インターのアプローチ道を抜けると
多賀神社への道標と常夜灯がある。



1028nakasenndou020

 



ここから道は住宅街のなかを行き
車も多い。
芹川を渡った道の傍に
「中山道旧跡 床の山」の
石柱がある。

「鳥龍山については異説があるが、
跡を残すことに於いてここに建立する」と
刻まれている。

1028nakasenndou025

 

「扇塚」のある岩清水八幡宮を右に見て、
近江鉄道の踏切を越えると高宮宿に入る。

 

1028nakasenndou028






すぐに多賀大社の大鳥居がある。
高宮は多賀大社の門前町。
ここから大社まで約3キロの参道である。

1028nakasenndou031  街道を先に行くと、左に本陣跡門があり
 その前の民家の前の格子のなかに
「芭蕉紙子塚」が建つ


 自分が1028nakasenndou030横になっている姿の絵を描いて
 この句を詠んだとある。



横の円照寺を見て少し行き、
無賃橋(高宮橋)を越えて道は愛知川宿へと続く。

2005年10月27日 (木)

東海道 吉田から御油・赤坂宿

芭蕉の句碑を見に東海道の吉田宿(豊橋)から御油、赤坂を歩く。
11:30 少し遅い時間に豊橋駅を出る。

駅から東にしばらく歩き、国道1号線手前で見当を付けて左折する。

1027toukaidou001_1 少し行った突き当りの札木町
「うなぎの丸よ」の店先に
「吉田宿本陣跡」の立派な石柱がある。
ここから少し複雑な道を行き、
豊川を「豊橋」で渡り
すぐ左折する。

少し先の聖眼寺山門前に「古碑松葉塚」があり、
境内の本堂左に松葉塚と芭蕉句碑が建つ。

1027toukaidou0101027toukaidou007_1


 句は「こを焼て手拭あぶる寒さ哉」。
 貞享4年 杜国を美保に訪ねる途中、
 ここに立ち寄ったときに
 詠んだ句とある。

旧道は真直ぐ国道1号と並行して北西に延びる。

1027toukaidou018

下地の一里塚跡から
伊奈に入ると途中に芭蕉と
鳥巣の句碑がある。
芭蕉句碑は「かくさぬそ宿は菜汁に唐が羅し」。
貞享5年の作。
芭蕉が鳥巣の家に泊まったときの作とある。


伊奈一里塚跡の新しい標柱を見ながら白鳥町で
名鉄名古屋本線を跨ぐ。

1027toukaidou021

 

大社神社の白壁を見ながら先に行くと

 

1027toukaidou024 

 姫街道(東海道脇往還)の追分に出る。
 角に秋葉山常夜灯と道標が建っている。
  ここからすぐに御油宿に入る。


 1027toukaidou032         



左に御油の本陣跡、東林寺をみるとすぐに
「天然記念物御油の松並木」だ。



慶長九年(1604)徳川家康が
植樹させたものとある。
松並木を抜けると赤坂宿へ入る。

入ってすぐに関川神社がある。
本堂に向って右の大楠の下に芭蕉句碑が建つ。
「夏の月御油よりいでて赤坂や」。延宝4年(1676)の作である。

1027toukaidou043

 

古い佇まいの残る赤坂宿のなかにあって、
今なを現存する江戸時代からの
旅籠「大橋屋」は、
赤坂宿を代表する建物はもちろんのこと、
                               昔ながらの風情を今に残す東海道の
貴重な建物だと、
現実に眼にしてみて初めて思う。 

東海道と芭蕉 次は何処へ。
                           詳細=東海道 吉田から御油・赤坂宿

2005年10月26日 (水)

紅葉・信州松川渓谷

10月24日、今年初めての紅葉狩りに松川渓谷に行く。
例年は10月下旬が見頃とのことで期待していたが
結果は無残にも外れた。
山田温泉付近や、
渓谷沿いの遊歩道からの眺めも紅葉らしき所もなく
寂しい限りである。
それでも観光ポイントには
やたら観光バスのツワー客で賑っている。
この人たちも期待はずれで残念だろうと同情する。

1024matukawakeikoku021


山田温泉入口の数百メートル手前、
道路脇の少し高いところに、
なぜか芭蕉句碑があった。
「婦る池や 蛙飛こ無 水の音」。

 

1024matukawakeikoku002 山田温泉から少し上った「八滝」と1024matukawakeikoku006
「雷滝」付近は多少色付いているが
全体に色は良くない。





