2009年7月 6日 (月)

木曽三川公園パークセンター

岐阜県海津市福江にある「アクワワールド水郷パークセンター」、
ここも木曽三川公園のひとつ。

駐車場から右回りに南から北へと歩いて行きます。

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園内にはセミナー・イベントなど、
環境教育に関するさまざまな情報を提供するパートナー棟や
学習棟などがあります。

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南の入口から見るハス池(義呂池です)、広大です!

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パートナー棟と交流サロンや環境学習センターが建ち並ぶ園内。

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週末にはいろんな催しが行われています。

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通路沿いには季節を彩る花が咲き、春のタンポポ、
夏のハスやオニバスなど四季を通じて花木が楽しめます。

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園内を取り囲むように造られた水路にも水生植物が咲きます。

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北入口に咲いていたひまわり、
ここのひまわりはもう終りに近い状態でした。

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イベント広場から見るパークセンターホールと風車。

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風車前の池、今は何もありませんが、
夏にはここにオニバスの花が咲きます。

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義呂池の最北です。
こちらはハスがチラホラと咲き始めています。

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ここのハスもこれからのようですが・・・、

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「木曽三川公園アクワワールド水郷パークセンター」。

いつもは花だけ!それもハスとオニバス、
そして水路に咲く水生植物が楽しみのところですが、
今回は公園の施設とともに紹介しました。

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2009年7月 5日 (日)

大賀ハス池・羽島市

新聞に載って少し日にちがたちましたが、
岐阜県羽島市桑原にある「大賀ハス池」です。

ただいま、「大賀ハスまつり」開催中。

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大賀ハスについての説明は省きますが、
池の周辺を回る花回廊を歩きながらのハス見物です。

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この大賀ハス、毎年来ていますが・・・、
なぜか?そのタイミングがまったく合いません!

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午前中も午前中!
花の咲く時間を考えながらの訪問でしたが・・・
これは厳しいですね~。

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時間が経つにつれ人が多くなってきました。
花回廊を歩く人たちも、
”まだ咲いていないの?少ないね~”との声が多いです。

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ちょうどハス池を一周してきました。

ハスまつりはまだ先がありますが、
開花がベストの時期は・・・?です。   camera 4日

このまま帰れば話にもなりません!
ここから南へ5分ほど車を走らせます。

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羽島市の最南端桑原から木曾川右岸の堤防を歩きました。
ここもあのデ・レーケによる木曽三川工事の歴史があります。

先に見える木の森、

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長良川左岸から来る車道です。
ここで道は木曾川右岸に合流します。

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木曾川右岸は「木曾川河川事務所」の管轄道路、
許可なしでは走れません・・・が走る車も。

見えているて堤防道路の右側が、
羽島市桑原に隣接する海津町の成戸にある
木曽・長良背割堤(せわりてい)の付け根です

このデルタにある「三川分流碑」。

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明治改修における三川分流工事の完成を記念して、
大正12(1923)年3月に建てられたもの。

碑には宝暦治水をへて、三川分流を目的とする
明治改修工事に着手せざるをえなかった経緯などが
しるされています(・・・が読めません><)。

傍にあるその看板を、

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余りに細かく詳しいので興味のある方はクリックで。

ハスと木曽三川分流工事、そしてデ・レーケ、
昨日に続いての関連記事、
意識はしていませんでしたがなぜか繋がってしまいました。

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すぐ横を流れる長良川。
グリーンベルトは長良川中提道路、
2本の堤防を挟んで右側には木曾川が流れます。

宝暦治水から明治の河川改修へと、
木曽三川の水との歴史は数知れぬ変遷のなか、
現在に至っています。

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2009年7月 4日 (土)

船頭平閘門

「船頭平河川公園」。
「船頭平閘門(せんどうびらこうもん)」を挟んである水生植物園とともに
整備されている公園です。

その「船頭平閘門」。
水位の違う木曽川と長良川を結ぶため、水門で水を調整して
水面の高さを一定にする施設が閘門、その高さが一定になる
部分が閘室(ミニ運河?)です。

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長良川側の閘頭部を跨ぐ橋の上から見た木曽川側の閘室。

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同じ閘室を木曽川側から見ていますが、
ここで水を調節して水位を一定にします。

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こちらは木曾川側から見た閘門の閘頭部、

そして

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長良川側から見た閘頭部です。

” 明治時代の河川工事により木曾川と長良川を往来できるように
   した閘門で、門扉が二重になっている復門式の形状では
 わが国で初めてのもの。明治35年完成。”

