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2005年9月30日 (金)

須磨・明石・大阪(芭蕉を歩く)

芭蕉が旅した最北端は「奥の細道」の象潟。
最西端は「笈の小文」の須磨、明石だ。
ここはまだ行ったことがなく、
どうしても行かなければならない場所である。
29日朝、名古屋発7:40の新幹線のぞみ1号に乗る。
新大阪で姫路行き新快速に乗換え明石へ。

0929akasisumaoosaka003駅から15分ほどの「柿本神社」に行く。

 

石段の参道を登ると山門前に
「蛸壺やはかなき夢を夏の月」の
芭蕉句碑がある。
すぐ前は市立天文科学館で、
その横からは淡路島と
明石海峡大橋が見える
高台の絶景の場所である。

0929akasisumaoosaka008e_1
 道一つ挟んだ傍に「日本子午線標準時柱」
 愛称「トンボの標識」があった。 
 東経135度子午線の位置を示しているとある。
 付近を少し散策するが神社仏閣の多いところで
 散策路の標識が要所に見られる。

 


駅に戻り山陽電鉄で須磨浦公園に行く。
ここは源平一の谷古戦場跡であり
東西500メートル近い公園に整備されている。
駅から右に線路を跨ぎ展望台の方に登っていくと
海を見下ろす場所に出る。
道が右にカーブする手前に
蕪村の「春の海終日のたりのたりかな」の句碑があり、

0929akasisumaoosaka013
その奥に「蝸牛角ふりわけよ須磨明石」の
芭蕉句碑が建っている。
海つり公園の桟橋が眼下にみえて、
船の行き交う大阪湾もまた良しである。




戻って公園のなかを須磨方面にさらに行くと
一の谷古戦場「源平史跡 戦の浜」の石柱がある。
山陽電鉄公園駅からこの辺りにかけてが古戦場の跡だそうだ。

公園を抜けると一の谷のバス停である。
ここから須磨寺までは歩いても行けるが
時間の都合上バスに乗る。
バスを降りてからから道を間違え裏から入る羽目に。

0929akasisumaoosaka029須磨寺駅から参道が続いて
山門から仁王門、本堂、
三重塔など荘厳そのもである。





奥の院に至る途中には「敦盛首塚」がある。
「首と胴を別々に埋葬し胴塚は一の谷にあり」と立札にある。
先ほどの須磨浦公園の駐車場裏にその「敦盛塚」がある。

0929akasisumaoosaka023 境内本坊横に芭蕉句碑
「須磨寺やふかぬ笛きく木下やみ」があった。

 

 



駅に戻る途中を斜め右に折れ
少し行くと芭蕉が泊まったといわれる
現光寺がある。

0929akasisumaoosaka041








阪神淡路大震災の復興で
新しく再建されたという寺の境内に入ると、
すぐ右に
「見渡せばながむれば見れば須磨の秋」の
立派な芭蕉句碑が建つ。

須磨駅から梅田に戻る。
今日の阪神×巨人戦がある甲子園を避けて、
途中で阪急に乗り換える。

梅田から地下鉄で南御堂難波別院へ。

0929akasisumaoosaka045

 

 本堂左横に「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」の
 句碑が建つ。
 鎖がかかり近くに寄れないが、
 説明の立札には
「旅に病でゆめは枯野をかけまはる」とある。
 


右肩に「南御堂と芭蕉」の小冊子が
 本堂のラックにあるからどうぞとの札が貼られている。
 有難いことと喜んで頂戴する。

0929akasisumaoosaka049

 

今日のぶらり旅のもう一つの
目的であった
「芭蕉終焉の地」を探した。

手引書で確認しながら御堂筋の緑地帯を
ウロウロする。


南御堂前の御堂筋の緑地帯
(二本ある東側)に、
すでに落ち始めた
銀杏の実とともにそれはあった。

「此付近芭蕉翁終焉ノ地ト伝(フ)」と刻まれた
一本の石柱である。
(フ)は地中に埋もれている。

14:00遅い昼食になったが、これも楽しみの一つである
すぐ近くの「うどんの松葉家」へ行く。
名物の「元祖きつねうどん」もいいが
やはり「おじやうどん」を注文する。
久しぶりに食す懐かしい大阪の味である。

この後、芭蕉が最後に参詣した住吉大社に行くため
南海難波駅まで歩く。
今日は阪神優勝のかかる日、
すでに戎橋周辺はテレビクルーが入っているが、
橋は工事中で囲いの中(ブログ作成中に優勝が決定した!
おめでとう阪神タイガース)果たしていかなることやら。

 

0929akasisumaoosaka052 住吉大社駅を出て住吉公園に出ると、
公園入口の左手に
「升買て分別かはる月見かな」の句碑がある。
元禄七年九月住吉神社「宝の市」へ
行ったときの句である。
略年譜にはこのとき病気不快になったとある。


0929akasisumaoosaka059

 

 

 

句碑をみたあと住吉神社に参拝する。

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コメント

早速行ってきたのですね!須磨!大阪!
楽しく拝見しました。
美しい風景の「蛸壺~」から、御堂筋緑地帯とは命がけな(笑)「終焉ノ地」。
29日、お早いお帰りは大正解!でしたね。
阪神優勝当日に御堂筋は、違う意味で危険でした。(*^_^*)
例のビールかけは・・ど~だったのでしょね。

住吉大社の帰りに法善寺横町、みずかけ不動、道頓堀をぶらつきました。
完全にガードが入り、テレビクルーも増えてえらいことになっていました。
角座の正面には松村人形がタイガースのユニフォームを着せてもらっていましたよ。
なにはともあれ次はどないなるんやろ・・・!。

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