雷滝は裏見の滝、遊歩道は滝の裏を通って下に下りる。
写真は滝の裏の横から撮っている。

渓谷温泉、五味温泉、七味温泉と登るにつれ、
谷筋の辺りはまだそれらしく色付いている。
いつも思うことだが、気候に左右される花と紅葉は
見頃の時期が難しい。
特に今年は暖かい日が続き
紅葉自体も色付きが悪いそうだ。

宿のある奥山田温泉には、
所々に夜来の雪が残りすでに冬支度模様である。

2005年10月20日 (木)

 濃州道Ⅱ

前回阿下喜で中止した濃州道の続きを歩く。
阿下喜巡見道との合流点から再開する。

1020nousyudo001
本町通りを北に200メートルほど行き左折、
古いたたずまいの残る西町通りを西に向う。
国道306号線を鎌田の信号で横断する。
まっすぐに行き鎌田橋を渡り、
藤原町に入ると員弁川を野尻橋で渡る。

1020nousyudo003
南面を削り取られた痛々しい藤原岳が眼前に迫る。
春日神社の角を右にとり一旦国道に出て、
少し先の信号で横断し県道107号に入る。
川合の集落で県道を離れて川合橋を渡り、
徳円寺前で左の坂道を行く。

この辺りは街道の面影が残って楽しい歩きだ。

1020nousyudo004


左手に県道がみえてくると、
先の道脇に式内社猪名部神社の鳥居が建つ。


川合から日内に入る。

1020nousyudo005
                           

右に大きくカーブする
県道から離れて
直進すると日内の集落である。

ここも街道の面影が色濃く残り、
すぐに長尾の集落になる。

1020nousyudo006突き当たりのような四つ角の隅に道標がある。
正面に「左 本郷 右 上相場」、
左側面に「左 立田 時 関が原」と刻まれている。
左に道なりに行き少し広い道を横断し、
員弁川の堤防を少し歩く。

小さい橋を渡り本郷の集落へ上って行く。
細い道が続く集落のなかで、広くみえる県道を斜めに横切り、
大きくカーブして街道は延びる。

再び県道に出ると、南北に走るもう一つの1020nousyudo009 県道614号を横断する。
左に本郷社をみると山口に入る。

しばらく田んぼのなかの道を行く。
左には藤原岳が大きく迫り、
右は員弁川に沿って畑が続く。

ススキの穂はまだ元気で太陽の光に輝くいている。
正面に大きな常夜灯が見える。

過ぎるとすぐに八幡神社があり、
その先で左からくる巡見街道と合流する。

 

1020nousyudo011

 

阿下喜からおよそ10キロ、
2時間の歩きである。

 

1020nousyudo012

 

 


帰りは巡見道を行く。
途中の下野尻で濃州道に出て阿下喜まで戻ることにする。

合流地点から坂本に向って巡見街道を行く。

国道306号を横断し山口から坂本へ出る。
聖宝寺のある坂本、大貝戸と
藤原岳の登山でお馴染の道を行く。
西野尻駅前から下野尻に出る。
巡見道は「妙宗寺」の前を直進して先に延びているが、
濃州道へはここを左折する。
すぐに春日神社の前で濃州道に合流する。
朝来た道を阿下喜まで戻る。

2005年10月14日 (金)

美濃赤坂界隈

「奥の細道」を終えた芭蕉が大垣滞在中に、
美濃の赤坂虚空蔵に行っている。
大垣市の「むすびの地記念館」のパンフレットには、
美濃赤坂界隈にある四か所の関連碑の場所が記されている。

1013minoakasaka003
東海道線の新快速で大垣駅へ。
もう一つの東海道線で二つ目の終着駅
美濃赤坂駅に着く。
中仙道赤坂宿である。


駅から北に800メートルほど行くと
法泉寺がある。

1013minoakasaka007





山門の右手に芭蕉句碑
「草臥れてやどかる頃や藤の花」(笈の小文)がある。

今日の目的である明星輪寺(赤坂虚空蔵)に向う。
山一つ廻り込んで「こくぞうさん」への山道を行く。
石灰工場の砕石で半分削り取られた道を登る?。
かなりの急坂だ。
道端のコスモス越しに見える町並みははるか下界にある
(ちょっとオーバーかな!)。
久しぶりに登山をしているようで汗がしたたり落ち、
息があがりそうだ。
表参道口からさらに急坂を登りようやく境内に着く。

1013minoakasaka021

 