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その二重になっている復門式の門扉です。

” 明治の改修によって三川の分流が完成。それにより木曾川から
 長良川や揖斐川へは河口まで回らなくてはならなくなり、
 その不便さをなくすためこの船頭平閘門が作られた 。” と。

さて、公園です。

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ここも木曽三川公園の1つですが、
特に目立った公園設備はありません。

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アジサイの咲く園内を回って行くとデ・レーケ像広場に出ます。

広場にあるデ・レーケ像、

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明治20年から45年にかけて行われた木曽三川下流部の
改修は、オランダ人技師ヨハネス・デ・レーケの指導によるもの。

木曽三川の歴史を保存する「木曾川文庫」。

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輪中、宝暦治水、明治の改修などの資料を見ることができます。

そしてこちら、

 Komon009 Komon010
「明治の水門扉・旧閘門扉」です。

” 完成以来90年余り活躍し、長年の歴史に耐えてきた閘門は、
 平成6年に改修が行われ、開閉装置が手動から電動へ
 切替わりました。 ”と。
その旧閘門扉が展示されています。

Komon011  

この「船頭平閘門」は、
わが国で数少ない明治期に建造され、現在も使用されている閘門、
また、復閘式閘門としてわが国最初期のものであることなどから、
重要文化財に指定されています。

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初めて載せた「船頭平閘門」と「船頭平河川公園」の全容です。

初夏のハスを楽しみながら・・・
「船頭平閘門」に木曽三川の歴史のひとつを学びました。

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2009年7月 3日 (金)

船頭平河川公園・ハス田

愛知県愛西市立田にある「船頭平河川公園」、
明治時代に木曽川と長良川を往来できるようにした閘門を中心に
整備された公園です。

そのなかにある「水生植物園」に咲くハス!今年の第一報です。

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水生植物園の東側部分にあるハス田、
以前にも紹介していますが15の田に15種類のハスが咲きます。

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なぜか?毎年ここが一番初めにハスの観賞に来るところ。

現在の開花状況、早いものもあればこれから咲くものと、
いつものことながら多様です。

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15種類のハス、いつもながら名前は省略します。

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ハスの開花!いったいどの状態がいいのか?

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かなり作為的な感じがしますが・・・
ここは咲くのが早いのか?毎年多くの方が撮影にみえます。

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ハス田の西側にはカキツバタ、スイレン池などがあり、
春から初夏にかけて花が楽しめます。

スイレンはほとんど閉じていましたが、
今はこの花?

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ポンテデリア。

そして、

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水生植物園には関係ありませんが><
ハルシャギクです。
植物園の周りにたくさん咲いています。

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「船頭平河川公園」 。

いつもはこの水生植物園のハスだけを載せて終わりですが、
次回は「船頭平閘門」と公園の紹介です。   camera 2日                

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2009年7月 2日 (木)

小次郎公園・今立

越前今立、旧今立町ですが武生市との合併で越前市となり、
町名はなくなりましたが今は今立地区として観光パンフにのみ
今立の名称が残ります。

その今立に数ある見どころスポット散策の最後に選んだのは、
北坂下町にある佐々木小次郎生誕地の「小次郎公園」でした。

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小次郎の生家と言われる「高善寺」に隣接する公園、
「佐々木小次郎」と書かれた木像が迎えてくれます。

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入口から回り込んで行きますと・・・こちらは佐々木小次郎銅像

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若き日の小次郎?背負う刀は、かの物干し竿!

若き小次郎の剣一筋に生きる姿勢を讃えるために、
地域住民を中心に佐々木小次郎生誕地顕彰会が発足し、
昭和63年に銅像が建立された、とあります。

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” ここから3キロ先の柳の滝で剣の修行をし、
 必殺技”つばめ返し”をあみ出したとここではありますが、
 ここから北にある一乗滝であみ出したと・・・ ”(これも他説あり)。

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池から公園の左手に流れる小川、結構広い公園です。

その生家といわれる「高善寺」、ちょうど銅像の裏手にあります。

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本堂右手には「佐々木小次郎生誕の寺」の説明が・・・。

” 18歳のとき「剣の道に一生をかける、二度と寺に戻らぬ」と誓い
 故郷をあとにしたと言い伝えがある ” と。

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その後、必殺技”つばめ返し”の剣豪として名を馳せ、
かの巌流島で宮本武蔵との決闘の日を迎えることになります。

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結末はあまりにも有名!
しかし、佐々木小次郎の生涯については謎が多く、
その出生地に付いても諸説あります。

この日はその1つ?越前市北坂下町(今立)の「小次郎公園」、
佐々木小次郎生誕地を訪ねました。

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2009年7月 1日 (水)

越前和紙の里・今立

越前の里 味真野から北東に3キロほど行くと今立(いまだて)
ここは紙漉き発祥の地の1つに数えられる伝統の町です。

越前和紙の里、そのシンボルロードが「和紙の里通り」。

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西の端にある紙漉き体験館「パピルス館」を背に
その「和紙の通り」を撮っています。

ここから東の端にある紙の文化博物館「和紙会館」までの間、
およそ200mほどの通り。

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石畳の綺麗な遊歩道脇には小川が流れ鯉が泳ぎます。

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みやげ物店が立ち並ぶ通り沿い、
その中心部にあるのが「卯立つの工芸館」。

ここでは伝統工芸士の紙漉き作業が見学できます。

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しかし、この日はご覧のとおり・・・人がいません!
ほんとに出会ったのは10人ほどです。><
人のいない観光地がこんなに寂しいものとは思いませんでした。

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赤い日傘も、毛氈も・・・これも辛かった!

皆さんやはり見学に立寄られていたのかも知れません。

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音楽ベンチ。
腰掛のエリアに入ると音楽が流れ噴水が上がります。

ベンチに腰掛けて音楽を聴きながら、
上がる噴水を眺めましたが・・・これも人がいないと><

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泳ぐ鯉を相手にひとり戯れます^^

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「和紙会館」に着きました。

遠い昔を思い出しながら振り返りますが、

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「和紙会館(紙の文化博物館)」の貴重な資料で
越前和紙の今に触れ、「卯立つの工芸館」で和紙漉きを見学し、
最後に「パピルス館」では指導員のレクチャーで紙漉き体験をする
・・・これが3館セットのモデルコース^^

越前和紙の里 今立、チョッと寂しいレポになりました。

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2009年6月30日 (火)

名勝 城福寺庭園

味真野苑の近くにある「城福寺」、
観光パンフにあった「国指定 名勝庭園」の文字に思わず立ち寄り。

大まかな観光案内図では場所が分からず、
土地の方に訪ねての到着でした。

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参道の先にある駐車場から戻ってきての撮影!
山門はこの奥にあります。

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山門手前から振り返っていますが、
かっては大名行列の馬を繋いだ馬場だったそうですが、
その跡に茶が植えられ今日に至ると。

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山門と本堂。

ここはまた「平家一門の菩提寺」でもあります。
なぜ平家?の疑問にご住職から聞いた話を先に・・・。

平家一門が源平の戦いに敗れて西海に没した時、
池大納言頼盛(平清盛の異母弟)一族だけが残ったのは
源頼朝の特別の計らいがあったという。
平治の乱に際し、平家に捕らえられた源頼朝(当時6歳)を、
頼盛の母、池禅尼が命乞いをして助けた・・・。
頼朝はこの恩を忘れず頼盛一族を厚遇したため、
今日までその血脈が保たれることになったと。

城福寺はその後、頼盛(よりもり)の嫡子、平保盛(やすもり)
によって鎌倉時代に建立された寺院です。

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境内、本堂左にある「「花筺(はながたみ)の桜」、
これも庭園の説明の中でありました。

案内を乞うて暫し本堂で待ちます。
金色の阿弥陀如来(快慶作)の本尊を眺めつつ・・・、
そして庭園に案内されました。

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庭園の隅にあるヒイラギの大木です。

庭園の中央には桜の大木があったそうですが、
昭和38年の豪雪で境内の桜ともどもに倒木、
庭園の桜の若木が境内の「花筺の桜」として残ると。

名勝庭園、貸切です^^ ご住職の説明が続きます。

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左から順に並べています。

元禄年間に造園され借景枯山水築山式蓬莱庭園、
ヒイラギの大木を山に、苔の起伏は波を、軸先を西に向けた
舟島や鶴島・亀島が点在、西方浄土の地を模すと・・・。

この庭園、実は国指定の基準が他にもありました。

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明治まで続いていたという越前福井藩主・松平氏が御成りの部屋。

遠く福井からの道を御成りになった松平氏は、
ここで休まれた(「花筺の桜」を楽しまれた?)あとお庭に・・・。

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この礼拝石を先に進まれます。

庭に配された礼拝石はここだけにしか存在しないそうです。

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中央の石席でヒイラギの大木下にある本尊石を礼拝、
これが江戸時代から続いた松平候の一連の行いだったそうです。