「日本三尊佛随一」と刻まれた石柱の先、
山門の手前左の木立のなかに句碑が建つ。


1013minoakasaka011
1013minoakasaka012



「はとのこえみにしみわたるいわとかな」
(鳩の声身に入わたる岩戸哉)。


肩に 「赤坂の虚空蔵にて 
八月二十八日 奥の院 はせを」とあり、
ここに詣でて詠んだ句である。

入り母屋造りの格式ある本堂の横に大きな岩が見える。
「名勝金生山岩巣公園」の石柱が建つ。
無数の奇岩、怪石が群立する自然岩公園とある。

急坂を下りて町中に戻り中仙道を少し歩き、赤坂から昼飯(ひるい)、
青墓と珍しい名の町を歩いて「青少年憩いの森」に行く。
「憩いの森」には遊歩道が整備され山を一周できる
ハイキングコースになっている。
表参道と書かれた入口から少し行くと山道に入る。
ここは元円興寺跡への参道で、
現在の円興寺は山の麓の西側に新しく建てられたとある。
遊歩道をくもの巣を払いながら喘ぎ喘ぎ登ると、
山頂近くに旧円興寺の跡が残る。

1013minoakasaka025

 

説明板の左手横に句碑がある。
句は「苔埋む蔦のうつつの念仏哉」で貞享元年、
元円興寺の源朝長の墓に参ったときの句とある。
朝長の墓を見て道を引き返す。


帰りは美濃国分寺跡を見る。
広大な跡地の傍にある「美濃国分寺」の境内。

1013minoakasaka037




本堂左手に「芭蕉翁」の翁碑があった。

 

帰りは中山道を歩いて赤坂に戻る。
中仙道赤坂宿を散策する。

1013minoakasaka049

 

 

赤坂港跡


旧道に残る「兜塚」、「脇本陣跡」、
「本陣跡」、
「赤坂港跡」など見ながら
赤坂港跡からバスで大垣に出る。

2005年10月12日 (水)

濃州道(旧員弁街道)

ときどきウォーキングで歩いていた道が
濃州街道(旧員弁街道)の一部だと知る。

ならばと早速出かける。
手近なところはすぐ動けるから楽でいい。
この道は員弁郡下から桑名城下へ続く道として発展したと
「みえ歴史街道に」ある。

1012nousyu001 起点は桑名市三ツ矢橋町
「三ツ矢橋」バス停角になる。
南に少し行けば東海道だ。
西に歩き出すとすぐに近鉄と
JRの線路に阻まれる。



踏切を渡り右手にある馬道の旧道に入る。
馬道2丁目あたりは古い町並みが残り雰囲気が濃い。
道の大半は国道421号(員弁街道)に沿っているため
ときおり国道が見える。

1012nousyu004

国道258号線をくぐり右斜めに行き、
西別所、蓮花寺、在良と行く。
この辺りは神社、仏閣そして道端に地蔵堂が多い。
坂井橋から星川を抜け森忠には
市の天然記念物の「くろがねもちの木」がある。
この辺りも神社に地蔵堂が多い。

七和を過ぎて弁天橋を渡ると東員町に入る。
穴太を過ぎてしばらく国道を歩き、
カーマホームセンターの前で斜め右に入る。

1012nousyu007すぐに一本松・鳥取塚があり、
「鳥取塚」の碑が建つ。





1012nousyu009

格式高い家が建ち、
旧道の面影がよく残る。
ここからしばらくは何もない
耽々とした道を行く。


六把野で県道517号(楚原停車場線)を行く。
右に養老山脈が見え、
左にはときおり鈴鹿山脈が顔を出す。

員弁町石仏から楚原に入り道を外す。
戻って道を拾うのに手間取る。

1012nousyu012

 

 ようやく旧道に戻り、
 いなべ市役所の先で国道を横切ると
 道?とは名ばかりの田んぼのなかのあぜ道を行く。
(一応舗装がされているのであぜ道ではないか?)。
途中から少し広くなるが車は通れない。

上笠田で国道を横断し、
バス停の先からはしばらく木立のなかを歩く。
昼なお暗くの感あり。木立のなかを抜け、
北勢町麻生田を山田川に沿って行くが、
ここでも道を1本早く曲ってしまったのか、
先で地図と合わなくなってしまった。

そのまま地図の迂回路を進み、途中から旧道に入る。
六石から阿下喜に入り地図は途中で
北勢線の踏切を渡り田んぼのなかを行く。
少し先で右に入り線路を越えて
元の道に戻るようになっているが道がない。

1012nousyu014 踏切もなくその先は阿下喜駅だ。
辺りをよく見ると小さな川に沿った草むらのなかに
踏み跡らしきものがある。
線路に近づくと先に道らしきものがあった。
ままよと線路を越える。少し先でまた道がない。
取水口の溝をまたいで畑の横を行き、
ようよう元の道に戻る。