写真は逆になっていますが、
お成り部屋の床柱から礼拝石の先端と、本尊石が一直線に
結ばれていると・・・。

一対一で説明を聞きながら・・・勉強させていただきました。

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よって、この建物と庭園が一対での国指定だそうです。

説明は他にも、なぜ庭園を見るのに拝観というか?などなど。^^
たった一人のために説明していただいたご住職に感謝!
何とも有意義な時をいただきました。 合掌

境内にビッシリと咲いていたこの花、

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銀盃草、別名・芝キキョウとも。

古くは越の国の玄関口として開かれていたという味真野。
万葉の世界と古刹に歴史を訪ねたひとときでした。

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2009年6月29日 (月)

越前の里 味真野苑

越前市(旧武生市)余川町にある「越前の里 味真野苑」、
何十年振りになるか記憶にありませんが?・・・再訪でした。

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継体天皇ゆかりの地である味真野(あじまの)、
やはりこの像からです。

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継体天皇の花がたみ像。

謡曲「花筺(はながたみ)」、 詳しくはありませんが・・・

” 古の昔(1500年前)、味真野で仲むつまじく暮らしていた
 男大迹王(おほとのおう)と照日の前(てるひのまえ)の愛の物語・・・。”
第25代武烈天皇に後継ぎがなく、越国にいた応神天皇5世の孫
男大迹王が第26代継体天皇として迎えられます。
突然に遠い都とここ味真野に離ればなれになった二人が、
苦難の道を経て再び都で再会する・・・というお話だそうです。

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苑内にある「万葉館」。

時は流れて・・・第45代聖武天皇の時代、
聖武天皇の命によって味真野で暮らす(流刑された?)
中臣宅守(なかとみのやかもり)と、
都に残された妻、狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ)のふたり。

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離ればなれになってしまった二人の「逢いたい・・・」と願う気持ちが
相聞歌となって万葉集に残されています。

館内には二人の相聞歌63首が展示され、
万葉集と味真野の関わりについて学ぶことができます・・・と。

さて、苑内ですが、

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まずは緑の中の遊歩道を歩いて5分ほどの展望台へ。
眼下には味真野の町が広がります。

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散策路が縦横に延びる苑内ですが、
花の季節も終わってか?この日は閑散としていました。

西の万葉舘から東の端へと行きます。

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東端にある「旧谷口家住宅」。

越前市内にあった農家を移築したもので重要文化財です。

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入口(大戸口)と建物の内部です。

悲しい恋物語から一転、
何の関係もない農家をご覧いただきました。^^

再び、万葉集と相聞歌を。

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苑内の目玉ですが、比翼の丘。
二人の相聞歌碑が二つの丘に相対して建ちますが
同時には撮れません>< 並べます。

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左が狭野弟上娘子の歌碑、
” 君が行く 道の長手を 繰り畳ね 焼き滅ぼさむ 天の火もがも ”

右が中臣宅守の歌碑、
” 塵泥の 数にもあらぬ 我故に 思ひわぶらむ 妹がかなしさ ”

ここ味真野苑は他にも万葉の歌が書かれた木札がたくさん
ありますが、すべてはこの二人に代表されます。

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一周してきた正面入口にある池ですが、
この池の左右にも二人の相聞歌碑があります。
さすがにこちらはカットしました。^^;

この時期、苑内の花はほとんどが咲き終わっていましたが、
花ハス、睡蓮、ツバキ、ボタン、フジ、花菖蒲と多彩!
この日はアジサイが彩を添えていました。

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2009年6月28日 (日)

石田三成出生地・長浜市

長浜市の東部、米原市山東町と接する石田町、
関が原の戦いで西軍の指揮をとった「石田三成出生地」です。

大河ドラマ「天地人」でこのところ登場していますが、
その三成出生地、石田町を訪ねました。

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いきなり道路端から入りましたが、
町の中で駐車場を探していたらここに出てしまいました。^^;

駐車場は「石田会館」にとめられるようですがこの日は適当に・・・、
ということで、ここから案内板に導かれるようにまちなか散策です。
まずは旗の先に見える木のあるところ、

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「八幡神社」ですが目的はここではありません。

この拝殿と本殿の横には「石田神社」の石柱が、

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そしてその裏には「石田三成公一族家臣之供養塔」が
ありました。

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「石田家一族香炉堂」。

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その左手には三成自筆という歌碑があります。
” 残紅葉 散り残る紅葉はことにいとおしき
 秋の名残はこればかりぞと  三成 ” とあります。

ここからすぐの「石田会館」。

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ここが「石田三成公屋敷跡」。

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三成に関するものはすべてがここに集約されていますが、
そのなかから、「石田三成公像」と、顕彰碑。
碑には「石田冶部少輔出生地」と刻まれています。

他にも三成に関係した碑や堀端池(冶部池)など・・・、
ここから町なか散策へ。

北に少し歩くと石田三成産湯の井戸がありました。

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永禄三年(1560)、冶部屋敷の北側にあったとされ、
三成の産湯の水を汲んだとされる井戸です。

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道端に立つ照明灯には三成に関係する武将達の名前があります。
これはもちろん、「天地人」ですね~^^
説明版には「東の盟友」とあります。

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三成には直接の関係はありませんが、「日吉神社」。

ここ日吉神社からは織田信長が姉川の合戦で勝利した後に、
羽柴秀吉が入った横山城のある横山への遊歩道があります。

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その横山です。
山向こうの「観音寺(以前紹介した三成三碗の才)」までは、
山頂を経由して行けるそうですが・・・、
この日はあまりにも暑くてさすがに失礼しました。><

そして・・・、
 Isida015_2 Isida016
日吉神社の参道と真新しい本殿。
これも遷宮か?本殿は完成していましたが、拝殿はこれから。

長浜市石田町、
「石田三成出生地」として知る人は知る?

Isida017
そんな町なかを散策して来ました。

真夏日が続いていますが夏といえば”ひまわり”、
石田三成が戦った関が原!
その熱き戦いに思いを馳せた・・・そんな石田町でした。

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2009年6月27日 (土)

国史跡 唐子・鍵遺跡

奈良県磯城郡田原本町。
多くの古社、古寺があり、国史跡 唐子・鍵遺跡を有する町、
”歴史のオーラが見えるまち”がうたい文句です。^^

以前にも少しだけ町のことを紹介しましたが、
今回はまちなかに整備された散策路「大和・山辺探訪コース」を、
・・・といっても目指したのは国史跡 唐子・鍵遺跡でした。

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近鉄橿原線の田原本駅から散策路を北上します。

途中には多くの古寺や古社がありますが、
いちばん北にある寺がこの「安養寺」。
山門横に道標がありますがかっての下ツ道が横を通ります。

ここからその道を一部通ってさらに北へ、

Tawaramoto002 
カラー舗装された道に埋め込まれたレリーフ、

Tawaramoto003
そしてマンホールの蓋、同じ絵が・・・。

駅から北上すること2キロほど、
国道24号線を東に渡るとその楼門が見えます。

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ここが唐子・鍵遺跡(からこ・かぎいせき)の入り口。

石段を上がると目の前は唐子池。

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” 奈良盆地のほぼ中央、初瀬川と寺川に挟まれた沖積地に
 立地する 弥生時代の大規模な環濠集落跡です。・・・・・ ”

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池を周回する道を行くとその西南角に楼門があります。

Tawaramoto007
道にあったレリーフやマンホールの蓋の絵、
これがその楼門です。

Tawaramoto008

” 平成3年秋、唐子・鍵遺跡の第47次調査において楼閣の
 描かれた土器片が出土し、古代建設史上、画期的な発見
 として大きく取り上げられました。・・・ ” とつづきます。

Tawaramoto009

弥生時代中期(紀元1世紀)のもので、
すでにこの時代には大陸文化を取り入れた建築物があったことを
証明する資料になった。 とも。

  Tawaramoto0101 Tawaramoto0102

2層の屋根、大きな渦巻き状の棟飾り、3羽の鳥と思われる
波線が、またもう1つの土器片には2本の柱と刻み梯子が・・・と
ありますが、こちらは撮っていません><

Tawaramoto011

この楼閣は高さ12.5m、柱の間隔4×5m、柱の太さ0.5m。

説明板には、
” また、魏志倭人伝(3世紀)には卑弥呼の宮室は「楼観、城柵を
 おごそかに設け・・・」と記されています。卑弥呼の住む邪馬台国
 にはこのような高い建物がそびえていたのでしょう ”とも。

今回の記事はほとんどが説明板からの引用。手抜きですm(__)m

楼閣から邪馬台国はみえるか?「国史跡 唐子・鍵遺跡」。
これもガイドマップのタイトルでした。^^;   

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