 

1012nousyu019 すぐ先が阿下喜巡見道との合流点だ。
角に小さな道標がある。
「右 こもの 四日市 左 くわな 」
濃州道はこの先、
藤原町山口の巡見道合流点まで続くが、
時間の関係で一旦ここで打ち切り、
残りはまたの機会にする。

阿下喜駅からバスで帰る。

2005年10月 9日 (日)

三重の美濃街道

ネットで「みえの歴史街道」をみていて、
桑名に美濃街道が通っているのを知る。
ならば歩こうとダウンロードしたマップを手に家を出る。

1009minokaido002

 

七里の渡しから東海道を200メートルほど行くと
美濃街道の分岐点である。
(常夜灯と道標)
道を右にとりまっすぐ行くと
三崎見附跡があり、
すぐ先に美濃街道道標と常夜灯がある.

1009minokaido007

 

 

右に折れると国道1号線に合流する。
角に昭和7年建立の参宮国道の石柱が建つ。

しばらく国道を行き福島で旧道に入る。
大山田川を歩道橋で越え旧道から県道に出る。

東名阪入口で国道258号線を横断し下深谷部へ入る。1009minokaido012                                                                                     
(下野代の街道)




                                  
1009minokaido015                                                                   道の角々に建つ
地蔵堂を見ながら
上深谷部、下野代、
肱江と集落を行く。





それぞれに落ちついたたたずまいの町並みが続き、
由緒ある神社仏閣が多くみられる。
(道中に唯一あった美濃街道標札と「御衣野員弁道」?道標)

肱江橋から正面に多度山を見て堤防を下りる。

ここから道は右に廻り込んで真直ぐに延びる。
地図はガードレールを越えてまっすぐ行き、
途中でなくなった道を迂回するがこの道は見当たらない。

 途中から旧道に戻り戸津の集落に入る。1009minokaido020
 道は細く、迷路のようになってどれが本道か迷う。                 
 細い路地を行き行きつ戻りつする。           

(戸津集落)                                                  
                                                              

ようやく多度川を歩道橋で渡り柚井の集落に入るがここでも迷う。
途中、何本か道がありどれが本道かよくわからない。

ようやく本道に出て多度山1009minokaido024麓を巻くように行くと、
多度町柚井の最後の集落がある。

道を左にとって集落を抜けると掘割があり、
ここが岐阜県海津市との県境になる。
県境を確認して多度駅にもどる。

三重県側の美濃街道は距離も短く、
周辺に見所も多く歩きには手ごろだ。
ウォーキングにはお勧めである。

2005年10月 7日 (金)

伊勢山田

芭蕉の追っかけ伊勢編。
芭蕉の伊勢参宮は「野ざらし紀行」、「笈の小文」、「奥の細道」旅後の
遷宮拝観の3回と思っていたが、
「市郷土資料館」でもらった資料には生涯に6度伊勢を訪れており、
「野ざらし紀行」の旅は4度目の伊勢参宮とある。

細かいことはともあれ我がふるさと伊勢に芭蕉を追った。

1006ise007朝熊山に登る伊勢志摩スカイラインの料金所から
少し行くと小さな「西行橋」がある。
この辺りが芭蕉が訪れた西行庵のあった
西行谷遺跡と散策地図にあるが通過する。
金剛證寺の本堂から奥の院に向う途中に
芭蕉句碑
「神垣やおもひもかけずねはん像」(笈の小文)がある。

1006ise011 寺から久しぶりに山上公苑に行く。

 今日は晴れてはいるが少し霞みがかかり
 遠くははっきりしない。
 戻って内宮から外宮に参拝する。
 夜来の雨で参道も程よく湿り歩きやすい。

外宮から参宮街道を筋向橋(伊勢街道と熊野街道の追分)
に行く、今は欄干だけが残る橋の先で左に入ると法住院がある。

1006ise013
門?を入った境内の左手の隅に
いくつかの碑がならんでおり、
そのなかに芭蕉・蘇鉄塚がまぎれたようにあった。
句は「門に入れば蘇鉄に蘭のにほい哉」だが、
説明板も何もなく、
比較的判読できる文字からそれと判る。


伊勢市駅の方に戻り、                   
月夜見宮の西側の路地を入ったところの
常明寺境内(一ノ木町)には秋風塚がある。
茶色の石塔で、三つに折れた跡があり、
コンクリ-トで補修されている。
句は「秋の風伊勢の墓原なほすごし」とある。

外宮に戻り御木本道路を内宮方面に行くと、
郷土資料館の横に旧豊宮文庫跡がある。

資料館の職員の方に中に入れてもらう。

1006ise019
敷地跡に木槿塚
「みちのべの木槿は馬にくはれけり」
(野ざらし紀行での句で伊勢での句ではない)
が建つ。
ここから道を挟んだ前の祖霊社のなか、
手水舎の裏に
何木塚「何の木の花とはしらず匂かな」がある。
ここには解説版があった。

最後の句碑を見るため車に戻る。
1006ise031  
 途中、宇治山田駅前の割烹大喜の前の
 三角地帯に、芭蕉生誕360年を記念して
 建てられた句碑がある
 とのことなので立ち寄る。
 NPO俳句三重伊勢支部
 2004年10月建立とある。
句は「月さびよ明智が妻の咄せん」。
元禄2年の参宮で滞在した、門人、又玄(ゆうげん)の
妻を詠んだ感謝の句である。

1006ise034 伊勢に残る句碑の最後は
船江の瑞泉院にある若葉塚である。
一見民家とも思える門を入ったすぐ左手に塚はあった。
句は「藪つばき門はむくらの若葉哉」
(笈の小文にあるいも植て門は葎のわか葉哉
の異形句)である。

許しもなく門をくぐったがここは
許しを得る必要があったかも。

一時期は伊勢に住み、遊び、学んだ自分の身近に、
こんな芭蕉の足跡があったとは?。

新たな伊勢を発見した日であった。

伊勢といえば「伊勢うどん」。
すぐ近くにある馴染の食堂「里中屋」で伊勢うどんを食べる。
ついでに持ち帰りの「うどんのたれ」と麺玉を頼む。
かなりマイナーな店(おやじごめんね!)だが、
ここの「たれ」は結構いける。
知る人ぞ知る親父自画自賛の秘伝のたれである。
麺はすぐ横のみなみ製麺の「横綱うどん」で、
この取合せがなんともいえない味なのだ。
ついでに土産をもう一品、これもすぐ傍にあるスーパーぎゅうとらで、
中西蒲鉾のかまぼこ赤白各1本を買う。
これを二切れうどんに乗せて食べるのがグーなのだ!。

2005年10月 4日 (火)

伊良湖崎

「笈の小文」の旅で芭蕉は” 
・・・鳴海より跡ざまに二十五里尋ねかへりて・・・ ”と
三河の国保美に杜國を尋ねている。

保美とは?。やり始めたら止められない。
思いつくまま家を出て豊橋からバスで伊良湖崎に向う。

バス停「福江」で降りて新装開店(10月1日合併)したばかりの
田原市役所渥美支所企画観光課で
杜国と芭蕉に関する史跡について聞く。

1003irago001 国道259号線高田交差点先の
スーパーの中を抜けると
潮音寺がある。

本堂の左手脇に杜国の小さな墓と
師弟三吟の句碑がある。


「 麦生えて能隠れ家や畑村 はせを、
 冬をさかりに椿咲く也
 越人、昼の空蚤かむ犬のねかへりて 野仁 」。

1003irago010 国道に戻り先を行く。

 保美の交差点手前の細い道を左に入る と、
 少し先に「杜国公園」がある。
 「杜国屋敷址」の標柱が建ち、
 蜘蛛の巣のなかに杜国の
「春ながら名古屋にも似ぬ空の色」の
 句碑がある。

次のバスまで時間があったので少しだけでもと歩き始めたが、
保美の中心部から離れるにつれて次のバス停がなかなか現れず焦る。
30分ほど歩いてようやくバスに間に合い、
次の目的地であるゴルフ場前で降りる。

1003irago016

バス停のすぐ先に「芭蕉句碑公園」の
真新しい看板があり、
蜘蛛の巣を払って階段を上ると、頭上はるか?
大きな岩の上に
「芭蕉翁之碑」と刻まれた碑が建っている。

横面に「鷹一つ見付けてうれしいらこ崎」が刻まれていると
あるが下からは判別できない。


1003irago018

 

その傍には昭和58年建立の新しい碑がある。
ちょうどマイクロバスで現れたおじさんおばさんたちが
碑を取り囲み、先生?の説明に聞き入っている。

聞くと「東三河文学碑めぐり」の一行で
豊川から来ているとのことだ。


1003irago023

 

せっかくなので岬を散策する。
万葉歌碑、伊良湖崎灯台、恋路ケ浜など
ぶらつく。

ここには以前車で来て
その時にも遠いと思ったが、
あらためて伊良湖は遠いを実感する。

「やしのみ記念碑」まで行く余裕もなく、
帰りは高速艇で河和に出る。

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